禁止令.6




 コツコツコツ・・・・・・

 時任が生徒会室を出て廊下を歩いていると、いつもとは違って横からではなく後ろから足音が聞こえてくる。大塚と藤原が妖しくニヤリと笑い合ってから30分後、時任は後ろから聞こえてくる足音を気にしながらも振り返らずに生徒玄関に向って歩いていた。
 後ろを歩いているのは久保田で、それを時任も当たり前に知っている…。それでも振り返らないのは二人がケンカをしているからではなく、桂木の提案で始めることになった禁止令のせいだった。
 しかも、桂木の提案した禁止令は単純に久保田がタバコを吸うのを阻止するものではない。普通、禁止令と聞けばタバコを吸う事自体を阻止すると思うが、実際に桂木達が行っているのはカウントダウンだけ…。
 皆からメールが送られてくるたびに、時任は焦りながら迷いながら数字が表示されている携帯電話の画面を見つめていた…。

 『タイムリミットは二十時の鐘が鳴るまで…』

 久保田に渡されたシガレットチョコのメッセージ…。
 そして、時任の肩に触れるずに落ちた久保田の手…。
 だが、いくら時任や桂木達が禁止令を発動しても久保田が発動されている事に気付かなければ始まらない。気付いた後の久保田の行動が、すべての鍵を握っていた。
 こんな風に直接的にではなく遠まわしにメッセージで伝えたのは、久保田の側から歩み寄ってくる事を期待しての事である。だが、もしも久保田が歩み寄って来なかったら、桂木が言ったように最終手段としてシンデレラは20時の鐘で走り出さなくてはならなかった。
 
 「なんで、禁止令してんのにタバコやめてくんねぇんだよ…」
 
 久保田には聞こえない声でそう呟いて、時任はらしくなく俯いて小さくため息をつく。さっきから見つめている携帯の画面には、桂木から送られた『12』という数字が表示されていた。
 禁止令が発動されてから、あっという間にもう半分を過ぎてしまっている…。時任は12という数字をじーっと見つめながら、もしかしたら久保田はまだ禁止令に気付いていないかもしれないと思い始めていた…。
 けれど、もしも久保田が禁止令の意味に気付いていたら…、
 気付いていてタバコを吸ってるのだとしたら…、禁止令だけではなく禁煙をして欲しいと想ってた気持ちもどこかに哀しく置き去りにされてしまう…。久保田に禁煙させるために始めた禁止令だったはずなのに、いつの間にか時任の中で別の何かにすり変わりかけていた。
 桂木は全然効果がないなんてあり得ないと言っていたけれど、禁止令を始めて効果があるのは自分だけかもしれない…。そう想うと自分で言った言葉が、なぜか胸にチクチクと刺さって痛かった。

 『そーいや…、一緒に暮してっけど、マンションだって久保ちゃんのだもんな…』

 マンションで同居するようになった時も、久保田は居たいならずっと居てもいいと言っただけ…。だから、誰に強制された訳でもなく時任は居たいから同じ部屋で暮らしてる。
 でも、今までは一緒にいるのが当たり前になり過ぎてて考えた事がなかったけれど、逆に考えると居たいと想わなかったら居なくてもいいという事だった…。
 時任は何かを考え込むように唇を軽く噛みしめると、携帯にメッセージを打ち込む。だが、打ち込んでいる途中で背後からカチカチッという音がした。
 その音に気付いた時任が思わず後ろを振り返ると、久保田が口にくわえたタバコに火が付いているのも関わらずポケットから取り出したライターを握っている。けれど、音がしたのにライターには火がついていなかった…。
 久保田は振り返った時任と目が合うと、いつもと変わらない様子で無言のままライターをポケットに収める。そんな久保田の様子を見ていた時任は、禁止令の意味を確認するために自分が久保田に試された事を悟った…。

 「久保ちゃん…」

 思わずいつものように久保田を呼んだ時任の携帯には、書きかけのメールが送信されないまま残っている。しかし久保田が禁止令を知ってしまったのなら、もう桂木に禁止令中止をメールで伝える必要はなくなってしまった。
 いつもリビングが煙まみれになるたびに、久保田が灰色の煙を肺の中に吸い込むたびに禁煙して欲しくてたまらなくて…、だから桂木の案に乗ったけれど、
 禁止令を知った久保田がどんな行動を取るのか、何を言うのかを知りたいけれど…、
 ・・・・同じくらい知りたくない。
 時任はじっと自分の方を見つめている久保田を見つめ返しながら、手のひらの中の携帯を握りしめて何かを言おうとする。だが、そんな時任の言葉と重なるように久保田の背後から聞き覚えのある声がした。

 「誠人…、帰ろうとしている所をすまないが、頼んでいた件でちょっと話があるんだが…」
 
 そう久保田に声をかけてきたのは、禁止令発動中の執行部員ではなく生徒会長の松本である。松本は久保田が影になっていて前にいる時任が見えていなかったらしく、時任がいる事に気付くと少しすまなそうな顔をした。
 こういう場合、絶対に久保田は松本の申し出を断らない…。
 それが10円の借りがあるからなのかどうなのか本当の所は久保田にしかわからない事だったけれど、なんとなくもしも松本が禁煙しろと言ったらと…、そう考えかけた時任は首を軽く左右に振った。

 「一人で先に帰ってっから…っ」

 時任はそう言い残すと、久保田と松本に背を向けて早足で歩き出す。今は久保田のそばにいればいるだけ…、なぜか哀しくなるだけだった…
 普段は見えなかった事が禁止令の発動で見えてきたような気がして、その何かを握り潰そうとするかのように右手の拳をぎゅっと握りしめる。けれど、いくら握りしめても逆に哀しくなるだけで、何も消えたりはしなかった。
 気付かなければ考える事もなかったのに、気付いたから考えるのを止められない…。久保田との事を考えながら歩く時任の速度は、玄関に近づくにつれて次第に遅くなってやがて立ち止まった。
 そして振り返ると、やはり久保田は時任を追わずに松本と立ち話をしている。そんな二人をじっと遠くから眺めていると、前にコンビを組んでいたせいかそれなりに似合っていた…。
 
 「久保ちゃんのバーカ…」

 言いたかった言葉を言わずに飲み込んで、そう呟きながら強く握りしめ過ぎていた手から力を抜く。すると、同じように話をしている久保田と松本を見ていた人物が、妖艶な微笑みを浮かべながら時任の隣に並んだ。
 「相方で同居人の久保田君に向ってバカとは…、穏やかではありませんね? 機嫌も良くない様子ですが、何かありましたか?」
 「うっせぇ…っ、てめぇにそんなコト言われる筋合いはねぇっつーのっ」
 「僕でよろしければ、悩み事の相談に乗りますよ?」
 「そんなモンはないっ」
 「本当に?」

 「ないっつったら、ないに決まってんだろっ!」

 時任は隣に並んだ人物が誰なのかを知ると、問いかけに答えながらも不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。だが、そんな時任の不機嫌そうな顔を見ても生徒副会長、橘遥は微笑みを浮かべたままだった。
 目の前に松本がいるのに橘が離れているのは珍しい。しかし、同じように久保田が目の前にいながら、時任が離れている事も珍しかった…。
 そしてこんな風に時任と橘が並んで、久保田と松本を眺めていることも…。
 だが、橘が時任の隣に並んでいるのは偶然ではない…。橘は執行部で禁止令が発動されているのを知っているからこそ、一人でいた時任に声をかけてきた。
 そして、その原因は微笑む橘を遠くから眺めて不気味に笑っている藤原にある。大塚が二人を引き離すための罠を貼る準備に出かけた後、藤原はその罠の効果を上げるために生徒会本部へと向ったのだった。
 『お久しぶりです…、橘副会長』
 『ああ…、確か貴方は前に会計をしていた藤原君でしたね?』
 『そうです。そして今は執行部に…』
 『それで、今は執行部にいる貴方が生徒会本部の僕に何の用です?』
 『別に用ってほどの事じゃありませんけど…、今、執行部で行われている面白い事について興味ありませんか?』
 『面白い事?』
 『そうです、面白い事です。副会長は興味ありませんか?』
 『貴方がどんな意図があって僕にそんな事をおっしゃるのか知りませんが、興味があるかどうかは聞いてみなくてはわかりませんよ』
 『もしも、それが時任先輩と久保田先輩に関係する事だって言ったら?』
 『・・・・・・・』
 『どうです?』
 『・・・・聞くだけなら構いませんが?』

 『聞くだけで十分ですよ…』

 ・・・・・・・聞くだけで十分。
 橘に向って藤原がそう言ったのには理由がある。それは話を聞くだけで橘が何か行動を起こす事を、補欠ながらも執行部に所属している藤原は確信していたせいだった。
 なぜか橘はいつも絶やさず微笑みを浮かべながらも、久保田と話す時だけいつもと違った緊張感が漂う。そして同じように時任と話す時だけ、いつもよりも微笑みが優しかった。
 それが無意識なのか故意なのかはわからないが、橘が二人を…、特に久保田の方を意識している事は事実である。だからこそ、現にこうやって橘は、禁止令発動中の時任の隣に立っていた。
 
 「僕がココから力の限り応援してますから頑張ってくださいっ、橘センパイっ」

 藤原は本当に橘に向って声援を送っていたが、当たり前に橘には聞こえていない。だが、玄関近くの教室のドアから半分顔を覗かせ必死に祈る藤原はどう見ても橘を応援しているというより、時任に呪いをかけているようにしか見えなかった…。
 もしも、ここに時任に恋する大塚がいたら藤原をボコボコに殴って止めていたに違いないが、今はライバルである久保田を陥れるために奔走していていない。そして実は大塚の罠を成功させるためには、久保田よりも先に時任をマンションへ返すことが条件だった。
 けれど、橘が時任に話しかけたのは偶然ではないが、松本が久保田に話しかけたのは予想していなかった出来事である。結果的に足止めされているが、本当は久保田を自分がデートにさそって足止めする気だった…。
 
 「ふふふ…っ、もう絶対に久保田先輩と二人きりにはさせませんよ、時任先輩…。そして、計画が成功したら僕と心置きなくデートしましょうね…っ、久保田せんぱぁぁぁいっっ」

 残念そうに藤原がそう言ったが、今も今度もデートが成功するとは思えない。役立たずな協力者のために大塚の計画は水の泡と消えそうだったが、松本のおかげで計画はまだ失敗したと決まった訳ではなかった。
 そんな藤原と大塚の思惑を知らない時任はイライラしながら久保田と松本に背を向けて下駄箱に向うと、乱暴に下駄箱から靴を出して上履きからそれに履きかえる。すると、それを見た橘も同じように二人に背を向けて上履きから靴に履き替えた。
 「たまには一緒に帰りませんか? 時任君」
 「なんで、俺がてめぇと一緒に帰らなきゃなんねぇんだよっ」
 「寂しいから…、じゃ理由にはなりませんか?」
 「・・・・・べ、べっつに俺は寂しくなんかっ!!」
 「ふふふ…、寂しいのは貴方じゃなくて僕がですよ?」
 「・・・・・っ!」

 「・・・・・・・・もしかして貴方も寂しいんですか?」

 そう言って優しく微笑みながら顔を覗き込んできた橘を振り切るように、時任は玄関を出て歩き出す。すると、そんな時任に並ぶようにして橘が歩き出した…。
 自分を後ろから見つめている藤原の視線を、背中に感じながら…。
 やはり橘は自分に久保田と時任の情報を伝えてきた藤原が、何か企んでいる事に気付いている。だが、それを知りながらわざと藤原の口車に乗って、時任に声をかけるような真似をしたのか理由はわからなかった…。
 時任が校門から出て歩き出した方向は橘の自宅への帰り道とは逆方向だったが、それでも何かが起こるのを待つように橘は時任の横に並んで歩き続ける。そして、そんな二人の行く先にあるのは久保田のマンションではなく…、

 恋する男の張った罠だった…。




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