禁止令.3




 『なぁ、なんでタバコなんか吸うようになったんだよ?』

 そんな風に時任に聞かれたことがあったのを、ポケットにセッタではなくシガレットチョコを入れて歩きながら思い出す。けれど、そう聞いた時任に向かって、曖昧に返事しただけで何も言った記憶がなかった。
 何も言わないのは答えないのではなくて、ただ単に答えがないだけで…、
 中学の頃にすでに吸っていたことだけは記憶にあったが、いつから吸い始めたのか、なぜ吸い始めたのかはわからない。けれど、その理由がわかったところで禁煙をする気になるとは思えなかった。
 久保田は横を歩く時任の頭のつむじを見ながら小さく息を吐いて、それからポケットに右手を伸ばす。しかし、そこに入ってるのがいつものセッタではなくチョコだということを思い出すとわずかに苦笑して…、
 そのまま、その手を少し伸ばして時任の頭を軽く撫でた。
 「な、なんだよ?」
 「ん〜、べつになんでも?」
 「…って、どうせタバコなくてニコチン切れしてっからイライラしてんだろ?」
 「そんな風に見える?」
 「なんとなく」
 「ふーん…。けど、なんで俺がタバコ持ってないって知ってんの?」
 「そ、それもなんとなくっ」
 
 「じゃあ、俺が今なに考えてるか、なんとなくで当ててみてくれる?」

 久保田がそう言うと、時任はううっと唸って言葉に詰まる。だが、それは何を考えているのかわからないというのではなく、シガレットチョコとセッタがすり代えられたことに時任も関係しているせいで…、
 そして、もちろん久保田もそれを知っていてわざと聞いていた。
 時任は唸りながら少し困った顔をして立ち止まると、何かを探るようにじーっと久保田の顔を見つめてくる。だから、久保田も同じように立ち止まって時任の顔を瞳をじっと見つめ返した。
 そんな二人の様子はどう見ても恋人同士にしか見えなかったが、時任はそのことにまったく気づいていない。だが、桂木の指令で久保田を見張っていた藤原は、ハンカチの端をキリキリと噛みながら廊下の片隅で身体を不気味にくねらせていた。

 「あぁぁぁっ、僕の久保田先輩がっっ、久保田先輩がぁぁぁ〜〜〜っっ」

 久保田を呼ぶ時は必ず『僕の』という文字を頭につけることを忘れない藤原だが、当たり前に久保田は藤原のものではない。しかしそうだとしても、いつもならこんな状況で黙って見ているはずはないのに、今日はなぜかハンカチをきりきりと噛みながらじっと耐えていた。
 その原因はポケットに入っている校外の自動販売機で買ってきたセッタなのだが、実はそれを渡して好感度をアップさせることだけが目的ではない。
 もっと別の目的があって、久保田の周囲から時任がいなくなるのを待っていた。
 
 「あんな禁煙しろなんて言う心の狭い野蛮人より、心の広ーい僕の方が久保田先輩にふさわしいんですよ…」

 桂木の計画を聞いてすぐに、藤原はセッタを買うために校外へと走った。つまり桂木に命じられた通りに久保田を見張る気なんて、最初からまったくなかったのである。
 桂木達は久保田に禁煙させるために動こうとしていたが、藤原は逆にこれから禁煙させないために動こうとしていた。
 そんな藤原の目の前で久保田と見つめ合っていた時任は、何かを言おうしたが少し考え込むような表情で開きかけた口を閉じる。そして再び口を開くと久保田の質問に答えるのではなく、逆に前にもしたことがある質問を久保田にした。
 「・・・・・なんで、タバコなんか吸うようになったんだよ」
 そう言った時任の口調と表情から、本気で真剣に聞いていることがわかった。
 けれど、なぜ吸うのかと聞かれたら美味いからと答えることができるが、どうして吸うのかという答えにはわからないので答えられない。だから、久保田がわずかに首をかしげて「さぁ」と答えると、時任はムッとしたような表情になった。
 こんな風に吸うことになった理由を聞いてくるのは理由を知りたいということよりも、なんとかしてやめさせたいという気持ちが強いせいかもしれない。だが、それがわかっていながらも久保田はそれ以上は何も言わなかった。
 
 「先に行ってっからっ、さっさとタバコ買いに行けよっ」

 何も言わない久保田にますますムッとした表情になった時任は、そう言い残すと生徒会室に向かって走り出す。けれど、久保田は廊下にぼーっと突っ立ったままで後を追おうとはしなかった。
 それは時任の言う通りにタバコを買いに行くことにしたせいだったが、それはだけではなく、今は二人で話してもタバコの話にしかならないからである。いつもなら煙まみれだった朝のことなんて忘れていつもの調子に戻っている頃なのに、桂木達と何かを企んでいるせいなのか、今日の時任はどことなく落ち着かない感じで様子がおかしかった。
 
 「そろそろニコチン切れなのは…、確かかもね」

 さっきの時任の様子を思い浮べながら、ぼんやりと窓の外を見ながらそう呟くと…、生徒会室ではなく生徒用玄関に向かって歩き始める。だが、それは帰るためではなく近くの自動販売機までセッタを買いに行くためだった。
 すり換えられていたシガレットチョコに書かれていた禁煙のことを忘れた訳ではないが、今の所はあれから何かを仕掛けてくる様子はない。20時のタイムリミットにならなければ何も起こらないのか、それともタバコを吸えば何かリアクションがあるのか…、それを確認するためにも吸ってみる必要があった。
 しかし、そんな久保田の前に片手にセッタを持った藤原が勢い良く走り込んでくる。藤原はうっとりとした表情で両手を広げて久保田にぎゅっと抱きつこうとしたが、その瞬間、パシーンというすがすがしい音が廊下に響き渡った。
 「なにやってんのよっ、アンタはっ!!!」
 「ぎゃあぁぁっ!!で、出たぁぁぁっ!!!」
 「出たって何よっ、人を幽霊みたいに言わないでよねっ!」
 「ゆ、幽霊の方がまだマシですよっ!!」
 「あっそう…、なら今度はまた幽霊が出るって投書も来てるし、一人で夜の学校の見回りねっ。それでこれは当たり前に没収っ!!」

 「ああぁぁっ! セッタを渡して久保田先輩とラブラブ計画がぁぁぁっ!!」
 
 久保田にセッタを渡そうとしている藤原を発見した桂木は、ハリセンを後頭部に食らって倒れた藤原の手からセッタを押収しようとする。だが、永遠に実現しないラブラブ計画をあきらめきれない藤原は、桂木に取られる前にセッタを久保田に向かって投げた。
 すると、久保田が飛んできたセッタを片手で軽くキャッチして、それをズボンのポケットに入れて何事もなかったかのように歩き出す。そのため、桂木が投げられたセッタを視線で追って久保田の方を見た時には、すでにセッタはポケットの中へと消えていたのだった。
 「あぁ…、久保田先輩が僕の愛をらぶキャッチ・・・・・」
 藤原は瞳をキラキラさせて身悶えながら意味不明な言葉を呟いていたが、久保田が投げられたセッタを受け取ったのは外まで買いに行くのが面倒だったからである。それを桂木もわかっているせいか、久保田が受け取ったことを知りながらも押収しようとはしなかった。
 けれど、真っ直ぐ前を見たまま、横を通り過ぎようとしている久保田を呼び止める。そして、ポケットから取り出した物を横に向かって差し出した。
 「渡してもムダだろうとは思うけど…、一応、渡して置くわ」
 「一応、ね。そいつはどうも…」
 「これから、生徒会室じゃなくて屋上にでも行くつもり?」
 「今日は見回り当番じゃないから、生徒会室に行かなくても問題ないっしょ?」
 「時任には?」
 「すぐに戻るって言っといてくれる?」
 「・・・・・・・わかったわ」
 桂木が久保田に渡したのは、今度はシガレットチョコではなく禁煙パイポである。けれど、それを受け取ってはいても、これから屋上でセッタを吸うことは間違いなかった。
 確かにタバコを吸っている姿が似合うとは思うが、だからと言ってタバコを吸うことがいいとは思えない。こういうのは個人の勝手なのかもしれないが、タバコの量が更に増えてきている久保田のことを話した時の時任の顔を思い出すとやはり放っては置けなかった。
 桂木は自分のおせっかいな性分にため息をつきながらも、手にしっくりと馴染んでいる白いハリセンを握りしめる。そして、真っ直ぐ前に向けていた視線を久保田の横顔に向けた。

 「シンデレラが階段を走り出す前に、ちゃんと気づきなさいよ…」

 その言葉はシガレットチョコに書かれていた文字に関係しているに違いなかったが、
桂木はそれ以上は何も言わずに藤原を引きずりながら生徒会室に向かって歩き出す。すると、久保田も禁煙パイポを持ったまま屋上に向かって歩き出した。
 だが、屋上にはすでに双眼鏡を持った松原と室田が桂木の指示で待機していて、久保田が来るのを待っている。二人は屋上の入り口の裏手に潜んでいたが、なかなか久保田が現れないのでヒマを持て余していた。
 普段なら、室田がヒマな時はヒンズースクワットや腹筋をする。けれど、こんな場所でそんなことはできないと言うよりも、いつもよりも松原に接近しているせいで運動もしていないのに心臓がバクバクと壊れそうになっていてそれどころではなかった。
 かわいい顔をしているため、男女共にかなりモテる松原に、実は室田はひそかに想いを寄せている。しかし、そんな室田の想いに松原は微塵も気づいていなかった。
 「室田…、顔がかなり赤いですが、もしかして熱が?」
 「ち、違うっ、ちょっと暑いだけだ…」
 「でも、さっきから息も荒いです。やはり病院に行った方が…」
 「い、息が荒いのも…、その…、暑いだけだっ」
 苦しい言い訳をしながらも、めったにないチャンスなので室田は松原のそばから離れない。見つからないように隠れて壁を背にして隣に座っているので、松原の細い肩が室田の腕に当たっていた。
 その細い肩を見つめている内に思わず抱きしめたい衝動に駆られた室田は、それを誤魔化すために手に持っていた双眼鏡でキョロキョロとあたりを見回してみる。しかし、そんな室田の視線は、隣の校舎の窓に向けられた瞬間にそこで止まったまま動かなくなった。
 
 『こ、これはっ!!!』

 室田は心の中でそう叫んだが、視線はその窓に釘付けになったままである。実はその窓に写っていたのは、熱いキスを交わしている二人の男子生徒だった。
 しかもその二人はキスだけでは終わらず、更にその先へと突入中…。
 それを見てしまった室田は、更に顔を赤くなって完全に固まった。
 そして、そんな室田を見て不審に思った松原は、自分も持っていた双眼鏡で同じ方向を覗こうとする。だが、松原の視線が不純同性交遊に没頭している二人を捕らえようとした瞬間に、上から手が伸びてきて双眼鏡を奪い取った。

 「ふーん…、ずいぶんと楽しそうだねぇ」

 突然、近くから聞こえてきた声にハッとして室田と松原が視線を上に向けると、そこにはセッタをふかしながら双眼鏡を覗いている久保田がいる。久保田は双眼鏡でじーっと隣の校舎の窓を見ていたが、室田と違ってのほほんとした表情に変化はなかった。
 男女を問わずモテるのに松原と同じく浮いた話一つない久保田だったが、どうやらこういうことにはかなり慣れているらしい。未だに告白どころか肩に手を触れるだけで緊張してしまう室田は、そんな久保田が自分よりも遥に大人に見えた。
 『・・・・・・さすが久保田だ』
 何がさすがなのかはわからないが、室田は心の中でそう呟くとできるだけ冷静になろうとしなから覗きを続けている。だが、次の久保田の一言が室田をビシッと凍りつかせた。
 「かなり楽しそうだし、混ぜてもらいに行こっかな」
 「ま、ま、混ぜてって…、どうするつもりなんだっ」
 「どうするって、言葉通り三人でってイミだけど?」
 「・・・・・・っ!!!」
 「じゃあね」
 「おいっ、久保田っ!」
 室田はセッタをふかしながら立ち去っていく久保田を呼び止めようとしたが、久保田は立ち止まらずに屋上を出ていく。けれど、桂木に言い渡された指示も忘れて、室田は久保田の言葉に苦悩していた。
 目の前で行われている行為を三人で・・・・。
 それは、純情な室田の想像を遥に越えている。しかも双眼鏡の向こう側でクライマックスを迎えている二人と、久保田が知り合いだとは思えなかった。
 「やっぱり三人は良くないだろうっ!!い、いや…、学校だし基本的に三人でも二人でも良くは・・・・、それにその前に好きでもないヤツとそんなことを…」
 「どうかしたんですか? 室田」
 「だが…、男同士というのはそんなものなんだろうか?」
 「室田?」

 「いや、違うっ、そんなはずはないっ!」

 なぜか愛と性の狭間で両手で頭を抱えて苦悩している室田は、松原が呼びかけているのにも気づいていない。しかし、今悩んでいることはせめて松原と手を握れるようになってから悩んだ方かよさそうだった。
 壁に頭をぶつける勢いで悩んでいる室田の横で、松原は呼びかけるのをあきらめて久保田が見ていた方向を双眼鏡で見る。すると松原が双眼鏡を覗いていることに気づいた室田が、驚いてレンズの前に手を出そうとしたがすでに遅かった。
 「なるほど、確かに楽しそうですね…」
 「ま、ま…、松原?」
 「めずらしい組み合わせなので、混ざりたくなる久保田の気持ちもわかります」
 「・・・・・・っ!!!」
 「どうかしましたか?」

 「いや・・・・、なんでもない…」

 松原のセリフにショックを受けて、室田はがっくりと肩から力を落としてどんよりと暗い影を背負っている。そんな室田の様子を気にすることなく、松原は携帯で桂木の指示通りある人物に向かって一言だけの短いメールを打った。
 ・・・・・・・・禁止令発動。
 すると、松原がメールを打っている間に復活した室田はサングラスの下でキラリと涙を光らせながら、雲一つない真っ青な空の下で勇気をふりしぼって松原の手を握りしめた。
 「うう…、こうしていると胸が焼け付くようだ」
 「胸焼け?」
 「今日は、やけに夕日が目に染みるな…」
 「色覚異常…」
 「こ、これは涙じゃない…、心の汗だ」
 「目から汗・・・・」
 「ま、松原?」
 「・・・・・・・・もしかしたら、入院が必要かもしれません」
 「うわっっ、ちょっと待ってくれっ、松原っ!!」
 「問答無用ですっ!早期発見、早期治療が病気を治す秘訣ですからっ」

 「俺は病気じゃ・・・・・っ、うわぁぁぁぁっっっ!!!!」

 そのまま松原によって病院に連行されていく室田の視線の先には、行為を終えてぐったりと机の上で休んでいる二人がいたが…、
 実はその横の教室で話し込んでいる別の二人組がいた。
 一人は松原や室田と同じ執行部員で、もう一人は校内でも有名な不良グループのリーダ…。その二人が一緒にいることも珍しかったが、二人きりで何か話し込んでいることの方がもっと珍しかった。
 
 執行部の時任と不良の大塚…。

 そこにセッタをふかしながら久保田が向かっていたが、未だ何も知らずに時任は大塚と向かい合って何か話をしている。どうして二人が話すことになったのかはわからなかったが、そんな二人の様子を見て驚くのは執行部員だけではないに違いなかった。
 久保田が廊下を歩いているのを発見した相浦がその後を追ったが、いつもよりも歩調が早いのは気のせいではない。相浦は久保田の後ろ姿を見失わないように追いながら、何か不吉な予感を覚えて小さく息を吐いたが…、

 そうしている間にも久保田が学校に来て以来、始めて吸った一本目のタバコはじりじりと燃えて短くなろうとしていた。




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