姫君にキスを・2
体育館で墓穴を掘った次の日、自分がヒロインをするから一緒に劇をしてくれなどとクラスメイトに頼めるはずもなく、時任は珍しく朝から苦悩の表情をして唸っていた。
普段は考えるよりもまず始めに行動するタイプだけに、考えても考えてもいい案は浮かばない。とりあえず久保田は有無を言わせず参加させるとしても、それだけではやはり人数が足りないし、劇には部活とかクラスで申し込まないとエントリーできなかった。
「くっそぉ、どうすりゃいいんだよっ」
時任はそんな風にぶつぶつ言いながら、机に突っ伏してしまっている。
力技でどうにかできることならするのだが、今回ばかりは勝手が違っていた。
どう考えても、自分だけで解決できる問題ではないのである。
時任は意地っ張りなので、人に頼みごとをするのはかなり苦手だった。
「なに死んでの?」
放課後になっても机に突っ伏したままの時任のそばに、鞄を持った久保田が立つ。
すると時任は久保田のシャツの袖をぐいっと引っ張った。
「なぁ、久保ちゃん…」
「ん?」
「文化祭って、ぜってぇ中止になんねぇのか?」
「なんないと思うケド? 雨降ってもやるし」
「台風が来たら?」
「さあ?」
時任らしくないセリフだが、勝負の内容が内容だけにそう言いたくなるのもわからないでもない。久保田はそんな時任を見て小さく息を吐くと、時任の髪をなだめるように優しく撫でた。
「文化祭、一緒にお休みする?」
「・・・・・・・」
「したくないでしょ?」
「…うん」
「だったら、やらなきゃね?」
「そうだよな…、やっぱ一回決めたことは、やらなきゃダメだよなっ」
「そうそう、協力してくれそうなヒトもいるしね?」
「えっ?!」
久保田の言葉に、思わず時任が勢い良く机から顔をあげる。
するとその瞬間、時任を見つめていた久保田の視線と、時任の視線がピッタリと合った。
別に目が合ったからといって見つめ合う必要はないのだが、なぜか二人はじーっと視線を絡み合わせたまま動かない。そうしている内に二人を中心に妙な空気が流れ始め、周囲のクラスメイトたちの視線が二人に集中し始めた。
「久保ちゃん…」
「時任…」
久保田の袖を握っている時任の手と、熱く見つめ合う二人の視線。
まるで熱烈なラブシーンでも見ているかのように、なぜかこの二人を見ていると恥ずかしくなってくる。クラスメイトたちが二人のこれからの行動に注目していると、時任は切なそうな顔をして久保田に向かって話しかけた。
「腹へった…」
その言葉を聞いた瞬間、この場にいたクラスメイトのほとんどがガクッと肩を落す。だが、それはまだ軽症の方で、一番ひどい被害を受けたのはドアから出ようとして激しく壁とぶつかってしまった男子生徒だった。
本当ならここで同じクラスの桂木がハリセンを振り上げるところだが、今日はなぜかどこにも姿が見えない。実は桂木は何か急用でもあるのか、授業終了のチャイムが鳴るなり教室を飛び出して行ったのだった。
「昼メシ食ってないからっしょ?」
「悩んでて食うの忘れてた」
「パンなら残ってるけど?」
「あとで食うっ」
時任と久保田がそんな会話を交わしながら教室を出て行くと、なぜかクラス中から大きなため息がいっせいに聞こえる。毎回勘違いだとわかっていても、やはり二人の間に妙な雰囲気が流れると気になってしまうのだった。
それ故、桂木は時任と久保田を有害として取り締まっているのだが、やはり取り締まりは十分とは言えない。幸か不幸か、クラスメイト達は、卒業までこの二人と離れられないのだった。
「協力してくれそうなヤツって誰だよ?」
「時任が良く知ってるヒト」
協力してくれそうな人がいると久保田は言っていたが、そう言いながら二人が向かった先は生徒会室である。
生徒会室に行くのはこれから公務なので、いつも通りで当たり前だった。
時任がムスッとして久保田を見たが、久保田は気にした様子もなくドアを開ける。
するとそこにいたのは、やはり執行部員と補欠だけだった。
「久保田せんぱーいっ!!」
目ざとく久保田が来たこと発見した藤原が、キラキラとした笑顔を浮かべて久保田に向かって両手を広げて走ってくる。これから久保田に抱きつく気らしいが、その前に時任の蹴りが藤原の前進を食い止めた。
「いてっ! な、なにするんですかっ、時任先輩っ!!」
「久保ちゃんに近寄んなっ、このブサイクっ!」
「そういうセリフは鏡を見てから、言ってくれませんか?」
「てめぇこそ、鏡見たことあんのかよっ!」
「当然っ、僕は毎日見てますよっ!」
「ブサイクなクセにナルシストでやんのっ!」
「く、久保田せんぱーいっ、時任先輩がヒドイんですぅ〜」
「久保ちゃんにさわんなっ!!」
なんとかして久保田に近づこうとする藤原と、それを防ごうとする時任。
そんな二人の攻防戦が久保田の周りで続いていたが、久保田はそれを止めたりはせず、パソコンのキーボードを叩いている相浦に声をかけた。
「桂木ちゃんは、まだ来てないの?」
「なんか知らないけど、生徒会本部に行ってから来るってさ」
「ふーん、じゃあもう頼む必要ないかもね?」
「なんの話だよ?」
「べつになんでも?」
「まあ、いいけどさ」
相浦との会話が終ると久保田は時任と藤原の争いをすり抜けて、机の上に鞄を置いてから椅子に座った。そしてポケットの中からセッタを取り出すと、ライターで火をつけて吸い始める。
いくらタバコを吸うことを黙認されていても、さすがに授業中は吸っていないので、やはり生徒会室に来ると吸いたくなってしまうのだった。
立ち上る煙越しに久保田が時任を見ると、時任はまだ藤原との言い争いをしている。
毎日見慣れた光景だったが、時任が楽しそうに見えるのはおそらく気のせいではなかった。
久保田は煙を深く吸い込んでため息のように吐き出すと、時任に向かって手招きする。
すると時任はすぐにそれに気づいて、藤原との言い合いを中断して久保田のそばまでやってきた。
「なに? 久保ちゃん」
「ん〜、やっぱ今日はちょっと前髪はねてるなぁって思って…」
「げっ、マジ?」
「朝、ちゃんと直したんだけどねぇ?」
そう言うと久保田は、腕を伸ばして時任の前髪を手ぐしで整えて直す。
そんな二人の様子を藤原があ〜っと声を上げながら見ていたが、久保田に直してもらうことが普通らしく時任は平然としていた。
「直ったよ」
「サンキュー」
「パンそこにあるから、食べなさいね?」
「わぁったっ」
久保田に言われて腹がすいていたのを思い出したのか、時任は机に乗っているパンの袋を開けて食べ始める。
だが実は机に乗っていたのはパンだけではなく、ちゃんとジュースも乗っていた。
久保田は残っていたと言っていたが、本当に残っていたかどうかは不明である。
藤原は少しの間時任を眺めていたが、さすがにパンを食べている相手と言い争いを続ける気はないため、本日の二人のコミュニケーションは終了だった。
「まさか毎朝、時任の髪を久保田が…、なんてなっ」
「・・・・・・ありそうで否定できん」
「じょ、冗談で言ったに決まってるだろ! マジになるな、室田っ」
「あれ、そうなんじゃないんですか?」
「ま、松原…」
騒ぎがおさまると、そんな会話をしながらのんびりと執行部員達がそれぞれのすることに没頭し始める。
だが、ようやく静かになった生徒会室のドアが、いきなり大きな音を立てて勢い良く開け放された。
実はおさまったかに見えた騒ぎは、本日はまだまだこれからだったのである。
「みんなっ、そろってるわねっ!!」
そう言いながら生徒会室に入ってきたのは、生徒会本部に行っていた桂木だった。
桂木はキリリとした表情でつかつかと机の前まで歩いていくと、その机をパァァンッと勢い良く片手で叩く。するとその手の下には一枚のポスターが置かれていた。
「これに全員で出て優勝するのよっ」
「もしかして、文化祭のですか?」
「生徒会本部にはうまく言って、もうエントリーしてきたから」
「け、けどこれって…」
「なんか文句あるの、藤原っ」
「い、いえ、ありませーん…」
藤原は何かを言おうとしたが、桂木の迫力に押されて冷汗をかいている。
そして、相浦、松原、室田の三人の顔の顔色も心なしか悪くなってしまっていた。
『私立荒磯高等学校、文化祭恒例演劇大会』
桂木が持ってきたポスターには書かれていないが、実は演劇大会の劇はヒロインは男でなくてはならないという特別な決まりがあるのである。その決まりができたのは、まだ共学になったばかりの頃、女子生徒のいないクラスがあったために作られた決まりだった。
女子生徒の人数が増えて部活の女子部も今では出来ているが、そうなった今でもその決まりをやめようとは誰も言わないのである。
それはおそらく、女子生徒達も男がやった方が面白いから思っているからなのだろうが、男子生徒達がどう思っているかは謎だった。
「お、俺はやらないからなっ」
桂木が本気で執行部で劇に出る気だと知った相浦は、ブルブルと激しく頭を振りながら、即座にヒロインの座に座るのを拒否する。
すると室田がダンベルを持ち上げている手を止めて、首を横に振った。
だが、ここにいる誰もが室田の女装は見たくないと思っているに違いない。
想像力豊かな藤原が運悪く室田の女装を想像してしまったらしく、気分を悪くしていた。
やはり、想像力も豊か過ぎると問題のようである。
けれどそんな面々に向かって余裕の笑みを見せると、桂木は胸の前で腕組みをした。
「心配しなくても、もうヒロインは決定してるわっ」
「決定してるって、誰に?」
桂木の宣言に相浦は首を傾げたが、その視線は松原に向いている。
そして、同じように室田の視線も松原に向いていた。
「なぜ、こっちを見てるんですか? 室田」
「い、いや、べつに…」
「問答無用っ!!」
「ぐあっ!!」
正直者の室田は松原の木刀の餌食になってしまったが、実は室田の予想は完全に外れていたのである。
それがわかっている時任は、ジュースを飲みながら一歩ずつ後ずさり始めていた。
だが桂木が、そんな時任に笑みを浮かべたまま視線を向ける。
いつの間にか桂木の手には、ハリセンまで握られていた。
「まさか、自分でやるって言っておいて逃げないわよねぇ?」
「な、なんの話だよ?」
「昨日、体育館でヒロインやるって言ったそうじゃない? しかも、バレー部とバスケ部に勝つって宣言して…」
「し、知らねぇよっ、そんなのっ」
「男だったら、言ったことはちゃんとやりなさいよねっ」
「男だから、やりたくねぇんだっつーのっ!!」
あの二人に負けるのも逃げるのも嫌だったので、一度はやると決めていたのだが、いざ桂木にヒロインをやれと言われると決心が鈍ってくる。
時任は自分の女装姿を想像しかけて、ブルブルと頭を振った。
「ううっ、イヤすぎる…」
そう呟いて桂木の魔の手から逃げようとしたが、誰かが時任の腕を逃げられないように強くつかんでいる。時任がおそるおそるつかんでいる手の持ち主を見ると、その持ち主は微笑を浮かべて時任を見ていた。
「がんばって、お姫サマになろうね?」
「く、く、久保ちゃんっ」
時任はどうやって出場するか悩んでいたが、実は時任がヒロイン役をすると言ったことを聞きつけた桂木がすでに執行部での出場を決めてしまっていた。
だが、今まで執行部には公務があるため、演劇大会に出場したことはない。
異例で執行部エントリーを認められることになったのは、桂木が会長である松本と交渉した結果だったのである。
しかしその交渉の内容がどんなものだったのか、今はまだ桂木しか知らなかった。
戻 る 次 へ
|
|