籠の鳥.43
「ミノルを欲望のままに抱いて犯して、代金として支払った紙切れ分は楽しんだはずだが、あれではまだ足りなかったかね?」
そう言いながら白い雪の中に立つ久保田を、窓からアキラが見下ろす。けれど、その視線にも言葉にも、感情らしきものは何も込められていなかった…。
二人が異母兄弟だということは身体の中を流れる宗方の血が証明してくれるのかもしれないが、久保田もアキラも血の繋がりを必要とはしていない。そして、それを示すかのように二人の持つ拳銃とライフルの銃口はお互いを狙っていた…。
迷うことも…、躊躇することなく…。
だがそれはお互いの顔を知ることもなく、同じ宗方家の血を引く兄弟として一緒に暮らしたことがないせいではない。二人の間にいる籠の鳥が…、時任稔という存在が二人に引き金を弾かせようとしていた。
だが、久保田は拳銃を構えながらもアキラではなく、その隣にいる時任だけを…、
まるで目を離せば消えてしまうのではないかと心配でもしているかのように、じっと見つめ続けていた…。
白く冷たく…、凍えていく世界で…。
そんな久保田の視線を時任が涙に濡れた瞳で見つめ返すと、久保田は空から降り注ぐ月光の下で柔らかく優しく微笑む。けれど久保田の額からは赤い血が流れ、窓から見える森から屋敷へと続いている白い足跡は必要以上に曲がってしまっていた…。
久保田が死んだと言ったアキラの言葉は嘘だったが…、もしかしたら事故にあったのは事実なのかもしれない…。久保田の様子がおかしいことに気づいた時任は、ライフルを止めている手にぐっと力を入れた。
胸の奥にある何かを、握りつぶそうとしているかのように…。
そして、久保田に向けていた視線を横に向けると、涙に濡れたままの瞳でライフルを構えて微笑んでいるアキラの横顔を見た。
「頼むから…、お願いだから久保ちゃんを撃たないでくれ…。久保ちゃんを助けてくれるなら、なんでもするから…」
時任が少し震えた声でそう頼むと言うと、まるで助けてくれと頼んでくるのを待っていたかのようにアキラは微笑みを深くする。そして、久保田に向けていたライフルの銃口を時任の喉元に押し当てると、まるで久保田に見せ付けるように片腕で時任を抱き寄せた。
けれど、久保田は殺意に満ちた瞳でアキラを睨みつけながらも拳銃を握りしめたまま、その場から動かない。だがそれはここからアキラを撃つ機会を狙っているからでも、時任に銃口を向けられているせいでもなかった…。
アキラは動かない久保田を横目で見ながら、部屋に連れ戻した時に着せた白いシャツの中に手を入れて時任の滑らかな肌を撫でると、その手を徐々に下へと降ろしていく…。そして一番敏感な部分に到達すると、慣れた手つきでゆっくりと刺激を与えた…。
「はっ、あ・・・っ、やめ・・・・っ」
久保田の位置からは、下へと降りたアキラの手が何をしているのか見えない。時任は小声でやめろと言いながらも、アキラの手に感じてしまっていることを久保田に気づかれたくなくて身動きせずに与えられる刺激に耐えていた。
けれど、前に刺激を与えられていると、まだ中に残っているアキラの吐き出した欲望にまで犯されていく感じがして身体の奥が熱くなっていく。こんなことをされて嫌なはずなのに、早く逃げ出したい、やめて欲しいと想っているはずなのに…、身体はそんな時任の意志にさからってもっと犯されだかっていた。
鳥籠のような部屋でベッドの軋む音を聞きながら、犯され続けていた時のように…。
そんな自分に気づいて時任が唇を強く噛みしめると、アキラは時任の耳元に唇を寄せながら低く笑ったが、それは時任に向けられたものではなく白い雪の中にる久保田に向けられている…。時任はアキラ手に感じて溺れていく自分の身体のことを久保田に気づかれたくないと想っていたが、殺意に満ちた瞳でアキラを睨み続けている久保田が気づいていないはずがなかった。
なのに、その場から立ち止まったまま動かないでいるのは…、実は動かないのではなく 動けなくなっているからで、握りしめている拳銃はすでに弾切れになってしまっている。そして事故で怪我を負いながらも時任に会いたくて歩き続けてた足も、前に進むために引き金を弾き続けてきた指も…、やっとここまでたどりつくことができたのに動かなくなってしまっていた…。
それに気づいていたアキラは、事実を確認するために久保田の目の前で時任を弄んでいる。けれど、アキラの行動の意味に気づいていながらも、久保田はただ白い雪の中に立ち尽くしていることしかできなかった…。
自分の予測が正しかったことを確認したアキラは、時任を犯し続けている手はそのままにしてライフルを喉元から外す。すると、まるでタイミングを計っていたかのように室内にあった電話が再び鳴り始めたが、それは真田ではなく別荘の周辺を警備していた警備員からだった。
『申し訳ありません…、アキラ様…。別荘の敷地内に侵入者が…っ』
「なるほど、ここに来るまでに弾を使い果たしたという訳か…」
『は?』
「一人だけかね?」
『は、はい…、侵入者は拳銃を所持していて負傷者が出ました』
「では、引き続き別荘の周辺を警備したまえ」
『ですが、侵入者は別荘の方にっ!』
「侵入者ではなく、入って来たのはただの野良犬だ。気にする必要はない」
『しかし、あれは久保田・・・・・・・・』
「どんな名がついていようと…、所詮、野良犬は野良犬だろう?」
アキラは口元に笑みを浮かべながらそう言って電話を切ると、さっきから執拗に時任を弄び続けていた手を止める。すると欲望を中途半端に放り出されてしまった時任は、どうしても途中で止めることが出来なくて、敏感な部分に触れているアキラの手の上に自分の手を重ねて刺激を与えて自分の欲望を開放した…。
けれど、時任は欲望を開放する瞬間も久保田に聞かれないように声を殺す。だが、そんな時任の目の前に、アキラはわざと羞恥心をあおるように吐き出された欲望に濡れた手をかざした。
「今までも、そしてこれからもお前は僕のモノだ…。だが、それは強制されたのではなく、自ら望んだからだと言うことをその淫乱な身体で覚えておくがいい…」
「違うっ、そうじゃないっ。俺は久保ちゃんを…っ」
「この手を使って欲望を吐き出しながら、何が違うのかね? ベッドを激しく軋ませ腰を振りながら、自ら望んで身体の奥に満たした欲望が誰のものなのか…」
「・・・・・・・」
「お前自身が、一番良く知っているばすだろう?」
アキラは欲望に濡れた手で時任の頬を撫でながら、そう耳元に囁きかける。けれど、時任はアキラの手によって自分の欲望に頬を濡らされながらも、怪我を負いながらも白く凍えた世界に立ち続けている久保田の方を見た…。
俯かず瞳をそらさず…、真っ直ぐに…。
そして、アキラのライフルから手を離して零れ落ちかけた涙を拭うと、いつかの日に久保田が優しく微笑みかけてくれた時のように…、冬の澄んだ空気のように曇りのない綺麗な瞳で久保田に向って優しく微笑みかけた。
「それでも…、俺は久保ちゃんにしか抱かれたくなかった…。誰よりも好きだったから、大好きだったから…、ココロもカラダも久保ちゃんだけで満たされたかった…」
時任の想いで満ちた言葉も微笑みも…、すでに体力も気力も限界を超えてしまっている久保田には届かない…。さっきまで見えていた時任の姿も今は霞んでしまって、どんなに目を凝らしてみても見えなくなっていた…。
けれど、それでも拳銃を握り続けているのは、白い大地の上に立ち続けているのは…、まだ前へと進もうとしているせいなのかもしれない。なのに、会いたいと想えば想うほど距離が遠くなって…、大好きな人を抱きしめたくて…、抱きしめられたくて手を伸ばせば伸ばすほど、二人の距離は残酷に離れていく。
出会ってからまだそんなに時がたった訳じゃないのに会えない時間ばかりが増えて…、恋しさが寂しさと哀しさと一緒に胸の奥に降り積もった。
一緒にいた時間よりも離れていた時間の方が遥かに長いのに…、頭の中に残っている記憶なんて、生きてきた時間の中のほんのわずかしかないのに…、なぜかもうずっと長い間、そんなことばかりを繰り返してきたような気がして…、
目の前にいるのに…、こんなに近くにいるのに抱きしめることも触れることもできない距離が痛くて哀しくてたまらなかった…。
「なんで、こんなにいっぱい好きなのに…、ぜったいに久保ちゃんしか好きにならないのに…。どうして誰よりも早く…、誰よりも先に会えなかったんだろ…」
どんなに祈っても願っても時間は戻らない…。
けれど、もしも時間を戻すことが出来るのなら、誰よりも早く誰よりも先に久保田に会いたかった…。そして誰よりも一番大好きだって伝えたかった…。
でも、同じようにどんなに祈っても願っても、目の前にある現実も変わらない。久保田だけを見つめ続ける時任をライフルを握った手で抱きしめながら、アキラは時任に微笑みながら愛しているよと囁いた。
「そんなにあの男を助けたいのなら、私の手ではなくお前の手で助けるがいい。どうせ助けるのなら、その方が感動的でいいだろう?」
「・・・・それはどういう?」
「お前の手で、あの男を解放するんだ」
「解放?」
「そう…、愛という名の呪縛から…」
すくにはアキラの言った言葉の意味が理解できなかったが、すぅっと目の前に差し出された物を見た瞬間に時任はすべてを理解した…。
目の前に差し出された物は注射器で、その中には透明な液体が満たされている。それを見た時任は、すぐにアキラの手から注射器を受け取ることはできなかった…。
だが、アキラは強引に時任の手に注射器を握らせる。
そして、再びライフルの銃口を雪の中で動けなくなっている久保田に向けた。
「その薬はお前に射ち続けていた薬と同じものだよ、ミノル…。自分の中で一番強く想って願っていることを、一番強く脳に刻み込もうとしている記憶を消すWAという魔法の薬だ」
「WA?」
「そう、WAだ。この薬を射てば、あの男はお前のことを忘れて二度と思い出すことはないだろう。どんな記憶も想いも永遠に…」
「そ、そんな薬がこの世にあるワケねぇだろっ!」
「ならば、自らの腕に射ってあの男のことを、もう一度忘れてみるかね?」
「もう一度ってまさか…、そんなことがあるはず…っ」
「信じたくなければ信じなければいい…、薬を射てば嫌でも信じるようになる。もっとも、本当に愛していなければ何も消えたりはしないが」
「・・・・・・・」
「お前は注射器を握りしめながら、愛していない事と愛している事とどちらを祈る?」
まるで時任の心を試すように弄ぶように、アキラがそう囁く…。
けれど、薬を射たれると記憶が薄れてくことに気づいてはいても、それが愛している人の記憶だけなんて信じられなかった…。だから、そんな薬なんてあるはずはないと思っているはずなのに、久保田に初めて会った時から感じていた懐かしさや…、どこかに帰りたい気持ちの理由がわかった気がして…、
胸の奥が…、熱くなっていくのを感じた…。
『一緒においで…、時任…』
初めて会った時…、久保田はそう言っていた…。
何も覚えていないし、何も覚えていないということすら知らないしわからない。けれど、もしもWAによって忘れてしまった記憶が、消えてしまった想いがあるとしたら…、
誰よりも愛していた人がいたのなら…、それが久保田であって欲しかった…。この薬を注射して久保田がすべてを忘れてしまったとしても、失われずに残る何かがあって欲しかった…。
けれど失われずに残るものがあったしても、また好きになってくれるとは限らないし…、どんなに会いたいと想っても…、再び捕らわれてしまった籠の中から出られる日が来るかどうかもわからない…。
時任は注射器を握りしめながら、冷たく凍えていく世界を照らし続けている白く輝く月を見たが…、月は沈黙したままで答えない。けれど、どんなに注射器を握る手が震えても、二人で過ごした日々を久保田の中から消したくなくても…、助けるためにはアキラの言う通りにするしかなかった…。
「ホントに…、これを射てば久保ちゃんを助けてくれるんだろうな?」
「約束は守る。だが、お前が籠の中に戻らず、逃げ出す素振りを見せればあの男の命はない」
「わかった…」
「久保田誠人を助けたければ、私のライフルと別荘の敷地内にいる警備員達の拳銃の銃口が狙っていることを、せいぜい忘れないようにすることだ」
「・・・・・・・アキラさん」
「なんだ?」
「屋敷にいた時はわからなかったコトがいっぱいあるのに、わからないコトがあるってコトもわかんなかった…。けど今はそうじゃない…、違うんだ…」
「ほう…。だが、そんな事はわかった所で別に意味はない…」
「意味がないのは俺が何を想ってても何を考えてても、アンタにはどうでもいいことで関係ないからだろ?」
「・・・・・・・・」
「やっぱりアンタにとって俺は人間でも鳥でもない…、それ以下の都合のいいオモチャでしかなかったんだな…」
時任の言葉を聞いても、アキラは何も答えず表情も変わらない…。けれど、時任はそのまま乱れた服装を整えて、クローゼットの中に入っていた茶色いコートを来て部屋を出た。
そして階段を降りると一階の玄関のドアを開けて、久保田の立っている白い世界に向って足を踏み出す。すると、その気配に気づいた久保田が時任の方を見た…。
「久保ちゃん」
「・・・・・・・・時任」
白く白く染まった世界でお互いの名前を呼び合った二人の距離は…、走ればすぐになくなってしまうくらい近いはずなのに…、コートのポケットの中にあるWAの入った注射器を握りしめた時任にはなぜか遠く感じられた…。
これを腕に射つと久保田は助かり…、まるで何事もなかったかのように時任は再び籠の中に閉じ込められる。そしてまた夜の匂いの染み付いたベッドでアキラに…、久保田以外の男に抱かれる日々が始まるのかもしれない…。
けれど、すぐにやってくる明日やわからないくらい遠い未来のことよりも、久保田と同じ世界に立っている今が…、動き続けている鼓動が刻む今が大切だった…。
二階ではなく別荘の玄関でライフルを構えている立っているアキラの視線を感じながら、時任は注射器を握りしめたまま…、白い雪を踏みしめながらゆっくりと久保田に向って歩き出す…。すると、踏みしめられていく雪の音がまるで悲鳴のように二人の立つ世界に響いて…、その音を聞いていると胸の奥まで冷たく凍えていく気がして…、
何もかもが…、哀しみに凍り付いてしまいそうだった。
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