くぼずきん.22




 時任は宗方の言葉に返事をせず、自分の周囲を警戒しながら薄暗い部屋の中を見回した。
 だが、やはり気配が伝えてくるように、この部屋には宗方と自分しかいない。
 本当ならこれは逃げ出すチャンスなのかもしれなかったが、身体の痛みと震える腕がそうすることが不可能だと告げていた。もし、身体がこんな状態でなければ、宗方をぶん殴ってここをすぐにでも脱出するのだが、どうしても身体が言うことを聞いてくれない。
 時任は震える腕に軽く舌打ちをしたが、薬が切れるまではまともに動けそうにもなかった。
 おそらく時任が暴れ出すことを予想して、常にしびれ薬が注射されているに違いなかったが、どのくらい打たれたのかがわからないのでいつ切れるかわからない。
 こんな状態で宗方に殴りかかっても、いくらワイルド・キャットとはいえ勝ち目はないに違いなかった。
 「無駄な抵抗はしない方がいい。その方がケガをしなくてすむ」
 「・・・・黙れっ、クソ野郎っ!」
 宗方は時任を挑発するようにそう言うと、窓のある場所までゆっくりと歩いて行き、そこにかけられていたブラインドをザッと引き上げる。
 するとそこに見えたのは、都会的な街並みと頑丈な鉄格子だった。
 一見、どこかの高級ホテルの一室のようにも見える部屋だが、どうやら別な意味で特別な部屋らしい。鉄格子を見た時任が不機嫌そうに眉根を寄せると、宗方は口の端に笑みを浮かべてポケットから鍵を取り出した。
 「残念だがココから出ることは不可能だよ、ミノル。お前はもう僕からは逃げられない」
 「うっせぇっ、バカ! てめぇなんかの思い通りになってたまるかっ!!」
 「なりたくなくとも、なってもらわなくてはならないのでね」
 「売り飛ばされるなんて、まっぴらゴメンだぜっ!」
 「何を誤解してる? 僕がお前を売り飛ばしたりするはずなどないだろう?」
 宗方は時任が言ったことに対して、肩をすくめてそう返事をした。
 今まで人間に追いかけられたり捕まったりした理由は高値で売り飛ばすためだったので、時任は宗方言ったことが信じられない。そうする以外に自分を捕まえる目的を考えてみたが、やはり何も思いつかなかった。
 「んなコト言って、油断させそうと思ってもムダだぞっ」
 そう言って相変わらず鋭い目つきで時任は宗方を睨みつけている。
 だが、そんな時任に微笑みかけると、宗方は窓から時任の方へ向かって歩み寄った。
 「それ以上来たらぶっ飛ばすっ!!」
 「その身体で?」
 「…てめぇ一人くらい余裕に決まってんだろっ!」
 「本当にそうかな?」
 まるで威嚇するように怒鳴る時任に近づくと、宗方は時任に向かって腕を伸ばした。
 すると反射的に時任がその腕に爪で切り裂こうとしたが、その手は簡単に宗方に捕まってしまい、ベッドにねじ伏せられてしまう。時任はギリリと歯を食いしばると、動かない身体でとっさに身体をひねって宗方のわき腹に蹴りを入れようとしたが、それもやはり簡単に腕で防がれてしまった。
 「無駄な抵抗はしない方がいいと言っただろう?」
 宗方はそう言うと、懐から手錠を取り出して時任の両手にかける。
 慌てて時任がかけられた手錠を外そうともがいたが、手錠から伸びている鎖が宗方の手によってベッドへとつながれた。
 「くうっ、はずしやがれっ!!」
 「やはり、打った薬が切れかけてる、か」
 はずせと叫びながら時任は手首に力を込めていたが、手錠もベッドも頑丈すぎてびくともしなかった。宗方は優しい笑みを浮かべたまま、ベッド脇にあるサイドボードの引き出しから薬瓶と注射器を取り出すと、注射器を瓶に突き立てて中の液体を中に注入する。
 そして時任の腕を抑えると、注射針をその白い肌にゆっくりと差し込んだ。
 すると、透明な液体の中に時任の血液がわずかに混じる。
 その色は人間と同じ鮮明な赤色だった。
 「や、やめろっ!」
 「お前がおとなしくしないからだろう?」
 時任は自分の腕に吸い込まれていく液体を眺めながら、少し青くなった顔に汗を浮かべる。
 さっきまでなんとか動かせていた身体は、液体が完全に血管の中に注入されてしまうとまったく動かなくなった。意識ははっきりとしているのに身体だけが動かないため、時任が目だけを動かして宗方の方を見る。
 すると宗方は注射器をサイドボードに置いてから、手を伸ばして時任の頬を優しくいたわるように撫でた。
 「苦しいかい?」
 「俺に…、さわるな…」
 「おとなしく自分が僕のモノだと認めれば、こんな目にあわずに済むのだがね?」
 「だ、れが…、認めるか、よ…」
 「この目も唇も…、そして身体も…、お前のことで僕の知らないことは何もない。お前は元々僕のモノなのだから…」
 宗方はそう言いながら、親指で時任の唇をなどるようにゆっくりと撫でる。
 すると赤い唇が、宗方の指にこすられてさらに鮮やかに赤くなった。
 時任がその指に噛み付こうとすると、宗方は指をはずして自分の唇を時任の唇に強引に押し付ける。噛み付かれるのを恐れてたのか、宗方がしたのは深いキスではなかったが、時任は自分の唇に触れている唇が気持ち悪くて頭を振って避けようとした。
 けれど宗方はそうすることを許さず、時任の頭を両手で固定する。
 触れてくる唇に歯を立てようとしたが、時任が歯を立てる前に宗方は時任から唇を離した。
 「お前がしようとすることなど、なんでもお見通しだよ、ミノル」
 「・・・・・・・」
 「これから毎日お前にキスしてあげよう。誠人の唇の感触など忘れてしまうくらいに…」
 「忘れたりなんか…、しねぇよ。ぜったい…」
 時任はそう言うと、宗方に負けないように睨み付けていた瞳をわずかに伏せる。
 あの森で別れたくぼずきんのことを想うと、どうしても胸の奥が苦しくなってくるのを止められなかった。くぼずきんのことを思い出すと、どうしても恋しくてたまらない。
 今すぐにでもくぼずきんの所に、あの家に帰りたかった。
 くぼずきんのそばに行きたかった。
 けれどそうしたくても身体は全然動いてくれなくて、それがつらくて哀しくて胸が痛い。
 でも、まだこんな所でくじけるわけにも、泣き出すわけにもいかなかった。
 「この…、ヘンタイ野郎…」
 時任はそう言うと、再び宗方を刺すような瞳で睨みつける。
 すると宗方はすうっと笑みを顔から消して、時任の着ているシャツのボタンを一つずつはずし始めた。時任の感情を煽るように、ゆっくりと一つずつ。
 そうしながら宗方は、次第にあらわになっていく時任の白い肌に所々短くキスを落とした。
 「相変わらずキレイだな…」
 「くっ…」
 「誠人にはもう触らせたのかい?」
 「黙れ…」
 「お前を逃がしてしまったのは私のミスだった…。まさか、記憶をなくしてあの森に…、いや、戻るべくして戻ったと言うべきなのかもしれん」
 「うっ、やめろ…」
 「本当に何もかも忘れてしまったのかね?」
 「てめぇ…なんか…、知らねぇ…」
 宗方は時任に、忘れてしまっている過去を思い出させようとしているようだった。
 だが、宗方の話を聞いても、時任にはさっぱり何のことかわからない。
 肌に落されていく宗方の唇を嫌悪しながら、時任は目を細めて身体に与えられていく愛撫に耐えていた。話をしている間にボタンはすべて外され、シャツは脱がさせて胸も腹もあらわになってしまっている。
 鎖骨の上を…、胸を…、すべっていく唇と手の感触に吐き気を感じても、今はどうすることもできなかった。くやしさに唇を噛みしめてみても、その吐き気が止まることはない。
 時任は自分の舌をざらざらする歯の上にのせてみたが、すぐに舌をもとに戻して歯を食いしばった。
 そんな時任を見た宗方は胸の辺りを撫でていた手を、下の方へと降ろしていく。
 時任は渾身の力を振り絞って身をよじろうとしたが、やはり身体はピクリとも動かなかった。
 「ミノル…、お前は考えたことがあるかい?神がなぜ神と呼ばれるのかを?神というのはもちろん人とは違った特別な存在だが、神は最初から神だったのか? その答えは考えるまでもなくNOだよ」
 「・・・・・・・・」
 「特別な存在は特別な何かを持っているから、特別になる。そしてその特別な何かを、その存在を人々が恐怖した時、取る手段は二つの一つしかない」
 「あっ…、くっ…」
 「…神として崇めるか、悪魔として退治するかだ」
 「うっっ、はな…せ…」
 「そう…、始めから神などどこにもいない。神は人が作り出す。だから、神になりたければ力を手に入れればいい。人知を超えた特別な力を…」
 「あぁっ…、いや…だ…」
 「お前がいれば、僕は神になれる。お前さえいれば……」

 「うあぁぁっ!!」

 宗方に唇に手に熱に犯されて、時任の絶叫が室内に木霊する。けれどその痛みと苦しみが室内を覆い尽くしても、時任がそれから逃れることはできなかった。
 時任の頬に涙がこぼれ落ちても、それを優しく拭ってくれる手はここにはない。
 抱きしめて欲しい腕も、キスして欲しい唇も…、何もかもがここにはなかった。
 
 「く…、くぼちゃ…、くぼちゃ…ん」

 うわ言のようにくぼずきんの名前を何度も繰り返し呼びながら、宗方に何度も身体をゆすぶられる。けれどその感覚になぜか覚えがあって、その事実がさらに時任の胸を痛めつけた。
 記憶に何も残っていなくて、何も覚えていないはずなのに身体がその感触を記憶している。信じたくないのに次第に上がっていく息と、痛みでない何かを感じている自分の身体がそれを否定していた。

 「お前は永遠に僕のモノだよ」

 宗方の言葉を薄れかけた意識の中で聞きながら、時任はくぼずきんのことだけを考えていた。ずっとずっとそればかりを考えて…、そして想っていた…。
 心の中をその想いで満たしていくように…。

 『くぼちゃん…、大好き…』

 どこにいても…、どんなことがあっても…。
 くぼずきんのことだけが…、どうしてもどうしようもなく好きだった。









 橘が姿を消し、くぼずきんが時任の元に向かって二週間が過ぎようとしていた。
 だが、くぼずきんが時任を捜すことができたのかどうかわからず、姿を消した橘の消息もやはり同じように未だわからずにいる。
 松本は机の上に広げられている膨大な資料を前にして、小さくため息をついた。
 資料は二週間の間に松本が魔獣の森周辺で調査した結果を、松本自身がまとめたものである。森の周辺の住人たちは全員そろって口が堅かったが、隣りの住人である名倉の妻、千鶴を説得してなんとか調査を進めることができた。
 だが、その内容があまりにも信じられないものだったため、松本は未だに自分が作成した資料を前にしてこうして考え込んでいる。宗方がこの土地は呪いに汚染されていると言っていたが、それは間違ってはいなかった。

 「浮かない顔だが、どうかしたのかね?」

 そう言って松本がいる部屋に入ってきたのは、この部屋のある出雲会本部にいる真田だった。松本は真田に利用されるつもりはなかったが、自分がしようしていることは一人では困難だと判断して結局、真田の条件を飲んだのである。
 だがそうしたのは、橘が自分を置いていなくなってしまったショックも多少影響しているかもしれなかった。 
 「調べた事実を前にして、それでも信じられないとでも?」
 「いや、そんなことはないが…」
 真田は部屋に入ると、散らばっている資料から一枚を取り出して松本の前に置く。
 すると松本は、自分の文字が書き込まれているその紙を見て顔をしかめた。
 「事実は事実でしかない。あの土地は汚染されていた…、それだけの話だよ。そして、今はその汚染が広がり始めているということだ、松本君」
 「昨日の被害は…、何件だ?」
 「新聞の発表だけだと、十件」
 「昨日より、数が多いな」
 「人の多い方へ移動している」
 そう言うと真田は、脇に抱えていた新聞を机の上に投げる。
 するとそこには、行方不明者のリストが並んでいた。
 そしてその横には、街角で何か不気味な影に人が食われるのを見たという人の証言が載っている。
 だが、それを見たとしても血痕しか証拠が残っていなかったため、警察の捜査は難航しているようだった。肉塊が人を自分の中に取り込んでしまうため、わずかな痕跡しか残らない。
 しかも動きが素早いため、街の中に紛れ込んだ肉塊を捜すことは困難だった。

 「やはりいるのだろう、この街に」

 松本はそう呟くと、後ろを振り返って窓の外を眺める。
 そこに雑然と建物が並び、道を大勢の人々が歩いていた。
 街を歩くすべての人々の中から捜し出すことは、困難に違いなかったが、確実にくぼずきんはこの街に来ている。そして肉塊は、くぼずきんを追いかけるように魔獣の森から移動して、すでにこの街まで来ていた。
 肉塊の仕業らしき事件が街で発生し始めたのは、三日前くらいからである。
 神と呼ばれたモノの残骸は魔獣の森ばかりではなく、この街まで汚染を広げようとしていた。



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