くぼずきん.23
魔獣の森周辺での調査が一通り終了した松本は、真田とともに出雲会本部のある街へ一週間前にやってきた。それは肉塊について対策をたてるためだったが、実は東条組の本部もここにあるからという理由も実はある。
橘が関谷と一緒に消えたことにショックを受けてはいたが、松本はどうしてもその理由を橘に聞きたいと考えていた。真田には橘のことは忘れたふりをしているが、実は橘のことを忘れたりなどしていない。
橘の手紙には謝罪の言葉は書いてあったが、別れの言葉は書かれていなかった。
「やはり村とは違うな…」
神と呼ばれる肉塊が徘徊する街を、出雲会所有の車で真田と移動しながら、松本は車窓から道行く人々を眺めている。真田が見せたいものがあると言ったので、松本は本部を出て、見せたいというもののある場所に車で向かっていた。
流れていく街並みと車窓にうつる真田の横顔を見ていた松本は、わずかに眉間に皺を寄せている。肉塊の調査は思ったよりもうまくいったものの、真田が何を考えているのかが未だに不明だった。
確かに肉塊は危険だが、それを倒したところでやはり出雲会にメリットがあるとは考えられない。
それに東条組があっさりと肉塊から手を引いたことも、不気味に思えてならなかった。
関谷は肉塊を利用することを考えていたのに、松本が見つけた三冊の本にすら興味を持たなかったのである。
「ここのところずっと浮かない顔をしているな、君は」
真田がそう言ったので、松本はゆっくりと窓から正面に向き直る。
それは自分の顔も真田と同じように、車窓にうつってしまっていたことに気づいたからだった。
「別にそんなことはない。見間違いだろう?」
松本が真田の言ったことを否定すると、真田は低く短く笑った。
その笑い声を不快に思いながらも、松本は横目でチラリと真田の顔を眺める。
見た目はそれほど悪くはないが、やはりいつ見てもその表情と目つきが感にさわって仕方が無かった。それはもう二週間もともに行動しているが、考えていることも行動の意味もさっぱり読めないからというのもあるに違いない。
そんな風にきついタバコの匂いのする車内で、松本が肉塊や橘、真田ことなどに色々考えを巡らせていると、なぜかふいに松本の視界が暗くなった。
そんな状況に松本は少しも驚いていなかったが、松本の唇には真田の唇が重なっている。
松本はバニラの味のするキスを受けながら、目を閉じずに視線を窓へと向けた。
するとそこには、真田にキスされている自分の姿が写っている。
自虐的な自分の行動に苦笑しながらも、松本は真田の唇を拒んだりはしていなかった。
少しざらついた舌に口内を犯されながら、やはり思い出すのは橘のことで…。
それなのにキスしてきた時に一度こばまなかったら、次からもこばめなくなってしまっていた。
「今度、私と寝てみないかね?」
「・・そんなシュミはないと言ったはずだが?」
「冗談だ」
「・・・・・・」
寝れば真田も油断して何か漏らすかもしれなかったが、そこまで自分を貶める気にはなれない。だがこのままでは、何もかもが真田の思惑通りに進んでしまうような気がしてならなかった。
松本が後部座席のシートに深くもたれかかると、車は大きなカーブを描いて曲がり街から郊外へと走っていく。どうやらこれから行く場所は、街から外れた場所にあるようだった。
しばらくすると沢山建っていた家々が次第に少なくなり、山や林ばかりの景色が広がるようになる。
そんな誰も住んでいないような山奥に、大きな白い建物が見え始めると、車はそれ目がけてわずかに速度を速めた。
「あれはなんの建物だ?」
「国が極秘で建てた軍事用の施設だよ」
「軍事用…」
「行けばわかる」
国の軍事用の施設にもかかわらず、真田の車は簡単に建物のゲートを簡単に通過する。
それは明らかに真田が国とつながりがあることを示していた。
松本が思っている以上に、出雲会は巨大な組織らしい。
この分だと、軍事用に作られた魔獣を所有している東条組も同じように、国とかかわりがあるに違いなかった。
「ご苦労さまですっ。すぐに案内係を…」
「その必要はない」
「はっ」
「私に着いてきたまえ、松本君」
真田に連れられて施設内に入ると、その中は病院と似た薬臭い匂いがした。
施設内で働く人々も全員が白衣を着用しているため、病院だと言われれば信じてしまうかもしれない。
この中に治療するべき患者は一人もいなかったが…。
真田が施設内を迷うことなく進むと、前に赤いランプのともった扉が見えてくる。
その扉は厳重に閉ざされていて、入る者を拒んでいるかのように思えた。
「君に見せたいモノは、このドアの向こうにある」
そう言って真田が厳重に閉ざされた扉をあけると、そこは薄暗い闇と赤い光で満たされていた。
室内は思ったよりも広いらしく、真田と松本の足音がコツコツと壁に反響して響いてくる。
赤い光は所々に置かれているガラス張りの水槽の中からの明かりだった。
暗がりの中で松本が立ち止まって水槽を見ると、そこには小さな物体が浮かんでいる。
その小さな物体は何かの生物のようだったが、それが何なのかはわからなかった。
「それが一体何なのか、わかるかね?」
真田がそう尋ねてきたので、松本はゆっくりと首を横に振る。
その始めて見る生物は小さくて海の生物に近い形をしていたが、海の生き物にしても異様な姿をしていた。魚に似た身体を丸く丸めて、目のようなものが頭らしき部分についている。
松本はじっとその生物を見つめていてると、真田が赤い光の満たされた水槽に右手を伸ばした。
「これは人だよ、松本君」
「ヒト?」
「そう、我々と同じ人間が母親の胎内にいる時の姿だ」
「…こ、これが人なのか?」
「信じられないかね?」
真田は並んでいる水槽にそってゆっくりと歩いていく。
それについて松本が歩いていくと、水槽の中にいるものがすべて同じ生物であることがわかった。
けれどその生物は次へと進むに従って、形を変えて大きくなっていく。
そして最後には、ちゃんと人の胎児の形になった。
「人とかけ離れた姿をしていても、ちゃんとこうして人の形になる。だが、この世に生を受けた瞬間には、人は人としての形すらしていない。不思議だとは思わないか?」
「それはなぜあんな形に生まれつくのか…、ということがか?」
「そう…。紛れもなく人として生まれたはずだが、この時点では何も決定されていない」
「つまりあの魔獣の森で調べた結果は、あり得ない結果ではないと?」
「特別な要因は必要だと思うがね」
赤い光に満ちた液体の中で眠る人間の胎児の前で、松本は真田と会話を交わしながら魔獣の森で調べたデータを思い出していた。
調査は名倉千鶴から話を聞くところから始まったが、松本が一番注目していたのは母親と子供の数、そして男女を記してあった本である。千鶴の話を元にその本に書かれている母親が住んでいる場所を、魔獣の森の周辺の地図に書き込んで行くと、古いものから新しいものになるにしたがって住んでいる場所が拡大していっていることがわかった。
しかも母親が名前を記入されている始めの年は、ちょうど赤い線で名前が消されている本の最後の名前が書かれた年くらいから始まっている。
和美の名前が赤い線で消された、その年から…。
それが偶然なのか、それとも何か理由があるのかは未だわかっていなかった。
くぼずきんが言った通り本に書かれていたのは母親と子供の人数だったが、やはり子供達の姿はどこにも見えない。それについては名倉千鶴も決して話そうとはしなかったが、ただ、『人ではない子だから』とだけ松本に言った。
『この土地は神様の土地だから、人ではない子が生まれる』と…。
しかし千鶴がそう言った理由は、すぐに判明することになる。
それは橘が手術をした病院を見張っていた真田の部下から、松本に奇妙な連絡が入ったからだった。
『病院の看護婦が、魔獣の森に生まれた子供を捨てている』
そういう連絡を受けて松本が子供が捨てられた現場に到着すると、確かにそこに生まれたばかりの子供はいた。
しかし、その子供を見た瞬間、松本は表情を凍らせたのだった。
「予想くらいはついているだろうが、この施設で軍事用の魔獣が飼育されている」
真田の声で松本がハッと我に返ると、真田がじっと松本の顔を覗き込んでいた。
嫌な笑みを浮かべながら自分を見ている真田を松本がにらみつけると、真田は少しも気にした様子はなくじっと松本を見つめ返している。
その様子はまるで、思い悩んでいる松本の反応を楽しんでいるかのようだった。
「ペット用として売られているものもあるが、それは軍事用として使い物にならならい魔獣の末路だ」
「国公認で売られているという訳か…」
「だがペットとして飼われている魔獣も、それを飼っている人間も考えもしないだろう…」
真田はそこで言葉を切ると、部屋の一番隅に置かれている水槽の前に立つ。
その水槽には、人間の胎児と似ていて異なるものが浮かんでいた。
人間とまったく同じ姿をしていながら、頭には耳が生え、手も足も形が違っている。
松本が目を細めて水槽の中を眺めていると、真田はコツッとガラスを軽く叩いた。
「魔獣も元は同じ人間だということを…」
真田の一言を聞いた松本の顔に、感情を言葉で分類できないような複雑な表情が浮かんでいる。
調査している時に松本が魔獣の森で見つけた生まれたばかりの子供には、魔獣の証拠である耳と尻尾が生えていた。手も足も魔獣のそれで…。
けれど、子供の母親は確かに人間だった。
つまり魔獣の森に住む魔獣達は生まれてから母親の顔すら見ることもなく、捨てられてしまった子供達だったのである。
「これはまさに人間にかけられた呪いだと、そうは思わないかね?」
真田にそう問いかけられても、松本は黙り込んだままで返事をしなかった。
この施設で行われている研究の結果、人間と魔獣との間に生まれた子供は100%魔獣が生まれるという結果が出ている。子供を生んだ母親たちが魔獣と接触があったのかどうかはわからないが、もし本当になかったのだとしたら、真田の言う通りこれはまさしく…。
あの醜悪な神のかけた、決して解けない呪いだった…。
始めから確かな手がかりがあったわけではなかったが、くぼずきんは魔獣の森からわずかな手かがりを探って連れ去られた時任の後を追っていた。
宗方が時任を連れ去ったとしても、一人で意識のない時任を運ぶのは困難である。
誰か運ぶのを手伝った協力者がいるとは考えていたが、実はその協力者は一緒にいたはずのあの関谷だった。関谷の部下達が森の周辺で待機していて、時任を運ぶのを手伝ったのである。
それを見たのはくぼずきんではなかったが、矢崎という頭の禿げた目立つ男がいたのを村人が目撃していたのだった。
関谷は宗方ともう関わりがないことを示すために、くぼずきん達とともに魔獣の森に残ったに違いなかったが、東条組が宗方とまだつながりがあることは間違いない。
まだ宗方も関谷も目立った動きは見せていないが、何かを企んでいることは確かだった。
くぼずきんが思ったより街に到着するのが遅れたのは、やはりことある事に肉塊が襲ってきたせいである。未だ肉塊を倒す方法がわかっていないため、銃弾を打ち込んで動きが止まった隙に逃げるしか、今の所は対処法がなかった。
「うーん、また見つかったかも?」
くぼずきんはそう呟くと、いつものように拳銃をベルトから抜く。
それは、ここに来る途中で手に入れたものだった。
肉塊の這いずる音が路地の奥から聞こえてくると、くぼずきんは拳銃を上空に向かって撃つ。
それは無意味な行動に思えたが、その音で路地周辺の家々のドアや窓が閉じられた。
つまりくぼずきんは、周囲に肉塊が来たことを知らせるために上空に銃弾を撃ったのである。
本当ならば誰も人がいない場所に行くべきなのだろうが、時任を探し出すまではこの街を出る訳にはいかなかった。
「やっぱ偽善的だよねぇ」
自分のしたことに苦笑を浮かべながら、くぼずきんは肉塊の追撃から逃れるために走り出した。
ここ数日で街の地理は頭に叩き込んでしまったため、その足取りに迷いはない。
しかし常に肉塊に命を狙われているため、くぼずきんはかなり疲れ切っていた。
けれど、まだやられる訳にも、倒れる訳にもいかない。
時任を捜し出すまでは、なにがなんでも持ちこたえなくてはならなかった。
「もうすぐ行くから…」
呟くようにそう言うと、くぼずきんは東条組本部へと向かう。
実は今日は、宗方のことで暗躍している関谷が本部に戻ってくる日だった。
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