籠の鳥.24
抱くことも抱かれることも好きだからするんだと、なんとなく無意識に感じていた。
言葉で好きとかそんなことを言われたことがなくても、抱かれてると身体の奥も胸の奥も何かで埋まっていくような気がするからそんな気がしていたけれど…、
でも…、もしかしたらそれは一時的な錯覚だったのかもしれない。
アキラに抱かれている時も…、そして久保田に抱かれている時も身体が熱く熱くなっていくだけで、打ち込まれる熱に犯されるたびに思考も想いも奪われていくだけだった。
籠の中から出たはずだったのに、また新しい籠の中で白い天井ばかりを眺めて…、ベッドが軋むのを聞きながら欲望に身体を揺らされる。ここの所、薬を射っていないので意識ははっきりしてたけれど…、もしかしたらはっきりしていない方が胸の痛みも少なくて済んだかもしれなかった。
抱かれながら久保田の顔を見上げると、いつも久保田は冷ややかな冷たい瞳をしていて…、それを見ると好きな人に抱かれているはずなのに…、
瞳から流れ落ちた涙の数だけ…、痛みと哀しみだけが胸の奥に残った…。
「・・・・・・・久保ちゃん」
乱れたベッドの上で再び瞳を開けるとさっきまで昼間だったはずなのに、ブラインドの隙間から赤い夕日が見えている。シーツの上を撫でるように伸ばした手は隣にあるはずのぬくもりを捕らえることができずに…、ゆっくりと自分の胸の上へと戻された。
久保田の姿が部屋から消えているのは、またバイトに出かけたせいかもしれない。そう想いながら時任は、疲れ果てた身体をベッドから起こすと冷たい床に足を降ろして、その冷たさにわずかに身体を震わせた。
まだ久保田の残した熱が身体の奥にあったが、冷たさばかりが鮮明になる。乱れたシーツを見ていると始めて抱かれた時のことを思い出したけれど、そこにあるのは抱かれたのではなく犯されたという事実だった…。
「俺を買ったのって…、こういうことだったって考えた方が自然だよな…」
時任はそう呟くとシーツの端をぎゅっときつく握りしめると、強く引っ張ってベッドから引き剥がしてぐちゃぐちゃに丸める。そして、それを近くにあったゴミ箱の中に放り込んだ。
けれど、久保田に抱かれながらたくさん泣いたはずなのに…、また涙が零れ落ちてきて止まらなくなる。久保田を想う時だけ流れてくる涙は痛く苦しく胸の奥を濡らし続けていたけれど…、拭っても拭ってもどうしても止まらなかった。
「好きになってもらえなくても…、そばにいられればいいと想ってた…。でも…、好きになってもらえないってことが、こんなに痛くて苦しくて…、こんなにたくさん哀しいなんて想ってなかった…」
望んだ形ではなかったけれど、一緒にいたいと想う人と一緒にいられるようになった。でも、そばにいるほど想いは強くなっていくから、一緒にいられるだけじゃ足りなくなってくる。
好きになってもらえないとわかっていても…、好きになって欲しかった…。熱に犯されるように抱かれるのじゃなくて…、暖かさとぬくもりを感じながら抱かれたかった…。
けれど久保田の想いを知りたくて伸ばした手は、強引に掴まれてベッドのシーツに引き戻されて…、滲む涙の向こうに見えるのは白い天井ばかりで、いくら涙を拭っても何も見えてこない。目を閉じてベッドが軋む音だけを聞いていると、またあの時の止まった部屋に戻った気がして怖くなった。
『久保ちゃん…、久保ちゃ…ん…』
抱かれながら何度も何度も名前を呼んだけれど…、返事は返ってこなくて…、
規則的に繰り返し繰り返し打ち込まれる熱だけを感じていると、目の前に別の誰かが見えてくる。それは…、久保田と良く似た顔をしたアキラだった…。
『いっ、あぁぁぁっっっ!!!!』
強く身体を押し返して…、暴れて叫んで…、
それでも久保田は冷たい表情のままで、時任を抱くことをやめてくれなかった…。
時任は自分の身体に残る赤い痕を見つめると、ベッドの下に隠してある薬の入った小瓶と拳銃の弾を取り出す。この二つのどちらかを使えば、もしかしたら久保田のことも…、アキラのことも忘れてしまえるのかもしれなかった。
けれど、その二つを手に取って握りしめながらも…、そうすることができない。それはどんなに痛くても苦しくても久保田と出会った日のこと…、強く抱きしめられた日の記憶が何よりも大切だったからだった…。
それにもしも記憶がなくなったとしても、きっと想いは消えたりしない。
こんなに好きな人を…、こんなにも大好きな人のことを…、たとえ薬を使ったとしても忘れることなんてできるはずがなかった。
「なんか…、なんかさ…。すっげぇ胸が痛ぇよ…、久保ちゃん…」
久保田を想い続ける限り…、胸の痛みが消えることはない…。けれど、時任はその想いを抱きしめるように自分の肩を抱きしめると、倒れるように冷たい床に寝転がって白い天井を見上げた。
もうすぐ夕日が沈んで空が闇に覆われてまた夜がやってくると、久保田が夜の闇をつれてこの部屋へと戻ってくる。でも、どんなに暗闇と熱に犯されても、ここから逃げ出すことはできなかった。
自分の意思で鎖に繋がれながらゆっくりと目を閉じると、なぜか見たこともない光景が脳裏に浮かんでくる。浮かんできた光景は目の前にテーブルがあって、テレビがあってゲームがあって、なんの変哲もないものだったけれど…、
その中に…、時任に向かって優しく微笑みかけてくれている人がいた…。
『・・・・・・ただいま』
その人に向かって…、おかえりって言いたかった…。なのに、胸の中にたくさん何かが詰まっていて言葉がでなくて…、それが哀しくてたまらない…。
微笑んでくれている顔も、涙でぼやけて良く見えなかった…。
おかえりを言う代わりに名前を呼ぼうとしたけれど、名前がわからないことに気づいて…、時任はきつく唇を噛みしめる…。だが、どんなに思い出そうとしても、何もかもが涙にぼやけていくばかりで名前を思い出すことはできなかった。
・・・・・・・・帰りたい。
時任の唇が無意識にゆっくりとそう言葉を綴ると…、電話のベルがリビングから響き始める。電話のベルを鳴らしているのはバイトに行っている久保田かもしれなかったが、その音は静まり返った室内に響いているせいかどこか不気味だった。
バイトが終わって雀荘を出ると、すでに辺りは暗くなっていた。
けれど久保田は空を見上げることもなく、黒いコートを着て闇に混じるように歩き始める。すると遠くから犬の遠吠えと救急車の音が聞こえてきて、誰かにこの闇の中のどこからか見られている気配に気づいた。
だが、その気配はただ見ているだけで、久保田に近づいてくる様子も追ってくる様子がない。だから少し気にはなる視線だったが、何も仕掛けてくる様子がないのでそのまま歩みを進めた。
コートのポケットのには今日のバイト代でもらった金が、封筒にもサイフにも入れられずに乱雑に入っている。こんな風に雀荘や少しリスクの高い日雇いのバイトで稼いだ金は、少し前まで稼一人分の生活費だったが今は二人分になっていた。
それは…、久保田の帰りを待ってくれている人がいるせいである。けれど住んでいるマンションへと向かう足取りは、迷ってはいないが軽くはなかった。
慣れ親しんだ暗闇の中を歩きながら想い出すのは、乱れたシーツと夜の匂いのするベッドと時任で…、
そこで疲れ果てて眠る時任の頬には、涙の跡が残っていた…。
久保田が何も言わずに涙の跡を優しく手で撫でると、眠ってるはずなのに瞳から新しい涙が零れてきて…、シーツを濡らしていく…。そして、その涙を流させているのは、じっと流れていく涙を見つめている久保田自身だった。
こんな風に泣かせるために…、傷つけるためにここに連れてきた訳じゃない…。
なのに、時任の唇が別の男の名前を刻むのを見た瞬間、胸の中で何かが焼き切れるのを感じて…、気づいたら嫌がる時任を組み敷いて欲望のままに犯していた。
抱きしめるために伸ばすはずの手は、時任をベッドに押さえつけて…、
優しくキスするはずの唇は、何もかもを奪うように時任の唇をふさいでいる…。
そして…、熱すぎる欲望はベッドを軋ませながら時任を犯していた。
『イヤだっ、久保ちゃん…、久保ちゃ…、あっ…!!』
どこかで時任を欲望のままに犯している久保田を、嘲笑っている声が聞こえる。けれど、それがアキラの声なのか…、自分の声なのかはわからなかった…。
時任を責め立てるように強引に犯しながら、時任の身体で欲望だけを満たしていく。
自分の名前を叫んでいるのが聞こえて…、もっと叫ばせるためにさらに身体を激しく揺らしてベッドを軋ませながら、久保田は口元に冷たい笑みを浮かべていた。
心が手に入らないのなら…、その唇が自分以外の誰かを呼ぶのなら…。
その身体に欲望を注ぎ込んで、夜の匂いの染み込んだベッドに繋ぎ止めたかった。
「好きだよ…、時任…」
やがてたどりついたマンションの明かりを見ながら、立ち止まって呟いた言葉は…、今も夜の闇の中に消えていくだけでどこにも届かない。こんなにもただ一人だけを…、この世でたった一人だけを恋しがって欲しがってるのに…、抱きしめようとした手が何もかもを壊していく…。
愛しさと恋しさと…、嫉妬と殺意の狭間で揺れ動く想いが、あの陽だまりのようなあたたかな日々に戻ることを許さなかった。
熱い欲望を打ち込むたびに、その身体が欲望を感じて震えるたびに違う男の影が見え隠れして…、想いも心も乱れる時任の姿に狂わされる。その姿が麻薬のように脳を犯し脳裏に焼きついて、気づけば時任が気絶しても抱き続けていた。
「籠の中にいるのは…、ホントは俺の方かもね…」
久保田はそう呟くと、マンションの明かりを目指して歩き出す。けれど、その明かりはいつかの日のように暖かくは感じられなかった。
部屋の中には夜の闇が満ちていて、また長い長い夜が始まる。
夜の匂いと涙の染み付いたベッドには籠の鳥が眠っているはずだったが、マンションにたどりついた久保田がドアを開けると鳥はどこかへと姿を消していた。
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