禁止令.7




 「まぁ、あたし達が何を言おうと何をしようと、本人がその気にならなきゃどうにもならない。それだけは確かなのよねぇ…」

 時任と久保田の出て行った生徒会室で、そう呟いた桂木は小さく息を吐く。だが、そうしている間にもなぜか事態は思わぬ方向へと発展し動き始めていた。
 久保田を禁煙させるために始めた禁止令は現在も発動中。
 しかし、見張り役をしていた室田と松原はなぜか急病で病院へ、同じ役目をしていた補欠の藤原は早々に役目を放棄し不穏な動きを見せている。教室で時任と大塚が話しているのを見ていた相浦は状況を桂木に説明するため、久保田と時任と入れ違いに生徒会室に入ったが大塚と藤原が手を組んだ事までは知らなかった…。
 相浦から大塚の事を聞いた桂木は、少し考え込むような顔をして携帯の画面を見つめる。だが、久保田と一緒にいる時任からの連絡は何も入っていなかった。
 「笑顔で話す…、フレンドリーな時任と大塚…。寝ぼけて幻覚でも見たんじゃない?」
 「それがっ、幻覚でも白昼夢でもないんだってっ! だから、わざわざメールじゃなくて直接伝えに来たんじゃないかっ!」
 「でも…、それが事実だとしても禁止令とどう関係があるのよ? 禁止令をしてる相手は久保田君なんだから、大塚と話しても問題ないでしょ?」
 「確かにそうかもしれないけど、絶妙にタイミングが悪かったんだ…」
 「タイミング?」
 「禁止令で久保田の事をいつもと違った呼び方で呼んだ時、時任のそばにいたのは久保田じゃなくて大塚だったんだよっ!」
 そう言った相浦から教室での出来事を聞くと、桂木は人差し指で軽くこめかみを押さえる。つまり大塚の件は禁止令とは別件だったが、禁止令を発動したタイミングが絶妙に悪かったために完全に無関係とは言えなくなってしまっていた。
 すべては久保田がそれをどう感じたかによって変わってくるが、大塚が関わった事で少し状況がややこしくなってしまったのは確かかもしれない。生徒会室にいた時の久保田の雰囲気がおかしかった理由も、そこら辺にあるのかもしれなかった…。
 「なるほどね…。そういう事なら、今回はあきらめて中止した方が良さそうだわ。あたし達が禁止令をしてるのは、二人を別れさせるためじゃないもの」
 「これ以上、ややこしくなったらマジで禁煙どころじゃないもんな」
 「でも、ちょっとだけ何か引っかかるわね」
 「桂木?」
 
 「本当に禁止令と大塚と…、それだけが原因なのかしら…」
 
 桂木がこめかみを押さえたままでそんな風に呟いたのは、実は久保田よりも時任の様子の方がおかしかった事に気付いたからかもしれない。そして、その原因はどう考えて見ても大塚の事とは関係がなさそうだった。
 これが藤原だったら関係がないとは言い切れないが、時任の場合は久保田に見せ付けるために大塚と一緒にいたとは考えられない。だからこそ、携帯に送られてきたメールを見て予定通りに禁止令を始めたのだろう。
 禁止令の意図を桂木も執行部員達もわかっていたが、もしかしたら当の本人である時任だけはわかっているようで何もわかっていないのかもしれなかった。

 「そう言えば、時任ってかなり鈍感だったのよね…。そんな重要な事を忘れてたなんて、あたしとした事がうかつだったわ…」

 桂木はそう唸るように言ってから、持っていた携帯で電話をかける。それは20時までのカウントダウンを伝えるためではなく、禁止令の中止を時任に知らせるためだった。
 けれど、電源を切ってしまっているのか、何度かけ直しても時任の携帯には繋がらない。そばにいた相浦も同じように時任の携帯に電話してみたが、やはり結果は同じだった。
 二人がこうして生徒会室で話している内に…、何かあったのかもしれない。
 そう感じた桂木と相浦は、繋がらない携帯を握りしめて顔を見合わせた…。


 『・・・・・・しまったっっ』


 何かあった事を感じた二人はお互いの顔を見合わせて、時任を探すために生徒会室を出る。だが、実はそれと同じ瞬間に額に冷汗を浮かべながら、そう心の中で叫んでいたのはもっと別の人物だった…。
 その人物は顔色が悪くなるほど、かなりピンチに陥っている。しかし、それは妖しい微笑みを浮かべている橘でも、恋する男の罠に向って歩いている時任でもなかった。
 禁止令発動の件を見てもわかる通り、何事にもタイミングは大切…。だが、久保田に話しかけた松本のタイミングも時任と同じように最悪のタイミングだった。

 『一人で先に帰ってっから…っ』

 そう言って早足で歩き去った時任と久保田の間にはいつもと違う緊張感があったが…、それに気付いたのは呼び止めてしまった後である。立ち止まった久保田はのほほんとしていたが、松本は呼び止めてしまった事を激しく後悔した。
 時任と一緒に帰らずに学校に残った久保田は、松本の言葉を聞いてはいるが返事はいつにも増してそっけない。一見いつもと変わらないように見えるが、本当はそうではないことを松本は話しながら感じていた。
 「今日入った情報によると、昨日の夜も何者かが学校内に侵入した形跡があるらしい。それで何か起こって表沙汰になる前に、例の件の犯人を早急に捕らえたいんだが…」
 「例の件?」
 「例の…、カギの件だ」
 「あぁ、その件ね」
 「犯人の目星はついてるのか?」
 
 「ぜんぜん」
 
 松本が頼んでいたのは学校のマスターキーが何者かに盗まれた件についてなのだが、さっきから久保田はタバコをふかしながら…、
 何かを想うように考えるように、じっと時任が歩き去った方向を見つめていた…。
 久保田はぜんぜんと言っていたが、このまま何か被害が出るまで犯人を放置する事はではない。しかし松本は犯人を捕まえるために、夜の職員室の見張りを久保田に頼むかどうかを迷っていた。
 松本とカギを盗んだ犯人について話していても、久保田が考えているのは犯人ではなく時任の事である。何があったのかは知らないが、時任の歩き去った方向を見つめる久保田の瞳はなんとなくさみしそうに見えた…。

 『前から気付いてはいたが…、やはり変わったな…』

 そんな久保田を眺めながら、松本は心の中でそう呟いて軽く息を吐く。松本の知っている中学の頃の久保田は、執行部の公務がある時以外はいつも一人でいた。
 しかも、その頃はそれが当たり前で自然で…、相方だった松本でさえ違和感を感じた事がない。なのに、今はこんな風にじっと見つめてしまうほど、いつも一緒にいる事が当たり前になってしまうほど特別な存在がいた…。

 『久保ちゃん…』

 そう久保田の事を呼ぶ時任はもしかしたら、始めて久保田の方から手を伸ばした相手なのかもしれない。事実かどうかはわからないが中学の頃は年上の恋人がいるという噂もあったし、実際に久保田にまとわりついている女を見た事もあったが…、
 ただ面倒だから好きにさせているといった感じで、久保田の腕がその女の肩に回される事はなかった。
 松本は学校にいる時の久保田しか知らないが、少なくとも誰かの背中をじっと愛しそうに見つめたりする事はなかったような気がする。高校に入って誰にも回されることのなかった久保田の腕が時任の肩を抱きしめているのを見た時も驚いたが、二人が同居していると聞いた時はもっと驚いた。
 
 『・・・・・・・時任』
 
 そう久保田が時任を呼ぶのを聞くたびに、なぜか背中がゾクゾクする。別に普通に名前を呼んでいるだけだが、その声にはどこか甘さが潜んでいた。
 この荒磯で男同士のカップルは別にめずらしくもないが、時任とイチャイチャしている久保田を見るとなぜか目眩がする事がある。同じ執行部の桂木がイチャつく二人を有害だと言っていたが、その有害さを一番感じていたのは実は松本だった。
 けれど、どんなに有害だと思っていても、今の久保田を見ているとそれを止める気にはなれない。松本はカギの犯人の話をやめて軽く息を吐くと、一人で帰った時任を追いかけたがっている久保田の肩を軽く叩いた。
 「誠人…。すまないが、今の話の続きはやはり明日に…」
 だが、松本がそう言おうとした瞬間に、久保田の手が近くの資料室から出てきた通りすがりの男子生徒の襟をぐいっと掴む。そして、ジタバタと暴れてる名前も知らない男子生徒を松本の目の前に差し出した。
 「はい、コレあげる」
 「あ、あげると言われても…、コレをどうしろと…」
 「コレが犯人だから」
 「は?」

 「うわぁぁっ、離せぇぇぇっっ!!!」

 いきなり通りすがりの男子生徒を、目の前に差し出されて犯人だと言われても信じられない。松本はすぐには何も答えることが出来ずに、じーっと差し出された男子生徒を見つめたまま固まってしまっていた。
 久保田はそんな松本には構わずに、逃げようとして暴れ続けている男子生徒のポケットに手を入れる。すると、信じられない事に本当にポケットから、探していた学校のマスターキーが出てきた。
 「そういうワケで、後はヨロシク〜」
 「な、なぜ犯人がわかったんだっ。もしかして、本当は目星がついてたのか?」
 「いんや」
 「だったら、適当に捕まえてみただけなのか?」
 「うーん、それでビンゴなら楽でいいんだけど、今回は残念ながら現行犯逮捕。さっき、そこのドアから出てくるのが見えたってダケ」
 「そこのドアって、あそこのドアの事か?」
 「そうそう…。そこの資料室って使われてないから、いつもドアにカギがかかってるんだよねぇ」
 「じゃあ…、適当じゃないが偶然に見つけたと…」

 「運も実力のウチ…、でしょ?」

 松本にマスターキーと一緒に出した犯人の財布と生徒手帳を渡すと、久保田はそう言って玄関に向って歩き出しながら軽くヒラヒラと手を振る。けれど、適当も納得がいかないが偶然も納得がいかなかった。
 偶然にしては、あまりにも出来すぎている。そう思った松本はガックリと床に座り込んでいる犯人を横目で見ながら、いつもはカギがかかっているというドアを勢い良く開けてみた。
 すると、その部屋の机に置かれた灰皿にはタバコの吸殻が散乱し、床にはジュースの空き缶やエロ雑誌も転がっている。つまり犯人はマスターキーを盗んでから、この資料室にも頻繁に出入りしていたという事だった。

 「まったくっ、何が運も実力の内だ。確かに今、犯人が出てきたのは運が良いと言えるのかもしれないが、このドアから出てくるのを見たのは偶然じゃないじゃないか…」

 もしかしたら久保田が立ち止まったのも、松本に呼ばれたせいではないのかもしれない。松本は資料室から廊下を歩いて行く久保田の背中に視線を戻すと、なんとなく笑いたくなって短く声を立てて笑った。
 松本の頼みで動く久保田を誰がどう言おうと久保田は松本のために動いてはいないし、中学の時の10円の借りが今もある訳じゃない。久保田が松本の頼みを断らないのは、まだ高校に入学したばかりの頃、両親もいない身元も不明な時任を荒磯に入学させるのに協力する交換条件として…、
 高校に在学している間は頼みを断らないという約束を、松本としていたせいだった。
 
 「何もかもが時任のため…、か…」

 松本は微笑みながらそう呟くと、床に座りこんでいる犯人を立たせて生徒会本部に連行する。いくら時任が禁煙しろと言っても禁煙しないで、禁止令が発動されている今もタバコを吸い続けている久保田だったが…、
 誰よりも時任を想っている事だけは…、確かなのかもしれなかった…。












 アスファルトに長く長く伸びていく影を踏みながら歩いて、それから空を見上げると夕日が灰色の街に沈んでいくのが見える。けれど、沈んでいく夕日を見て早く家に帰ろうと思っているのに、マンションに向う時任の足はなぜか重かった…。
 まだ禁止令は発動中なのに、ポケットに入っている携帯の電源は切れていて…、それを気にしながらも再び携帯に電源を入れる気にはなれない…。桂木に久保田と一緒ではない事を連絡しなくてはならなかったけれど、今は誰とも禁止令や禁煙の事について話したくなかった。
 
 「あーあ…、なんでこんなコトになっちまったんだろ…」

 そんな風に呟きながらため息をつくと、横から時任を気遣う優しい声がする。でもそれはいつも隣にいるはずの久保田ではなく、妖しい微笑みを浮かべた橘だった。
 橘の家がどこかなんて知らなかったが、時任の住むマンションの近くではない事だけは確かである。なのに、橘はいくら無視しても帰れと怒鳴っても、どこまでも時任に着いてきて離れようとはしなかった。
 「これ以上、着いて来たらブン殴るぞっ!!」
 「ふふふ…っ、できるものならどうぞご自由に…」
 「てめぇはストーカーかっ!!!」
 「そうです」
 「なっ!」
 「…というのはウソで、本当はボディガードですよ」
 「はぁ? ボディガード? なんで、天下無敵の俺様がてめぇなんかに守られなきゃなんねぇんだよっ!!」
 「それは、貴方が守りたくなるほど可愛いからじゃないですか?」
 「…っ! マジで殴られてぇのかっっ!!」

 「いいえ、ぺつに…」

 そんな調子で時任がいくら怒鳴っても、橘はそう言って相変らず優雅に微笑んでいる。このまま橘と一緒にマンションまで帰るつもりはなかったけれど、なかなか逃げ出す隙が見つからなかった。
 一緒に帰るのは寂しいからだと橘は言ったが、時任にとっては久保田じゃない誰かと並んで歩いてる方がなぜか寂しさが募っていく。帰る場所はちゃんと目の前にあるはずなのに、歩くたびに遠ざかっていく気がして…、
 時々、学校から歩いてきた道を振り返りたくなった。
 でも、どんなに振り返っても久保田は学校に残っていていない。
 時任が橘と一緒にいるように、久保田も松本と一緒にいた…。

 「久保ちゃんの相方は…、俺だろ…」

 アスファルトを見つめながら俯いてそう呟いた時任の声は小さすぎて、ここにいない久保田だけではなく傍にいる橘にも聞こえてはいない。けれど、久保田のいる学校に背を向けて歩いている時任の背中は、沈んでいく赤い夕日が滲んでしまったかのようにとても寂しそうに見えた…。
 橘は寂しそうな時任の背中に手を伸ばしたが、時任はすぐにその手を叩き落して拒絶する。学校の玄関で寂しいのかと聞かれた時は心臓の鼓動が跳ねたけれど、久保田以外の誰かに慰められるくらいなら一人で寂しいままで歩いていたかった…。
 だが、橘はそんな時任を見つめながら隣をずっと歩き続ける。そして、実はとぼとぼと寂しそうに歩く時任の姿を見つめていたのは、隣を歩いている橘だけではなかった。
 二人の後を追いかけるように学校を出た藤原と、もっと前に学校を出た大塚…。その二人が少し離れた位置から、そっと気付かれないように注意しながら時任を眺めていた。
 けれど、大塚は時任と一緒に歩いている人物を見ると、近くにいた藤原の頭をガツッと殴る。すると、藤原は情けない声を上げて涙目になりながら殴られた頭を押さえた。
 「なっ、なんで、協力者の僕の頭を殴るんですかぁぁぁっ!!」
 「それは、てめぇの頭が俺に殴られるためにあるからだろっ」
 「ひ、ヒドイっっ!!!」
 「そんなくっだらねぇコトより、なんで時任と橘が一緒にいるのか答えろっ! まさか俺を売ったりしてねぇだろうなぁ?」
 「そ…、そんな事してませんよ〜、やだなぁ〜。それに、橘先輩は今回の作戦の助っ人ですから安心してください」
 「はぁ? 橘が助っ人??」

 「ふふふっ、見ていればすぐにわかりますよ…、大塚センパイ」

 マンションに向う時任と橘を眺めながら、藤原がそう言って不気味に笑う。そうしている間にも夕日に照らし出された時任の影は二人の張った罠へと到達し…、ある人物の足がその影をゆっくりと踏んだ…。
 時任が歩いていく先にいる人物の気配を感じて視線を上げると、そこには逆光で良くは見えないが見知らぬ顔がある。けれど、その見知らぬ人物は時任の名前を呼んだ…。

 「始めまして…、時任稔君」

 そう言った人物は時任に向って微笑みかけてきたが、時任は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。久保田と暮らしているマンションに帰り着くまであと少しだけど…、前に立ちふさがる罠が前に進むのを邪魔をして…、

 時任は帰りたいのに、ここから先には進めなくなってしまった…。





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