姫君にキスを・4




 劇もそして配役も決まったので、次の日から執行部は極秘で練習に突入した。
 後、二週間しか練習できないのため、一日でも無駄に過ごすことは許されないのである。
 だが執行部員は文武両道に秀でているのが条件なので、全員記憶力はそれほど悪くはなく、セリフの暗記については問題がないようだった。
 しかし演技力という点においては、当然ながら全員が素人である。
 そのため、自然に桂木が全員の演技指導をすることになったが、実は演技指導の必要がない人物が部員の中に一名だけいる。その人物は生徒会室の窓枠までつかつかと歩いていくと、そこに溜まったホコリを指で擦って、それを息でふーっと吹いた。
 
 「なんですかっ、このホコリはっ!!」
 「お、お母サマ…」
 「ろくに掃除もできないなんてっ、お前はなんてダメな子なのっ!!」
 「ご、ゴメンナサイ…」
 「今日の食事は抜きよっ!」

 ジャンケンした結果、シンデレラの継母役に決まったのは松原だった。
 シンデレラを見る目つきも口調も継母そのものの松原は、やるとなったら徹底的にやる性格なのでかなりの迫力がある。普段がおとなしいだけに、松原の怒鳴り声にはかなりの威力があった。
 継母な松原に怒られているシンデレラの時任があまりの恐さにたじろいでいたが、時任だけではなく周囲にいる誰もが怖いと思っている。
 演技とは思えないほど怖い継母松原を見ながら、意地悪な姉役の相浦が近くにいた室田のそばにススッと寄っていった。
 「か、考え直すなら今の内だぞ…」
 「な、な、なんの話だっ、相浦」
 「このままだと確実に尻にしかれて、浮気したら殺されるぜ…、マジで」
 「お、俺は浮気など…」
 ぼそぼそと相浦と室田がそんな話をしていると、そんな二人の間を突然、ヒュンッと何かが飛んだ。
 その何かは二人の間をすり抜けるとガツッと壁に突き刺さる。
 恐る恐る相浦と室田が突き刺さった何かを見ると、それは松原愛用の木刀だった。
 「ま、松原…」
 「なに話してたんですか? 二人で」
 「べ、べつにたいした話はしてないぞ」
 「何か妙な単語が聞こえた気が…」
 「き、き、気のせいだっ!!」
 自分の肩よりも背が低い小さな松原を前に、室田が必死に言い訳をしている。
 そんな二人を見た相浦は、大きくため息をついて首を横に振った。
 「完璧にもう手遅れだな」
 そんな感じでシンデレラの劇の練習は一応順調に進んでいるかに見えたが、実は大きな問題が一つあった。その問題が起こることを予想してはいたのだが、これほどとは思っていなかったので桂木はこめかみをピクピクさせてしまっている。
 そんな桂木の横で、久保田がセッタを吹かしながらぼんやり練習風景を見ていた。

 「そこっ、大股で歩かないっ! あんたはシンデレラでしょっ!」
 「なんでシンデレラが大股じゃないってわかんだよっ!」
 「うるっさいわねっ! つべこべ言わずに内股で歩く練習でもしなさい!」
 「げぇっ、誰がやるかよっ!」
 「・・・・・・優勝できなくてもいいのね?」
 「うっ…、や、やればいんだろっ」
 
 桂木以外の部員が全員男なのは当然だったが、その中でも時任はズバ抜けて動きが大雑把でガサツである。ドレスを着ればシンデレラに見えるのは見えるだろうが、セリフも棒読みで動きもガサツではシンデレラの芝居にはならない。
 だが、とにかく文化祭までに時任をなんとかしなくてはならなかった。
 「久保田君…」
 「なに?」
 「ちょっと協力してくれない?」
 「もしかして、時任の演技指導しろとか?」
 「演技指導っていうんじゃないけど、もうちょっと女のコっぽく動けるようにしてくれたらいいわ。劇に出ないんだから、それくらいしてもいいでしょ?」
 「やってもいいけど、できるって保障はないよ?」
 「頼んだわよ、久保田君」
 桂木がそう念を押すと、久保田は軽く返事をしてセッタの灰を携帯用灰皿に落とした。
 そんな久保田の様子を見ながら、桂木は少し考え込むような表情をしている。
 実は桂木も時任と同じように久保田が王子になると思っていただけに、久保田の発言は以外だった。シンデレラは比較的ラブシーンの軽い方だが、一緒に踊ったり抱きしめあったりすることには変わりはない。なのに久保田は、こうやって練習風景を眺めているだけだった。
 
 「ああっ、なんて美しい姫なんだろうっ。どうかこの私と一緒に踊ってくれませんか?」
 「え、ええ、よろこんで…」

 劇の練習は進行し、シンデレラのストーリーにそって藤原の腕が時任の身体へとすうっと伸びる。
 だが時任は自分の腰に藤原の手が当たった瞬間、さっと後方に身を引いた。
 その自分の取った行動に、自分で驚いたらしく時任がハッとして目の前の藤原の顔を見る。
 すると藤原は、なぜか少し赤い顔をしていた。
 「ま、マジメにやってくださいよっ、時任先輩っ」
 「てめぇの手つきがやらしいからだっ!」
 「や、やらしいって、なに言ってんですかっ!!」
 時任は一緒に踊るのをかなり嫌がっていたが、藤原の方は嫌がる素振りをしながらもまんざらではない様子である。
 だが、ラブシーンの度に怒鳴り合いになるような状況ではまともな練習になりそうもなかった。
 これは劇だからと思ってはいても、藤原とのラブシーンは時任には到底できそうもない。
 しかし劇に参加する以上、どうしてもクリアしなくてはならない問題だった。
 「ううっ、なんでこんなコトで悩まなきゃなんねぇんだよ…」
 時任はそんなことを呟きながら唸っていたが、その視線は時々久保田の方を見ている。
 久保田は時任の視線に気づいているのか、相変わらず時任の方を眺めていた。
 劇でシンデレラをやることにはなったが、久保田の発言にショックを受けた時任がこの話題を二人の間で出すことを避けているため、この件について久保田がどう思っているか時任は聞いていない。
 だがこうして練習を見に来ているということは、久保田が劇のことをまったく気にしていないわけではなさそうである。

 「まったく、なんなのかしらねっ」

 お互いに視線を交わしながらも行動を起こさない時任と久保田を見ていた桂木は、台本を片手に腕組みをする。この劇をするからには優勝しなくてはならなかったが、この状態ではいい結果は望めそうにもなかった。優勝するには久保田が王子をやるのが一番手っ取り早かったが、やることがあるという以上、何を言っても動かないに違いない。
 桂木は松本会長との話の内容を思い出しながら、深くため息をついた。
 「思ったより、ややこしいことになりそうだわ…」
 いつも生徒会本部と関わるとろくなことがないが、今回もやはりそんな予感がする。
 結局、時任と藤原が怒鳴り合いになってしまうため、舞踏会のシーンと最後のシーンを飛ばして本日の練習は終了した。
 






 今日の練習が終ってマンションに戻った時任は、夕食を食べた後、台本を見ながらリビングに寝転がっていた。
 セリフは完璧とは言えないまでも、すでにほとんど覚えてしまっている。
 だがやはり、女らしい仕草と言葉づかいがうまく出来なかった。
 男だから当然と言えば当然なのだが、そんなことを言っている場合ではないのである。
 まだ二週間あると思っていたがすでに二日が過ぎているし、日曜日と当日を抜けばあとわずか十日しかなかった。

 「くっそぉっ、負けたくねぇのに…」

 そんな風に呟いていても、シンデレラがうまくできるようになるわけではない。
 今日、相浦からバレー部とバスケ部のお姫様の二人が、深沢と三池という二年の男子生徒なのだということを聞いたが、二人は生徒達の間でも美人だと前評判は上々だということだった。
 結局、白雪姫はこれ以上の争いを防ぐためにくじ引きが行われバスケ部がすることになったが、二人とも自分が優勝する気らしい。
 時任は台本を顔の上に載せると、小さくため息をついた。

 「そんなトコで寝てると風邪引くよ、お姫サマ」

 しばらくすると、そう言いながら歩いてきた久保田に顔の上から台本を取られたため、時任はいきなり眩しくなった視界に目をパチパチとしばたく。
 そうして目が明るさになれると、自分が寝ている隣りに座って台本を読んでいる久保田が見えた。
 久保田はパラパラと台本をめくって、速い速度で内容を読んでいっている。
 普段から本を読みなれているせいなのか、久保田の読む速度は時任の倍くらい早かった。
 「…台本返せよっ」
 「ん〜、もうちょっと読んでから」
 「久保ちゃんには関係ねぇだろっ!」
 「関係なくはないけど?」
 「なんでだよっ?」
 「やらないといけなくなったから」
 「何を?」
 「桂木ちゃんに時任を女のコっぽくしてれって言われたから、その練習」
 「・・・・・・・・」
 「王子様とか他の役のトコは俺が読むから…」
 そう言われた時任は、ムッとした表情で久保田を睨みつける。
 それは王子役を藤原に譲った上に、藤原とのラブシーンの練習を自分とやれという久保田が許せなかったからだった。自分は藤原とラブシーンをしなくてはならなくて、すごくそれが嫌なのに久保田は今も平然とした顔をしている。
 その顔を見ているとどうでもいいと言われた気分になって、時任は何かに耐えるように俯いて唇を噛みしめた。


 

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