くぼずきん.12
意識が次第に戻ってくると、何か柔らかくて暖かいモノが自分の下にあるのがわかった。
それに頬をすりよせて眠っていたい気分だったが、自分がさっきまで置かれていた状況を思い出して、時任はパチッと目を開く。
するとすぐ間近にくぼずきんの顔があった。
くぼずきんは目を閉じてぐっすり眠ってしまっている様子で、小さな寝息を立てている。
それを見た時任は、ゆっくりと静かに微笑んだ。
「…くぼちゃん」
麻酔銃で撃たれたとき、もうくぼずきんに会えないかもしれないと思っていたので、こうやってくぼずきんが追いかけてきてくれて、自分を助けてくれたことが信じられなかった。
一緒に暮らしてはいたが、別に親でも兄弟でも、恋人でもない。
二人は別にこんな危険をおかしてまで助ける必要のあるような、そんな明確な関係ではなかった。
なのにくぼずきんはここまで時任を追ってきたのである。
「俺のことなんかほっときゃ良かったのに…」
そう言いながらも、追ってきてくれて、助けてくれたことが嬉しくてたまらない。
一緒に帰ろう、時任。
くぼずきんの言ったその言葉が、胸をじわりと熱くさせていた。
「起きろよ」
時任は小さな声でそう言ってくぼずきんの頭を撫でる。
するとくぼずきんがゆっくりと目を開いた。
「平気? どこも痛くない?」
起きたくぼずきんは、時任の姿を認めると優しくそう言う。
どちらかというと、くぼずきんの方がボロボロなのに…。
時任は軽く首を横に振って再びくぼずきんの頭を撫でると、
「サンキューな」
と礼を言う。
時任の声はとても小さかったが、くぼずきんはしっかりとその声を聞いていた。
よしよしと子どもにするみたいに頭を撫でてくる時任の手が気持ちいい。
くぼずきんは目を細めると、時任の頬に手を伸ばしてそっと触れた。
「会いたかったから追いかけてきた」
「…俺もくぼちゃんに会いたかった」
「痛い目にあわせてゴメンね」
「いてぇのは、くぼちゃんの方だろっ」
「ん〜、じゃあお互い痛かったってことにしときますか?」
「なんだそりゃ」
目と目を合わせた瞬間、時任とくぼずきんが声を立てて笑い出す。
その声は、二人のいる広い草原に響いていた。
この草原から見えるのは、小さな林と生い茂る森。
周囲には民家も人もなく、ここがどこかわかるような判断材料となるものは何もなかった。
線路があるから、線路をたどれば戻れるかもしれないが、そうすると追っ手に発見される可能性が高いので、あまりいい選択とは言えない。
おそらく関谷は次の駅で下車して、二人の捜索をするように命令したはずだ。
だから、じきにここも見つかってしまうだろう。
とにかく早く移動しなくてはならなかった。
「時任」
「なに、くぼちゃん」
「今、家に帰ったら、たぶん怖いオジサンたちが待ち伏せしてる」
「…だろうな」
「危険だけどいい?」
「当ったり前じゃん。あそこはくぼちゃんと俺の家だろ? 俺はあの家に帰りたい。…くぼちゃんは?」
「右に同じ」
「帰ろうぜ、くぼちゃん」
「うん、一緒にね」
いつだって、どこでだって戦って生きるコトを勝ち抜いてきた二人だから、始めから逃げることなんて頭に無い。けれど、逃げずに戦うことが勇気だとかそんなありきたりな言葉は、時任にもくぼずきんにも似合わなかった。
どうしてだとかなんでだとか、そんなことなんか考える間もなくひたすら生きて、ひたすら生き抜く。
生きることは勇気ではなく、本能なのかもしれない。
「出発っ!」
「あんまり張り切ると、あと疲れるよ?」
「俺様の足をなめんなよっ」
「はいはい」
時任とくぼずきんは見つかることなど気にせず線路まで戻ると、自分達の家のある方面に向かって歩き始めた。自分達の家に向かって。
歩く歩調も歩幅も違うのに自然に並んで歩く姿は、まるでともに二人で一つの生きる道を歩んでいるかのようにも見えた。
手術室の扉の上に点っていた赤いランプが消える。
手術を終えて手術室から出てきた橘は、青白い顔をしてベッドに横たわっていた。
そんな橘を見た松本は悲しそうに顔を歪めた後、運ばれていく橘の横に付いて病室に向かう。
橘がこんな状態にあっても何もできないばかりか、時任がさらわれというのに何もできなかった自分を、松本は責め続けていた。
「やはり…、俺はダメだな。橘」
病室のベッドの上に橘が横たえられると、その橘の手を握り締めて沈んだ表情で松本がそう呟く。だが、自分の漏らした呟きを自分で聞いた松本は、さらに沈んだ感じで視線を床に向けた。
怪我を負って眠っている橘に愚痴を零している自分に、嫌気がさしたからである。
「すまない」
松本はそう橘にあやまると、橘の手の甲に自分の額を押し付けた。
自分の気持ちを伝えるために…。
関谷達を足止めする時に橘が負った傷は思った以上に深かった。
なんとか手術は成功したものの、ナイフが内臓にまで達していたため油断を許さない状況である。
松本は祈るような気持ちでずっと橘の手を握り続けていた。
だが、そんな祈る気持ちを踏み握るかのように、突然病室のドアが開け放たれる。
驚いた松本が顔を上げると、数人の男達が病室に入ってくるところだった。
「ここか、例の男がいるのは?」
「関谷と争っていたという話です」
「なるほど」
髪をオールバックに撫で付けた、嫌な笑みを浮かべる男。
その男がボスのようだった。
男達からは、関谷達と同類の匂いがする。
松本は眠っている橘をかばうようにして、男達の前に立ちはだかった。
「用がないなら、早々に出て行ってくれないか? 病人が寝ている」
そう松本が言うと、オールバックの男は喉の奥で笑った。
「私は真田という者だがね。そこの彼にちょっと用があって来たんだが、どうやら尋ね人はお休み中のようだ」
「…出て行け」
「そうはいかない。少し急いでるものでね」
真田と名乗った男がそういうと、橘のベッドに一人の男が近づいた。
その手に拳銃が握られているのを見た松本は、懐から短剣を取り出してその男に切りかかる。見事な細工のついた短剣は、以前、護身用にと橘が松本に贈ったものだった。
「こいつっ!!」
うまく攻撃を避けた男が、松本に銃口を向ける。
だが、それを真田が手を挙げて止めた。
「どうやら、君に聞いた方がよさそうだ」
「何をだ」
「くぼずきん家にある地下室のカギのありかを、君は知っているのかな?」
「・・・・・知っていたらどうする?」
「私に教えてもらいたくてね」
本当は、地下室のカギのことなど知らなかったが、松本はそう真田に答えた。
それは、とにかく真田達の注意を橘の方から自分にの方に引き付けなくてはならなかったからである。
松本は短剣を構えたままで、真田を鋭く睨みつけていた。
「教えてくれないのならそこの彼に聞くまでだが、どうするかね?」
男達の銃口が、いっせいに橘に向けられる。
松本は小さく息を吐くと、
「ついて来い、カギは家にある」
と、口からでまかせを言った。
こんなことをすればタダではすまないことはわかっていたが、橘を守る方法が他になかった。とにかく、なんとかして病院の人間に危険を知らせて、橘をどこか安全な場所に運んでもらわなくてはならない。
どうやって伝えようかと考えながら、松本は真田を案内するためにドアへと移動しようとする。だが、その松本の手を何者かが掴んだ。
「ウソをついては、いけませんよ…」
「た、橘っ」
橘はかなりの重症であるにも関わらず、ベッドから上半身を起こしていた。
苦しそうに荒く息を吐いていたが、その顔はしっかりとしている。
やはり橘は、並みの精神力の持ち主ではない。
「私は平気ですから、そんな顔しないでください」
「何が平気なものかっ、痩せ我慢はよせ」
「痩せ我慢じゃありませんよ」
「いいから、大丈夫だから寝てろ」
「いいえ、嫌です。このまま貴方を行かせてしまったら、私は後悔してもしきれません」
「橘…」
「私には貴方以上に守らなければならないものなど、この世にないのですから」
橘はそう言うと、松本の短剣をその手から取る。
短剣の柄の部分を橘が外すと、その中から一本の金色のカギが出てきた。
「貴方がたが探してらっしゃるのはこれです。差し上げますから持っていかれればよろしいでしょう」
橘がそう言うと真田はその手から金色のカギを受け取り、口の端を吊り上げて微笑を浮かべる。 どんなふうに笑っても、真田の笑みが嫌なものであることには変わりなかった。
「それでは頂いていくとしよう。邪魔してすまなかったな」
「いいえ。お気になさらずに」
「物分りが良いのはいいことだ」
「命は大事ですからね」
橘は感情の読めない微笑みを真田に向け、それに対して真田が誘うような視線を橘に返す。だが、それに橘は動じず、さらに微笑みを深くした。
真田の視線を橘が微笑みで拒んでいる。
「それではこれで失礼しよう」
真田はそう言うと、微笑んでいる橘に背を向けた。
今回はカギだけですんだが、橘もあの屋敷に関わっている以上、このまま済むはずはない。松本は真田が出て行くと、すぐに橘をベッドに寝かせつけた。
「…まったく、無茶ばかりをする」
「すいません」
「謝らなくてもいい。無事ならそれでいいんだ」
松本はカギのことも地下室のことも橘に尋ねなかったし、橘も何も言わなかった。
だが、このカギが真田の手に渡ったということは、くぼずきん家の秘密が真田の手に渡ったということでもある。
一階の一番端の部屋にある地下室への扉。
その扉の前で怯えていた時任。
真田が地下室のカギを持って屋敷に向かい。
くぼずきんと時任も屋敷を目指している。
魔獣の森は血の匂いと暗い暗雲に包まれて、静かに屋敷のカギが開けられるのを待っていた。
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