姫君にキスを・3




 文化祭が行われるまで、あと二週間。
 これくらいの時期になると、次第にどのクラスもクラスも準備に大忙しである。
 だが、演劇大会にエントリーしたはずの執行部は表向きは全然それらしい動きがなかった。
 そのため、現時点では執行部がエントリーしたことを知っているのは執行部の部員達と生徒会本部のみである。
 けれどそうするように執行部員に言い渡したのは、松本会長ではなく桂木だった。

 『絶対に文化祭当日になるまで、あたし達が出場することはナイショにするのよっ』

 なぜそう言ったのか理由はわからなかったが、桂木の迫力に押されて全員が思わずうなづいてしまっている。しかし、そうする意味があるようにはとても思えなかった。
 いつもはこういう交渉は久保田を通してしていることが多いのだが、今回もやはりあの後、松本から久保田に呼び出しがかかっている。
 そのため久保田は、この件に関して他の部員と同じく何も知らない立場という訳ではなかった。
 「またなんか、松本がたくらんでんじゃねぇの?」
 「さあねぇ、交渉したの俺じゃないし」
 そんな会話を交わしながら、久保田と時任が生徒会室に公務ならぬ劇の演目を決めるために向かっている。時任が体育館で劇に出場すると宣言したことは誰もが知っていたが、時任のクラスは喫茶店の準備で忙しく劇をする余裕はまったくなかった。
 女子達の間でなんとか劇をやろうという動きはあったが、ヒロインである時任自身が断ったため、結局それで劇の話はされなくなってしまっている。残念がっているクラスメイトは何人もいたが、執行部ですることが決まっているため、時任は断らざるを得なかった。
 おそらく桂木はクラスで劇の話が出ることを見越して、慌てて本部に交渉に行ったに違いない。
 さすが執行部を仕切っているだけあって、桂木のすることに抜かりはなかった。
 松本の思惑が気にならない訳ではなかったが、本部が何を考えていようと劇で時任がヒロインをすることに変わりはない。そのため、時任は桂木にも何も聞こうとはしていなかった。
 とにかく今は劇を決めてやることが肝心ということで、時任は久保田とともに生徒会室のドアを開けて中に入ろうする。
 だがドアを開けようとした瞬間、廊下の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。

 「おいっ、待てよ」

 そう二人に声をかけてきたのは、同じ三年の三宅という男子生徒だった。
 三宅はテニス部に所属している生徒で、背も高いし外見も顔もかなり良い。
 実はルックスがいい上にかなりテニスもうまく常に目立っているため、三宅は女子からも男子からもかなり人気が高かった。その三宅がなぜ声をかけてきたのかはわからないが、三宅の視線は明らかに久保田を無視して時任だけを見ている。
 つまり三宅は二人にではなく、時任に声をかけたのだった。
 「なんか用か?」
 ほとんどの生徒が三宅に声をかけられれば笑顔で返事を返すが、時任だけは例外のようでそっけない返事がその口から漏れる。すると三宅は苦笑しながら、時任の前に歩み寄った。
 「文化祭、ヒロインで劇に出なきゃならないって、ウワサ聞いたんだけどさ。マジなのか?」
 「ああ、それならマジな話だぜ」
 「でも、時任のクラス劇やらないんだろ?」
 「喫茶店やるコトになってっけど?」
 「ならさ、テニス部に来ないか? 助っ人って感じでヒロインで出たらいいだろ?」
 三宅の突然の申し入れに、時任は少し首をかしげた後、隣りにいる久保田の方を見る。
 すると久保田は、時任に向かって軽く方をすくめて見せた。
 「わりぃけど、自分で出るトコ捜すから遠慮しとくぜ」
 「でも、もう日にちがないじゃないか」
 時任は三宅の申し入れをすぐに断ったが、三宅はあきらめられないらしく、しつこく時任にテニス部に来るように進めている。
 あまりにしつこいので時任が切れかかると、三宅の視線から時任を隠すように久保田が前に出た。
 「いい加減あきらめたら?」
 そう言った久保田の口調はいつも通りのままだったが、視線がそれを裏切っている。
 久保田はなぜか、完全に三宅を敵として見なしているような冷たい目つきをしていた。
 その冷ややかな視線を受けた三宅は、一瞬、凍りついたような表情になったが、そういう久保田の反応を予想していたらしくすぐに元の爽やかな表情に戻る。そうすることが出来たのは、実は以前に同じような視線を久保田に向けられたことがあるせいだった。
 「俺は時任に話してるんだぜ?」
 「だから答えてるんだけど?」
 「へぇ、時任に話すにはアンタ通さなきゃダメってわけかよ?」
 「ま、そんなトコ」
 平然とそう言ってのけた久保田に、さすがの三宅も顔つきが変わる。
 二人から発生する冷ややかな空気が、周辺の温度を下げていた。
 久保田の後ろでそんな二人の様子を見ていた時任は、いまいち状況の把握ができていない。
 しつこく誘われたので切れかけたが、時任は別に三宅を嫌っている訳ではなかった。
 「とにかく、テニス部には行かねぇからっ。行くぞ、久保ちゃんっ」
 時任はそう言うと、久保田の腕を引っ張って生徒会室に入っていく。
 そんな二人の姿を三宅が明らかに嫉妬しているという表情で見ていたが、それに気づいていたのは久保田だけで、時任はまったく気づいていなかった。








 「遅いわよっ、二人とも!」
 久保田と時任が生徒会室に入ると、桂木がそう二人に向かって怒鳴る。
 室内を見回すと、遅いという桂木のすでに執行部員全員がそろっていた。
 いつも皆で使っている机の横には、倉庫かどこかの教室から持ってきたと思われる黒板が置いてある。二人がいつも自分たちが座っている位置に座ると、桂木が黒板の前に立った。
 「じゃ、劇で何をやるかから決めるわよ…って言っても、できそうなものは限られてるわよねぇ。だからとりあえずできそうなのを書いていくから、その中から選んでくれる?」
 桂木はそう言うと、黒板に定番でこのメンバーでもやれそうな劇を書いていく。
 けれど、その数はそう多くはなかった。
 その並んでいる劇を見ながら久保田がぼーっとしていると、隣りに座っている時任が久保田を肘でつつく。それに気づいて久保田が時任の方を見ると、時任は真剣にじーっと黒板を見つめていた。
 「久保ちゃん…」
 「なに?」
 「この中でラブシーンが少ないのってどれだ?」
 「ん〜、そうだねぇ」
 時任にそう尋ねられて久保田は黒板を見たが、どれもそれなりにラブシーンがあるものばかりだった。だがそれはやはり優勝がかかっている以上、仕方のないことなのである。
 男同士でのラブシーンが多い方が観客受けがいいため、後で優勝を決める投票で優位だった。
 「とりあえず、キスシーンがないのはシンデレラ」
 「ほ、ほかのはあるのか?」
 「あるよ?」
 「そ、そっか…」
 時任は劇の内容よりラブシーンがあるかどうかを気にしていたが、実は書かれていないからいってラブシーンがないとは限らないのである。入れようと思えば、いくらでもアドリブが可能だった。
 他の部員達はぼそぼそと黒板を見ながら話していたが、やはりどれにするか決めかねているようである。桂木が多数決を取ろうとすると、松原がお茶をすすりながら桂木に提案をした。
 「時任が決めた方がいいと思いませんか? 時任が主役ですし」
 「そうねぇ、それはそれでも別にかまわないけど?」
 確かにどんな劇をするにしても、主役の時任がやる気にならなければ話にならない。
 そう松原も桂木も考えたようだったが、他の部員も決めかねていたので松原の案に賛成した。
 時任はいきなり決めろと言われて助けを求めるように久保田を見たが、久保田はぼーっと窓の外を眺めながらセッタをふかしている。それを見てムッとした時任は、久保田の口からセッタを奪い取って灰皿に押し付けた。
 「さっさと決めちゃいなさいよねっ。時間ないんだからっ」
 桂木にそう言われて、時任は再び黒板を見て眉間に皺を寄せる。
 どれも大体内容はわかっていたが、全部恋愛モノの話であることには変わりなかった。
 時任はうーんと苦しそうに唸ると、そんなに難しくなさそうでラブシーンの少なそうな劇を指差す。
 すると、相浦と室田が叫び声をあげた。
 「そ、それだけはよせっ!」
 「他のにしないかっ、なあ、時任っ!!」
 「ぜってぇっ、コレにするっ!!」
 やめろと言われればやりたくなるもので、時任は二人が止めるのも聞かず指差している劇をすることに決める。桂木はちょっと不満そうだったが、一度黒板を綺麗に消してから再びその劇の題名を大きく書いた。

 『シンデレラ』

 あまりにありがちな劇だが、その登場人物の内容を見れば相浦と室田が反対した理由がわかる。
 シンデレラには、当然、シンデレラだけではなく意地悪な母親と義姉たちというのがいたのだった。
 つまりシンデレラという劇は、女の登場人物の方が多いのである。
 だが、必死にまだ時任を説得しようとしている相浦達を無視して、桂木はシンデレラをやるのに必要な登場人物を黒板に書き始めた。
 意地悪な義姉AとB、継母、魔法使い、王子、そして主役のシンデレラ。
 他にも数個必要な登場人物を桂木は書いたが、やはり当然ながら執行部だけでやるには人数が足りない。しかし、桂木はそれを気にした様子はまったくなかった。
 実は口が硬くて協力してくれそうな所に、すでに桂木が助っ人を頼んでいたのである。
 やはりやると決めたからには、これくらいのことはすでに考えていたらしかった。
 「じゃあ、重要な役から順番に決めていくわよっ」
 桂木はそう言うと、王子と書かれている部分に丸印をつける。
 すると、この場にいるほぼ全員が久保田の方を見た。
 時任がシンデレラをするとなれば、やはり相手役は久保田しかいないだろう。
 それは他の執行部員達と同じように時任も思っているらしく、時任の視線も久保田の方に向いていた。けれど久保田が自分から王子をやると言い出すとは思えなかったので、桂木が何も聞かずに王子の下に久保田と名前を書こうとする。
 だが、黒板に久の文字が書かれた瞬間、ガタンッという派手な音を立てて何者かが立ち上がった。

 「ぼ、僕が王子役やりますっ!!!」

 そう大声で言ったのは、久保田にベタ惚れしているはずの藤原だった。
 この予想もしていなかった展開に、全員の視線が藤原に集中している。
 だが、この藤原の言葉に一番驚いていたのは、ヒロイン役であるシンデレラの時任だった。
 「なんでてめぇとやんなきゃなんねぇんだよっ!!」
 「久保田先輩を王子になんてっ、ぜっったいにさせませんからっ!!」
 「だ、誰も久保ちゃんが王子だなんて言ってねぇだろっ、バカっ!!」
 「じゃあ、あの黒板の久の文字はなんですか?!」
 「し、知らねぇよっ!!」
 「とにかくっ、僕は王子役に立候補しますからね!!」
 「立候補なんかすんじゃねぇっっ!!」
 立候補するしないで時任と藤原が、久保田を間に挟んで口げんかを始めている。
 劇の役は立候補した者がなるということになってしまうのだが、藤原が立候補するということを聞いても久保田は何も言わなかった。
 けれど藤原を相手役にしたら、後で時任と揉めることがわかっている。
 それをなんとするために桂木は小さくため息をつきながら、黙って時任と藤原の様子を見ている久保田に話しかけた。
 「王子に立候補しなさいよ、久保田君」
 「なんで?」
 「このままじゃ、時任の相手役は藤原になっちゃうじゃない。そしたら後が面倒でしょっ」
 「けど、こういうのってやりたいヒトがやればいいんじゃないの?」
 「…じゃあ、時任と藤原がラブシーンしてもいいわけ?」
 「劇なんだし、べつにいいも悪いもないと思うけど?それにちょっち用事あるから、劇の参加はパスしたいし…」
 「本気で言ってるの?!」
 「まぁね」
 藤原と口げんかしながら二人の会話を聞いていた時任は、王子をやらないという久保田の言葉に思わず黙り込む。別に進んでシンデレラをやりたいわけではなかったが、劇をやると決めた時から相手役は久保田だと時任は思っていた。
 なのに久保田は時任が藤原とラブシーンをしなくてはならないかもしれないというのに、平気な顔をして劇だしいいも悪いもないと言い切ったのである。
 時任は思わず久保田の方を向いたが、やはりいつもと同じ顔で平然としていた。
 そのことにショックを受けた時任は、桂木の手からチョークを奪い取ると、自分から王子の下に藤原と名前を書く。そんな時任を、藤原は複雑な表情で見ていた。
 
 「あとの役っ、ジャンケンでもなんでもいいからさっさと決めろよっ!」

 ヤケになったように時任がそう言うと、その迫力に押されて相浦と室田、そして松原の三人がジャンケンをし始める。完全にむきになってしまっている時任を見て桂木は盛大にため息をつき、久保田はポケットに手を伸ばしてセッタをくわえた。
 こうして結局、劇の配役はシンデレラが時任、王子が藤原となったのである。
 けれど久保田は、本当に自分で言った通りなんの役にもならなかった。
 いつもなら絶対参加だと怒鳴るはずの桂木は、なんの役にもならなかった事情をわかっているのか何も言わない。
 桂木が演劇部から借りてきた台本を配ると、時任は沈んだ表情でそれを読んでいた。

 「久保ちゃんのバカ…」
  
 劇でなにをするかは決まったが、文化祭まで波乱の日々が続きそうな予感がしていた。



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