君を想うキモチをココロで語ろう.3




 公務が終わっても、時任はやはりどことなく元気がなかった。
 時々、時任が何かを考え込むような表情をしているのを久保田は見ていたが、何も言わずにそれを見守っているだけである。
 家に帰った二人は、いつものように一緒に玄関のドアを開けた。
 「ただいまー」
 「ただいま」
 現在、マンションの部屋には誰もいないが、二人とも玄関でただいまを言う習慣になっている。別にそうしようと決めた訳ではなかったが、自然にそうなってしまっていた。
 帰ったらまず制服を脱いで着替えをして、それから帰りに買った食糧を冷蔵庫に詰めると、久保田はなぜか制服を着たままでいる時任のを見て小さく息を吐く。
 時任はやはりまだ大塚達の言葉を気にしているように見えた。
 「時任。考えごとするなら、着替えてからにしなさいね」
 「・・・・うん」
 久保田の言葉に従って制服を着替えているがどこか上の空で、その視線はまるで何もうつしていないように見える。
 久保田はそんな時任の後ろに立つと、背後から時任の身体を抱くように腕を伸ばす。
 そして、まだはずす途中になっている制服のボタンに手をかけた。
 「な、なにすんだよっ」
 「着替えるの、手伝ってあげようかと思って」
 「いい、自分でやるっ」
 「自分でしたら、日が暮れちゃうでしょ?」
 「そんな時間かかるわきゃねぇだろっ」
 「ホントに?」
 自分で着替えると言いつつも、時任は久保田のするままに任せている。
 いつもなら、嫌がってかなり暴れるはずだったが、今日はそういう気分ではないらしかった。
 久保田は時任を着替えさせようとしていたが、シャツのボタンを外す途中でなぜかその手を止める。そして、時任の身体をゆっくりと抱きしめた。
 「…なに?」
 時任が抱きしめてくる久保田の腕の優しさに首をかしげて小さく声を上げる。
 すると久保田は、時任の肩に目を閉じて額をくっつけた。
 「やっぱお前が元気ないと、俺もダメだわ」
 「久保ちゃん?」
 「ゴメンね、時任」
 「なんであやまんの?」
 「さあ、わかんないケド?」
 「わかんねぇのにあやまんなっ、バカ」
 「うん」
 時任は背中から自分にぎゅっとくっついている久保田の頭を、軽くポンポンと叩く。
 沈み込んでいた時任のキモチが、どうやら久保田に伝染したようだった。
 時任がじっと沈み込んでいた理由は大塚達の中傷が原因ではあったのだが、それで傷ついたからと言うのではなく、実はもっと別なことを考えていたのである。
 結婚したことはもちろん後悔していないし、久保田から離れたいとも思ってはいない。
 あの程度のことで揺らぐような気持ちではないからである。
 だが、校内で夫婦だということを言って歩くような行動は、やはりつつしんだ方がいいかもしれないと考えていた。
 風紀が乱れるなどとは思っていないが、やはり自重は必要だろう。
 学校では夫婦ではなく、相方でいるべきだと時任は考えていた。
 時任はすうっと息を吸い込んで、ネックレスにして首にかけられている結婚指輪を右手でぎゅっと握った後、
 「家ではいいけど…。学校にいる時は俺にさわんないって約束してくんない?」
と、久保田に向かって言ったのだった。






 午前中の授業の合間の休けい時間、桂木はじーっと目の前の光景を観察していた。
 それはたぶん、別にいつもと変わらない光景ではあるのだが、どうしてだか何かが違う気がしてならない。
 桂木は自分の机に頬杖をつくと、小さく唸った。
 「なーんかヘンなのよねぇ…」
 そうは言うものの、やはり何が違うのかわからない。
 桂木がさっきからずっと観察している二人、時任と久保田は本当にいつもと少しも変わることなく、仲良さ良さそうに話をしていた。
 いつも一緒にいるのは結婚前も結婚後も変わらないが、やはりどことなく久保田の時任を見る視線が前よりも優しくなった気がするし、時任も久保田を見つめる視線がなんとなく甘えているように見える。
 「見てるだけで、胸焼け起こしそう」
 そう呟いた桂木は、ため息を付きながら右手で軽く顔をパタパタ仰いだ。
 昨日より二人を見に来ている生徒は減っているものの、やはりまったくゼロというわけではない。だが、わざわざイチャついている二人を見に来るなど、物好き以外の何者でもなかった。
 その物好きの大半は女子生徒だったが、その中にはやはり男子生徒も混じっている。
 男子生徒のほとんどは冷やかしに来ているだけだった。
 だが、久保田の鋭い視線が時々男子生徒達を威嚇しているので、その大半が見ているだけに留まっている。
 桂木はガキ臭い思考の男子生徒達を、やはり久保田と同じように時々睨んでいたが、そのキツイ視線の威力はやはり久保田には及ばなかった。
 「ほんっと、ああいう男とは結婚したくないわね」
 男子生徒についてそう感想を漏らした桂木が再び二人のほうに視線を戻すと、久保田の手が時任の肩に触れようとしていた。
 久保田の時任に対するスキンシップの多さは桂木も知っているが、そう言えばどことなくいつもより微妙に二人の距離が開いている気がする。不審に思った桂木が首をかしげていると、その桂木の目の前で、時任が自分に触れようとした久保田の手をすうっと避けた。
 「久保ちゃん、約束っ」
 「わかってるけど、ついね」
 二人の短いやりとりを聞いた桂木は、その瞬間、自分が感じていた違和感がなんだったのかはっきりとわかった。桂木が感じていた違和感は、二人の間に開いている微妙な空間と時任に触れようとしない久保田から発生していたのである。
 いつもと変わらないように見えるが、なぜか今日の二人の間に距離があった。
 「…何があったのかしら?」
 そう言って首をかしげる桂木の前で、休けい時間の間中、時任と久保田の距離は縮まらないままだった。






 「一体、どういうことなのよ?」
 放課後になると、桂木はさっそく久保田を捕まえて事情を尋ねた。
 二人のことに首を突っ込むべきではないと思ったが、やはり気になるものは仕方がない。
 真剣な表情で聞いてくる桂木を見た久保田は、教室の前の廊下でセッタを吹かしながら、ゆっくりと桂木の方を向いた。
 「どういうことって、何が?」
 久保田は本当に桂木が何を聞いてきたのかわからないらしく、ぼんやりとした表情でそう言う。すると桂木は少しイライラした様子で腕組みをした。
 「約束って何? 時任とケンカしたようには見えないけど」
 「もしかして、あの会話聞いてた?」
 「自分の席に座ってたら、聞こえてきたのよ」
 「なるほどねぇ」
 「き、聞き耳立ててたワケじゃないわ」
 「まあ、別にいいけどね。聞かれても困ることじゃないし」
 桂木に時任との会話を聞かれたことをなんとも思っていないらしく、久保田はそう言うと再び桂木から外に視線を移す。桂木は小さくため息をつくと、久保田は思い出したように桂木の質問に答えるべく口を開いた。
 「昨日、時任と約束させられたんだよねぇ。学校にいる時は時任にさわらないって、半ば強制的にね」
 「さわらないって、どうして?」
 「学校では夫婦じゃなくて相方でいたいって言われたんだよねぇ、時任に」
 「・・・・・でも、全然さわらないってのはやりすぎなんじゃない?」
 「だぁねぇ。けど、時任がそうしたいって言うんだから、しょうがないっしょ?」
 「しょうがないって…、久保田君はそれでいいの?」
 「良くはないけど、約束やぶったら家でも触らせないって言われたし」
 「…苦労するわねぇ、新婚早々」
 「ウチは何事も奥サン中心に回ってるから」
 「予想はしてたけど、やっぱり尻にしかれてるのね」
 「惚れた弱みってヤツ?」
 「・・・・・・・もう何も言うことないわ」
 「そう?」
 二人のことを心配して桂木は久保田に声をかけたのだが、結果はただ惚気られただけである。桂木は周囲の状況がどうであれ、これなら大丈夫だと思ったのだが、やはりまったく触らないという約束に少し引っかかりを感じていた。
 時任のそう言っていたとしても、久保田ならなんとか言いくるめられる気がしないでもなかったが、そうしなかったのはやはり現在の状況が多少影響しているのだろう。
 時任は外野を気にしてはいなかったが、やはり少しでも時任の気分を軽くしたいという気持ちが久保田にはあったのかもしれなかった。
 「何事も起こらないといいけど…」
 桂木の小さな呟きは、久保田の耳にも誰の耳にも届いてはいなかった。



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