君を想うキモチをココロで語ろう.7




 時折、保健室の前を通りすぎる生徒がいたが、今日はそんなに相談者も怪我人もいないらしく、中に入っていく者はいなかった。
 なぜかいつもより静かに感じる廊下には、今は久保田しか立っていない。
 いつの間にか時間がすぎて放課後も終ってしまい、校内は下校時間になろうとしていた。
 保健室から出た久保田は、時任から離れて落ち着くためにどこかに行こうと思っていたが、結局、ここから離れることができず、まだ保健室の前に留まっている。
 心配しているのが留まっている理由だとしても、時任を傷つけたのは自分だった。
 一番大切なのに、本当になによりも大切だと想っているのに…。
 結局、それを壊してしまおうとしたのは自分自身だった。
 だからその理由を話す気も、言い訳する気もない。
 ただ、時任を痛めつけるように抱いてしまった事実だけが、目の前にあって…。
 それは、逃れようもない事実で…、認めなくてはならないことだった。

 『イヤだっ!はなせっ!!』

 机に押し付けられて、強引に犯されて、時任は嫌がって痛がって泣き叫んでいた。
 だが、涙で濡れた瞳と頬を伝っていく涙を見ていたのに…。
 時任が哀しんでいるのを知っていたのに…。
 それでも自分を止めることができなかった。
 身体を支配していく熱と、冷たくなって何も感じられなくなっていく心。
 自分を制御できなくなったきっかけは橘だったのかもしれないが、時任を犯している内に嫉妬だけではない何かが胸をしめつけていた。
 愛しさだけを感じていたいのに、それだけを感じていたいのに、強すぎる想いが時任を傷つける。
 自分のことを想ってくれているとわかっていても、時任の見つめる先を、触れる誰かを…。
 いつの間にか憎んでしまっている自分がいた。
 「後悔したくないのに…、なんでだろうね?」
 そう呟きながら廊下の窓を開けると、ポケットからセッタを取り出して火をつける。
 そして、セッタを指でつまんで深く煙を吸い込むと、久保田はため息をつくようにその煙を吐き出した。
 口元を歪めて、ゆっくりと苦しそうに…。
 するといつもは感じることのない苦味が、今の想いそのままに口の中に広がっていく。
 その苦味を感じながら、久保田は右手でズキズキと痛み始めた頭を押さえた。
 突然始まった痛みはまるで考えることを拒絶しているかのように、時任を想うたび、時任のことを考えるたびに痛みが増してくる。
 けれど考えずには…、想わずにはいられなかった。
 時任が傷ついて哀しんで、泣いていたから…。

 そうさせてしまったのが自分だったから…。

 一緒にいてくれて…、好きだと言ってくれて…、それで十分だったはずだった。
 なのに抱きしめても、キスしても、その身体を犯しても…、心が凍えていくのを止められなかった。
 誰よりも好きなのに…、愛しいと想っているのに…。
 自分以外の誰かを見つめる瞳を…、触れるその手を…、どうしても許すことができない。
 自分の腕の中にいてくれない時任が…、愛しくて憎くてたまらなかった。

 そしてそれ以上に、時任を傷つけてしまった自分が許せなかった。


 

 
 
 
 痛くて苦しくて…、哀しくて涙が止まらなかった。
 強引に開かされて犯された身体も痛かったが、それ以上に胸の奥が苦しくて痛くてたまらない。
 久保田が無理やり痛めつけるように自分を抱いている事実を、どうしても信じたくなかった。
 その気がないのに強引に抱かれたこともあったが、その時と今の抱き方は全然違う。
 今の久保田の抱き方は、ただ性欲や征服欲を満たそうとしているだけのように感じられた。
 好きだから抱いてくれていると思っていたのに、強く激しく身体を突き上げられる度に嫌いだと言われているような気がする。
 薄れていく意識の中で生理的に声をあげながら、時任はどうしてと心の中で言い続けていた。
 
 「久保ちゃ…、なんで…?」

 心の中で言ったはずの声がすぐ耳元で聞こえた気がして、時任が驚いてパッと目を開く。
 すると視界に飛び込んで来たのは暗い倉庫の天井ではなく、見慣れた白い天井だった。
 まだ倉庫にいると思っていたのに、いつの間にか保健室のベッドの上に寝かされている。
 時任は慌てて上半身を起こすと、辺りを見回して久保田の姿を探そうとした。
 「あっ、つっ…」
 起き上がった瞬間に体中に痛みを感じて、時任がベッドの中に倒れ込む。
 その痛みの原因はやはり硬い机の上に無理やり押し付けられて、たいした準備もなく犯されてしまったせいだった。
 できれば夢だと思いたかったが、その痛みが現実だと知らせてくれている。
 身体の痛みとともに心の痛みがよみがえってきて、時任の瞳に再び涙が溢れそうになった。
 「なんかさ…。すっげぇ、いてぇ…」
 そう言って時任はシーツをぎゅっと握りめて唇を噛みしめると、涙をこらえるように瞳を閉じる。
 すると、ベッドを囲んでいたカーテンの一部が音を立てて開いた。

 「やっと…、起きたみたいね?」

 カーテンから顔をのぞかせたのは、久保田ではなく五十嵐だった。
 一瞬、久保田かと思って目を開いた時任は五十嵐の顔を確認すると、小さくため息をつく。
 すると五十嵐は腰に手を当てて、
 「人の顔見てため息つかないでよねっ」
と、いつもの調子で言って、時任のベッドの脇の丸椅子に座った。
 そんな様子を横目で見ながら、時任は五十嵐がどこまで知っているか様子をうかがっていたが、時任を見る五十嵐の目はいつもと同じで何も変わらない。
 時任はすぅっと息を吸い込むとシーツを握りしめた手を離して、痛みに耐えて身体を起こした。
 「なぁ、久保ちゃんは?」
 「ちょっと前までここにいたけど、今は…」
 「ふーん…、そっか…」
 「起きてて平気なの?」
 「ヘーキに決まってんだろっ」
 目を手で軽くこすりながら時任がそう言うと、五十嵐は少し困ったような顔をする。
 けれど時任は、そんな五十嵐の顔を見ていない。
 久保田がここにいないということを知った時任は、歯を食いしばってベッドから立ち上がろうとした。
 しかし足に力が入らなくて、身体がグラリと揺れて前のめりになりそうになる。
 すると五十嵐が横から腕を出して、時任の身体を支えた。
 「いきなり立つのはムリだから、まだ寝てなさいっ」
 「へーキだっつってんだろっ!」
 「無理やり犯られて平気なはずないでしょうっ」
 「・・・・・・・なんのコトだよ?」
 「言いたくないなら、何も聞かないけどね」
 「言うことなんかねぇよっ」
 五十嵐は久保田との間に何があったのか知っていた。
 それを知るのが久保田と時任しかいない以上、五十嵐に言ったのは久保田ということになる。
 時任は少し五十嵐から視線をそらせると、五十嵐の腕をすり抜けて自力で立ち上がった。
 「…久保田君の所に行く気なの?」
 「行くに決まってんだろっ」
 「もう校内にいないかもしれないわよ?」
 「いるかもしんねぇじゃんっ!」
 そう怒鳴って時任が保健室を出ようとすると、五十嵐はなぜか後ろからぎゅっと時任を抱きしめる。
 すると時任はムッとした顔をして、五十嵐を振り払おうとした。
 「は、離せっ!なにすんだよっ!!」
 「…いつもはクソガキだけど、今日だけはアンタのこと認めてあげるわ」
 「なに気色悪りぃこと言ってんだよっ、クソババァっ!!」
 「く、クソババァですってぇっ! やっぱり前言撤回するわっ、この単細胞アメーバっ!!」
 「誰が単細胞だっ!!」
 少しの間、いつものように言い合いをすると、五十嵐が笑って時任の身体から手を離す。
 すると時任は少々ふらつきながらも、ドアに向かって歩き出した。
 「…時任」
 「なんだよ」
 「頑張んなさいよっ」
 「…サンキュ」
 五十嵐の呼びかけに、時任が振り返らずに小さな声で答える。
 頑張れと言われるまでもなく、久保田とのことをこのままにする気はなかった。
 あんな風に抱かれて哀しくてたまらなかったが、こんな所で一人で泣いていても、久保田の気持ちも想い何もわからない。
 痛い苦しい自分の想いも、久保田に伝わらない。
 久保田が好きだから、誰よりも想っているから…。
 なんでだって言って、思いっきり怒鳴って殴ってやりたかった。
 愛しさも恋しさも、痛みも哀しみも伝えたいのは久保田だけだったからどうしてもそうしたかった。
 たとえ嫌いだと…、だからあんな風に抱いたと言われたとしても…。

 好きだから痛いってことを、苦しいんだってことを伝えたかった。

 時任がドアを開けて保健室を出ると、目の前にセッタを吹かしながら立っている久保田が見えた。
 その姿を見つけた時任は、痛む身体で久保田に向かって歩き出す。
 だが、時任が行くより早く、久保田が時任が保健室から出てきたことに気づいた。
 
 「一緒に帰ろう? 時任」

 時任の方を向いた久保田は、いつもと変わらない表情で一緒に帰ろうと言った。
 いつもと変わらない微笑を浮かべて…。
 だがその微笑を見た瞬間、なぜか時任はゾクッと背中に冷たいものが走るのを感じた。


 
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