禁止令.4
・・・・・・・禁止令発動。
松原からのそれだけ書かれたメールを受け取った時、なぜか時任は教室で窓の外を眺めながら大塚と話をしていた。だが、久保田と別れてから生徒会室に行こうとしていたのは本当のことで、別にここで大塚と話す予定は当たり前にない。
なぜ、そんな風に言い切れてしまうのかというと、執行部の時任と不良の大塚…。
この二人は自他共に認める天敵同士だった。
お互いの立場を考えれば当然のことなのかもしれないが、公務中に時任が悪事を働いている大塚に遭遇する確立はかなり高いため、天敵度は他の不良達よりも格段に上である。それだけ大塚が派手に校内を荒らしまわっているということにもなるのだが、それ故に時任だけではなく執行部全員にいつも目をつけられていた。
けれど、窓から外を見ながら静かに普通に会話をしている今の二人を見ていると、とても天敵とは思えない。しかも、始めに話しかけたのは大塚ではなく、執行部に行くために廊下を歩いていた時任の方だった。
偶然なのか必然なのか佐々原と石橋が同時に風邪を引いて休んでいるため、一人で暇を持て余していた大塚がイスに座ってタバコを吹かしていると、入り口のドアの辺りからの誰かが声をかけてくる。それに気づいた大塚が視線を窓からドアに移すと、そこには時任が一人で立っていた。
「一人じゃなんにもできねぇてめぇが、教室で一人なんてめずらしいじゃん」
「・・・・ケンカを売る気なら高く買ってやるぜっ、ちょうどヒマしてたところだからなぁ」
「べっつにそんな気はねぇよ」
「売る気がないなら、逆に俺が売ってやってもいいんだぜ?」
「だーかーらっ、そんな気分じゃねぇっつってんだろっ!」
時任は大塚に向かってそう怒鳴ると、かなりムッとした表情になる。けれど今、機嫌が悪くなったのではなく、ここに来る前から不機嫌だった様子だった。
たぶん声をかけてきたのは気まぐれで、どうせタバコは校則違反だとか言って公務を執行してくるか、それともこのまま通り過ぎるかどちらかだろうと思った大塚は、時任と同じムッとした顔でまた窓の外を見る。けれど、しばらくすると足音が近づいてきて大塚のいる窓枠に時任の黒い影が落ちた。
すると、予想外の出来事に驚いた大塚の肩がビクッと大きく震える。実は不良グループのリーダーをしてはいるが、毎回執行部に遭遇する度に派手なリアクションで驚く大塚の心臓は子ウサギ並だった。
『な、なにビクついてんだよ、オレっ!! 久保田の野郎はいねぇし、いつもの借りを返すチャンスじゃねぇかっ!!!』
大塚は心の中でそう叫んだが、なぜか仕返しをするための行動を起こすことができない。けれど、それが佐々原と石橋がいないせいなのか、それともいつもとは違うと時任の様子に戸惑っているのかはわからなかった。
動揺しているのを誤魔化すようにタバコを少しの間ふかしていたが、大塚はぎゅっと拳を握りしめるとやっと仕返しを行動に移そうとする。だが、そうしようとした瞬間に時任が話しかけてきた…。
「あのさぁ…」
「な、な、なんだっ!!」
時任は普通に話しかけただけだったのだが、大塚の方は声が裏返ってしまっている。しかし、自分の変な声を聞いて更にあせっている大塚に気づいたもなく、時任はらしくなく落ち込んだ様子で小さくため息をついた。
「いいコトなんか一個もねえのに、なんでタバコなんか吸ってんだよ?」
そう言った時任の言葉は隣でタバコをふかしている大塚に向けた言葉というよりも、独り言のように聞こえる。そして、そう言った時任の横顔はさっきまでムッとしていたばすなのに、なぜかさみしそうに見えた…。
だからなのか、仕返しをするために握りしめたはずの大塚の拳が自分の意志とは関係なくゆっくりと開く。けれど、そんないつもと違う自分の様子に大塚は気づいていなかった。
ゆっくりと開かれた手のひらは、そのまま握られることなく下へと落ちる。そして大塚は時任の問いかけに答えよう口を開いたが、その瞬間にかすかな叫び声が隣の部屋から聞こえてきた。
「あっ、あっ…、あぁぁ・・・っ!!」
始めは隣で何かもめ事でもあったのかと思ったが、耳をすませて良く聞いてみるとどうもそうではないらしい。何かを考えているのか窓の外をじっと見つめたままでいる時任には聞こえていないようだったが、大塚の耳にはしっかりその声が届いていた。
もしも一緒にいるのが佐々原や石橋だったら隣にいる奴らのことをからかって終わりになるが、相手が時任だとなぜか妙な感じがする。隣から聞こえてくる喘ぎ声を聞いていると手のひらに汗が滲んできた。
『チャ、チャンスってこういうチャンスじゃねぇだろっ!! しっかりしろっ、しっかりするんだっ、オレっっ!!』
別にそういう意味で時任を意識したことはなかったはずだが、さっきとは違う意味で鼓動が早くなってくる。けれど、いつものように公務を執行するのではなく、なぜタバコを吸うのかと聞いてたのは大塚のことを心配しているからじゃないことはなんとなくわかっていた。
なのに隣からの喘ぎ声が妙な刺激になって…、ドキドキが止まらない。大塚はそんな自分に焦りながら、心の中で佐々原と石橋に助けを求めながら頭を抱えた。
『オレは違うっ、違うんだぁぁぁぁっっっ!!!!』
何が違うのかは良くわからないが、とにかく何かが違うらしい。実はちょうどその頃、藤原にもらったセッタを持って屋上に来た久保田が教室にいる二人の様子を見ていたのだが、そんなことを顔まで赤くなっている大塚やため息をついている時任が知るはずもなかった。
微妙な雰囲気の二人は、お互いに違った悩みを抱えたまま動かない。しかし、このままこうしていても仕方がないと思ったのか、大塚の目の前で時任は深呼吸して大きく伸びをした。
すると伸びをした拍子にパーカーの裾がめくれて、そこから時任の日焼けしていない白い肌がのぞく。同じ男の裸は体育の着替えの時に嫌というほど見ていたが、それが妙に色っぽく見えて大塚は思わずじーっと時任の細い腰の辺りを見つめてしまっていた。
「タバコなんかやめちまえよっ。その方がたぶん空気がウマイぜっ、大塚っ」
大塚に向かってそう言いながら笑った時任を見ていると、それがからかってるのではなく本気でいっていることがわかる。別に心配してくれている訳ではなくても、大塚はそんな時任の言葉を聞いた瞬間に鼓動がドクンと大きく跳ねるのを聞いた。
まともに話しかけられたのも始めてで、こんな風に誰かに言われたのも初めてで…、
今まで執行部員で天敵というイメージしかなかったのに、そのイメージが変わっていくのを大塚は感じた。
「と、時任…」
「なんだよ?」
「いつもみたいに公務執行すりゃあいいのに、今日に限ってなんでそんなこと言ってんだよ?」
「なんでって、べつにワケなんかねぇよっ。それに俺が言うまでもなく、タバコはやめた方がいいってのは誰でも知ってるじゃんっ」
「・・・・・・・・ま、まぁな」
いつの間にか隣から声は聞こえなくなったが、そう答えた大塚の脳内では理性と欲望が戦っている。止んでしまった喘ぎ声の代わりに時任のケータイが目覚ましのように音を立てて鳴ったが、大塚の目は覚めなかった。
ケータイに届いたメッセージを読んだ時任はまた不機嫌な顔に戻ってしまったが、さっきの言葉も笑顔も幻聴や幻ではない。大塚はハゲそうな勢いで両手で頭を掻きながら、じっとケータイの画面を見つめている時任の横で唸っていたが…、吸っていたタバコを窓枠に押し付けて消すとイスから立ち上がって、時任の両肩に手を伸ばして強引にぐいっと掴んだ。
「い、いきなりなにすんだよっ!」
「あ、あのさ…、なんで吸ってんのかって、そんなのはわからねぇけどよ…。てめぇが協力するなら、今から禁煙してやってもいいぜ?」
「はぁ? なんでてめぇが禁煙すんのに俺の協力が必要なんだよ?」
「だから、それは・・・・・・・」
そう言いながら大塚は顔を近づけたが、時任はまるで状況を理解していないようできょとんとしている。時任と久保田の関係が実際はどうなのかは知らないが、どうやら時任はこういうことにはかなり鈍いらしかった。
自分はこんなにドキドキしているというのに、まるで何もわかっていない時任を見るとムカついてくる。大塚はその場の勢いと一時的な感情と欲望にまかせて、時任を窓の隣の壁に押し付けようとしたが…、
その瞬間にいきなり閉められていたドアが開いて、教室に突風が吹き込んだ。
「へぇ…、今から禁煙なんてしちゃうんだ? エライねぇ」
響きの良い低い声が教室内に響くと、エライと褒められた大塚の顔がなぜか青くなる。じーっと時任の肩を掴んでいる大塚を見る目は糸のように細くて眠そうだが、その視線からはのほほんとした雰囲気とは別に背筋がぞわぞわっとするようなものを感じた。
しかもぞわぞわとしたものを感じていると、ドキドキしていた心臓はバクバクに変わり、燃えあがりかけた欲望はあっという間に小さくしぼんでいく。ギャーッと悲鳴をあげたくなるのを押さえることには成功していたが、今度はまるで警報機のように鳴った時任のケータイの着信音を聞きながら、足は情けなく震えてしまっていた。
「い、いきなり入って来てなんなんだっ、てめぇはっ!!」
「協力なら俺がしてあげるよ、大塚クン。同じ中毒患者で喫煙者同士、色々とわかるコトも多いしね?」
「生徒会の飼い犬のクセに、知ったようなクチきいてんじゃねぇよっ!てめぇなんかに俺がわかってたまるか!」
「ふーん、そう? けど、さっきはかなり中毒起こしてクラクラしてるカンジだったけど?」
「してねぇよ!」
「しかも、かかってるのはニコチンよりも強いネコ中毒〜」
「ネコ中毒?」
「五秒以内にネコの肩から手放さないと、荒療治で腕ごとふっ飛ばしちゃうかもよ?」
口調も表情もあくまでのほほんとしたままだったが、一瞬だけ糸のように細い目が開かれる。すると、その目を見てしまった大塚は慌てて時任の肩から手を放した。
しかし、時任はやはりきょとんとしたままで、大塚の行動も久保田の言葉の意味もわかっていない様子である。ただ鈍いのではなく天然記念物並に鈍い時任は、今度は松原ではなく相浦から送られたメッセージの表示されているディスプレイから目を離すと…、
ドアに向かって歩きながら、いつもと何も変わらない調子で久保田に向かって話しかけた。
「コンビニ行ったはずなのに、なんでこんなトコにいんだよ?」
「そーいうお前こそ生徒会室に行ったはずなのに、なんでこんなトコにいんの?」
「な、なんとなくだよっ」
「ふーん、またなんとなくね?」
「いいだろっ、べつにっ」
「だったら、俺かココにいるワケもべつにどうでもいいっしょ?」
「なんで、そーなんだよっ」
「さぁね?」
「とにかくっ、セッタの調達が済んでんならとっとと生徒会室に行こうぜっ、久保田」
・・・・・・・久保田。
そう時任に呼びかけられた久保田より、その呼び方のあまりの不自然さに近くにいた大塚の方が驚いた顔をしている。けれど、呼んだ本人である時任は自分の発言に気づいていないのか、それともそれで良いと思っているのか平然とした顔をしていた。
そして久保田は相変らずのほほんとした顔をしていたが…、時任の横に並んで歩き出しかけていた足が止まってしまっている。だが、大塚をチラリと見てから時任が平然としているのを少し見つめた後、何事もなかったかのように再びドアに向かって歩き始めた。
「そんじゃ、行きますか?」
いつも通りに久保田が返事したが、その返事を聞いていたのは時任と大塚だけではなく…、実は他にまだ後二人いた。一人は久保田の後を追いながら時任にメールを打った相浦で、もう一人は久保田にタバコを渡した後に見張ると嘘をついて追いかけてきた藤原である。
三人の様子をドアの隙間から見ていた相浦は、素早く廊下の窓を開けて外を見ているフリをしながら、手に持ったケータイ画面に出ている時任に送った数字の2
しか書かれていないメッセージ見て大塚とは別な意味で頭を抱えた。
「これって…、マジでヤバくないか?」
しかし、そう呟いた相浦の近くでまだ窓から教室内をのぞいていた藤原は、一人で苦悩している大塚を見てフフフと不気味な笑みを浮かべる。そんな藤原の頭の中で、久保田先輩とラブラブ作戦第二弾が発動されたのかどうかはわからないが…、
生徒会室に向かって歩き出した二人の歩調が、いつもと同じはずなのに少しずれているように見えたのは気のせいではないのかもしれなかった…。
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