姫君にキスを.7




 慌しい日々はあっという間に過ぎ、とうとう文化祭当日がやってきた。
 まだ準備が残っているらしいクラスでは、まだ朝早いというのに生徒達が次々と登校してきている。桂木はそんな生徒達に混じって登校しながら、小さくため息をついて自分の鞄を見ていた。
 その鞄には昨日、生徒会長の松本から渡された封筒が入っている。
 実は桂木はこれを指定された場所に持っていくために、早く登校してきているのだった。

 「これに関しては、あまり乗り気じゃないのよね」

 この封筒を渡されたのは実は昨日で、松本から一応理由を聞かされてはいたが、その理由が納得のいくものだったとはとても言い難い。始めは封筒を断ろうしたが、それでも引き受けてしまったのは副会長である橘に笑顔で押し切られてしまったせいだった。
 屋上で待っている人物に封筒を渡すだけでいいと言われてはいたが、どうも何かが引っかかる。
 そのため登校すると机に鞄を置いて封筒を取り出したが、それを持っていくことを桂木は躊躇していた。もし本当に松本が言った通りだとするなら、封筒は必要ない気がするからである。
 するとそんな桂木の横から、挨拶をするのんびりとした声が聞こえてきた。
 その声を聞いた桂木は、少し驚いた様子でその声の主の方に視線を向ける。
 するとそこには、すでに桂木より先に登校してきていた感じの久保田が立っていた。
 「なんであんたがこんな朝早く来てるの?」
 「朝早く目が覚めただけ…って言いたいトコだけど、ちょっと用事あったからってのが理由」
 「それってやっぱり、生徒会本部がらみなの?」
 「ま、そんなトコだけど、桂木ちゃんだって同じでしょ?」
 「…まぁね」
 桂木は久保田にそう返事をすると、自分が手に持っている封筒を眺める。
 その封筒は開けるなと言われていたので、中身が何なのか桂木は知らなかった。
 紙か何か入っているような感じはあったが、それをわざわざ朝早くに屋上で渡さなくてはならない理由がわからない。
 桂木が考え込みながらじっと封筒を見つめていると、久保田が桂木に向かって手招きをした。
 「悪いんだけど、ちょっと付き合ってくれる?」
 「べつにそれはかまわないけど…、時任はどうしたのよ?」
 「たぶん今、家を出たくらいじゃないかなぁ」
 「置いて来たの?」
 「そう」
 二人がケンカしているらしいというのは桂木も知ってはいたが、まさか久保田が時任を置いて学校に来るとは思っていなかった。昨日までケンカしてはいてもちゃんと二人で登校してきていたのに、今日は本当に久保田は時任を置いて学校に来たらしい。
 桂木は封筒を持って教室から出ながら、前を歩いている久保田の背中を軽く睨んだ。
 「時任が今日学校に来なかったら、あんたのせいよっ」
 「責任感強いから心配いらないっしょ」
 久保田は時任を置いて来たというのに、やはり平然としていた。
 その態度はやはり、クールだが時任のことになると感情的になってしまう久保田らしくない。文化祭の劇が始まってからこの調子だったが、それが本心だとはどうしても桂木には思えなかった。
 廊下をまっすぐ歩いて階段の脇の目立たない場所まで来ると、久保田はそこにある壁に寄りかかる。すると桂木は話をするために、久保田と向かい合った。
 「・・・・・・ずっと思ってたけど、最近、時任に冷たくない?」
 「そう見える?」
 「時任…、かなり落ち込んでるわ」
 「知ってるよ」
 「ただのお芝居かもしれないけど、ホントに時任が藤原とキスするかもしれないのよ? なのによく平気でいられるわね? それとも、もう時任のことなんかどうでもいいって思ってるの?」
 桂木が責めるような口調でそう言うと、久保田が口元に薄く笑みを浮かべる。
 その笑みを見た桂木がムッとして怒鳴ろうとしたが、暗い久保田の瞳を見た瞬間、出かかっていた言葉がすべて凍りついた。

 「平気じゃないから、相手が俺じゃなくてもお姫サマしてる時任に冷たいんだけど?」
 
 そう桂木に向かって言った久保田は、自嘲しながらポケットからセッタを取り出して火をつける。
 その様子を見ながら、桂木は手に持っている封筒を軽く握りしめた。
 久保田が王子様役にならなかったのは、生徒会本部がらみで何かがあったせいだというのはなんとなくわかってはいたが、どういう気持ちで久保田が役にならなかったのかは考えたことがない。
 だがさっきの久保田の言葉で、何を思って時任に冷たくしていたのかが桂木にはわかってしまった。久保田は時任の練習に付き合ってはいたが、本当は劇に出て欲しくないと思っている。
 つまり時任に、シンデレラ役を降りてほしいと思っていたのに違いなかった。
 それを知った桂木は、馴れた仕草でセッタをふかしてる久保田を見て眉をひそめた。
 「…どうして時任に劇に出るなって言わなかったの?」
 「言っても聞かないでしょ?」
 「それはそうかもしれないけど、それだけじゃないわよね? …一体、本部に何頼まれてるの?」
 「ホントはべつに何も頼まれてないって言ったら、信じてくれる?」
 「今更、私がそんな嘘信じると思ってるの?」
 「せーんぜんっ」
 「だったら言いなさいよ。そのためにわざわざ私を呼んだんでしょ?」
 桂木がそう言うと、久保田は周囲に気を配るように視線を走らせる。
 今日はすでに来ている生徒が大勢いたが、こんな階段の下の端までは誰もさすがに来なかった。誰にも聞かれたくないのなら、どこか使われていない教室で話せばいいのかもしれないが、盗み聞きされる可能性がないとは言えない。
 その点ここなら視界がきくので、盗み聞きされているかどうか自分の目で確認することができる。
 周囲に誰もいないことを確認すると、今回の件について桂木が話し始めた。
 「松本会長から頼まれたのは劇に出ることを事前まで伏せて置くことと、この封筒を屋上にいるヤツに渡すことよ」
 「…で、松本会長は桂木ちゃんになんて説明したの?」
 「演劇部が票の操作してるからって、そういう話だったけど…」
 桂木が松本から聞いていたのは、劇の優勝を決めるために入れられた票が演劇部によって毎年操作されているというものだった。劇が終了して票を集めた後に開票が行われるのだが、不正を防ぐために劇を見に来ている客の前ですることになってはいる。だが、その票の入った箱と事前に用意していた箱を、開票する直前にすり替えているらしかった。
 不正の理由はおそらく、優勝商品が欲しいために演劇部にリベートを渡しているクラブがあるに違いなかったが、この手の不正が今まで見つかっていないのが不思議な気がする。
 松本会長が言うには、本番が始まるまで執行部が出ることを伏せておいて演劇部員をマークしていれば、執行部に一票も入らないことになるのでおかしいと追求することが可能だというが、やはりすべてにおいて疑問が残るのは確かだった。
 「松本会長が言うことを信じるにしても、この封筒は謎よね…。こんな事前に封筒を渡すなんて、何かあるって言ってるようなものじゃない? 私がこの封筒を開けたらどうするつもりかしら?」
 「桂木ちゃんなら、開けないって思ってるからっしょ?」
 「…もし、そう思って渡してくれてるんだとしても、信じてもらってるって気にはならないわ。私ってひねくれてるしね。ストレートには受け取れないわよ」
 「だから、封筒は渡さない?」
 「それは久保田君の話しだいってトコね。本部が何やろうとしてるか、話してくれるんでしょ?」
 「もし全部話したら、俺の頼みごと聞いてくれる?」

 「…わかったわ」

 久保田から本部が企んでいることを聞いた桂木は、封筒を持って待ち合わせ場所である屋上に急いで向かった。けれど本部が何をしようとしているのか話を聞いて、自分のしようとしていることが単に松本達に利用されているだけだと今はわかっている。
 だがそれでも持っていくことにしたのは、久保田が持っていってほしいと言ったからだった。

 シンデレラが始まる前に、すべてを片付けてしまうために…。

 桂木が階段を上り終えて屋上へと続くドアを開けると、松本が言った通り男子生徒が一人待っていた。その生徒が三年生だということはわかったが、何組かということまではわからない。
 男子生徒は桂木を見ると、少し不審そうな顔をした。
 「この封筒渡せって言われてるけど、あんたに渡せばいいの?」
 けれど桂木は、それに構うことなくそう言って封筒を差し出す。
 すると、男子生徒は何も言わずに封筒を受け取った。
 「じゃ、私はちゃんと渡したからね」
 自分の役目を終えて桂木が屋上から出ようとすると、後ろから男子生徒が呼び止める。
 呼び止められて仕方なく桂木が振り返ると、男子生徒は桂木に向かって封筒をひらひらと振った。
 「この中身、何が入ってるか知ってるのか?」
 「知らないわよ。ただ渡せって言われただけだから」
 「ならいいけどさ」
 「文化祭の準備で忙しいから、もう行くわよ」
 「行っていいよ、配達ご苦労様」
 男子生徒は、中身を見ていないという桂木の言葉を信じたようだった。
 桂木が執行部員であることは誰もが知っていることだが、それが逆に良かったようである。
 本当なら桂木が中身を知っていたら、すぐに公務を執行されていたはずだが、封筒を持っていても公務を執行しなかったので、男子生徒は桂木の言葉を信じたに違いなかった。

 桂木が男子生徒に渡した封筒の中身。

 それは数枚の一万円札と一枚の紙切れだった。
 そしてその紙切れには、その封筒を桂木に頼んだと思われる人物の名前と、執行部という文字が書かれている。
 頼んだ人物の名前は松本ではなく、実際に荒磯にいる生徒の名前を借りた偽名だった。
 今から行われる演劇大会と一万円札、そして紙に書かれた文字…。
 この三つから想像のつくことと言えば一つしかない。
 毎年恒例で行われている演劇大会を利用して、校内で賭けが行われているということだった。

 「優勝しようってがんばってやってんのに、それを利用して儲けようなんて許せないわっ」

 桂木は屋上から出ると、誰にも聞こえないように小声で呟きながら階段を下りた。
 そして桂木がいなくってしばらくすると、屋上にいた男子生徒がかなり慌てた様子で血相を変えて下へと降りてくる。
 けれどそんな二人の様子を、廊下の隅でセッタをふかしながら久保田が見ていた。
  
 「執行部が出場するなんて、寝耳に水だもんねぇ。早く元締めサンに連絡しないと、大変なコトになるかもしんないよ?」

 そう久保田が男子生徒の背中に言った通り、すでに校内はいきなりエントリーした執行部の話題で持ち切りになっていた。まだプログラムにも記入されていない執行部のことがいきなり話題になっているのは、本部がわざとらしく情報を漏らしたせいである。
 賭けに参加している者は、すでにどこのクラブかクラスかに賭け終わっているに違いなかったが、今までエントリーしていなかった執行部が入ってくるとなると事情が違った。
 おそらく賭けに参加している生徒達が、執行部のいきなりのエントリーに騒ぎ始める。
 それが、賭けの元締めをどうしても捕まえたい松本の狙いだった。
 
 「おいっ、執行部がエントリーってどういうことだよ?」
 「俺もたった今知ったとこだぜっ」
 「…元締めに連絡した方が良くないか?」
 「連絡方法知ってんのか、お前?」
 「演劇部の先輩に知ってる人がいるから、ちょっと行って聞いてみる」
 「なら、執行部が優勝した場合どうなるのか、聞いといてくれよ」
 「わかった」

 そんな会話を友達らしい生徒と交わしているのは、桂木から封筒を受け取った生徒だった。
 その生徒は受け渡しをしている生徒の中でも、掛け金の受け渡しの回数が多いので久保田がマークしていた生徒である。
 本部が前々からしていた調査の初期段階では、それほど賭けをしている生徒の人数は多くないように思われたが、調べていくにしたがって予想外に大きくなっていった。
 賭けをしている生徒は、ざっと調べただけでも全校生徒のほぼ四割を占めていたが、その中にはクラブ全員でお金を集めて賭けている所もあるらしい。
 けれどそれほど大掛かりであるにも関わらず、元締めをしている人物が何者なのか知っている人間はほとんど皆無だった。そのため、受け渡し現場を抑えて捕まえても、結局、叩けるのは末端だけでその大元は捕まえられない。
 泳がせて様子を見たりしたが、金銭の受け渡しも直接ではなく、次々と人の手を転々と渡っていったり、郵送されていたりと経路が複雑になっていたため、それを追って行くのは容易ではなかった。
 
 「あっ、いたいた。柳先輩」
 「おうっ、大熊じゃねぇか。どうした血相変えて?」
 「じ、実は劇に執行部がエントリーするらしいんですよっ」
 「はぁ、そんな話なかっただろ? ガセじゃないのか?」
 「それがマジらしいんです」

 久保田は気づかれないように大熊と柳の会話を聞きながら、じっと辛抱強く二人の後を追っている。けれど元締めに到達するまでには時間がかかりそうだった。
 シンデレラが始まるまでまだ時間があったが、間に合うかどうかはわからない。
 それに次第に騒ぎが大きくなっているので、執行部がそれに巻き込まれる可能性が高かった。
 ヘタをすると、劇に出る前に妨害を受けるかもしれないのである。
 執行部は一応、腕に覚えのある人間ばかりだが、それでも安全とは言い切れなかった。
 そのため時任とのケンカもあったが、そういう意味でも久保田は松本を恨むと言っていたのである。
 松本が必要だったのは執行部がエントリーするという事実だけで、優勝するとかしないとか、そんなことは関係なかった。
 つまり松本はエントリーを許可する理由にかこつけて、完全に執行部を利用したのである。
 桂木は利用されたことにかなり腹を立てていたが、この事件を公にすることができないことに気づいたため、だまって封筒を届けざるを得なかった。
 賭けを請け負っている者、賭けている者を合計しただけでもかなりの数に上るため、全員を処罰すると校内だけの騒ぎでは終らないというのもあるが、実は賭けをしていたのが生徒だけではなかったのも原因の一つである。

 「学校行事は明るく健全にやらないとね?」

 久保田はそう言うと、大熊から封筒を受け取って歩き出した柳の跡をつけ始めた。







 桂木が屋上での用事を済ませて教室に戻ると、息を切らせて相浦が教室に入ってきた。
 さっき久保田から今の状況を聞いたばかりなので、桂木は相浦の話を聞く前から嫌な予感がしている。するとその嫌な予感は、当たってしまったのだった。
 
 「いてててっ、もうちょっと優しくしてくださいよっ」
 「男の子なんだから、ガマンなさいっ」

 桂木が相浦と保健室に行くと、執行部でやるシンデレラの王子役である藤原が足に湿布をして包帯を巻かれていた。手当てをしている五十嵐に足の具合を聞いたら、かなり酷く捻挫をしているため、今日の舞台に立つのは無理だと言う。
 せっかく練習してきたのだが、どうやら代役を立てるしかないようだった。
 「ったくっ、なんでこんな時にケガなんかしてんのよっ」
 「し、仕方ないじゃないですかぁっ、階段で誰かに押されたんですっ!」
 「押した相手の顔を見たの?」
 「いきなりだったんで、そんなの見るヒマなかったですよ〜」
 「なら、目撃者を探すしかないわね」
 「と、とにかくっ、そう言うワケで僕は出られませんから」
 「…出れなくなってうれしそうに見えるのは私の気のせい?」
 「き、気のせいですよっ、やだなぁっ」
 「わざとだったら、ただじゃすまないわよっ」
 「ケガ人なのに、疑うなんてヒドイじゃないですかぁぁっ」
 ハリセンを構えていた桂木の鋭い視線に、藤原がいつものように恐がっている。
 藤原を疑うようなことを桂木は言っていたが、本当は始めから藤原を疑ったりはしていなかった。
 シンデレラの重要な役である王子がケガをさせられたとなれば、これは明らかに執行部を出場させまいとする何者かの仕業に違いない。
 桂木は気合を入れるように藤原の頭をハリセンで叩くと、保健室に集まっていた相浦と室田、そして松原を見た。
 藤原が出られなくなった以上、この中から王子役を出さなくてはならない。
 けれど、今からやって間に合うとはとても思えない。
 演技力と記憶の面から考えると松原を相手役にした方がいいように思われるが、時任よりも身長が低い上に女が顔だった。身長だけ考えるなら室田だが、はっきり言ってお姫様役も限りなく似合わないが王子もかなり似合わない。
 相浦もインパクトが弱い上に背も低いので、あまり適任とは思えなかった。
 「王子役、どうするんだよ?」
 「どうするって聞くんじゃなくて、あんたも考えなさいよっ、相浦」
 「そう言われてもさぁ、いないじゃん」
 「ハッキリ言わないでよっ」
 桂木は、王子役がケガをするという緊急事態に頭を悩ませている。
 本部から頼まれた仕事をしている久保田が戻ってくるのを待つこともできるが、早く片付けるとは言っていたものの間に合うとはとても思えなかった。

 「恨むわよ…、松本会長っ」

 そう言いながら桂木が唸っていると、いきなり勢い良く音を立てて保健室のドアが開いた。
 何事かとここにいる全員がドアの方を見ると、そこには一人の男子生徒が立っている。
 その男子生徒が誰かということは、桂木を除いた全員が知っていた。
 「あっ、三宅先輩っ!」
 「…って、藤原の知り合いなの?」
 「ええっ、三宅先輩を知らないんですかぁ?」
 「ムカツク言い方するわねっ」
 「三宅先輩はテニス部のエースしてる上に背も高いし顔もいいって、校内だけじゃなくて他校にも人気あるんですよ?」
 藤原に説明されて改めて桂木が三宅を見ると、確かに藤原が説明する通り背も高いし顔も良かった。けれどだからと藤原のように騒ぐ気にはなれないが、人気があるというのもうなづける話である。
 桂木がじっと三宅を見ていると、三宅はニッコリと爽やかな笑みを浮かべて保健室に入ってきた。
 実は階段から落ちて足を怪我した藤原を、保健室まで運んできたのは三宅なのである。
 三宅がそばまで近づいてくると、藤原は少しうわずったような声で運んでもらった礼を言った。
 「ケガは大丈夫?」
 「はいっ、平気ですぅ」
 「それは良かった」
 「そう言えば三宅先輩って、毎年、テニス部の劇に出てましたよね? 今年も出るんですか?」
 「いいや、今年は出ないんだ」
 「そうなんですかぁ。僕はシンデレラの王子役で出るはずだったんですけど…」
 「その様子じゃ無理みたいだね?」
 そんな風に藤原と三宅が話している間も、桂木は王子の代役のことで悩んでいた。
 このままでは本当に松本の思惑通りに利用されただけで、棄権ということになってしまうかもしれない。だからそれだけは絶対に避けなくてはならなかった。
 桂木は利用されていることを知ってから、今までよりも更に優勝する気になってる。
 それはもし優勝しなければ、利用されてまでエントリーしたことが無駄になってしまうからだった。
  「この際、仕方ないわ…」
  桂木はため息混じりにそう言うと、室田と話をしている松原に歩み寄る。
 しかし、桂木が王子役を松原に頼もうとした瞬間、三宅が桂木に声をかけた。

 「王子役がいないんだったら、俺がやってやろうか?」

 いきなりの三宅の申し出に驚いて、桂木がマジマジと三宅の顔を見る。
 しかし三宅は本気らしく、驚いている桂木に向かってにっこりと笑いかけた。
 「台本はどうせ、演劇部から借りてやってるんだろ? それだったら、去年テニス部でやったヤツと同じだからやれるよ」
 「もしかして、王子役だったとか?」
 「そう王子役だったんだよ」
 「ホントに本気でやってくれるの?」
 「もちろんっ」
 桂木はどうにかして執行部内で王子役を決めようと考えていたが、一度シンデレラをしたことがある三宅がやってくれるというならその方が手っ取り早い。
 それにルックスから考えても、三宅が王子役をしてくれた方が、優勝の可能性がありそうだった。
 藤原が言うように、生徒達に人気があるならなおさらである。
 「じゃあ、王子役を頼むわよ」
 「安心してまかせてくれていいよ」
 「期待してるわ」
 三宅は王子役に自信があるようで、余裕の笑みを浮かべながら返事をする。
 だが、そんな桂木と三宅を見ながら、しきりに相浦が首を横に振っていたが桂木はそれに気づいてなかった。
 実は相浦は、あの衣替えポスターの一件を知っていたからである。
 けれど、相浦が止めようとする間もなく、王子役は三宅に決まってしまっていた。
 「絶対に、それはマズいって…」
 相浦が頭を抱えてそう言っていると、再び保健室のドアが勢い良く開く。
 するとそこには、シンデレラのお姫様役である時任が立っていた。
 「おいっ、藤原がケガしたってマジなのか?」
 「階段から落ちて捻挫したのよ」
 「ったく、なにやってんだよっ」
 「後ろから突き飛ばされたんだから、しょうがないじゃないですかっ!」
 時任が保健室に入ってくると、藤原が怪我して出られないこと桂木が簡単に説明した。
 そしてその桂木の横から、三宅が時任に向かって右手を差し出す。
 その手を時任が不審そうな顔をして見ると、三宅はまるで恋人に向けるような優しい笑みを浮かべた。

 「よろしくシンデレラ。君の王子役をすることになった三宅です」

 執行部の劇の開演まであと少し…。
 時任は王子役が久保田ではないのに、シンデレラにならなくてはならなかった。



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