籠の鳥.42





 プルッ…、プルルル・・・・・、プルルルルルル・・・・。



 さっきまでエアコンの空調の音しかしなかった室内に、唐突に電話の音が鳴り響き始める。だが、アキラによって外から室内に連れ戻された時任は、それでも気を失ったまま目覚める様子はなかった。
 あの屋敷にある部屋から出れば、そうすることさえできれば籠の中から出られるような気がしていたが…、今も時任は籠の中にいる。それはあの鳥籠のような部屋が時任を閉じ込めていたのではなく、WAを使って記憶を奪い、まるで鎖で繋ぐようにベッドに押さえつけて犯し続けていたアキラこそが、時任を閉じ込めている籠だからなのかもしれない…。
 自分の作った籠の中にいる時任を眺めながら、アキラは満足そうに微笑んでいた。
 籠の中にいても時任の唇はアキラではなく久保田の名を刻んではいたが、手を伸ばして時任の身体にかけられている毛布を少しずらすと、そこには無数の赤い痕が鮮やかに散っている。そして激しく犯された身体の奥には、まだアキラの吐き出した欲望が満たされたままだった。

 「お前の中にあるくだらない記憶を消した後、すぐにまた新しいゲームを始めよう。永遠に続く…、終わらない愛を語るように…」

 アキラはそう静かに時任に向って囁きかけて閉じられたままの瞳から零れ落ちた涙を人差し指で拭うと、その涙に軽くキスを落とす。しかし時任の涙を見ても微笑んだまま、アキラの表情は変わらなかった…。
 そうしてから、やっと鳴り続けていた電話に出ると、アキラは受話器を耳に当てる。すると、受話器の向こうから笑みを含んだ声が聞こえてきた。

 「WA原料の確保、そして宗方の処分も完了したので連絡したのだが、お楽しみの最中だったのかね?」

 低く良く響く特徴のある声は護衛している屋敷の警備員達以外で、アキラがこの別荘にいることを唯一知っている人物…。屋敷や病院内に入り込み、WAを手に入れようと影で暗躍していた真田だった…。
 本来なら、WAを奪おうとしている真田は敵であるはずだが、アキラは真田が話した内容を聞いても表情を変えない。屋敷からWAの原料である植物が真田の手に渡り、自分の父親である宗方誠治が、その手にかかったこと知っても口元に笑みを浮かべたままだった。
 「君の質問にそうだと答えたい所だが、鳥は鳴き疲れて眠っている。今も昔も変わらず籠の中で…」
 「・・・・・時任稔か」
 「ミノルは僕が自らの手で育てた、僕の鳥だ」
 「なるほど…。だが、それにしては首についた鎖が長すぎるのではないのかね? その鳥は君ではなく、久保田君の名前を呼んでいたようだが?」
 「くくく…、鳥の首に鎖とはずいぶんと妙なことを言う。鳥の細い首に鎖などつけては、すぐに折れてしまってつまらないだろう?」
 「・・・・・だから、いなくなった時も探さなかったのかね?」
 「鳥はどこにいようと、必ず籠の中に戻ってくる…。もしも自ら望んで外に出たとしても、所詮、籠の鳥は籠の中でしか生きられないものだよ」
 「時任稔が生きられるのは君の作った檻のような籠の中だけ…、か…」

 「今までも…、そしてこれからも…」

 そう言って微笑みながら時任を眺めているアキラの表情は、受話器の向こう側にいる真田には見えない。だが、アキラの言葉の端々には狂気に似た何かが潜んでいた。
 時任がいなくなろうと、自分ではなく他の男に抱かれようともアキラは動じない。しかし、なぜかアキラは定期的に嫌がる時任の腕に、深々と注射針を打ち込んだ…。
 ベッドしか置かれていない夜の匂いのする部屋で微笑みながら優しい言葉を囁いて、そして欲望のままに犯しながら…。
 それがどういう意味を持つのかはアキラにWAを射たれ続け、欲望を注ぎ込まれ続けた時任にもわからない。けれど、これからも籠の鳥でいるということは、また同じことが繰り返され続けるということでもあった…。

 アキラの手のひらの上にある籠の中で…。
 
 瞳を閉じたまま目覚めない時任は、屋敷にいた時と同じように乱れたベッドに横たわっている。そして、その身体からは久保田の吸っていたタバコの匂いも研究施設での薬の匂いも消え去り…、アキラに抱かれた時に染み付いた夜の匂いしかしなくなっていた。
 アキラが受話器を効き手から反対側の手に持ち替え、その手で時任の首筋を撫でると肩がわずかに揺れる。だが、それは嫌がっているのではなく、敏感な部分に触れられて抱かれた時の感触が身体に蘇って反応しただけだった…。
 いくら心では嫌がっていても数え切れないくらい犯され抱かれてきた身体は、与えられる快感と快楽にすぐに溺れてしまう。そんな素直な身体の反応を見たアキラは、ゆっくりと輪郭をたどるように人差し指で久保田の名を呼び続ける時任の唇に触れた。

 「その細い肩がもっと震えるように心も身体も…、細胞の一つ一つまで犯してあげよう…。新しい籠の中で…」

 そう言ったアキラの言葉は電話の向こう側にも聞こえていたが、真田は何も言わずに口元に笑みを浮かべる。だが、今はアキラの側に組してはいても、真田が久保田を使ってアキラを亡き者にしようと目論んでいたことは事実だった。
 宗方家を滅ぼせば…、WAを手に入れることができる。真田はそう考えていたが、アキラが接触してきたことによって計画は崩れ状況は一変してしまっていた…。


 『WAは宗方家を滅ぼしても手に入らない…。だが、君が私の望みを叶えるのなら、私も君の望みを叶えよう』


 どこかで聞いたようなセリフを言ってきた相手を始めはアキラの名を語る別人ではないかと真田は疑っていたが、受話器の向こうから久保田を呼ぶ時任の声が聞こえてきた瞬間に間違いなく本人だと悟った。しかも、時任の声に混じって車のエンジン音までしている。
 それに気づいた真田は、珍しく不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。それは久保田の後を追っているはずの部下から、何の連絡も入っていないせいである。
 つまり連絡が入っていないということは部下が久保田を見失ったか、それともアキラが時任を連れて屋敷を出たことを久保田が知らないかのどちらかであることを示していた。
 だが、真田はすぐにいつもの余裕の表情を取り戻すと口元に笑みを浮かべる。そして、いつもと変わらない口調で受話器の向こうにいるアキラに話しかけた。
 『今まで何度口説いても見向きもしなかった君が、私と取引しようと言うのかね?』
 『まだ、遅すぎる選択ではないはずだが?』
 『なぜ、そう思う?』
 『今までの一連の行動は、WAを作り出すことのできないあせりからだ。つまり研究に研究を重ねながらも、未だWAの原料が何かすらわかっていない…』
 『根拠は?』
 『ならば逆に聞くが、ミノルをWAの研究施設に監禁した理由は? まさか、籠の鳥にするためにミノルをさらったとでも言うつもりかね?』
 『・・・・・・・・・・』
 『ゲームは時に、先読みしすぎると手元が狂うものだ』

 『・・・・・・・なるほど、君の言う通り遅すぎる選択ではないようだな』

 アキラの要求を飲むことによっても得ることのできた情報を聞いた真田は宗方の屋敷へと向ったが、今までもWAを自由に使うことができたアキラにとってWAを自らの物にしようと狙っていた真田に加担することがメリットになるとは思えない。しかもWAを作り出すことができるのが、父親である宗方だけだという話が本当なら逆に状況は悪かった。
 真田にWAの原料を奪われた上に、WAは現在製造できなくなったことになる。しかし、アキラはまるで真田の企みのすべてを知っていたかのように低く笑った。

 「WAの真の利用価値は、愛される人間にしかないのだよ…」

 その言葉を聞いても、真田は意味を理解することができない。だが、潜入していた中島からの情報である程度は掴んでいたものの、宗方とアキラを葬った後で屋敷を探し回っても原料を探し出せるとは限らなかった。
 いずれにせよ、WAの権利を独占するために宗方家を滅ぼすつもりでいたが、WAの原料が手に入っていない今はアキラと組んだ方が都合がいい。そう判断した真田は、宗方と製薬会社の実態と内情を知る橘を処分するために部下を連れて自ら屋敷に趣いたが、情報を教える変わりにアキラが出した条件は父親である宗方を消すことではなかった…。
 しかし真田からの報告を受けてもアキラは、そのことについて何も言わない。アキラの視線の先には籠の鳥が…、時任稔だけがいた…。
 けれど、そんなアキラの視線から時任を守ろうとするかのように、一発の銃弾が派手な音を立てて窓ガラスを突き破る。そして、その弾丸は撃ち放った人物の想いを表そうとするかのように、アキラの頬をかすめて壁に突き刺さった。

 「くぼ・・・・ちゃん・・・・・・」

 その音に気づいたのか、それとも弾丸に込められた想いを感じたのか…、閉じられたままだった時任の瞳が呟きとともにゆっくりと開かれる。だが、瞳を開いた瞬間に時任が見たものは、壁にかけられていたライフルを窓の外に向って構えているアキラだった…。
 さっきまで気を失っていたので、なぜこんな状況になっているのかわからない。けれど、胸騒ぎがして嫌な予感がして…、雪によって白く染め上げられた世界に向って向けられたライフルの銃口を見ると背中に冷たいものが走った。
 時任はベッドから起き上がると、よろめきながらアキラの元へと走る。そしてライフルの銃身に横から掴みかかって撃たれるのを阻止した…。
 するとその瞬間にライフルの狙っていた先が…、窓の外の景色が目に入る。けれど窓の外に見えたものが信じられなくて、もう一度、目を凝らして同じ場所を見ようとしたけれど…、急に目頭が熱くなって視界がぼやけてきて良く見えなかった…。
 だから、ぼやけてきたのを治したくて目をこすりたかったのに、ライフルを押さえている手は離せない…。それでも白い景色の中に見える黒い影を…、そこにいる誰かを見つめていると瞳から何かが頬を伝っていくのが感じられて…、
 見つめれば見つめるほど、しめ付けられるように胸が痛くなる…。

 けれど、どんなに痛くてもその痛みを止めたいとは想わなかった…。

 誰よりも会いたかった…、そばにいたかった…。
 でも…、だからこそ、そばにいられなくて強く強く抱きしめながらさよならを告げたけれど…、胸の中から想いは消えたりしなかった…、忘れたりなんてできなかった。
 ・・・・・・・誰よりも大好きだからできなかった。
 好きになった訳も恋した理由も何もかもわからなくても…、流れ落ちる涙のように想いは止まらなくて…、白く白く染まった世界にたった一人で立っている人を…、
 この世で一番大好きな…、ずっと呼び続けていた人の名前を泣き叫ぶように叫んだのに涙で声が詰まって声が出ない…。けれど、どうしても呼びたくて痛む胸を押さえて声を出そうとした瞬間、聞きなれた声が時任の耳にかすかに届いた。
 
 「・・・・・・・・時任」

 聞こえてくる声も、雪の中に立っている久保田も幻じゃない…。だから、今すぐにでも外へと飛び出したかったけれど、今は行くことがどうしてもできなかった。
 どんなに走り出したくても、そばに行きたくても二人の間にはライフルを構えているアキラがいる…。二人の間にいるアキラは冷たいライフルの銃口を久保田に向けたまま…、いつもと変わらない表情で微笑んでいた…。
 



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