くぼずきん.20




 地下室で発見した本を調べるため、松本は本を持って居間に移動した。
 それに続いてくぼずきんと真田も居間に入ってきたが、関谷は居間には入らずにまたどこかへ行ってしまった。
 くぼずきんと真田は居間には入ったが、面倒だと思っているのかタバコを吸っているだけで何もしようとしない。そんな二人を横目に、松本は手に入れた本に目を通し始めた。
 何か手がかりがあれば、あの肉塊をどうにかできるかもしれない。
 松本が肉塊の文献を探すことに協力したのは、確かに始めは橘を人質に取られているという理由からだったが、地下で少女の遺体を見た瞬間に松本の中で何かが変わった。
 このまま肉塊を放っておいたら、いつまた犠牲者が出るか分からない。
 そう考えた松本は、松本個人として肉塊をどうにかしたいと思い始めていたのである。
 
 『…橘はどう思う?』
 
 居間に来る前に橘の部屋まで行った時、松本は橘に向かってそう言った。
 すると橘は、何も言わずに微笑んで首を横に振る。
 その微笑みの意味を理解した松本は、三冊の本を眺めながら小さく息を吐いた。
 橘は不用意にこの肉塊の件に関わるなと、松本に言っていたのである。
 だが本当は、松本は初めから無理だと承知していた。
 それでも橘に尋ねてしまったのは、橘ならば何かいい案を思いつかないだろうかと思ったからである。肉塊を倒すにはどう考えても一人や二人では無理だった。
 何か致命傷を与えられる弱点があるのならいいが、ないのならばもっと人手がいる。
 どうすればよいのか考えながら、二冊の内の一冊目のページを松本はめくっていたが、その顔はページをめくってからずっと難しい顔をしたままだった。
 「どうかしたのかね?」
 アークロイヤルというバニラの匂いのするタバコの煙を燻らせながら真田がそう尋ねたが、松本はそれには答えずに一冊目のページを広げて机に置いてページをめくり始める。
 すると、さっきからずっと浮かんでいた松本の眉間の皺が深くなった。
 そんな松本を見たくぼずきんが開かれた本を覗き込むと、そこには確かに文字が書かれていたが、それは神のことについて書かれた文献ではなく、ただたくさんの人の名前がそこに並んでいるだけである。どのページをめくってもみて、日付けと名前だけがならんでいた。
 その名前の羅列を見ていると、なぜか軽く目眩がしてくるような気がして、松本はこめかみを軽く左手で抑える。
 だが、軽い目眩を起こしながら名前を指で追っている内に、松本はあることに気づいた。
 けれど、それに気づいたのは松本だけではなかった。
 「もしかしてだけど、ここらヘンに住んでる人っぽい名前が多くない?」
 「…お前もそう思うか?」
 「なんとなくだけど、そんなカンジするなぁって」
 「ここにある名前は、俺の家の隣の家の住人の名前だ」
 「ふーん、隣に住んでるのって、こういう名前のヒトだったんだねぇ」
 「普通は隣の住人の名前くらい知ってるだろう。お前が知らなさすぎるだけだ」
 「そうかなぁ?」
 松本が言うようにくぼずきんは他人にまったく興味がないのか、二人が一緒に暮らしていた頃、近所付き合いなどは面倒臭がってまったくしなかった。松本もそれほど好きではないが、くぼずきんほど極端ではなく、さそわれればたまには隣にお邪魔したりしているし、一応近隣に住んでいる者の名前くらい把握している。
 松本はパラパラとページをめくりながら、知っている名前を探した。
 村の住人の名前が連なっているのは茶色の表紙の本だったが、その名前の並びには規則性がないばかりではなく、同じ名前が何度も記載されているところもある。
 だが妙なのは、その名前の横に数字が記入されいていることだった。
 ほとんどが1と記入されていたが、たまに珍しく2や3などある時がある。
 この数字の意味がわからなくて松本が首をひねっていると、横からくぼずきんがその本を奪い取った。
 「おいっ、まだ見てるんだぞ」
 「この数字の意味、わかっちゃったんだけど?」
 「本当にわかったのか?」
 「たぶんね」
 くぼずきんはそう言うと、松本の家の隣の住人の名前を指差す。その手元を松本が覗き込むと、次にくぼずきんはページを何枚かめくって同じ名前を指し示した。
 「この名前に横にある日付。一見、不規則なように見えるけど、同じ名前が出で来くるには一年くらい時間が空いてるんだよねぇ。それともう一つ気になるのが、ここに乗ってるのがオンナのヒトの名前だけってコト」
 「確かにそれはそうだが…、まさかこの屋敷に連れて来られてたとかそういうことなのか?」
 「来てはいたのかもしれないけど、この数字のもっと横に何か書いてあるっしょ?」
 「…確かに横に何か書いてあるな」
 松本が数字のもっと横を見ると、そこには男と女という文字が書かれている。
 どう見ても女の名前ばかり書かれているように見えるか、なぜかその名前は男女別に分けられていた。女名前の男はいるかもしれないが、どう見ても女だと思われる名前の横にも男と書かれている。
 どう考えても男女にわけられているのは、間違っているとしか思えない。
 「隣に住んでいる名倉という名前の横にも男だと書いてあるな。あの人は間違いなく、確かに女性だったと思うが…」
 さっきから見ている隣の住人の名前を見ながら松本がそう言うと、今まで二人の様子をじっと壁に寄りかかって見ていた真田がアークを吹かしながらそばに近づいてきた。
 松本が警戒しつつも真田に名前を見せると、真田は嫌な笑みを浮かべてくぼずきんを見る。
 するとくぼずきんは、それを無視して吸っていたセッタの灰を灰皿に落とした。
 真田はくぼずきんに興味を持っていたが、くぼずきんは真田にまったく興味がないようである。そんな二人を見た松本は、小さく息を吐いて本の横にある男の文字を指し示した。
 「文字の意味がわかるなら教えてくれないか?」
 松本がそう尋ねると、その問いに答えたのはくぼずきんではなく真田だった。
 真田は松本と同じように一つの名前を指差すと、すぅっと紙の上に指を真っ直ぐすべらせて2と書いている文字の上で止める。その横に書いている文字を見た松本は、眉間に皺を寄せた。
 「2と書いてある横には、男、女と二つ記入されている。この名簿のようなものに女しか名前がないことと合わせれば、簡単に答えは出るはずだ」
 「双子ということか…」
 「なぜわざわざ書いたのかまではわからんがね」
 「俺にも理由はわからないが…。数字と男女の意味がわかったとしても、それに当てはめてみるとどう考えても人数が合わない」
 松本はそう言うと、コツコツと軽く机を指で叩く。
 書かれている女性達は母親で、数字は生まれた子供の数。
 男女は生まれてきた子供の性別を表していた。
  本に書かれていたのは魔獣の森近郊に住む女性達だったが、松本の家の隣に住んでいる名倉という女性の子供は現在男の子一人だけにも関わらず、そこには別々の年月日で一名ずつ、男と女が記入されている。それを考えて見ると、数字が子供の数だという予想ははずれたことになるが、どう見てもそれ以外考えられないような気がしてきた。
 松本が再び頭を悩ませていると、くぼずきんがもう一冊の赤い方の本を開きながら妙なことを言った。
 「記憶薄いけど、何年か前に隣のオンナのヒトが流産したって言ってなかったっけ? それに書かれている年月日って、今いるコドモの年齢と合わないっぽいけど?」
 隣近所のことは何も知らないように見えたくぼずきんだが、そういうことは記憶に残っているらしい。そう言ったくぼずきんを、松本は意外そうな目で見てからうなづいた。
 「そう言われれば、隣の子供は5歳くらいだがここに書かれている年月日からすると、すでに9歳くらいになっている計算だな。確かにおかしい…」
 「本当は流産じゃなかったのかも?」
 「連れて来られたのかもしれないが…。 屋敷内には子供など一人もいない」
 そう言いながら、嫌な予感が松本の胸をよぎる。
 だが、くぼずきんは平然とした顔をして赤い表紙の本を見てるし、真田も動じたようすもなく相変わらずアークを吹かしていた。
 くぼずきんが見ている本には、やはり松本が見ている本と同じようにたくさんの女性の名前が書かれている。その本は茶色の表紙のものよりも古かった。
 けれど書かれている女性の名前の横には、数字も何も書かれていない。
 その変わり名前の上には、一つ残らず一本の赤い線が走っていた。
 まるで用が済んだと言わんばかりに…。
 その名前を見ながらパラパラとページをめくっていた久保田の手は、最後のページをめくった瞬間ピタリと止まる。久保田は目を細めて最後のページを見つめていた。

 ・・・・・和美。

 久保田が見つめているページに、その名前だけ名字はなく下の名だけで書かれていた。
 全部きっちりと名前が書かれている中で、その名だけが奇妙に目立っている。
 くぼずきんはなぜか、その名前に聞き覚えがあった。
 何の名字もないただの和美。

 それはかつて、この魔獣の森の主と呼ばれていた少女の名前だった。




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