籠の鳥.47
「おいっ、別荘内に人はいたか?!」
「い、いえっ、誰もいませんっ!!」
「・・・・やはり、森の中へ逃げ込んだか」
「どうしますか?」
「捜索するにしても、この雪で深追いは危険だな…。それで、アキラ様の容態は?」
「病院に向った者からの連絡では、未だ意識は戻っていないそうです」
「そうか…」
「まさかアキラ様は…っ」
「何も考えるな、今は我々のするべき事だけを考えろっ」
「し、しかしっ!」
「今から、周辺を四班に分かれて捜索する。だが、タイムリミットは二時間だ」
「捜索が、たったの二時間…?」
「どのみち見つからなくとも、この寒さでは助からないだろうからな」
警備員達を指揮している男は、そう言うと目の前にある雪の上を見つめる。するとそこには負った傷の深さと出血の酷さを物語るかのように、鮮やかな赤い染みができていた…。
それが久保田のものなのか、それとも時任のものなのかはわからなかったが、拳銃で撃たれ深手を負った状態で夜の寒さに耐え切れるとは思えない。激しく雪の降り始めた森の中では、怪我を負っていなくとも凍死してしまう可能性があった。
二人の足跡を消そうとしているかのように雪は降り積もっていくけれど、その雪が体力と体温を奪っていく…。そしてそれは時任や久保田だけではなく、二人を捜索するために森に入ろうとしている警備員達も同じ事だった。
下手をすれば捜索しているつもりが、遭難ということにもなりかねない。男が警備員達に二時間で引き上げるように指示したのは二人が助からないと考えていたせいだったが、二次遭難を防ぐためでもあった…。
「この雪がすべてを隠してくれる…、まるで何事もなかったかのように…」
男は少し屈み込んで赤く染まった雪を握りしめると、そう言いながら手で捜索に向うように合図する。すると、警備員達は指示通り四班に分かれて森に入っていった。
その様子を別荘の前で見送ってから、男は残った数人を連れてアキラに命じられていた周辺の警備に戻り始める。だが県道から別荘へと続く道を眺めても、未だ久保田の他に侵入者が現われる気配はなかった。
アキラが別荘ではなく周辺を警備させていたのは、ゲームの決着に外部の者が侵入するのを防ぐためだったのか、それとも何者かが自分の命を狙って来る可能性を考えていたのかどうかはわからない…。だが、それは意識を失っているアキラが目覚めたとしても、わかる事はないのかもしれなかった…。
白く降り積もっていく雪が何もかもを消し去ろうとしているかのように…、ただ音もなく静かに降り積もり、二人がいた場所に残された赤い痕跡もその中に埋もれていく…。だが、森の中へと続いていく足跡は、雪に掻き消されながらも途絶えることなく…、
・・・・・前へと続いていた。
雪の上へと残されいてく足跡は、二人いるはずのなのに一人分しかない…。でも、それは一人でここまで来たからではなく、時任が二人分の重さを背負って白く冷たい雪を踏みしめながら歩いていたせいだった…。
久保田を背負って歩き始めた時任の上に降る雪は、静かに冷たく積もっていく…。けれど、時任は肩に積もった雪も払わずに、ただ前だけを見つめて白く続いていく景色の中を歩き続けていた…。
背後からは別荘に到着した警備員達の声が聞こえていたが、その様子を振り返って見ている余裕はない。電話線が切られて救急車も警察も呼べない以上、自力で歩いて歩き続けて警備員達に見つかる前に…、背中のぬくもりが消えない内に病院にたどりつかなくてはならなかった。
けれど、鳥籠に閉じ込められWAを射たれ続けてきた時任の身体には真田に捕らえられる前から、後遺症のために雪の中を長時間歩き続けられるほどの体力はない。鳥籠から出る事が出来ても時任の身体には、WAの痕跡が後遺症となって残っていた。
歩くたびに息が苦しくなって、背中に背負っている久保田が重くなって…、雪を踏みしめていく足が止まりそうになる。でもどんなに息が苦しくても背中が重くて雪の中に膝を付きそうになっても…、時任は歯を食いしばりながら必死に前へと歩き続けていた…。
「必ず…、絶対に病院に連れてってやっから…。だから、頼むからもうちょっとだけ頑張れ…、久保ちゃん…」
背中にいる久保田に向ってそう言いながら歩いていく先には道もなくて、どこに向っているのかさえわからない。次第に激しくなり始めた雪は、足元だけではなく前へと進もうとしている時任の視界さえも白く染め始めていた…。
前にも後ろにも道はなくて、雲に隠れた月も足元を照らしてはくれない…。
けれど、それでも今は立ち止まるわけにはいかない…。
たとえ目の前に道がなくても…、どんなに絶望的だったとしても…、
何もかもあきらめて冷たく白い雪の中で泣き叫ぶよりも、わずかでも可能性が残されてるのなら歯を食いしばって歩き続けたかった…。
降り積もる雪にどんなに掻き消されても、今を踏みしめて新しい足跡を残しながら…、
どこまでもどこまでも二人で・・・・・。
けれど、二人でどこまでも行けるって思っていたのに…、病院までたどりつけると思っていたのに…、そんな想いを願いを打ち砕くように激しく降り出した雪が時任の体力と背中のぬくもりを奪っていく…。いくら歯を食いしばっても足元がふらついて、前へ前へと進みたいのに足が上手く動いてはくれなかった…。
ここは…、今歩いている場所は籠の中じゃないのに…、
やっと籠から出て自分の意志で自分の足で歩き始めたのに…、白く冷たい雪に阻まれて前に進む事が出来ない…。寒さで感覚を失った足はまるで何かにつまづいたかのようにもつれ、時任は久保田を背負ったまま白い雪の上に転がった…。
「・・・・っ!!!」
転がった拍子に時任だけではなく、久保田も雪の上に投げ出される。すると突然、背中からぬくもりがなくなった事に驚いた時任は、すぐに上半身だけを起こして久保田のそばに這い寄った…。
すると、久保田は背中から投げ出されたのに瞳を閉じたまま目を覚ましていない。そんな久保田を哀しそうな瞳で見つめた時任は、ごめんとあやまりながら優しく髪や頬についた雪を払った…。
すると冷たい指先で触れた久保田の頬はもっと冷たくなってしまっていて…、その冷たさが雪よりも冷たく胸に染みていく…。けれど、時任はどこまでも続く白い雪を睨みつけると、麻痺した足にぐっと力を入れて再び歩き出すために立ち上がろうとした…。
でも、どんなに力を入れても氷のように冷たくなってしまった足は上手く動いてはくれなくて…、立ち上がりかけてはまた転んでしまう。寒さと疲労で限界を超えてしまった時任の足は、久保田を背負って歩くどころか一人で歩く事さえもできなくなってしまっていた。
「動けっ、ちゃんと動けよっ!俺の足なのになんで…、なんで肝心な時に限って動いてくれねぇんだよ…っっ!!」
何度も手で叩きながら、動け動けと言っても足は動かない。
何度、歯を食いしばって立ち上がろうとしても立ち上がれない。そしてその間も、白い雪が時任の肩に久保田の身体に冷たく降り積もり続けていた…。
まだ、何もあきらめていない…。
まだ何も終ってなんかいないはずなのに、積もっていく雪を見ているとその白さが目に痛くて痛すぎて…、泣きたくもないのに視界がぼやけてくる。他には何もいらないのに…、何も欲しいものなんてないのに…、空から舞い落ちる雪はわずかに残されたぬくもりさえも時任から奪い去ろうとしていた…。
時任は立ち上がるのをやめて久保田の身体から雪を払うと、両手を伸ばして冷たい頬を包み込む。すると、時任の瞳から零れ落ちた涙が久保田の頬を優しく濡らした…。
「最初に会った時…、一緒に来いって言ったじゃん…。なのに、なんで置いて逝こうとすんだよ…。籠から出たって久保ちゃんがいなきゃ…、俺は…」
好きだって言って好きだって答えて抱きしめ合ったのも、ついさっきの事でほんのわずかの間でしかなかったけれど…、
これからずっとずっと一緒にいるから…、これからもっともっとたくさん好きだって言って抱きしめ合ってキスして…、今まで哀しくて切なくて痛みで胸がいっぱいになった分だけ、二人で笑い合えるんだって信じてた…。
けれど、白く冷たい世界が二人の間を切り裂いていく…。
一緒にいたいと願えば願うほど、その願いはなぜか空へと届かない…。雪が哀しみのように降り積もっていくだけで、流した涙は冷たい雪の上に流れ落ちていくだけだった。
でも…、それでもあきらめずに時任は冷たい頬から手を離すと、息を吹きかけながらその手で久保田の手を強く握りしめる。そして紫色になってしまっている唇に、自分の唇を寄せて優しくキスをした…。
「好きになんてなってくれなくていい…、俺のコトなんて忘れちまってもいいから…。だから…、俺をおいて逝くな…っっ」
本当は、絶対に忘れて欲しくない…。
何度も何度も…、抱きしめて好きだって言って欲しい…。
だから、WAを雪の上に投げ捨てたはずなのに…、握り返してこない手を握りしめているとそう叫ばずにはいられなかった…。
白く冷たく凍り付いていく世界に向って叫んだ言葉の最後は…、涙にかすれてしまっていて声にならない。久保田の手に触れても唇に口付けても…、伝わってくるのは凍りつくような冷たさだけだった…。
胸が痛くて苦しくて声を上げて泣く事すらではなくて、時任は腕を伸ばしてしがみつくように冷たい久保田の身体を抱きしめる。そして、冷たい雪の上で眠るように久保田の隣に身を横たえた…。
そうしていると、自分の体温が久保田へと流れ込んで少し身体が温かくなるような気がして…、時任は冷たい身体を包み込むように抱きしめながら目を閉じる。けれど、そんな二人の上に冷たく雪が降り積もり始めた…。
白く降り積もっていく雪は二人の足跡だけではなく、すべてを覆い尽くしていく。しかし、時任の髪が白く染まりかけた時…、その雪を横からゆっくりと延びてきた手が払いのけた。
「くぼ…、ちゃん…?」
髪に触れた手に気付いた時任は、閉じていた目を開いて久保田の方を見る。すると、意識を失っていたはずの久保田も、うっすらと目を開いて時任の方を見ていた…。
白い雪のベッドの上で見つめ合った二人は微笑み合うと、どちらからともなく唇を寄せる。けれど、そのキスは今までしたどんなキスよりも優しくて切なくて…、うれしいはずなのに涙が止まらなくて…、
時任は長いようで短いキスを終えると、その涙を誤魔化すように久保田の胸に頬を寄せて顔を隠した…。
「今はちょっと疲れてて歩けねぇけど…。少しだけ休んだら、またたくさん歩くからさ…。だから一緒に帰ろう…、久保ちゃん…」
時任がそう言うと久保田は優しく微笑みながら、時任の髪をそっと愛しそうに撫でる。そうしながら唇は時任を呼んでいたが、久保田は目が見えないだけではなく声を出す事もできなくなっていた…。
けれど、隣にあるぬくもりが時任の存在を教えてくれている。目が見えなくても時任が微笑んでくれていることがそのぬくもりから伝わってきて、微笑み返してキスを交わした。
唯一、動かす事のできる右手で時任の頭を撫でて、暖かい身体を抱きしめて…、
そうしていると、雪の冷たさも傷の痛みも何も感じない…。二人だけしかいない何もない世界で…、暖かなぬくもりと愛しさだけが腕の中にあった…。
「・・・・・おやすみ」
時任がそう言って微笑みを浮かべながら目を閉じると、久保田は見えない目を開けて空を見上げる。すると、見えないはずの目に白い羽根のように静かに優しく、二人の上に降って来る真っ白い雪が見えた…。
久保田から流れ出した血は久保田だけではなく時任の身体を赤く濡らして…、その赤が絆のように二人を繋いでいる。けれど、それは縛り付けるための鎖でも閉じ込めるための籠でもなく…、お互いを求め合って恋し合う心が二人を繋いでいた。
久保田は眩しそうに空を見つめながら穏やかに笑むと、時任のぬくもりを感じながら細く長く息を吐いて目を閉じる…。
ここには何もないけれど、ここにずっと探し続けていたものが…、
・・・・すべてがあった。
身を寄せ合った二人を包み込むように白い雪が音もなく降り積もり…、辺りにはゆっくりと静寂だけが満ちていく…。二人きりの世界に穏やかに静寂が満ちていく様子はまるで…、満ち足りた表情で時任を抱きしめながら眠る久保田の心のようで…、
二人の上に舞い落ちる雪は冷たいはずなのに、なぜか胸の奥まで染みてゆくほど…、
・・・・・・暖かくて優しかった。
『好きだよ…、時任…』
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