籠の鳥.32




 「庭の警備班は、三班に別れて侵入者を探せっ!」
 「おいっ、すでに内部に侵入してる可能性も考えて配置させろっ!」
 「それより早く医者を呼べっ、こっちにはケガ人がいるんだぞっ!」

 「とにかく、あわてず落ち着いて行動するんだっ!」

 拳銃を構えた久保田と、その銃口の先にいる真田…。
 二人のいる室内は静けさに満ちていたが、外からは無数の足音や警備員達の叫び声が聞こえてくる。しかし、久保田は拳銃の引き金に指をかけたままで動かず…、同じく真田も笑みを浮かべたまま動かなかった…。
 こうして二人が向き合ったのは初めてではないが、実は親しいと呼べるような間柄だったことはない。特に医師として白衣を着ることを拒んでいた久保田に製薬会社に就職しないかと言ってきた真田の誘いを断ってからは、時任とのことがあるまで会う機会すらまるでなかった。
 だが、真田と無関係だと言い切れないのは、今も脇腹の辺りに残っているキズが寒くなるとうずくからである。その傷は当時も宗方総合病院にいた松本が手当てをしてくれたので無事に完治していたが、かなりひどい傷だったのは残っている傷を見れば明らかだった。
 
 まだ…、夜の闇の中をさまよう様に歩いていた頃…。

 あの離れの部屋で…、あたたかく優しく愛しい人と微笑み合うずっと前…。
 床に散らばっている砕けたアンプルと同じように砕け散った注射器の破片…、そして冷汗をかきながら、慌ててそれを隠そうとする教授と呼ばれる男を通りすがりに見たことがある。だが、勤務先として紹介されて断りに行った大学病院の片隅でそんな光景を見てしまったのは偶然でも、その後で見知らぬ男達に銃口を向けられたのは必然的だった。
 通っていた雀荘のある裏路地でそんな目にあったのは、大学病院に行ったわずか半日後…。その時はまるで関わりあいになるのを恐れているかのように辺りには人影すらなく…、さっきまでいた雀荘の窓の明かりも消えていて…、深夜よりも朝に近い時間帯のためか空気はセッタをくゆらせながら立ち止まった久保田の冷たく頬を撫でていた。
 こんな状況になった原因は教授が渡そうとした口止め料を受け取らなかったからではっきりとしている。受け取らなかったのは受け取る理由がないせいなのだが、教授は別な意味で受け取らないのだと思ったらしかった。

 『悪いが…、てめぇにはココで死んでもらうぜ』

 そう言いながら銃口を向けてくる男の背後には黒塗りの車が止まっていて、その中には髪をオールバックに撫で付けた主犯格らしき男がいる。だが、久保田は銃口も男達もすべてを無視して何事もなかったかのように歩き出した。
 そんな久保田の態度に怒りを感じた男達はいっせいに引き金を引こうとしたが、間一髪のところで車の中からの声がそれを止める。つまり久保田が蜂の巣になるのを静止したのは車の中の男で…、今、目の前で笑みを浮かべながら椅子に座っている真田だった。
 『・・・君は死ぬのが怖くないのかね?』
 『さぁ? 死んだコトないんでわかりませんけど?』
 『ほう…、ならば君が恐怖に震え出すかどうかこの私が試してやろう。自らの手を血で汚すのは、私の趣味ではないがね』
 『拳銃で?』
 『ナイフでもかまわんが?』
 『うーん、せっかくですけど遠慮しときますよ』
 『なぜだね?』
 『痛いのキライなんで…』

 『なるほど』

 久保田はそう言うとこの場から立ち去ろうとしたが、感じた怒りを発散できなかった男達の銃口は未だ標的を探してさまよっている。真田に静止されても降ろされなかった銃口は久保田の背中の辺りに向けられていたが、その中の一つがそれよりももっと下に手ごろな標的を発見した。
 怪我をした片足を引きずりながら暗闇の中をフラフラと歩いてきた猫は、久保田の足元でふと立ち止まって上を見上げる。すると、その小さな瞳が久保田を捉えた瞬間に銃口から火花が散り銃声が辺りに鳴り響いた…。
 『ニャア…、ニャオーン・・・・』
 けれど、銃声が止んでも猫は倒れずに久保田に身体をすり寄せながら鳴いている。その声を聞いた久保田は、平然とした顔でフラフラしながらも懐いてくる猫の頭を優しく撫でたが…、久保田の脇腹には赤黒い染みが出来ていた…。
 真田は久保田の傷を見て口元に笑みを刻むと、ドアを開けて車を降りる。
 そして、ゆっくりと歩いて猫を撫でている久保田のそばに近づいた。
 『痛いのはキライではなかったのかね?』
 『キライですよ』
 『だが、君がキライな痛みを感じながら、命をかけるほどの価値がその猫にあるとも思えないが?』

 『猫の価値、ねぇ? 価値なんて生きてるってだけで十分デショ』
 
 久保田がそう言いながら猫を見ると、猫も久保田をじっと見つめる。
 久保田の脇腹から流れる血も…、撫でている猫の身体も暖かかった…。
 けれど、その暖かさを感じながらも久保田の瞳はどこか冷たく凍てついている。そして冷たさをはらんだ瞳は、この街の底知れぬ闇を映しているようにも見えた…。
 
 『また会おう…。もっとも、君が生き延びられたらの話だが』

 久保田の瞳を見つめていた真田は、そう言うと再び車に乗り込んで裏路地から立ち去ったのである。撃たれた傷は真田の言葉通りかなり酷かったが、この後、身体を引きずりながら松本のいる病院までたどり着いてなんとか命を取り止めた。
 それから、どこで居場所や素性を調べたのか真田はことあるごとに自分と手を組ませようとしている。だが、それは宗方の息子だという理由だけではなく、久保田自身に執着しているようにも思えた。

 「籠の鳥を…、猫を救いたければ代償を支払うことだ。あの時、流した血と同じように…」

 時任という存在を挟んで向かい合った二人は、お互いの出方を見ているかのようにしばらく動かなかったが…、アークロイヤルというタバコを口にくわえながら先に口を開いたのは真田の方である。真田は銀色のライターでタバコに火をつけると、その煙を深く吸って言葉と一緒に吐き出した。
 すると、吐き出された煙は二人の間を、まるでケムを巻くように室内の空気と一緒に流れて広がっていったが、久保田の瞳は銃口と同じように真っ直ぐ真田を捉えている。その鋭い視線は殺意に満ちていて、それを感じた真田は珍しくわずかに背筋を震わせた。
 「代償ならすぐに払ってあげるよ。ただし、俺じゃなくアンタの血でね」
 「ほう…、私には代償を支払うような心当たりはないのだが?」
 「思い出せないなら、思い出せるように胸に銃弾当ててみてもいいんだけど?」
 「そんなにあの新しい猫が大事かね?」

 「新しいんじゃなくて…、この世にたった一匹しかいない猫なんで…」
 
 久保田はそう言いながら、引き金にかけた指に力を込め始める。けれど、この世にたった一人しかいない愛しい人の命は涙は握りしめた拳銃よりも何よりも重く…、代償になるものなんてありはしなかった。
 力を込めかけた指を止めると時任の居場所まで案内させるために、久保田は数歩前に出て真田の額に冷たい銃口を押し付ける。だが、久保田が撃たないことを知っているからなのか、さっきは背筋を奮わせたものの真田はすぐに平静さを取り戻していた。
 「拳銃を降ろしたまえ、久保田君。拳銃などなくとも君が望むのなら、時任稔のいる場所まで案内しよう」
 「さっきまで、代償がいるって言ってませんでしたっけ?」
 「もちろんあれは冗談だ。だが、代償はいらないがタダで教えるわけにはいかない」
 「代償じゃなく交換条件ってワケね」
 「物分りが良くて助かるよ。それにこれは交換条件というよりも、君と時任稔のためでもある…」
 「条件は?」
 「二人で私の元に留まることだ。そうすれば、いずれは伸びてくるであろう宗方の手から君達を守ることを約束しよう」
 「・・・・・・・もしも断ると言ったら?」
 「また、時任稔の記憶が消えるだけだ。君のことも何もかも、跡形も残さずに…」
 「なら、この引き金を引いたとしたら?」
 「私を殺してもムダだ…。私の歯には血液を感知したら、信号を発信するチップが埋め込まれている。その信号を合図に、時任稔の記憶を消すように命じてあるのでね」
 「つまり…、傷つけたらアウト」

 「そういうことだ」

 真田の口内に血液が流れ込まないように撃ち抜いたとしても、真田自身が唇を噛んでしまったら終わりである。本当に手はずが整えてあるかどうかもチップが埋め込まれているかどうかも確認はできないが、可能性がある以上、この状態では真田の条件を飲むしかなかった。
 それに今はここからどうやって逃げ出すかを考えるよりも、とにかく時任の無事を確認することが最優先である。久保田が真田の言葉に従ってゆっくりと銃口を下へと降ろすと、真田はタバコを灰皿に押し付けながら楽しそうな表情で口元の笑みを深くした。
 そして椅子から立ち上がって久保田のそばに立つと、ゆっくりと手を伸ばして久保田の顎を掴む。だが、久保田は顎を掴まれても冷たい瞳で真っ直ぐ前を向いたまま、真田の方を見ようとはしなかった。
 それにかまわず近づいていく真田の唇は、拳銃を握しめている久保田の唇の上に重ねられる。真田は角度を変えて口付けながら口内まで侵入しようとしていたが、久保田は唇を閉じたままそれを許さなかった。

 「相変わらずつれない男だな、君は…。だが、時任稔は君と違って素直だったよ、特にベッドの上では…」

 真田の挑発するような言葉に久保田の瞳がすぅっと細められたが、強く拳銃を握りしめながらも動かない。本当は侵入して来ようとする真田を受け入れたかったが、それは口付けを交わすためではなく、時任と口付けたかもしれない唇と舌を噛み切りたいだけだった。
 肌の感触を楽しむように撫でさすりながら警備服の中に入り込んだ真田の手は、久保田の身体を机に押さえつけながら蠢き始めたが…、
 久保田は敏感な部分に触れられてもピクリとも動かなかった。
 「君は不感症なのかね?」
 「あれ、前にこの世でたった一人しか愛せないカラダだって言いませんでしたっけ?」
 「・・・・・冗談かと思っていたが」
 「ヤル気が失せたんなら、とっととどいてくれません?」
 「いや…、ますます落としてみたくなったよ」
 「悪趣味だなぁ」

 「難攻不落を落としてこそ、ヤりがいがあるというものだろう?」

 真田はそう言うと止めていた手を、再び久保田の服を乱しながらいやらしく蠢かし始める。だが、その手が敏感な部分を掴もうとした瞬間に部屋のドアが勢い良く開かれ、廊下から警備員が走りこんできた。
 走りこんできた警備員は、どう見てもこれから情事を行おうとしているようにしか見えない二人に驚いた表情のままで固まる。だが、すぐにここに走り込んできた理由を思い出した警備員は慌ててそれを真田に向かって報告した。
 「た、大変ですっ! たった今、時任稔が研究所内から連れ去られましたっ!!」
 「それで、犯人は何者なのかね?」
 「監視カメラに映っていたのは、おそらく中島…」
 「ほう…」
 「周辺を探させていますが、すでにどこにも姿が見えませんっ。このままでは、中島も時任稔の居場所をつかめず行方不明に…っ」
 「いや、探さなくとも行き先はわかっている」
 「は?」

 「鳥は鳥籠へ…、そうだろう?」

 真田の最後の言葉は、警備員ではなく久保田に向けられている。だが、すでに真田の手から抜け出していた久保田は、その言葉を聞くよりも早く走り出していた。
 真田は警備員の手から拳銃を奪い取ると、それを振り返らずに走り出した久保田の背中に向かって構える。だが、微笑みながら撃った真田の銃弾は久保田の背中ではなく、廊下の片隅から久保田を狙っていた警備員を撃ち抜いた。

 「どこまでも走るがいい…、時任稔ではなく私のために…」

 未だWAについては何も掴めていない状況で、時任がさらわれたことはかなりの打撃のはずだが、そう言った真田の表情は打撃を受けていないばかりかなぜか満足そうですらある。警備員に中島ではなく久保田の後を追うように命じると、真田はまた深々と椅子に座って新しいタバコを吸い始めた。
 真田に向けられかけた久保田の殺意は時任がさらわれたことによって別な方向に向けられ…、銃口は鳥籠の中を狙っている…。そしてその鳥籠の中にいるのはアキラと…、父親である宗方誠治だった…。
 真田は研究所から遠ざかる久保田の足音と宗方家崩壊の足音を聞きながら、WAに似せて作った薬のアンプルを机の引き出しから取り出すと…、
 それをブラインドが開けられたままになっている窓からの日差しにかざした。

 「憎め憎め…、殺し合うがいい…。そして、その後は私がすべてを…」

 久保田が伸ばした手も腕も未だ時任には届かない…。
 だが、それはもしかしたら…、時任に向かって伸ばされた手に拳銃が握られ…、そしてその拳銃に憎しみが込められているせいなのかもしれかなかった…。




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