君を想うキモチをココロで語ろう.6
廊下を走る生徒達の足音が、室内までパタパタと聞こえてくる。
その音を聞きながら、五十嵐は時任を抱き抱えて立っている久保田を見ていた。
時任は具合がかなり悪いらしく、久保田の腕の中で真っ青な顔をしてぐったりとしている。
けれど、なぜか時任の頬には涙の跡があった。
具合が悪くて苦しくて泣くなんてことは、時任に限ってはありえないことを五十嵐は知っている。
時任はそれくらいでは意地でも泣いたりしない。
けれど、時任のまつ毛は涙で濡れていた。
「一体、何が…」
五十嵐は心配そうに時任を見た後、事情を久保田に尋ねようとしたが、その言葉は久保田の顔を見た瞬間小さくなって途切れて消える。
久保田の顔色は時任と同じかそれ以上に悪かった。
けれど、それよりも五十嵐が驚いたのは、暗く空ろな久保田の瞳を見てしまったからである。
その瞳は冷たく凍てついていたが、どこか哀しみを含んでいるようにも見えた。
五十嵐は久保田のことを好きだったが、自分が久保田の感情を動かすことができないことを知っている。それを残念だと思ってはいたが、時任を見て微笑んでいる久保田を見るのが好きだった。
一生かかっても自分にできないことをしている時任をうらやましく思うこともあるが、それ以上に久保田がこんな風に微笑むことができて良かったと思っていたのである。
けれどその逆に、今、こんなに冷たい哀しい瞳をさせているのも時任に違いなかった。
「…時任を寝かせたいんで、ベッド貸してもらえます?」
「えっ、ええ、もちろんいいわよ」
そう答えながらベッドに時任を寝かしつけている久保田を見て、五十嵐は時任にかなり悪い何かがあったのだと思った。
それは、こんなに暗く沈んだ久保田を未だかつて見たことがなかったからである。
五十嵐は何かに耐えるようにぎゅっと拳を握りしめると、保健室の先生らしく姿勢を正した。
「とにかく…、何があったのか状況を話してくれないかしら?」
「・・・・・・・」
「言えないことなの?」
「そういうワケじゃないですけど…」
眠っている時任とそれを見つめる久保田の間に、なぜか緊張の糸がピンと張り詰めているような気がする。だが、そのことを奇妙に思いながらも、五十嵐は容態を見るために時任に近づいた。
「・・・・・まさか」
時任に近づいた瞬間、五十嵐がそう呟いたのは、眠っている時任の襟元を見てしまったせいだった。時任の首筋から鎖骨にかけて、無数に赤い痕が散っている。
それはどう見ても、そういう行為をした時につけられた痕にしか見えなかった。
殴られたような跡は見えなかったが、強姦という文字が五十嵐の頭の中に浮かぶ。
普通の男女共学の学校はどうか知らないが、荒磯では男が強姦されるのは珍しいことではない。共学になって少しは減ったが、それでも年に何件かはそういう事件があった。
そのため五十嵐は、久保田と時任の様子を見てそう思ってしまったのである。
「今からアタシが、時任を病院に連れて行くわ。気が進まないかもしけないけれど、…何か病気に感染したりしてたらいけないから」
「…その必要ないと思いますけど?」
「気持ちはわかるけど、診てもらったほうがいいわ」
「もしそうなら、俺も診てもらった方がいいってコト?」
「あらっ、どうしてそうなるの?」
久保田の言ったことが理解できずに、五十嵐が軽く首をかしげる。
すると久保田は、自嘲的な笑みを浮かべて毛布から出ていてる時任の手を握った。
「もしかして、時任が強姦とかされちゃったって思ってます?」
「あらやだっ、てっきりそうかと思ったけど、もしかして本当に具合が悪いだけなの?」
五十嵐は久保田の言葉を理解して、いつものように明るい調子でそう言う。
時任と一緒に久保田も病院で診てもらう理由といえば、時任に痕をつけたのが久保田だったからに他ならない。
それに気づいた五十嵐は、強姦が間違いだったことにホッとして撫で下ろした。
けれどそんな五十嵐の視線の先で、久保田が首を横に振る。
久保田は時任の手を握りしめたまま、反対側の手で時任の頬にある涙の跡を指でなぞっていた。
「強姦されるのって、どんなカンジすると思います?」
「どんなって…、そんなこと聞くなんてらしくないじゃない? 一体、何があったの?」
「何がって、センセイの予想通りですけど?」
「じゃあ一体…、誰が時任に強姦なんて…」
そう五十嵐が聞いているのに、久保田はそれには答えず黙って愛しそうに時任の頬に指をすべらせている。しかし、久保田の瞳は未だ冷たく凍てついていた。
まるで周囲の空気まで凍てついてくるような気がして、五十嵐は思わずわずかに身体を震わせる。だが、時任の頬をすべる指が顎の辺りまで到達すると、久保田はすぅっと目を細めて重い口を静かに開いた。
「時任をゴウカンしたのは、俺です」
「えっ?」
「嫌がってる時任を無理やり机に押し倒して、気を失っても犯し続けてたのは俺ですから…」
「こんな時に冗談言わないでほしいわねっ」
「冗談…、ならいいんですけどね」
「・・・・・久保田君?」
冗談だと思いたかったが、ぐったりと青い顔をして身動きせずに眠っている時任を見るとそれを否定できない。そんなことあり得ないと心の中で呟きながらも、うっすらと哀しみを浮かべている久保田を見ているとますます否定できなくなった。
時任の手を握る仕草も、頬に触れる手も、あまりにも優しすぎて見ていると切なく苦しくなってくる。久保田はまるで壊れ物を扱うかのように、さっきから時任に触れていた。
そんな久保田を見た五十嵐はゆっくりと細く息を吐いた後、軽く頭を振ってこめかみを抑える。
そうしないと、久保田を包んでいる哀しみに飲まれてしまいそうだった。
「…信じたくないけど、本当なのね?」
「恋人でも夫婦でも強姦ってあるでしょ?センセ」
「なぜ?どうしてそんなことを…」
「…時任を頼みます」
「く、久保田君っ、ちよっと待ちなさいっ!」
久保田は時任の手を両手で包み込むと、それを自分の口元に引き寄せてキスを落す。
頬でも唇でもなく手の甲に落とされたキスには、苦しみと痛みが宿っていた。
五十嵐は保健室を出て行こうとしている久保田を止めたが、その声を無視してがドアを開けられる。一度だけ時任の方に短く視線を投げたが、やはり立ち止まらずに久保田は保健室を出て行ってしまった。
眠っている時任を置いて…。
こんな予期せぬ事態に直面して、五十嵐は考え込むように床を見つめていたが、しばらくすると眠っている時任に歩み寄る。
そしてさっきまで久保田の触れていた頬に触れた。
「無理やりやられちゃって、痛くてつらかったわよね…。でも、久保田君も痛くてつらいって…、わかってあげられるわよね、アンタなら…」
五十嵐の言葉は眠っている時任の耳には届かない。
保健室から遠ざかっていく久保田の足音を聞きながら、五十嵐はゆっくりと時任の頭を撫でていた。
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