君を想うキモチをココロで語ろう.9
いつものように学校に登校して、桂木は自分の席に座っていた。
体調も機嫌もほどほどで、昨日とさほど変わりない一日。
そんな一日が学校で始まろうとしていたが、桂木は窓際にある席になぜか視線を向けていた。その席にいつも座っている人物はまだ登校してきていないようだったが、時計を見るとあと三分で授業が始まる時間である。
机に鞄を置いてどこかに行っているならいいが、そんな様子はなかった。
『ちょっとね…、頼まれてほしいことがあるの…』
そう言われて、廊下で五十嵐に呼び止められたのは昨日のことだった。
桂木が五十嵐に頼まれたのは、ただ同じクラスで同じ執行部に所属している久保田と時任の様子を見ていてほしいということである。
五十嵐が真剣な顔をしていたから、もっと何か込み入った話かと思っていたのだが、五十嵐は見ていなければならない理由を何も言わなかった。
けれど、あの二人に何かあったのではないかと桂木は確信している。
それは五十嵐に見ていてほしいと言われた日、学校に登校してきたのは久保田だけで時任は休んでいた。久保田は風邪だと言っていたが、あまりにタイミングが良すぎる。
桂木は久保田と時任の席を交互に見つめながら、机に頬杖をついていた。
「ケンカにしては様子がヘンよね…」
もしかしたら、本当に時任は風邪を引いているだけなのかもしれないが、どうしてもいつもと変わらない様子にも関わらず久保田をじっと眺めてしまう。
昨日の久保田は、いつも寝てばかりいるのが信じられないくらい真面目に授業を受けていた。
そのせいで、どの教科の教師もかなり驚いていたようである。
時任のためにノートを取っているには違いないが、その様子になんとなく違和感を覚えた。
「・・・・五十嵐先生に聞くしかないのかもね」
そんな風に桂木が呟いていると、数学教師が教室に入ってきて一時間目の授業が始まる。
そして何事もなく一時間目の授業が終わり、次に二時間目の授業が始まっても、久保田も時任も教室に現れなかった。三時間が始まっても…。
二人が休むという連絡が入っているかどうか担任に聞いてみたが、何も連絡はないという返事だった。久保田が連絡を入れるとは思えないが、どうも胸騒ぎがしてしかたない。
桂木は昼休憩になると、二人に何があったか聞くために五十嵐のいる保健室へと行くことにした。
「失礼しまーす。五十嵐先生、いますか?」
そう声をかけて保健室の中に入ると、五十嵐は難しい顔をして窓の外を眺めていた。
何か考え事をしているようで、まだ桂木が来たことに気づいていない。
桂木は五十嵐のそばまで歩いていくと、その肩をポンッと叩いた。
「わっっ!!」
「先生っ、あたしです」
「ああっ、もうっ、心臓止まるかと思ったじゃないのぉ」
「どうしたんですか?ぼーっと窓の外眺めたりして…」
よほど驚いたのか五十嵐は胸を押さえていたが、桂木の顔を見るとその手を静かに下に下ろした。
桂木がなぜここに来たのかすぐにわかったようで、五十嵐は保健室の丸い椅子を桂木にすすめると自分もディスクの椅子に腰をおろす。
その表情はいつもの五十嵐らしくなく、沈みがちに見えた。
「今日、時任と久保田君…、学校に来てません」
「そうねぇ、今日はお休みするみたいね…」
「先生、何があったか教えてもらえませんか? このまま見張ってるだけで、どうにかなるようなことじゃないなら…」
「アタシにもね、わからないのよ」
「何がわからないんですか?」
「二人のことなら、二人で解決できるって思ってるわ。あの二人ならってね」
「それはあたしだってそうですけど…。でも、何かできることがあるならやりたいって思ってます」
「ふふふっ…」
「なんでソコで笑うんですかっ。あたしはホンキで言ってるんですっ!」
いきなり笑い出した五十嵐に桂木がムッとして怒鳴る。
だが桂木は五十嵐の顔を見た瞬間、怒鳴るのをやめた。
笑っていたのは声だけで、五十嵐自身は少しも笑っていなかったからである。
「先生もあたしと同じこと、思ってるんですね?」
「実はね、あなたがココに来るのを待ってたのよ。来るんじゃないかなぁって思ってたから」
五十嵐も桂木と同じように、二人のことを心配して気にしていた。
だから、桂木に見張るように頼んでいたのだが、二人が学校に来ないのでは見張る意味がない。
桂木は放課後の公務を休んで、五十嵐とともに久保田と時任の住むマンションへと向かった。
初めて見る二人の住むマンションは、桂木が思っていた以上に立派なマンションだった。
このマンションの部屋は久保田の持ち物だと聞いたことがあるが、とても高校生の持つような代物ではない。
何を聞いても久保田は答えないだろうが、きっと色々な事情があるに違いなかった。
「二人でここに住んでるんですよね…」
「ええ、結婚する前から住んでるわ」
思わずそんな風に五十嵐に聞いてしまったのは、桂木は自宅で両親と一緒に住んでいるせいだった。今まで二人で暮らしていると聞いてもあまりなんとも思っていなかったが、実際に二人が住んでいる場所に来てみると少しだけ奇妙な感じがする。それはたぶん桂木にとって久保田と時任が二人きりで暮らしているという事実が、わずかに現実味を欠いているせいなのかもしれなかった。
もし、仮に今好きな人ができたとしても、桂木はその人と二人きりで暮らそうとは思わない。
桂木にとっては、まだそういう話は考えもしない遠い出来事だった。
「えっと、401号室は…、ここだわね」
五十嵐についてマンションの四階に上ると、401というプレートのついた部屋の前に到着した。
ドアの横には『401・久保田』とちゃんと表札が出ている。
桂木は五十嵐にうなづきかけると、その表札の下の方についているインターフォンを鳴らした。
ピンポーン…、ピンポーン…。
室内にインターフォンの音が響いているのが聞こえる。
だが、誰かが出てくるような様子はなかった。
もしかしたら、いないのかもしれないと思ったが、桂木は黙ってしつこくインターフォンを鳴らし続ける。五十嵐もそれを止めたりせずに、じっとドアを見つめていた。
ピンポーン…、ピンポーン…、ピンポーン・・・・・・・。
どれくらい鳴らした頃だったか、数を数えていなかったのでわからない。
だが、桂木と五十嵐があきらめて帰ろうとした時、やっとゆっくりと401号室のドアが開いた。
「く、久保田君…」
「やっぱりいたのね」
ドアを開けて出てきたのは、時任ではなく久保だった。
五十嵐から二人の間に何があったのか簡単に事情は聞いていたが、それでも出てきた久保田を見た瞬間、桂木はらしくなく動揺してしまっていた。
五十嵐は桂木のように動揺はしていなかったが、出てきた久保田を見て眉をひそめている。
401号室から出てきた久保田は、シャツを一枚羽織っただけの格好で出てきたが、そのシャツのボタンは止められていないし、ジーパンも急いで履いたような感じだった。
頬には殴られたような跡と、胸の辺りに引っかき傷。
汗で肌がしっとりと濡れていて、全身から気だるいような雰囲気が漂っている。
誰の目から見ても、さっきまで誰かとベッドでそういう行為をしていたようにしか見えなかった。
「何か用事?」
久保田は平然とした顔で薄く笑みを浮かべながら、そう二人に向かって言う。
その態度も言葉も、あきらかに帰れと言っていた。
だが桂木は帰る素振りなど見せずに、すぅっと息を吸って呼吸を整えると拳を握りしめて気合を入れてから、久保田を正面から睨みつけた。
「用があったから来たに決まってるでしよっ」
「ああ、そう言えば見回り当番、今日は俺らだっけ?」
「それはそうなんだけど…」
「悪いケド、休みにしとしてくれる?」
「理由もなしに休みにはできないわ」
「じゃ、病欠ってことでヨロシク」
「ちょっと待ちなさいよっ、久保田君っ!!」
桂木が何か言う前、久保田が部屋のドアを閉めようとする。
だが、そのドアを五十嵐が足を入れて止めた。
「時任はどこにいるの?」
そう言った五十嵐は、真剣な表情でじっと久保田の目を見ている。
久保田の様子から何かを感じ取ったらしく、五十嵐の表情はさっきよりも険しくなっていた。
けれど、そんな五十嵐を見ても久保田は眉一つ動かさない。
久保田の冷たく暗い瞳にも、何の感情も浮かんでいなかった。
「大変なことになる前に、少しの間アタシに時任を預けなさい。二人とも落ち着いたら、ちゃんと時任をマンションに帰らせるから…」
「・・・・・・・」
「久保田君だって、時任のこと傷つけたいわけじゃないでしょう?」
「今日だけでもいいからそうしたほうがいいわ。久保田君も時任も…、きっと疲れてるのよ」
「時任の傷が治るまででもいいから…」
桂木と五十嵐が、時任を引き渡すように必死に説得しようとする。
中の状況はやはりわからなかったが、これだけ玄関で騒いでいるのに時任が手で来ないのはどう考えてもおかしかった。
静かな室内からも、時任の声は聞こえない。
桂木は五十嵐の横から身体を強引に押し入れると、室内に向かって叫んだ。
「時任っ!! いるなら出てきてっっ!! あたし、桂木よっ!!」
とにかく、時任の顔を見るまでは安心できない。
桂木は時任が出てきてくれることを願って、薄暗い室内に向かって時任を呼ぶ。
だが、桂木の口を久保田の手が塞いだ。
「…ううっ、な、なにすんのよっ!」
「ご近所に迷惑だからやめてくんない? 常識でしょ、そーいうのって」
「だったら、時任をここに連れてきてよっ!」
「なんで?」
「会って話さなきゃならないことがあるからっ」
「じゃあさ、俺が聞いて後で伝えるからここで言ってくれる?」
「時任に直接言いたいの!」
「用事がそれだけなら、帰ってくんない?」
「いやよっ!」
桂木は時任と会うまでは、絶対に帰らないつもりだった。
だから、ダメだと言われても何度も何度も時任に会わせてくれるように久保田に食い下がる。
このままでは埒があかないと思った桂木は、ドアを塞いでいる久保田の身体を押しのけて室内に入ろうと試みたが、しかしそれを以外にも五十嵐が止めたのだった。
「い、五十嵐先生っ!」
「今日はもう帰りましょう…」
「どうしてですかっ!」
「・・・・・・お願いだから、先に下まで降りてて。ちょっと久保田君と二人で話があるから」
そう言われてもこのまま帰る気はしなかったが、五十嵐が止めた理由がわかった瞬間、桂木は恐怖を感じて身体を小さく震わせる。
必死に中に入ろうとして気づいていなかったが、久保田の手には拳が握られていた。
それもただ握られているのではなく、ぎゅっと力が込められている。
まるでこれから誰かを殴ろうとしているかのように…。
思わず久保田の顔を見上げた桂木は、久保田の瞳に殺意に似た感情が浮かんでいるのを感じた。五十嵐が止めなければ、殴られていたに違いなかった。
「あたし…、帰ります」
桂木はそれだけ言い残すと、マンションの廊下を元来た方へと歩き出す。
確かに特別仲が良かったわけでもなんでもなくて、ただ同じ執行部員で同じクラスでしかなかったが、久保田が自分を殴ろうとしたことがショックだった。
それが時任を想うあまりの行動だったとしても、それが哀しく思えてならなかった。
「今は無理でしょうけど…、後でちゃんと桂木さんにあやまってくれるとうれしいわ」
桂木が去った後、401号室に残った五十嵐は寂しそうな笑みを浮かべて久保田にそう言った。
しかし、久保田はそれに軽く返事をしただけで、本当に桂木に悪いことをしたと思っているようには見えない。そんな久保田を見た五十嵐は、深く息をついてドアを押さえている久保田の腕にそっと自分の手を乗せた。
「時任が大切なのはわかるわ…、離れたくないって思ってることも…。けど、近くに居すぎて何か見えなくなることもあると思うの」
「さぁ、俺には良くわかりませんけど?」
「今はそうかもしれない…。でもね、大切な人を傷つけるのはやめなさい。絶対に後悔することになるからそんなことをしてはダメよ、久保田君」
「大切だから傷つけたくなるんですよ、センセ」
信じられない一言を言うと、まだ何か言いたそうにしている五十嵐を無視して久保田は強引にドアを閉ざした。中から鍵をかける音と、ドアチェーンをかける音が聞こえてくる。
五十嵐はその音を聞きながら、中にいる時任のことを考えて表情を曇らせた。
まさか本気で久保田が時任に危害を加えているとは思わないが、やはり時任のことが心配でならない。だが、高校の保健室の先生でしかない五十嵐には、これ以上踏み込むことはできなかった。
「時任を傷つけると、自分も傷ついちゃうのよ…」
五十嵐はそう呟くと、桂木の待つマンション一階へと降りて行った。
久保田が室内に入ったが、中からは物音一つしなかった。
まだ夕方もならない時間なのに、ブラインドがきっちりと降ろされている。
この部屋には本棚が一つとパソコンが置かれたディスクが一つあるだけで、その他にはシングルのベッドが置かれているだけだった。
ベッドには誰かが寝ているようで、毛布がその形に盛り上がっている。
久保田はシャツを羽織ったままの格好でベッドの端に座ると、盛り上がっている毛布をゆっくりと手で引いていった。
「寝たフリしてもムダだよ、時任」
口元に歪んだ笑みを浮かべながら久保田がそう言うと、毛布の中からくぐもった声が聞こえる。
だが、声がくぐもって聞こえたのは毛布のせいばかりではなかった。
中から聞こえてくる時任の声は、なぜか小さくてかすれてしまっている。
久保田が完全に毛布をベッドから引き剥がすと、ぐちゃぐちゃに乱れたシーツの上に時任が横たわっていた。
「そんなカッコじゃ、出たくても出られないよねぇ?」
からかうような口調で久保田がそう言うと、時任は横目で鋭く久保田を睨みつける。
だが久保田が言うように、何度も何度も気絶するまで抱かれた身体は誰にも見せられなかった。
首筋にも鎖骨にも…、胸にも腕にも赤い痕が散っていて…。
しかも、シャワーを浴びていないので全身がベトベトしている上に、その身体の奥には久保田が吐き出したものがまだ中に残っていた。
逃げ出そうとするたびにベッドに押し付けられて、身体を貫かれて…。
やめろと時任が泣き叫んでも久保田はその身体を犯し続ける。
始めは嫌がって暴れていたが、身体も心も疲れ果てて抵抗することができなくなった。
「今からでも、助けてって叫んでみる?」
そう言って口付けてくる久保田の唇を受けながら、時任はもう涙も出なくなってしまった瞳で天井を見上げている。
こうなった事の発端は、久保田に逆らって時任が学校に行こうとしたせいだった。学校に行こうとしたのは、久保田が本気でこの部屋に閉じ込める気だということを、その時まで信じられずにいたからである。
けれど今はこの部屋の中に…、まるで籠の鳥のように本当に閉じ込められてしまっていた。
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