くぼずきん.11
くぼずきんが乗り込んだ車両は、列車の最後尾だった。
この車輛には一般客しか乗っていない。
いきなり窓から飛び乗ってきたくぼずきんに車内は一時騒然としたが、それもすぐに静かになった。
人が窓から入って来たからといって、別に列車が脱線するわけではないからだ。
「さて、行きますか」
そう言いながら、くぼずきんは前の車両に向かうべく足を踏み出す。
その右手には拳銃が握られていたが、それを見て騒ぎ立てる者はいなかった。
見ていたのだが、見ていないフリをしていたのかもしれない。
誰でも自分の身はかわいいものだ。
走り出した列車は、次の駅に着くまで止まらない。
この列車に乗っている以上、関谷達が逃げる心配はないが、どう考えてもくぼずきんの方が分が悪かった。 あまりにも人数が違いすぎる。
けれどくぼずきんはそんなことなど少しも気にしていない様子で、車輛から車輛を次々に通り過ぎていく。
迷いのない単調な足取りだが、くぼずきんは死ぬことを覚悟したりはしていない。
自分が死ぬとか死なないとかそういうことでなく、時任を取り戻すことだけしか考えていなかったからである。
運転車輛から二番目の車輛の入り口の前に来た時、くぼずきんはやっと歩みを止めた。
閉じられた次の車輛へのドアから、奇妙な静けさが伝わってくる。
「…面倒そうだねぇ」
くぼずきんはそう呟くと、拳銃を構え直してドアを開けた。
ガゥンッ! ガゥン…!!
ドアのすぐ近くにいた黒服の男に向かって素早く引き金を引きながら、横に向かって飛ぶ。座席のシートに素早く隠れると、くぼずきんがいた位置に何発もの銃弾が音を立てて走った。
くぼずきんはその銃弾の軌跡を見て、
「うわぁ、コワイなぁ」
と、無表情のままおどけたようにそう言う。
その声を聞いてしまった東条組の手の者達は、なぜか腹を立ててしまったらしく、物凄い勢いでくぼずきんに向かって発砲してきた。
くぼずきんは座席の影で、そんな男達にやれやれといった感じ軽く肩をすくめると、さっき倒した男の手から拳銃を奪って左手に握る。
そして弾が入っているのを確認すると、座席の影から二丁の拳銃を車内へと向けた。
「さすがにこれだけ人数いると、せめてこれくらいはないとね」
ガゥンッ、ガウンッガウンッ!!!
二丁の拳銃の引き金が同時に連続して引かれる。
くぼずきんはまっすぐ前だけを向いていたので、全然何も見ていないように見えたが、どの銃弾もけしてはずれたりしない。
恐いくらい正確な射撃、恐ろしいほど軽そうに引かれる引き金。
車内の床が赤く赤く染まっていった。
弾が切れると、倒した男の拳銃を拾って打ち続けるため際限がない。
あまりの凄まじさに、走る列車の窓から飛び降りる者もいた。
「…こいつ普通じゃねぇ」
「ば、化け物だ!」
見ようによっては、くぼずきんの方が悪人に見えないこともない。
倒れた男達を見ることもなく、くぼずきんは前の車両へと歩き出した。
この向こうに時任がいる。
そして、関谷も…。
久保田は今度は立ち止まったりせずに、隣の車輛のドアを一気に開けた。
「やはり来たわね、くぼずきん」
貨物車になっている車輛の中央に置かれた椅子に、ふふっと笑みを浮かべながら、関谷が足を組んで座っていた。
その足元には、ぐったりとしている時任が横たわっている。
時任はまるで死んでいるかのように、ピクリとも動かない。
その首には首輪が嵌められていて、そこから伸びている鎖の先を関谷が握っていた。
「その猫、ウチのなんで返してもらうよ」
「この状況で、そのセリフが言えるかしら?」
「状況って?」
「よーく、自分の周りを見てみることね」
関谷に言われてくぼずきんが辺りを見回すと、そこには五匹の魔獣が低くうなり声を上げていた。グレイト・ベア、ウィッチ・ドッグ、ブレイヴ・タイガーなど、魔獣の中でも凶暴性の高いものばかりである。
関谷の命令に従っているところを見ると、森の外で飼育された魔獣らしい。
森の魔獣達はくぼずきん家の当主の命令しか聞かないのである。
森の魔獣を操れるということは、ようするに私設軍隊を持っているようなものだ。
外で育った魔獣は、人間と同じように喋ったり人間的な生活を営むことができない。
文字通り魔獣と成り果てた者達なのである。
それ故に、魔獣達を制御しきれずに殺された人間は大勢存在した。
魔獣の戦闘能力は人間の何十倍にも匹敵するため、そういう危険を冒しても魔獣を飼育している国もあるという…。おとなしい種類のもので、ペット用に飼育されているものもあるが、やはり主に飼育されているのは戦闘用だった。
ワイルド・キャットは数が少ないことで希少価値が高いが、戦闘用にも、ペット用にもなるという点でも価値が高いのである。ワイルド・キャット一匹売れば、一生暮らせるくらいの金になるのだった。
「アタシが命令すれば、貴方はこいつらの餌食になるわ。そうなりたくなければ、おとなしく引き下がることね。貴方だって命は惜しいでしょう?」
関谷はそう言って握っている鎖を軽く引く。
すると首がわずかにしまって、時任が苦しそうに眉根を寄せた。
「ところでアンタ誰?」
関谷の挑発に乗らず、顔色一つ変えなかったくぼずきんがそう尋ねると、関谷はニィッと口の端を吊り上げた。
「東条組代行、関谷純。実はアタシ、貴方に借りがあるのよ」
「そんなのナイと思うけど?」
「二年前に貴方が東条組のマーケットの一つを潰してくれたらしいわね? 出雲会年少組部長、くぼずきん誠人君」
「そんなことありましたっけ?」
「ちゃんと調べたんだから、とぼけてもムダよ」
「それはそれは、ご苦労サマ」
「出雲会が森を嗅ぎまわってるけど、この猫ちゃんに何か関係あるのかしら? そう、たとえば、あの屋敷から逃げた魔獣の話とか?」
「さあ、俺はもう出雲会とは関係ないから、なぁんにもわかりません」
「ふふっ、本当に?」
「俺が欲しいのは、そこにいる猫だけなんで」
くぼずきんはそう言うと、関谷の眉間に銃口を向ける。
だが、それと同時に関谷のそばにいた矢崎が時任の頭に銃口を押し付けた。
この状況では、たとえ関谷を撃ったとしても、時任は矢崎に撃たれてしまうし、矢崎を撃っても関谷がいる。
「この猫ちゃんには強力な麻酔が撃ってあるわ。今日一杯は絶対に目が覚めないでしょうね。残念だったわね、せっかくここまで来たのに」
そう言った関谷は魔獣たちに向かって手を振り上げた。
くぼずきんは素早く引き金を引いたが、魔獣の動きも早い。
あっという間に距離を縮められて、魔獣の凄まじい攻撃がくぼずきんの頬を掠めた。
くぼずきんはそれを寸でのところでかわして、その腹を容赦なく蹴り上げる。そして、次に襲い掛かってきた魔獣の顎に拳をヒットさせた。
魔獣の攻撃は普通の人間ならば一瞬でやられてしまうくらいのものだったが、くぼずきんはそれを見事にかわしている。
どう見ても、魔獣よりもくぼずきんの方が戦闘能力が上だった。
「おもしろいわね」
関谷はそんなくぼずきんを見ても慌てることなく、その様子を眺めていた。
その口元が笑っているように見えるのは決して気のせいではないだろう。
「…関谷さん」
矢崎の額に汗が浮かんでいる。
やはりこれが普通の反応というべきだろう。
すっかりこの場の雰囲気に矢崎は飲まれていたが、そんな矢崎に関谷は目だけで合図を送った。矢崎はその指示に従い、くぼずきんの入ってきたドアをあける。
矢崎は車輛と車輛の間で何かをしていた。
「グルルル…」
「でっかいなぁ」
くぼずきんは次々と魔獣を片付けていき、とうとう最後の一匹となった。
残ったのは一番体格の大きなグレイト・ベアなので、体格と力の差でそれなりに苦戦を強いられるだろう。。
グレイト・ベアの大きな手がくぼずきんに振り下ろされたが、その手はくぼずきんを捕らえることができずに大きく空を切った。
だが、この攻撃が当たればさすがのくぼずきんも、ただではすまないだろう。
くぼずきんは攻撃を避けながら、ドアの方に後退する。
だがその時、くぼずきんの耳に小さな声が届いた。
「・・・・ちゃん、くぼちゃん」
麻酔で眠らさせていたはずの時任が、苦しそうな顔をしてくぼずきんの方を見ていた。
奇跡的に目を覚ましたらしい。
けれど、その首には首輪がはまっていた。
「おはよう、時任」
こんな状況にも関わらず、くぼずきんは時任に微笑みかけながらそう言う。
それを見た時任も、それに答えるように微笑んだ。
「一緒に帰ろう、時任」
「・・・・くぼちゃん」
そうしている間も、グレイト・ベアが攻撃してくる。
くぼずきんは隙を突いて軽くグレイト・ベアの足を払うと、その頭に拳銃のグリップを叩きつけた。するとグレイト・ベアは呻き声を上げながら床へと昏倒する。
勝負はくぼずきんの勝ちだった。
「くそっ!」
魔獣すら倒してしまったくぼずきんを見た矢崎が、時任に銃口を向ける。
そして、その引き金に指がかかった。
ガゥンッッッ!!
車内に響き渡った銃声の音は一つ。
撃たれたのは時任ではなく、引き金を引いたはずの矢崎だった。
くぼずきんの拳銃の銃口から硝煙が上がっている。
「怪我してない?」
「うん」
矢崎の引き金は引かれなかったので、時任は無事だった。
けれど、倒れた矢崎の拳銃を今度は関谷が持っている。関谷は銃口を、時任ではなくくぼずきんに向けていた。
「どちらが早いか勝負しようかしら?」
そう言いながら関谷がクスッと笑う。
普段、ナイフしか関谷は使わないので、くぼずきんの方が普通ならば勝つに違いないが、今、くぼずきんは関谷と勝負できない。
拳銃の弾はさっきの一発で打ち止めだった。
くぼずきんと関谷はお互いの目を見たまま動かない。
動いたのはこの二人ではなく、鎖に繋がれている時任だった。
「このっ!!」
鋭い爪が関谷の手を引っ掻く。
だが、まだ麻酔が効いているため動きがかなり鈍い。
けれどなんとか関谷の手から鎖を放させることに成功すると、時任はおぼつかない足取りでくぼずきんに歩み寄った。
「戻ってらっしゃい、猫ちゃん。くぼずきん君の銃には、もう弾は残ってないのよ。そうでしょ? くぼずきん君」
「さあ?」
「あは、ホントとぼけるのうまいわね」
もし、弾が残っているなら、さっき時任が攻撃をしかけた瞬間に引き金を引いていたはずである。それを関谷に見抜かれてしまったのだった。
残弾ゼロ。
くぼずきんの持っている拳銃には、本当に弾が残っていなかった。
二人の命は関谷の手中にある。
けれど、時任は関谷の言葉にひるんだりせず、ゆっくりと関谷の方に振り返ると、その前に両手を広げて立った。
「撃ちたきゃ撃てよ。けど、俺を撃ってる隙にくぼちゃんがお前のコト殺すぜ。銃なんかなくったって、くぼちゃんは強いんだからなっ!」
「アンタは確実に死んじゃうわよ? それに、この車輛から後ろはすでに切り離してるから、逃げ場はないわ、ご愁傷様」
「それがどーした? くぼちゃんが生きてりゃそれでいいんだよっ! わかったか、このくそオカマ野郎っ!!」
真っ直ぐな瞳が関谷を睨みつける。
その瞳には少しも揺らぎも迷いもない。
それを見た関谷は、すうっと目を細めて上目遣いに時任を見た。
「ガキは嫌いなのよ、バカだから」
「てめぇになんか好かれたかねぇぜ。キモチわりぃ」
時任はくぼずきんの身体を銃弾から守るためにじっとその場に立ち続ける。
だが、その顔色はかなり悪かった。
麻酔が効いているのに、無理やり起きているからである。
麻酔はかなりきついものだった。
「うっ…」
次第に身体がぐらつき始めるのを、時任が必死に耐えている。
しかし、意識が薄れていくのをどうしても止めることができない。時任はぐらりと揺れると前にのめった。
関谷がその隙をついて、拳銃ではなくナイフを構える。
だが、それより早く時任の身体をくぼずきんが抱え上げた。
「帰るよ、時任」
くぼずきんはそう言うと、関谷の投げたナイフを拳銃のグリップで弾き、時任を抱きかかえたまま背後のドアを開ける。
開けてみると、関谷の言う通り後方の車輛は切り離されてなくなっていた。
逃げ場がどこにもない。
しかし、くぼずきんはそれに驚いた様子もみせずそこから飛び降りた。
まるで、駅に止まった列車から降りるように、簡単に…。
後に残された関谷は、呆然と空いたドアをしばらく見つめていたのだった。
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