君を想うキモチをココロで語ろう.4
目の前に…、すぐ手の届く場所にいるのに触らないし触れない。
時任が言い出した学校での決まりを在学中ずっと続けるかどうかはわからないが、今の所は続ける予定になっていた。
久保田も一度約束した以上、それを破るつもりは今のところない。
せめてもう少し外野が静かになるまではと思っていたが、それもやはりわからないことだった。
「…触らないのはいいけど、なんだかねぇ」
触らないと約束してから二日目の放課後、生徒会室でそう呟きながらセッタを吹かしている久保田は、室田や相浦達とじゃれ合って遊んでいる時任を眺めている。
今日の時任は朝から機嫌がよかったので、本当に無邪気な顔をして笑っていた。
だが、そんな時任を見る久保田の瞳はどことなく暗さを含んでいる。
さっきから、相浦の右手が時任の肩に乗せられていたし、その前は室谷に頭を撫でられていた。
それは仲間として、友達としてのただのスキンシップに違いなかったが、今はそれさえ禁止されている身の上であるため、久保田はいつも以上に時任に触れる誰かの手が気になってしまっている。
時任は久保田と一緒に暮らしているし、結婚までしているのだが、やはりだからといって安心できるというわけでなかった。
それは、結婚していても別々の人間だということに変わりがないせいかもしれない。
自分がつまらない嫉妬をしていると自覚していながら、それをどうすることもできず、久保田はこうやって時任を眺めていることしかできなかった。
「なに怖い顔してんのよ」
久保田がじっと時任の肩に乗せられた手を眺めていると、桂木がため息混じりにそう言う。
すると、久保田は目を細めて薄く笑った。
「今の俺って相方どころか友達以下かなぁって、そんな気してきたんだけど?」
「なにバカなこと言ってんのよ。あんたたち夫婦でしょ?」
「ウチではね」
「…二日で限界?」
「さぁ、どうだろうね?」
時任の触るな発言になんとなく不安を感じていた桂木だったが、今の久保田の様子を見るとますます不安になってきた。
一見、時任の方が嫉妬深いように見えるのだが、実は久保田の方が嫉妬深いかったりする。
その久保田が暗い瞳で時任を見ているということは、顔には出ていないが見た目以上に色々と何か思っているに違いなかった。
「どうするつもりなの?」
相変わらず時任を眺めている久保田に桂木がそう尋ねたが、久保田は何も答えない。
桂木はため息をつくと、今月の活動費を集計するべく伝票に目を通し始めた。
これ以上突っ込んで話を聞くことは、さすがの桂木にもできなかったからである。
夫婦の問題に口を出すことはできないと思ったからなのだが、二人が夫婦ではなく、以前の相方の状態であってもそれは同じだった。
結局の所、二人の問題は二人で解決するしかないのである。
「前途多難ね」
電卓を打ちながら桂木がそう言ったのを、久保田が聞いていたかどうかは不明だった。
いつものように騒がしい執行部だったが、久保田の周囲の空気だけが少し違っている。
そのことに気づいていたのは、執行部内では桂木一人しかいない。
一番気づかなくてはならないはずの時任は、まだ全然気づいていなかった。
これはかなり問題である。
「なに見てるんですかぁ〜、久保田せんぱ〜い」
いつものように生徒会室にやってきた藤原が、久保田のそばに近づこうとする。
久保田は抱きつこうとしている藤原を避けず、やはりセッタを吹かしていた。
「久保ちゃんにさわんな、ブサイクっ!!」
「なにすんですかっ!」
「俺のモンにさわるてめぇが悪い!」
「ちょっとぐらいいいじゃないですかっ」
「てめぇがさわると減る!」
「久保田せんぱーい、時任先輩がひどいコトいうんですぅ〜」
藤原が来ると反射的に時任が反応して、久保田に抱きつこうとしている藤原を蹴りつける。
ヤキモチを焼いてくれているのはうれしいが、これもなんとなく習慣めいて見えないことも無い。
ようするに、条件反射というヤツである。
実際、藤原と言い合っている時任はどことなく楽しそうだった。
執行部は任務が任務なだけに、部内がまとまっていなければ公務をこなすのは難しい。
それ故、相方がいても他の部員とのコミュニケーションもやはり必要だった。
執行部に所属している上で皆と仲が良いのはいいことなのだが、久保田はそれを素直に喜べないでいる。くだらない嫉妬だと気づいていながら、やはりそれを止めることはできなかった。
時任に触ることも触れることもできなくなった、今だからこそ尚更に…。
「…愛情不足で死にそう」
時任と藤原が怒鳴りあっているのを見ながら、久保田はそう言った。
好きだから愛しいから、触りたくて、キスしたくなる。
けれどそれが時任にとって負担でしかないのなら、どんなに抱きしめても意味がない。
久保田は時任に触らないと約束したのだが、それは思っていたよりも心を重く冷たくする。
時任が自分を好きでいてくれていることも、一緒にいたいと思ってくれていることも知っていた。
学校では相方でいたいと言った時任が、自分との関係を否定したいわけじゃないことも。
だがどうしても、時々、時任に触れることの出来ない自分の手を眺めてしまっていた。
「巡回に行こうぜ、久保ちゃんっ」
「ほーい」
時任が笑ってるから、笑っているしかない。
時任が平気な顔してるから、平気な顔していつもみたいに返事をする。
それが時任の望んだことだったから、そうしていたかった。
けれど何かが、何かの歯車が微妙に狂い始めていた。
今日の晩御飯もやはりカレーだった。
結婚後も家事全般を主にこなしているのは、久保田の方である。
だが、食器の片付けなど簡単なことは、時任も時々することもあった。
今日はカレーを食べ終わった後、久保田とジャンケンして負けたので、時任が食器の後片付けをしている。カチャカチャと音を立てながら食器を洗っていると、時任の背後から腕が伸びてきた。
「じゃますんな、皿がわれたらどうすんだよっ」
「買いに行くからいいよ」
「そういう問題じゃねぇだろ」
「俺には、そういう問題」
「あっそ」
「時任クンが冷たい」
「だぁぁっ、ヘンなトコに手ぇ入れんなっ!!」
食器を洗っている最中に背中に懐かれて、時任が泡まみれのスポンジを持ったままで怒鳴る。
だが久保田は時任から離れずに、じっと背中から時任を抱きしめていた。
時任は始め嫌がって怒鳴っていたのだが、ぎゅっと抱きしめてくる久保田の腕がいつもと少し違う気がして一瞬皿を洗う手を止める。
時任を抱きしめている久保田の腕は、いつもよりもっと、ずっと優しかった。
「…久保ちゃん」
「ん〜?」
「何かあったのか?」
「どして?」
「なんとなく…、そんな気ぃしたから」
「何もないよ」
「ホントに?」
「ホント」
いつもと微妙に違う気がしたが、それがなんなのか時任にはわからない。
わからないほど微妙な違和感は、少しだけざわざわと時任の心を不安にさせた。
時任は泡まみれのままの手を久保田の腕に乗せると、少しだけ後ろに体重をあずける。
久保田の胸に背中をあずけた時任は、すぅっと細く息を吐いた。
あと残っている皿はたった一枚。
けれどその皿を洗うことは、今日はできそうになかった。
「これ、明日洗っていい?」
「俺があとで洗っとくから…」
囁くように呟くようにそう言うと、久保田は泡まみれの時任の手を自分の手で包んで水道の水で手洗う。 時任はおとなしく手を洗われながらシンクに残った、たった一枚の皿を眺めていた。
今の時任にも、久保田にも、なぜかこの一枚を洗う余裕すらない。
「なんでだろ…」
そう時任が小さな声で言うと、久保田はタオルで手を拭いた後、時任の頭を自分の方に引き寄せて髪にキスを落とす。
そのキスがちょっと痛い気がして、時任はゆっくりと目を閉じてから久保田の唇に自分の唇をそっと静かに重ねた。
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