恋の嵐。
    〜中 編〜



 毎日公務をしているということもあって、執行部の保健室の利用回数は実は多かった。
 けれどその中でも、もっとも利用回数が多いのは時任なのだが、逆に相方である久保田が保健室を利用することはほとんどないのである。
 同じだけ公務をこなしている二人に出来るこの差は、単に要領の問題なのかもしれなかった。
 本日の見回りの当番は時任と久保田だったのだが、取締りの相手が刃物をもっていたため、時任が手にかすり傷を負ってしまっている。普段ならこういう相手を久保田は見逃したりしないのだが、隠し方が巧妙だったために気づくのが遅れたのだった。
 しかし、時任にかすり傷とは言え怪我を負わせた男は、久保田にわき腹と顔面を蹴り飛ばされた上に、利き手を踏みつけられたのは言うまでもない。
 ハッキリ言って時任よりも、床に倒れ込んだままうめいていた男の方が確実に保健室行きだった。
 「これっくらい保健室に行かなくても、ヘーキだってっ」
 「一応、刃物で切られたんだし、消毒しといた方がいいっしょ」
 「切られたってちょっとだけじゃんかっ」
 「ちょっとでもケガはケガ」
 「うぅ、またあのババァの世話になんのかよっ」
 「ほら、ブツブツ言ってないで行くよ」
 時任はかすり傷だったので保健室に行きたがらなかったが、久保田がそれを半ば強引に連れて行く。実は五十嵐がいる保健室に限らず歯医者や病院とかそういった場所が苦手なので、時任はよっぽどことがない限り一人では行きたがらなかった。
 そのため、保健室も歯医者も久保田が連れて行く習慣になるである。
 久保田に連れられて保健室の前までやってきた時任が、嫌そうな顔でドアを開けるといつものように五十嵐が色っぽい笑みを浮かべて二人を迎えた。

 「あらぁっ、いらっしゃいっ。久保田くぅ〜んっ」

 けれど本人が言っているように、五十嵐が怪しい笑みを向けているのは時任ではなく久保田だった。実は時任が保健室に行きたくない一番の理由は、五十嵐はことあるごとに久保田にくっつこうとするからなのである。
 それは今日も同じで、すでにいつの間にか五十嵐は久保田の腕に自分の腕をからませてしまっていた。
 「どこをケガしたのかしらぁ。でも久保田クンなら、どんなケガでもセンセイの愛で治してみせるから、遠慮なく言ってぇ〜」
 「べつにケガしてませんけど?」
 「ケガしてんのはっ、久保ちゃんじゃなくて俺だっ!」
 一見、イチャイチャしているように見える五十嵐と久保田の様子にヤキモチを焼いた時任がそう叫びながら二人の割って入る。そして、しつこくからんでいる五十嵐の腕を久保田からグイッと強引に外させた。
 実は久保田は抱きつかれても、何をされても腕どころか指一本動かしてはいないのだが、時任にとっては抱き返さなくても抱きつかれたままの状況が許せない。
 するとヤキモチを焼いた時任に無理やり腕を外された五十嵐が、チラリと時任のかすり傷を見て右手をシッシッと追い払うように振った。
 「そんなのツバでもつけときゃ治るわよぉっ。アメーバだから」
 「な、なんだとぉっ!このオカマっ!!」
 「クソガキに言われたかないわよっ!」
 「なにぃぃぃっ!」
 売り言葉に買い言葉、天敵ではなくケンカ友達風な様子で、いつものように時任と五十嵐の言い争いが久保田を挟んで始まった。
 だが今日は時任がケガをしているせいか、
 「ま、たいしたことはないけど、手当てしてやってよ」
と、久保田が五十嵐に言ったためすぐにケンカは終了。
 いつもこんな風に止めてくれればいいのにと思いながら、時任はおとなしく五十嵐に切り傷を消毒してもらって手当てを受けた。
 「また大塚達にでもやられたの?」
 あきらかに刃物で切られた傷に眉をひそめながら五十嵐がそう言ったが、時任はその言葉に首を横に振る。今までは毎日と言っていいくらい大塚達に公務を執行していたのだが、実はここ数日というもの、それが不気味なほどパッタリとなくなっていた。
 別にだからと言ってどうということもないが、一日一回は大塚達を殴らないと物足りない気がするのは確かである。時任は手当ての終った切り傷のある左手に拳を作ってみながら、大塚達の様子に少しだけ首をかしげた。
 「なぁんかさ、ここまでおとなしいと不気味なんだよなぁ。またなんか企んでやがんのかも知れねぇけど…」
 「さぁ、どうだろうねぇ」
 「久保ちゃんは気になんねぇの?」
 「べつに」
 「ふーん」
 何気ない口調で時任が大塚達のことを話したが、久保田はまったく興味がないらしい。
 時任もそれほど気になっていたワケではないので、それ以上は何も言わなかったが、二人の会話を聞いていた五十嵐が左の手のひらを右手の拳でポンっと打った。

 「そうそう思い出したわっ、恋よっ、恋っ!」
 
 五十嵐はそう独り言のように叫ぶと、ふふふっと不気味な思い出し笑いを浮かべる。
 そして数日前に、突き指をして保健室に来たという大塚の話をし始めた。
 そう、実は大塚は五十嵐に口止めをするのを忘れてしまっていたのである。
 そのため五十嵐は、聞いたままの通りを時任と久保田に向かって話した。

 「げえぇぇぇっ、大塚が恋?!」
 「一応、お年頃だしねぇ。大塚クンも」

 屋上で出会った人物に恋したという大塚の話を聞いて、久保田はのほほんとそう答えたが、時任はあまりの似合わなさに叫んでしまっていた。
 だが大塚がしたという話を五十嵐から聞くと、なんとなく数日前の屋上の出来事が思い出される。けれど、たぶん後から誰か来たのだろうと時任は思っていた。
 大塚が誰に恋しようとべつに関係ないが、好奇心が旺盛なのでなんとなくどんな子に恋したのかが少しだけ気になる。
 しかし、大塚がどんな子に恋したのか五十嵐も知らないようだった。
 「誰なのかはまだわかってないけど、スゴク可愛い子らしいわよ?」
 「へぇ、そんなに可愛いかったのか」
 「もしかして気になるの?」
 「べつにそんなんじゃねぇけどさ。たぷん同じ日に大塚を屋上で見かけたから、あのままいれば見れたかもって…」
 「そうなの? それは惜しかったわねぇ」
 「ま、見たからって俺には関係ねぇけどな」
 そんな風に五十嵐と話をしていたが、ふと時任はいつになく久保田が静かなのに気づいた。
 何をしてるのかと思って時任が久保田の方を見ると、久保田はじっと立ったまま何をするでもなく時任の方を眺めている。しかし窓からの逆光が眼鏡に反射していたため、どんな表情をしているのかはわからなかった。
 「同じ日に屋上にねぇ…」
 「なに? 久保ちゃん」
 「べつになんでもないよ?」
 「・・・・・?」
 「ケガの手当てすんだし、帰ろっか?」
 「じゃあさ、本屋寄ってこうぜっ」
 「そういえば、お前が読んでるマンガの発売日だったっけ?」
 「当たりっ」
 時任は公務が終ったので、久保田と一緒に帰るために保健室を出た。
 だが、そんな時任のことを廊下の片隅から見つめる人物が一人いたのである。
 けれど、その暑苦しい視線に時任が気づくことはなかった。








 保健室で大塚の話を聞いた次の日。
 時任は昼休けいになると、昼食を買うために購買の前まで来ていた。
 けれど購買でパンを買おうとする生徒の数は半端ではないので、うっかりしていると人気のあるパンはすぐに売切れてしまうのである。
 今日は四時間目の授業が教室ではなく移動だったせいで、時任は購買に来る時間がいつもより遅くなっていた。いつもはすでに好きなパンを買い終わっているはずなのだが、今日はどうも買えそうにない。
 食べることにかなり執着があるので、時任は込み合っている購買の前でイライラしていた。

 「くっそぉっ、俺の焼きそばパンがっ!!」

 そんな風にブツブツ言いながら焼きそばパンを狙っていたが、どうしても焼きそばパンが食いたいと思っている時任の願いもむなしく、購買のおばちゃんが焼きそばパンが売り切れたことを周囲に聞こえるように怒鳴る。
 その瞬間に時任だけではなく、周囲からもガッカリしたのかため息が漏れた。
 だがいくら焼きそばパンが食べたくても、売切れてしまったら仕方がない。
 コンビニにも焼きそばパンは売っていたが、この購買で売られている焼きそばパンはこれまで食べた焼きそばパンの中でも絶品だった。この焼きそばパンはパンが柔らかい上に麺もそれほど固くなく、少し甘めのソースがまったりとかかっているのである。
 そのめた昼休けいのチャイムと同時に売店に走っている連中のほとんどが、この焼きそばパンを求めて走っているのだった。
 「ううっ…、今日はついてねぇの」
 時任は仕方なく焼きそばパンをあきらめて、別のパンを狙いにかかる。
 だが、そんな時任の横に焼きそぱパンを持って立っている人物がいた。
 時任はふと自分の近くに焼きそばパンがあるのに気づいて、横に立っている人物を見る。
 するとそれは、なぜか焼きそぱパンだけを持ってボーっと突っ立っている大塚だった。
 「よ、ようっ…」
 「おうっ」
 公務ではいつも敵対しているとはいえ、挨拶されれば仕返すのが礼儀である。
 時任は軽く大塚に挨拶を返すと、再び前の方に向き直った。
 大塚の持っている焼きそばパンをうらやましいとは思ったが、別にそれを譲ってもらおうとは考えてはいない。
 けれどなぜか時任の目の前に、すうっと焼きそばパンが差し出された。
 「こ、こ、これなんだけどよ…」
 「これって、焼きそばパンがどうかしたのか?」
 「どうかっていうか…、その…」
 「ああ? なにボソボソ言ってんだよっ」
 時任はハッキリしないのが嫌いな性分なので、目の前で大塚がボソボソ話しているのを見るとさっきより更にイライラしてくる。これからパンを買わなくてはならないというのに、横から邪魔されるのはかなり迷惑だった。
 時任は『なんのつもりでパンを差し出しているのかわからねぇけど、言いたいことがあるならハッキリ言えっ』と大塚に向かって怒鳴ろうとする。
 だが、その前に目の前に差し出された焼きそばパンを何者かの手が受け取った。
 
 「あれ、俺にコレくれるの? アリガトね」
 「な、なにぃっ!?」

 大塚の焼きそばパンを受け取った久保田は、時任のすぐ斜め前にいた。
 久保田が立っていた位置からすると、その焼きそばパンを久保田が受け取ってもおかしくはない。もしかしたら大塚は時任ではなく、久保田の方に焼きそばパンを差し出していたのかもしれなかった。
 自分ではなく久保田の前に差し出していたから、自分の質問にボソボソとしか答えなかったのかと妙に納得した時任は不機嫌そうに大塚の方を見る。
 別に凄んだつもりはなかったが、大塚はなぜか時任の方を見てビクビクしていた。
 「へぇ、久保ちゃんにやるつもりだったのか…」
 「あっ、いやっ、そうじゃ…」
 「パン買い終わったなら、ジャマだからさっさとどけよっ」
 「うっ…」
 時任がそう言うと、いつもは反抗するはずなのに大塚がおとなしく購買から歩き去って行く。
 そんな大塚の様子を見ながら、時任はかなり不審そうな顔をしていた。
 おとなしく言うことを聞いたのもおかしければ、久保田に焼きそばパンを渡すのもおかしい。
 昨日、五十嵐から大塚の話を聞いてはいたが、今日の大塚はあまりにも挙動不審だった。
 「なんなんだ、一体…」
 眉間に皺を寄せながら時任がそう言うと、さっきと同じように時任の目の前に焼きそぱパンが差し出される。それを差し出しているのは、今度は大塚ではなく久保田だった。
 大塚からもらったパンを久保田からもらうのは全然うれしくないので、時任は差し出されたパンを久保田の方へ突き返す。
 けれど久保田はのほほんとした様子で、再びそのパンを時任に手渡した。
 「そんなパン、絶対にいらねぇからなっ!」
 「そう? せっかく並んで買ったんだけど、いらないならしょうがないやね」
 「えっ、並んで買ったってどういうことだよ?」
 「コレは俺が買った焼きそばパンで、こっちにあるのが大塚にもらったヤツ」
 「・・・・・・・ふーん」
 「どしてもいらない?」
 「いるっ」
 「じゃ、他のパンも買ったし食べに行こっか?」
 「うん、行くっ」
 久保田のくれたパンが大塚のじゃないと知ってホッとすると、時任はパンを食べるために生徒会室に向かった。
 前までは屋上で食べていたが寒くなったので、生徒会室で食べることにしたのである。
 けれど生徒会室に向かいながら、時任はじーっと久保田が持っている焼きそぱパンを見つめていた。 購買で買ったもので袋もかかっているので、危険物が入っていることはないだろうが、それを久保田が大塚から受け取って食べるというのはなくとなく嫌な気がする。
 しかし、食べ物を粗末にするのは良くないので時任はじっと黙っていた。
 時任と久保田が生徒会室に到着すると、そこには同じように昼食を食べるためにやってきた執行部メンバーがそろっている。
 昼休けいも見回りがあるので、実はほとんどの部員がここで昼食を食べていたのだった。
 「おっ、今日は遅かったじゃんっ」
 「ちょっち移動教室で時間かかった」
 時任は相浦と短く会話を交わすと、パンを持っていつも自分が座っている位置に座る。
 だが、なぜか久保田はすぐに椅子に座ろうとはしなかった。
 どうしかしたのかと時任が不審に思っていると、久保田は持っていた焼きそぱパンを同じく昼食を食べに来ていた藤原に渡す。すると藤原は久保田から焼きそばパンをもらって、いつもの恋する男の妄想を一人で繰り広げて喜んでいた。

 「あぁぁんっ、久保田せんぱぁ〜いっ」
 「ったく、そんなところでのた打ち回らないでよ!気持ち悪いわねぇっ!!」

 暴走した藤原は桂木にハリセンで叩かれていたが、時任は藤原にかまわずに黙ったまま久保田にもらった焼きそぱパンを齧っている。
 久保田が大塚のパンを食べなかったことはうれしいが、気分的には少し複雑だった。
 それにやはり久保田にわざわざ焼きそばパンを渡すなんてことを、購買の前でやってのけた大塚のことがさっきからずっと気にかかっている。
 五十嵐の話を聞いた後なだけに、とてつもなく不吉な予感がした。

 「…ま、まさかだよな」

 思わず久保田と大塚が並んでいる姿を想像して見た時任は、あまりの似合わなさにプルブルと頭を振る。その頭の振りが近くにいた桂木が気づいたほど激しかったのは、実は不吉な予感が当たった場合、大塚が受けなのか攻めなのかと考えてしまったからだった。
 だが、それを考えるのはあまりに危険すぎる。
 自分の想像に砂を口からダーッと吐いてしまっている時任に、すでに昼食の弁当を食べ終わっていた桂木が突っ込みを入れた。
 「なに一人で砂吐いてんのよっ! 焼きそぱパンが砂に埋もれてるわよっ!」
 「うわぁっ、俺様の焼きそばパンがぁ〜〜っ!!」
 「ご愁傷様」
 「ううっ…、くそぉっ…」
 久保田が並んで買ってくれた焼きそばパンは、妙な想像をしたいせいで完全に砂に埋もれてしまっていた。そんな焼きそばパンの前で時任が哀しんでいると、そんな時任の肩を誰かがポンッと叩く。その手に涙を拭いて時任が振り返ると、もう食べられないと思っていた焼きそばパンが目の前にあった。
 「コレ、自分用に買ってたヤツなんだけど食べる?」
 「く、久保ちゃん…」
 焼きそばパンを見つめて瞳をうるうるさせると、時任は久保田の手から焼きそばパンを受け取る。そんな様子を見ていた桂木は、深いため息をついた。

 「やっぱりネコには餌付けが肝心みたいね…」

 そんな桂木の呟きが聞こえていないらしく、時任はうれしそうに再び焼きそぱパンにかじりついていた。けれどその視線は、同じようにパンを食べている久保田の方に向けられている。
 さっきから時任は久保田の顔を眺めていたが、どう見ても身長が百八十以上もあって男臭い久保田を可愛いとは思えなかった。
 けれどやはり、嫌な予感は時任の胸からなくなったりはしなかったのである。



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