くぼずきん.18




 銃弾を打ち込まれながらも、神の残骸と呼ばれている肉塊まだ動き続けている。
 攻撃をくぼずきん一人に集中させているので、他の人間には今の所は無害のようにも思えるが、真田の部下達を飲み込んだ事実があるので、いつくぼずきん以外の人間にも危害を加えてくるかわからなかった。
 くぼずきんはこの場にいる全員の視線が、自分に向いていることを知りつつも、それ以上のことは語らない。
 だが、肉塊がくぼずきんだけを攻撃している所を見ると、言ったことが嘘とは思えなかった。
 真田は自分の腕の中にいる橘の顎を手でつかんで顔を強引に自分の方へと向けさせると、怪我の痛みに耐えているその瞳を覗き込む。
 橘はそれに動じることなく真田の視線を見返した。
 「君ならどうするかね?」
 「…何をです?」
 「今の状況を打開するのに、君なら何をするかと聞いてるんだが?」
 「なぜそれを僕に聞くのですか?」
 「このまま、くぼずきん君を見殺しにはしたくないだろうと思ってね」
 「つまり、助ける手助けをする代わりに、あの肉塊を捕らえる手伝いをしろと?」
 「まあ、そんな所だ」
 ニヤリと笑みを浮かべた真田は、そう言って再びくぼずきんの方に視線を向けていた。
 橘が同じようにくぼずきんに視線を向けると、さすがにくぼずきんの息が少しあがってきているのがわかる。弾数も残り少なくなっているに違いない。
 このままでは、いずれ弾と体力が尽きてしまうことは目に見えていた。
 時任の後を追わなくてはならないのに、ここでこうやってくぼずきんが肉塊と戦っているのは、時任が橘と松本を助けようとしたからである。
 橘は痛みに耐えつつ真田から身を離すと、自分と同じことを思っているだろう、松本の方に視線を向けた。松本は関谷にナイフを突きつけられながらも、毅然として立っている。
 そんな松本を見て微笑むと、橘はゆらりと自分の力で立ち上がった。
 「倒せないのであれば仕方ありません。一時、屋敷に避難するより方法がないでしょう。それに、もしかしたら屋敷になにか肉塊…、神について文献か何か残っているかもしれませんし、くぼずきん君から聞き出すにしても、この状況では無理ですから」
 「今の所、それしか方法がないようだな」
 「・・・・・ライターを持ってますか?」
 ここからくぼずきんと共に屋敷まで逃げるなら、肉塊の攻撃を少しでも止めなくてはならない。
 橘は真田からライターを受け取ると、近くにあった枯れ枝を集めてそこに火をつけた。
 「何が弱点かはわかりませんが、試してみる価値はあるでしょう?」
 「あれだけの肉を焼くには火力が足りないが、一時しのぎにはちょうどいい」
 真田はそう言いながら大ぶりの枝に火をつけると、それをもって身構えた。
 その様子を見た松本が、何をしようとしているのかを察して関谷の腕から逃れようとする。
 これではくぼずきんが逃げることに成功しても、橘がここに取り残されることがわかっていたからだった。真田が自分が死ぬ危険をおかしてまで、橘を助けるはずがない。
 くぼずきんにこれ以上の負担をかけないためにも、松本は橘を守らなくてはならなかった。
 「そんなに死にたい?」
 関谷が嫌な笑みを浮かべてそう言ったが、松本は鋭い目つきで関谷を睨み返す。
 だが、関谷相手ではいくら睨んでも効果は望めない。
 松本は喉元にナイフをチラリと見てから、すぅっと息を吸い込んだ。
 「ナイフを引っ込めてくれないか? 俺は橘を助けなくてはならない」
 事実をそのまま松本が言うと、関谷は小さく笑う。
 しかしそれに構わず松本は話を続けた。
 「あの肉塊を利用するつもりだろうが、見た限りでは捕まえることも殺すことも不可能だ。だが、あの肉塊を捕らえる方法を橘が知っていたらどうするつもりだ? そう言い切るつもりはないが、貴様よりはこの森にくわしいぞ。住んでいたのだからな」
 松本が言うことは絶対ではないが、間違ってはいない。
 屋敷の内部を調べるにしても、橘がいた方が早く済むに違いないのである。
 非難して扉や窓を閉めるにしても、それで完全に進入を防げるとは限らないため、とにかく早くどうにかするすべを探さなくてはならなかった。
 「とにかく、屋敷まで行くことに依存はないだろう?」
 「ふふふ、まあいいわ。面白そうだから離してあげる」
 「…貴様の思い通りにはならない」
 「今、殺してもあげてもいいけど?」
 「・・・・・・」
 関谷から開放された松本が橘の方に駆け寄ると同時に、真田が肉塊に向かって炎を投げる。
 すると肉塊は、動きを止めて炎を恐れているかのように少し後退した。
 「くぼずきん君! 今の内に!」
 「橘っ、早くこっちへ!」
 肉塊が動きを止めると同時に、全員が屋敷の方へ向かって走り出す。
 橘を背おった松本が遅れがちだったが、それでもなんとか付いて来ていた。
 自分で走ると橘は松本に言ったが、そんなことができるはずもない。
 橘は手術で縫った傷口が開きかけている。
 これ以上の無理は、命を落とす危険性があった。
 「私は足を引っ張ってばかりですね…」
 「今は何も考えるな」
 「…はい」
 橘が複雑な想いを抱えるように、松本の首に回している腕に少し力を込めた。
 すると松本は、その想いを感じてつらそうな表情で前方を睨む。
 その視線の先には関谷と真田がいた。
 走っている速度から、松本達が一番後ろになると思われたが、くぼずきんは更にその後方を走っていた。背後から来る肉塊の気配を感じながら、もうほとんど残っていない弾の数を確認する。
 だが、弾の数をかぞえた所でどうにもならないことは、さっきの接触で確認済みだった。
 「カミサマっていうより、ドウブツな感じかも…」
 くぼずきんはそう呟きながら、思い出しかけている何かを自分の内へと探っていた。
 あの森の屋敷に住んでいた時の記憶は薄れてしまってはいるが、忘れてしまっているのでない。
 思い出す必要を感じたことがなかったから、ずっと記憶の奥底に沈んでいただけだった。
 時任を奪って逃げていく宗方の後姿を見た瞬間から、その記憶が次第に呼び覚まされていくのをくぼずきんは感じている。
 時任が奪われた瞬間に感じた感覚と似たような感覚を、昔感じたことがあるような気がしたからだった。
 「昔話は苦手なんだけどなぁ」
 後方から草木を描き分けながら進んでくる肉塊の音が、次第に近くなってくる。
 だが、くぼずきんは松本達の後ろをマイペースで走っていた。
 こうしていれば肉塊はくぼずきんの所で止まるので、松本達の所まで行くことがないからである。
 弾を確認してベルトに差した拳銃を再び握り締めながら、くぼずきんは誰のものかわからない声を聞いていた。それは久保田の脳裏から、深く沈んだ記憶の淵から聞こえてくる。
 聞き覚えのあるような、聞きおぽえのないような不思議な声は小さな子供のものだった。
 
 『一緒に行くんだっ!』

 あの声で、そんな風に言われたのはいつのことだっただろう?
 そう言って小さな手がくぼずきんの手を握りしめたのは、どこでだっただろう?
 
 『後で行くから…』

 そんな風に言って、暖かい手を振り解いてしまったのはなぜだっだろう?
 後で行くからと約束したのは、誰とだっただろう?

 『・・・・ゴメンね』



 次第に見えてくる屋敷を見ながら、くぼずきんは眉を少ししかめてこめかみを抑えた。
 屋敷に近づくにつれて、記憶が鮮明になっていく。
 ここで過ごしていた日々と、ここで起こった何かが胸に刺すような痛みを与えてくる。
 それはたぶん、思い出す必要がなかったものではなく、思い出したくなかったものから来る痛みだった。

 「…あれは誰だっけ?」

 記憶は屋敷の奥深くに沈む暗闇からやって来る。
 あの暗闇の中で感じた痛みとともに…。



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