禁止令.2




 「今日から久保田君にタバコ禁止令発動よっ!! みんないいわねっ!!」

 桂木のその一言で禁煙させることが執行部内で決定したが、当人である久保田が禁止令に賛成するはずもない。それはヘビースモーカーでかなりのニコチン中毒患者だからというよりも、やめなければならない理由がなかったせいだった。
 肺が黒く汚れることを知っていても、それを目の前で見せつけられたとしても、久保田はそれで構わないと思っている。だから灰皿の中に灰を山のように落としながらタバコを吸っているのを見て、時任がやめろと言っても吸い続けていた。
 時任のことになるとかなり甘すぎるくらい甘い久保田だったが、これだけはどうしても譲れないらしい。時任が言ってもダメだったことをどうやって聞き入れさせるつもりなのかは知らないが、昼休けいが終わって次の授業が五組と六組の合同体育だと知ると、桂木はふふふっと不気味な笑みを浮かべながら六組の相浦にあるものを手渡した。
 「まずは手始めに、相浦にコレと久保田君のポケットに入っているタバコをすり替えてもらうわっ」
 「こ、コレとすり替えるって…、マジでっ!?」
 「誰が冗談でそんなモノ渡すのよっ。ホンキでマジに決まってるじゃないっ」
 「けど、禁煙パイポの方がよくないか?」
 「渡したってどうせ使わないんだから、これで十分でしょう」
 「それはそうかもしれないけどさっ。こんなことしても、久保田には効果ないだろ?」
 「いいえ、絶対にあるわっ」
 「えっ?」

 「でも、それにはやっぱり時任の協力が一番大切で重要なんだけどね」

 桂木はそう言うと、二人の話をそばで聞いていた相変わらずムッとした表情をしている時任の方を向く。そして、これからやろうとしていることを…、久保田に禁煙させる方法を外に漏れないように声をひそめて話した。
 すると、それを聞いた時任は少し眉をしかめたが、桂木が本気で禁煙させたいと思っているなら協力しなさいと言うとしぶしぶ首を縦に振る。けれど、桂木が言い出したことにあまり乗り気ではないことだけは確かのようだった。
 やるとなったら徹底的にやらなくては禁煙させられないということは時任にもわかっている。しかし、桂木の考えた作戦で久保田が禁煙を誓うかどうかはわからなかった。
 時任は目の前にあったパンを食べ終えると、少し考え込みながら紙パックの中に入っている牛乳をずずっと飲む。そして、相浦が持っているタバコとすり替える予定の物をじーっと見つめた。
 「でもさ、久保ちゃんに作戦が効果なかったらどーすんだ?」
 「それはまだ考えてないわっ」
 「なにぃっ」
 「確かに表面上は効果があったように見えないかもしれないけど、まったく全然効果がないなんてことはあり得ないし…」
 「…って、なんでそんなコトが言い切れんだよっ」
 「なんでって、いつもの久保田君を見てれば誰だって言い切れるわよ」
 「はぁ?」
 「とーにーかくっ、やって見ればわかるんだから、とっとと更衣室まで行って相浦が上手くすり替えられるように協力しなさいっ」
 まだ迷っている時任の背中を押すようにそう言うと、桂木は気合いを入れるように白いハリセンをぎゅっと握りしめる。そして、時任が相浦と一緒に生徒会室を出て行くのを見送ってから、体育に行くのではなく、なぜか二年の教室へ行くために食べ終わっていた弁当の蓋を閉じた。
 
 「まっ、結果がどうだったとしても…、あたし達がどう言ったって誰かさんにしか止められないってことだけはやってみなくても確かなのよねぇ…」

 桂木のそんな呟きに、まだ生徒会室にいた松原と室田がうなづいたかどうかはわからないが…、時任と相浦は立てられた作戦を実行するために更衣室へと急いでいる。普段から隙のまったくない久保田からタバコを奪い取れる可能性が高いのは、どう考えてもやはり制服を脱いでいる体育の時しかなかった。
 相浦は自分のポケットに入っている物体を握りしめながら、ヨロヨロと時任の後をついて歩いている。時々、深々とため息をついているのは、久保田に体育館の裏に呼び出される自分の姿を想像していたせいだった。
 こんなことを計画していると知ったらただでは済まないが、こんな計画を立てるような人間は限られている。つまりバレるのは時間の問題というレベルではなく、こんな計画を立てた時点で初めから正体をバラしているようなものだった。

 「マジで無事でいられるかなぁ…、俺」
 
 相浦はそう呟くと、ガックリと肩から力を落としてうなだれる。だが、そんな相浦の想いをよそに、二人は目的地である男子更衣室に到着した。
 荒磯高校の男子更衣室にはロッカーが設置されているが、そこには盗難を防ぐためにちゃんと使用者以外は開けられないようにカギがつけられる。実はこんな風にカギがつけられることになったのは盗難騒ぎが相次いだためらしいが、盗まれたもので一番多いのは財布ではなく、汗の染み込んだ体操服だという噂だった。
 そして、消えた体操服の持ち主は必ず美少年だという…。
 これは元男子校であるが故の現象の一つなのかもしれないが、健全な男子高校生である相浦には恐ろしい怪奇現象としか思えなかった。
 だが、そんな健全な相浦の前に、くわえタバコの似合いそうな不健全な男が現れだが、その不健全な男は学ランを着てはいても…、肌は以外にピチピチだが三十過ぎのおっさんにしか見えない室田とは別の意味で高校生には見えない。しかも、その男の視線は相浦のそばを歩いている時任だけに注がれていて、見つめる視線は優しすぎるほど優しかった。
 「ねぇ、時任」
 「・・・・・・・」
 「もしかして、まだ朝のコト怒ってんの?」
 「べっつにぃっ」
 「そう言ってても、カオは怒ってるカンジに見えるけど?」
 「るせぇっ。俺は元々こういうカオだっつーのっ」
 「ふーん…」
 「な、なんだよっ」
 久保田の顔を見て怒りが再び蘇ったのか、時任がかなりムッとした表情になっている。けれど、そんな時任と並んで歩きながらじーっと横顔を眺めていた久保田は、気づかれないようにそーっと手を伸ばしながら素早く後ろに回ると…、
 時任の両頬を伸ばした手でぐにっとつまんだ。
 「ひゃ、ひゃにふんだひょっ!!!」
 「なにって、怒ったカオが元々のカオだから、笑えるように笑顔の練習〜」
 「ふ、ふひゃけへんなっ!!」
 「ほーら、笑って笑って〜」
 「ひゃー、にゃー、へぇっっ!!!」
 「ん〜、なに?猫語じゃなくて、ちゃんと日本語でしゃべってくれないとわからないんだけど?」

 「ひゃれがっ! ひゃれがへこひゃっ!!!」

 久保田の言う猫語には聞こえないが、意味がわからないことには変わりない。この場合はやはり助けてやるべきなのかもしれなかったが、時任は後ろから抱きつかれて真っ赤になっていて本気で嫌がってるように見えないし…、
 どう見ても、二人はイチャイチャしているバカップル。
 しかし、久保田がこんな行動に出たのはイチャイチャしたかったというよりも、朝のことを誤魔化して時任の機嫌を取っているとしか思えない。それに今、時任を助けるという形で二人の会話を中断させてしまったら、別の意味でも体育館裏行きは確実だった。
 相浦は二人から漂ってくる甘い空気に酸欠を起こしそうになりながら、フラフラと二人の後ろについて更衣室に入る。すると、やっと久保田の手から開放された時任は、自分がいつも使っているロッカーを開けて着替えを始めた。

 『頼むっ、時任〜っ!着替え終わってロッカーを閉めるまでに久保田に隙を作ってくれぇぇっ!!』

 相浦は着替えをしている時任の背中を見つめながら、そう心の中で涙しながら叫んだが、当たり前に時任には聞こえていない。けれど、それでも見つめながら背中に念力を送っていると、ふと自分の頬に痛い視線が突き刺さってくるのを感じた…。
 その視線が突き刺さる感じに嫌な予感を覚えたが、やはり気になるので視線の主の方を向いてみる。すると、視線の主の目からビームが発射された。

 「ひっ!!」

 ビームを受けた相浦は思わず短く叫んだが、そんな相浦を見て視線の主はいつもの調子でのほほんとしている。実は発射されたビームは太陽光線で、視線の主である久保田の眼鏡に反射しただけだった。
 思わず叫んでしまったのは時任に熱い視線を送っていたからではなく、これからしようとしている桂木に命じられた任務のせいなのだが…、久保田はそうは思っていないかもしれない。相浦を直撃したのはただの紫外線を含む太陽光線だったが、それを久保田の眼鏡経由で浴びたために寿命が縮んでしまったかもしれなかった。
 
 「た、確かにちょっとかわいいとか思ったことあるけど…、俺はそんなつもりで着替えを見てたワケじゃ…っ」

 思わず意味不明のセリフを相浦がつぶやくと、相浦の半径二メートル以内からささーっと波が引くように人がいなくなる。けれど、まだ久保田の眼鏡光線のショックで、頭を抱えている相浦はそれに気づいていなかった。
 思いつめた表情の相浦を見たクラスメイト達は、お互いを指差しながら首を振っている。それは相浦が思いつめている原因を見事に勘違いしたせいだった。
 「相浦が好きなのはやっぱお前だろっ。結構、仲いいもんなぁ」
 「ち、違うっ、違うってっ! それを言うならてめぇだろーがっ」
 「相浦が相手だと…、お前の方が攻めだよな?」
 「違うって言ってんだろっ! なのに受けとかっ、攻めとか勝手に決めんなよっ!」
 「なら、どっちがいい?」
 「どっちがって…っ。だーからっ、どっちでもないって言ってんだっ!」
 「ふーん、俺は受けがいいかも…」

 「・・・・・え?」

 三歩歩けばホモに当たると言われているかどうかは知らないが、そんな荒磯でホモ疑惑が浮上してしまった相浦がどうなってしまうのか…、
 それは抱きたい男ナンバーワンの生徒会副会長にもわからない。
 だが、今はホモ疑惑を晴らすことよりも、相浦にはしなくてはならないことがあった。
 相浦は横目でチラチラと着替えを始めた久保田の様子をうかがいながら、時任が久保田をロッカーから離れさせるためのリアクションを起こすのを待っている。すると、近くで着替えをしながらふざけ合っていた同じクラスの二人にいきなり押されて、時任がガツンと額をロッカーにぶつけた。
 「あ…、わりぃっ」
 「いっ、いってぇ…」
 「ケ、ケガしてないか?わざとじゃないんだっ、すまんっ、時任っ」
 「ちょっちコブできたけど、ケガはしてない」
 「ホント、ごめんなっ」
 「…ったくっ、狭いトコで暴れてんじゃねぇよっ」
 時任はコブのできた額を撫でながらそう言って、すぐに着替えの続きを始めようとしたが…、コブを撫でていた手に見慣れた手が重なる。その手の感触にハッとしたように時任が顔をあげると、そこにはいつの間にか移動してきていた久保田がいた。
 久保田はコブの上から手を退けさせると、出来たコブの具合を見る。そして、触れるか触れないかわからないくらい軽くコブの上に唇を落とした。
 「な、なっ、なにすんだよっ!」
 「ん〜、早くコブが引っ込むようにおまじない」
 「そ、そんなんでコブが引っ込むかっ、バカっ!」
 「なら、もっとシテあげよっか?」
 「するって、もしかしてさっきの…」
 「そうじゃなくて、もっと別なコト」
 「それって…」
 「ほら、おとなしくして…」
 「く、久保ちゃん…、こんなトコじゃ…」
 「気持ち良くしてあげるから…」

 「あっ・・・・・」

 あやしい二人のセリフに、周囲にいた男子生徒達はゴクリと息をのむ。久保田に耳元であやしいセリフを囁かれながら、少し赤くなってうつむいている時任は可愛いだけではなく、かなり色っぽかった…。
 久保田の方も時任の首筋の当たりに視線を落としていて、その瞳は気のせいかもしれないがわずかに熱っぽい気がする。そんな二人を見つめていると、頭の中をあらぬ妄想が浮かんできて…、そこにいたエロ雑誌やエロビデオを買ってみたくなるお年頃の健全な男子生徒達の半分くらいが少し前屈みになった。
 
 このままだとヤバイっ!!!

 そう心の中で叫んでも、目が張り付くように吸い付いていて離れない。やがて久保田の手が優しく時任の手触りの良さそうなサラサラの髪を撫でて、それから徐々に二人の顔が近づいていって…、
 うっとりと久保田を見つめる時任の赤い唇が、キスを待つようにうっすらと開けられた…。
 「久保ちゃん…っ」
 「今、シテあげるから待って…」
 「早くっ」
 「ホント…、いつもお前はガマンが足りないねぇ…」
 「だってガマンできな・・・・・・」
 「時任…」
 「あぁ…」

 ペタ・・・・・・・・・。

 「どう?」
 「うう…、冷たくて気持ちいい〜」
 「コブ出てるし、ちょっち熱持ってるもんねぇ」
 「やっぱ打ち身には湿布だよなっ!」
 
 バタバタ…っ、ガタン・・・・・・・・っ!!!
 
 まるで湿布のコマーシャルのようなセリフが時任の口から出ると、派手な音が男子更衣室に響き渡る。そしてその後にはまるで浜に打ち上げられたマグロのように、男子生徒達が床に転がっていた。
 中には股間を抑えている者もいたが、どうやら不発だったようである。
 そんな男子生徒達の思いをよそに湿布の気持ちよさにうっとりとしながら、更衣室の惨状に時任は首をかしげた。
 「コイツら、なんで倒れてんだ?」
 「さぁ? 頭でも打ったんじゃない?」
 「ふーん…、久保ちゃん湿布は?」
 「品切れ」
 「フツー箱入りだったりすんのに、なんで一枚しかねぇんだよっ」
 「時任クン専用だからじゃない? ちなみに、時任クンは俺専用〜」
 「誰が誰の専用だっ、俺は俺のもんだってのっ!」
 「ちゃんと、専用だってシルシついてんのにねぇ?」
 「なんか言ったかっ?」

 「ぺつに」

 そう言った久保田の視線の先…、そこには赤い痕があった…。
 だが、間近でじーっと見なくてはそれがキスマークなのか虫刺されなのかわからない。その赤い痕に気づいていたのは相浦だけだったが、相浦はそれが本当にキスマークなのかを気にしながらも…、久保田のロッカーへと近づいて制服のポケットからタバコを取り出した。
 こうすることが初めからの目的だったが、男子生徒達のように前屈みになったり倒れたりしなかったのは、同じ執行部に所属している内に自然に二人の熱い空気に免疫ができていたからである。相浦は無事に桂木に渡されたものをタバコの代わりにポケットに入れると、すぐにロッカーから離れて何事もなかったように着替えを始めた…。
 すると、時任に湿布を張り終えた久保田がロッカーに戻ってくる。けれど置かれている制服に何か違和感を感じたのか、それとも相浦の行動に気づいていたのか…、すぐに制服のポケットを探り始めた…。

 「うーん…、べつにマジックショーしたいワケじゃないんだけど、ねぇ?」

 久保田が制服のポケットにライターと一緒にいれていたタバコは、なぜかニコチンゼロの代わりにカカオがたっぷりと入っているシガレットチョコに変身していた…。
 しかも、そのシガレットチョコには警告とも読める文字が書かれている。
 表には禁煙…、そして裏には意味深な言葉があった…。


 『タイムリミットは二十時の鐘が鳴るまで…』


 一日は二十四時間そして半日は十二時間で、シンデレラのタイムリミットは十二時の鐘…。なぜ十二時ではなく二十時なのかはわからなかったが、それが禁煙執行までのタイムリミットということらしい。
 このタイミングで禁煙といえば犯人も共犯者もすぐにわかるが、こんなやり方をするとなると簡単に引き下がるつもりはないに違いなかった。
 久保田は少しだけ考えるような表情をしながら着替えを済ませると、ポケットに入っていたシガレットチョコを一本だけくわえて齧る。そして、もう一本を同じく着替えが終わっていた時任の口にくわえさせた…。
 「ま、確かに甘いのも悪くはないけどね…」
 そんな久保田の呟きが聞こえてはいなかったのかもしれないが、時任の方はくわえさせられたシガレットチョコを齧りながら…、

 「このチョコ…、ちょっち甘すぎかもな…」と呟いた…。



 
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