禁止令.17



 
 サヨナラ・・・・、バイバイ・・・。

 別れの言葉は行く場所が帰るべき場所が違えば、自然に出てくる言葉なのかもしれないけれど、同じ言葉でもそこに込められた想いが違えば意味も違ってくる。たとえば、また明日会えるつもりで手を振る人と、もう会えないかもしれないと手を振る人のように…、
 でも、それでも同じ言葉なのはまた明日会えるつもりで手を振っても…、次に会える保障なんてどこにもないせいなのかもしれなかった。
 だから、さよならと手を振りたくなくて…、ずっと一緒に居たくて…、
 別れたくなくて…、離れたくなくてたまらなくて…、
 なのに、それでも一緒に居られなくなってしまう事もある…。
 目の前に見えるのは四階建てのマンションと各部屋に灯った明かりを少し遠くから眺めながら、相浦はここから走り去った時任の事を思って重く深く息を吐いた。
 けれど、そのまま相浦はマンションには行かずに、すぐに走ってきた道を戻り始める。それはここに来たのは久保田に会うためでもここにいる桂木と合流するためでもなく、時任を探すためだったからだった。
 
 『時任は…、マンションから出て行ったわ…』

 そう言った桂木の声を携帯で聞いたのは大塚の家よりも、目の前にあるマンションに近い場所…。それは大塚が買い物の途中だったために、戦いを一時中断して大塚の家に行った時に、そこで先に戻ったはずの時任がいない事を知ったせいである。
 もしかしたら久保田の所に戻ったのかもしれないと思ったりもしたが、状況が状況だけに心配で桂木が連絡してくる前から、相浦はその場にいた大塚と二人で手分けして時任を探していたのだった。
 「・・・・それで、マンションを出た時任はどっちに?」
 「たぶん時任は、そっち方面に行ったと思うけど』
 「だったら、急いでマンション方面に向かってみる」
 『でも、だからって会えるとは限らないから・・・』
 「ああ、それはちゃんとわかってる。ここからマンション方面に向かって歩いて、出会わなかったら探すんだろ?」
 『えぇ、私はもう少しここから動けないから、そうしてくれると助かるわ。悪いわね…、アンタにばっかり頼んじゃって…』
 「何言ってんだよ、桂木に頼まれなくったって見つかるまで探してたさ。俺だって、二人の事は心配だからな」
 『そうね…、私だけじゃないのよね』
 「うん・・・。じゃあ、時任を見つけたら連絡するから…」
 『私も何かあったら、すぐに連絡するわ』
 「了解…。何かあったら、そっちに飛んで行くよ」

 『・・・・・ありがとう』

 相浦に礼を言った桂木の声は、いつもより少し元気がない…。
 それはやはり時任の事が…、二人の事が心配でたまらないせいだろう。相浦は切った携帯をポケットに仕舞い込むと、時任や久保田だけではなく桂木の事も心配しながら夜の街へ向かった。
 この問題は久保田と時任の問題だけれど、このままにして置けない。
 そして、同じように二人を心配して元気をなくしている桂木も放っては置けない。
 だから今はとにかく…、マンションから出て行った時任を見つける事が先決だった。
 けれど、大塚の家からマンションに来るまでの間、時任らしき人物は見かけなかったし行きそうな場所もわからない。こういう時、久保田なら何か心当たりがあるのかもしれないが、学校以外であまり会った事のない相浦はゲーセンに良く行く事くらいしか知らなかった。
 だから、今の場所から近いゲーセンを思い浮かべて走り出そうとすると、違う方向からマンションに向かっていた大塚が合流してくる。けれど、やはり大塚も時任と出会えなかったらしく、相浦の方を見て首を横に振った。

 「やっぱり、久保田じゃないとそう簡単には捕まってくれないな…、時任は…」

 相浦が久保田の名前を出すと、時任に恋している大塚がムッとした表情をする。
 けれど、それはたぶん事実だった…。
 一緒に暮らしていても暮らしていなくても、時任の事は久保田が一番良く知っている。そして、同じように久保田の事も時任が一番良く知っていた。
 一番好きで一番大切だから…、誰よりも良く知っている。だから、時任の事を本当に捕まえられるのは久保田しかいないのに、サヨナラを告げた二人の距離は開いていくばかりだった…。
 もしも時任を見つける事ができたとしても、何とかしたいとこのままにして置けないと思っているのに何と言えばいいのかわからない。成り行きで一緒に時任を探す事になった大塚と一緒に走りながら、相浦はポケット上から中にある携帯を探った。
 出来る事なら…、久保田を呼びたい…。
 時任が呼んでるのはどんな時でも、相浦でも他の誰でもなく久保田だから…。
 けれど、相浦がポケットの中の携帯を取り出そうとした時、相浦ではなく大塚の携帯が勢い良く鳴る。それは別の学校にいる大塚の不良仲間からの電話で、時任らしき人物が河原で見たと言う連絡だった。
 「おいっ、行かないなら置いてくぜ?」
 「ま、待てよっ、俺も行くに決まってるだろっ」
 こうして、戦う予定だった大塚と一緒に走っている事も、時任が久保田と一緒にいない事も何もかもが不自然で落ち着かない。でも、この不自然さが完全になくなる日が来るのかどうか相浦にはわからなかった…。
 ポケットの携帯を握りしめたまま、たどりついた河原は海が近いせいか風が少し強くて…、その風に吹かれながら大塚と二人で時任の姿を探す。すると、時任は河原に一人で座ってじっと目の前の風景を眺めていた…。
 そんな時任の姿は普段の元気な様子からは想像もつかないくらい寂しそうで哀しそうで、相浦は声をかけようとしていた大塚を引き止める。それはもしかしたら…、時任が泣いているかもしれないと思ったせいだった。
 「さっさと放さねぇとぶっ飛ばすぞっ、てめぇっ」
 「じゃあ、ぶっ飛ばしてもいいから今はここに居ろよ、大塚」
 「はぁ?」
 「ちょっと、二人だけで話したいんだ…」
 「俺だって、時任と話があるから来たに決まってんだろっ」
 「そうかもしれないけど…、頼むからさ…」
 「・・・・・・・その代わり、後でマジで一発殴るぜ?」
 「あぁ…」
 いつもなら、あの大塚が天敵である執行部の相浦の頼みを聞くなんて、きっとあり得ない。けれど、時任と話しをするようになってから大塚の中で何かが変わってきたのか、後で殴ると言いながらも時任の方へと歩いていく相浦の背中を黙って見送ってくれた。
 それがあまりにも意外で思わず相浦が振り返らずに礼を言うと、後で殴るって言ってんだろっという大塚の怒ったような声が返って来る。でもバカと言われてもなんと言われても、今はいつもと違って悪い気分にはならなかった…。
 静かな夜の河原までは街に溢れている音もあまり届いて来なくて、川の流れる音や風の吹く音だけではなく小さくひっそりと鳴いている虫の声まで聞こえてくる。昔からずっとそこにあったように…、自然に流れてくる音はとても柔らかく優しく耳に届いてきた…。
 そして、そんな音に包まれるように河原の草むらに座っていた時任は、近づいてきた相浦の気配に気づいているはずなのにずっと川の流れを見つめ続けている。でもその瞳から涙は零れ落ちていなかったのを見て、相浦は少しだけほっとしながら時任の隣に座った。
 久保田から離れて一人きりになった時任は、相浦よりは大きいが膝を抱えて丸くなってるいせいか、いつもよりも小さく見える。一人きりで膝を抱えて時任が何を想っているのか、考えているのか相浦にはわからなかったが…、
 きっと、それは別れを告げた久保田の事に違いなかった。
 「あのさ…」
 「なに?」
 「ここは・・・、なんか風が吹いてて気持ちいいな」
 「うん…」
 「けど、夜に一人でこんな人気のない場所に座ってると危ないから…」
 「そんなワケねぇだろ。無敵の俺様はべっつに一人でいてもヘーキだっつーのっ。それに悪りぃけど、今は誰とも一緒に居たくねぇんだ…」
 「でもさ…」

 「今はココに…、一人きりでいたい…」

 時任にそう言われて、とりあえず自分の家に行こうと言おうとしていたのに何も言えなくなる。でも、どうしても時任を一人きりにはしたくなくて、相浦は時任の横から立ち上がったが大塚のいる場所まで戻っただけで河原から立ち去ろうとはしなかった。
 それは何も言うことはできなくても、せめて見守っていたいとそう思ったからで…、
 けれど、時任に恋している大塚は相浦から様子を聞いても、強引に自分の方に振り向かせたくて時任に近づこうとする。すると、また相浦が大塚を引き止めたが、今度はさっきとは違って大塚の拳が相浦の頬を殴りつけた。
 「二度もジャマしやがるから、そういう目に遭うんだぜ? 二発の所を一発で済ませてやったんだから、ありがたく思え」
 「誰がそんな事思うかよ」
 「だったら、マジでもう五発くらい食らわせてやろうか?」
 「本気で言ってるなら今度はやり返すって言いたい所だけどさ。時任の気持ちが落ち着くまで、ここで静かにしてようぜ」
 「はぁ? 落ち着くまでっていつまでだ?」
 「そんなの知るか…」
 「なら、俺は行くぜ。久保田の事だったら、俺が忘れさせてやるっ」
 「忘れさせるって、どうやってだよ? まさか…、また無理やり襲おうとか思ってるんじゃないだろうな?」
 「ふん…、そう思ってて何が悪りぃんだよ?」
 大塚が時任と仲良く歩いている現場を見てはいるが、大塚の口から時任の事をどう想っているのかはまだ聞いていない。けれど、いなくなった時任を必死に探す大塚を見ている内になんとなく、つい一週間くらい前まで険悪な関係だった時任を好きになってるらしい事がわかった。
 信じられないし信じたくない事実だが、大塚は時任に恋している。でも今までの関係が最悪だったせいなのか、元からそういう方法しか知らないのか、強引に既成事実を作って自分のものにする事だけを考えていて気持ちを言葉で伝えようとはしていなかった。
 そんな大塚を見てため息をつくと、相浦は小さく首を横に振る。そして、いつもと同じ悪役顔で立っている大塚の肩を両手を伸ばして掴んだ。
 「良いとか悪いとかじゃなくて、時任を好きならそんな風に思うなよ」
 「あぁ? 俺がどう思おうと、何をしようとてめぇには関係ねぇだろっ」
 「まぁ、そう言ってどうせ襲おうとしても時任にボコボコにされちまうだけだろうけど…。何をしたって何を言ったって時任は久保田の事を忘れたりしないだろうし…、他の誰かを好きになる事もないぜ」
 「うっせぇっ、黙れっ」
 「それにさ、もしも今ココで俺がキスしたらお前…、俺のこと好きになるか?」
 「そ、そんなワケねぇだろっ。気色悪りぃコト言ってんじゃねぇよっ、てめぇっっ」
 「だったら、そう思うんなら時任の気持ちもわかるだろ? 好きじゃないヤツにキスされたって何されたって…、傷つくだけで他に意味なんてない」
 「・・・・・っ」

 「そんな事したって、絶対に何も手に入らないんだ…、大塚」

 相浦はそう言うと大塚の肩から手を放す、けれど大塚は時任の方へ行こうとはせずにその場から動かない。それはたぶん時任に恋した瞬間、告白するまでもなく失恋してしまっていた事に気づいたせいかもしれなかった…。
 こんな風に一人でいても時任の心の中には久保田がいて、他の誰かが入る隙間も余地もない。それがわかるくらいには、大塚も天敵として二人に関わっていた。
 時任と久保田は一人ずつでも十分に強いが、二人そろうと目の前に立っているだけで戦う前から負けた気分になる。それを認めることは失恋と同じように認めたくない事なのかもしれないけれど…、それが現実で事実だった。

 「ここには俺がいるから…、だからさ…」

 動かない大塚に向かって、相浦は静かにそう言う。だが、大塚はギリリと歯を噛みしめると、さっき相浦がしたように両手を伸ばして相浦の肩をガシッと掴んだ。
 そして、そんな唐突な大塚の行動に相浦が驚いていると、大塚は掴んだ相浦の肩をぐいっと自分の方に引き寄せる。それから覚悟を決めたようにぎゅっと目を閉じると、何を考えているのか相浦の唇に自分の唇を押し付けようとした。
 「うわぁぁっっ、な、なにしようとしてんだよっ!!」
 大塚に強引にキスされそうになった相浦は、そう叫びながら慌てて顔をそむけてジタバタと暴れ始める。だが、それでも大塚はあきらめずに、暴れる相浦に頭や背中を殴られながらキスしようとした。
 「今から実験するから、おとなしくキスされろ」
 「はぁぁ? 実験って何のっ?」
 「てめぇが言ったんだろっ、キスしても好きにならねぇってっ。だから、ソレが本当かどうか今から実験してやるぜ…」
 「そんなのっ、やるまでもなく結果なんてわかってるだろっ!」
 「・・・・・・」

 「大塚っっ!!失恋したからってヤケになるなっ!とーにーかくっ、落ち着けぇぇっっ!!!」

 大塚とキスするまで…、あと3センチ…。
 でもいくら暴れても焼けになっているせいか、大塚がバカ力で腕を押さえ込んできて逃げられない。抵抗している内に河原の草むらの中に押し倒されて、身の危険を感じた相浦の額に汗が浮かんだ。
 ・・・・このままだとキスだけじゃすまないかもしれない。
 そんな予感がして素早く身体をひねると相浦は大塚の下から這い出そうとしたが、すぐに気づかれて引き戻された。さっきまでは叫んだりわめいたりしていたが、今は逃げる事に必死になっていて相浦の口からは言葉は出ない…。キスするだけのはずが押し倒した瞬間に何かが変わってしまったのか、大塚の手が相浦のズボンのベルトをはずした。
 その音を聞いていると大塚の熱く吐く息が耳にかかって、ゾクゾクっと冷たいものが背中を走る。思わず涙目になった相浦がこれから自分に起こる事を想像して身を硬くすると、抵抗する力が弱くなって隙ができた。
 それを感じた大塚はニヤリと悪役らしく笑うと、再び相浦の唇に自分の唇を近づける。相浦は心の中でギャーッと叫んだが、近づいてくる大塚の唇は止まらずに乾いた感触が上から降ってきた。
 しかし、わずかに唇が触れ合った瞬間に、何者かの足がガツッと大塚の背中を軽く蹴飛ばす。すると、大塚はハッと目を見開いて動きを止めた。

 「何やってんだ? お前ら」

 あやしい体勢で動きを止めた大塚と相浦に向かってそう言ったのは時任で、大塚の背中を蹴ったのもやはり時任…。さっきまで河原で一人膝を抱えて座っていたが、あまりにも二人がうるさいので一人で膝を抱えているのをやめたらしかった…。
 いつもと変わらない様子で立っている時任を見た大塚と相浦は、次にお互いの顔を見る。そして二人ともはぁーっと長いため息をつくと、ほっとしたように全身から力を抜いた。
 「おーい、ちゃんと目ぇ覚めたか〜?」
 「うるせぇっ、そっちこそ覚めたかよ?」
 「なっ、なに言ってんだっ、実験するとかって襲ってきたのはそっちだろっ!俺は始めっから正気だっ!」
 「へぇ〜、良く言うぜ。途中からその気だったクセによ」
 「だ、誰がいつその気になったんだよ…っていうか、マジで目ぇ覚めてよかった…」
 「あ、あぁ…」
 「とにかく、早く上からどけよ…」
 「おう…」
 素直に相浦の言葉に従って大塚が立ち上がるとなんとなく気まずいような妙な空気が流れたが、なぜそんな妙な空気が大塚との間に流れなくてはならないのか相浦にわからない。相浦はなんとなく違うとかそうじゃないっとか叫び出したい気分を押さえながら、妙な空気の中でううっと唸った。
 すると、同じように大塚もブツブツ言いながら唸っていっていて、そんな二人を眺めていた時任はプッと噴出して笑った。
 「なんか…、お前らってヘンなのっ」
 時任が笑いながらそう言うと、相浦と大塚はムッとした表情でお互いを指差す。
 そして、目の前にいる時任の方を向いてジロリと睨み付けた。
 「お、お前らって俺とこんなヘンタイを一緒にすんなよっ、時任っ!」
 「ヘ、ヘンなのは俺じゃねぇっ、コイツだけだっ!!」
 「なにぃぃっっ!!」
 「なんだぁぁ!!!」
 相浦も大塚も混乱している様子で、さっきまで時任を睨みつけていた視線をお互いに向ける。けれど、じっと睨み合っているとなぜか大塚が顔を赤くして、慌てて相浦から視線をそらせた…。
 だが、相浦の方は視線をそらさずに挙動不審な大塚の様子をかなり不審そうな顔で眺めてなんなんだっと心の中で呟く。そして、次に自分達を見て楽しそうに笑っている時任の顔を眺めた…。
 本当はあんな事があって、泣きたいはずなのに時任は笑っている。
 何も変わらずに…、いつもみたいに…。
 それを見ていると時任は笑っているのに、なぜか泣きたいような気分になって相浦は時任に向かって手を伸ばす。けれど、時任はその手を拒むように首を横に振って、さっきまで膝を抱えていた河原に背中を向けて歩き出した。
 「時任」
 「もうヘーキだし大丈夫だから、そんなカオすんなよ」
 「でもさ…」
 「心配してくれて…、サンキューな?」
 そう言った時任に続いて相浦が歩き出すと、二人の後ろに続いて大塚も歩き出す。
 すると、川に沿って長く長く続いていく土手の道は吹いてくる風が切なくて、けれど吹かれていると気持ち良くて少しだけ涙が出そうになった。
 相浦は右手で軽く目蓋をこすると、その手でポケットに入っている携帯を取り出す。それは桂木に時任を見つけた事を連絡するためだったが、かける前に着信音が鳴ったので相浦は慌てて通信ボタンを押した。

 「もしもし…、桂木?」

 電話をかけてきたのは桂木で、受話器から聞こえてきた言葉を聞いた相浦は前を歩いている時任に追いつくために歩調を早める。時任がマンションを出た今になって知らされた事実に、相浦は何度も桂木に本当かどうかと聞き返しながらも、その事実を信じたい気持ちで一杯だった…。
 これできっと…、何もかもが元通りになる。
 でも、そう思って事実を時任に話したのに、なぜかそうはならなかった。
 雪野あかりが連れていた子供は、久保田との間にできた子供じゃない。なのに、それがわかっても時任は戻らずに長い長い土手の道を歩き続けた…。
 「マンションには戻れないって…、戻らないってなんでだよ、時任っ。だって、子供は久保田とは関係ないって…っ」
 「けど、連絡してきたのって久保ちゃんじゃないだろ?」
 「それは桂木からだから、そう言われればそうだけど…。もしかして、ホントじゃないって疑ってんのか?」
 「そうじゃない」
 「だったら、マンションに戻れよ…」
 「・・・・・・・」

 「こんな事があったけど、今も久保田と一緒にいたいって…、一緒に暮らしたいって思ってるんだろ?」

 相浦はそう言ったが、時任は何も答えず伸ばした手を拒んだ時のようにまた首を横に振る。けれど、今も時任は久保田の事を想っているのに違いなくて…、土手の道を歩き続ける時任の背中を見ていると胸がズキズキして痛かった。
 どんなに呼び止めても時任は立ち止まらないし、マンションに戻ろうとはしない。
 その事を携帯で桂木に伝えると、マンションの前ではなく401号室から電話していた桂木は何も聞かずに短く「そう…」とだけ答えた。
 すると、その会話を桂木の近くで聞いていた久保田は、ベランダに続く窓を開けて空を眺める。でも、そこには青空ではなく、星も月も見えない夜の暗い空が広がっていた…。





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