姫君にキスを・1
この間まで夏だと思っていたのに、いつの間にか空気が涼しくなって、気がつけば10月になってしまっている。それはこの私立荒磯高等学校も例外ではなく、廊下には秋の衣替えのポスターが貼られていた。
そのポスターのモデルは例のごとく、久保田と時任が務めている。
今回の構図は、久保田から後ろから時任に学ランを着せ掛けているというものだった。
ちょっと俯き加減な時任と、その横顔を優しい表情で見つめる久保田。
構図は意外にワンパターンだが、二人のラブラブ度はかなり上がってきているような気がするポスターである。
それが一枚だけ生徒会室に飾られていたが、貼ったのはやはり時任だった。
『やっぱ俺様がモデルだと一味違うよなっ』
自分を美少年というだけあって、時任は目立つことが大好きである。
そのため、いつもポスターははりきってモデルをしていた。
けれど久保田の方は、なぜ何も言わずにモデルになっているのか謎だった。
別にモデルは生徒会本部の会長と副会長でもいい気がしたが、やはりこちらの方がシャレにならないからかもしれない。
「ったく、ホント毎回良くやるわよね」
「ま、恒例だし」
桂木はイチャイチャしている二人が写ったポスターを見て、有害だと思っていたがあきらめがちにため息をついている。
そんな桂木に短く返事をした久保田は、セッタを吸いながら麻雀雑誌を読んでいた。
桂木はポスターから視線を外すと、すでに衣替えになっているにも関わらず学ランを着ていない久保田を眺める。実は久保田は、学ランを着ている時より着ていない時の方が圧倒的に多かった。
「呼びかけてる本人が着てないってのは、説得力ない気するんだけど?」
「呼びかけてるのは時任で、俺じゃないっしょ?」
「そう言われればポスター、学ラン着てるの時任だけよね」
「そゆこと」
確かに久保田の言う通り、学ランを着せられているのは時任である。
けれど、やはりそれは単なるヘリクツのような気がするのだった。
久保田は携帯用灰皿に灰を落すと、いったん外を眺めてから、次に室田たちと雑談している時任を見る。
そして意味あり気な笑みを浮かべると、雑誌を閉じて椅子から立ち上がった。
「まぁ、涼しくなったのはうれしいけど?」
「暑いのが苦手だから?」
桂木がそう久保田に問いかけたが、久保田はそれには答えずにドアに向かって歩き出す。そして、歩きながら片手をポケットに突っ込むと、もう一方の手を軽く横に伸ばした。
「見回りに行くよ、時任」
「おうっ」
時任は久保田に呼ばれると、室田たちとの話を中断して見回りに向かう。
ドアの出口で待っている久保田に時任が追いつくと、久保田は時任の肩に伸ばしている方の手を回した。
その動作があまりにも自然なのでいつも見落としがちだが、肩に手を回す瞬間、時任を見ている久保田の視線はかなり優しい。
そんな久保田の視線を見た桂木は、深く長くため息をついた。
「なんとなく、涼しくなって良かったわけがわかった気がするわ」
桂木がそう言って納得したのは、夏の間は久保田が時任の方に腕を伸ばすと暑苦しいといわれていたのを思い出したからだった。
秋らしくなって涼しくなった今は、時任も暑くないので久保田の腕が気にならないらしい。
そういう意味で、おそらく久保田は涼しくなって良かったと漏らしたに違いなかった。
「ったく、やってらんないわよねっ」
桂木はそう言うと、今月の経費の計算をするために電卓を叩き始める。
けれど、今月もやはりはりきって公務に励んでいる誰かさんのせいで大幅に赤字が出ていた。
久保田と時任が見回りをしていると、体育館に近づいた辺りで前から男子生徒が一人走ってくるのが見えた。
必死の形相をしているので、間違いなく何かがあったらしいことがすぐにわかる。
二人は顔を見合わせていると、男子生徒は二人の前に倒れこんだ。
「く、久保田…、時任…来てくれ、体育館でケンカだ…」
息もたえだえになっているので、よほど急いでココに来たらしい。
良く見れば男子生徒は何者かに殴られたらしく、頬の辺りが赤くなっていた。
なんとなく今回のケンカはいつもよりも多人数でやっていそうである。
時任は生き生きと楽しそうにニッと笑うと、肩に置かれていた久保田の腕から離れて体育館に向かって勢い良く走り出した。
「早く行こうぜっ、久保ちゃんっ」
「走らなくってもいいんじゃない?」
「早く行かねぇと、終っちまうかもしんねぇだろ?」
「なるほどねぇ」
時任はお祭り好きの騒ぎ好きなので、公務という名目ではなくても、こういうことに首を突っ込みたがる。久保田の方はそんな時任に付き合って現場には行くが、手出しをせずに見ていることがほとんどだった。
「楽しくお仕事ってのも、悪くないけどね」
そう呟くと、久保田も時任の後を追って走り出す。
すると体育館方面から叫び声や悲鳴が聞こえてきた。
どうやら状況は、本当にあまり良くないらしい。
二人が体育館の入り口に到着すると、中ではバスケ部とバレー部の男子がほぼ全員で乱闘を繰り広げていた。
これくらいの人数になると、拳での仲裁は余計に被害を大きくするだけである。
時任は小さく舌打ちすると、入り口の扉を力一杯蹴飛ばした。
バァァーンッ!!!!
体育館の中に扉を蹴った大きな音が鳴り響くと、体育館にいる全員が時任の方を向く。すると時任は、その全員に向かって不敵な笑みを浮かべた。
「騒ぎある所に俺様ありっ、生徒会執行部見参っ!!!」
「右に同じく〜」
時任が笑みを浮かべたまま中に入ると、続いて久保田も面倒臭そうな様子で中に入る。
執行部が来たことを知ったバスケ部とバレー部はケンカをピタリ止めて動きを止めていたが、ケンカを止めない男子生徒が二人だけいた。
「お、おいっ、執行部が来たぞっ」
「やめろって、深沢!」
周りはその二人を止めようとしていたが、二人は周囲の声など聞こえないようで殴り合いに没頭してしまっている。しかし、その二人は男子生徒にしては体格が小柄で、どちらかと言えば殴り合いとは無縁のように見えた。
時任はそんな二人の前に立つと、バキリと一回指を鳴らしてから、
「おらっ、いい加減にしねぇとぶっ飛ばすぞっ!!」
と、言いつつ二人に拳を繰り出す。
拳の威力はいつもより弱かったが、二人を吹っ飛ばすには十分だった。
「うわっ!」
「いてっっ!!」
二人は見事に床に転がったが、なぜかその二人に向かって周囲の男子生徒達が心配そうな顔をして寄っていく。
しかも二人の周りの誰もが口々に大丈夫かとか、怪我はないかと言っていた。
その様子はどう見ても、二人とも男であるにも関わらずまるでお姫様あつかいなのである。
それを見ていた時任は、不審そうな顔をして二人を指差した。
「…なんなんだよ、アレ?」
「う〜ん、見たまんまじゃないの?」
「見たまんまってなんだよ?」
「だから、あの二人はバレー部とバスケ部のお姫サマなんじゃない?」
「はぁ?」
久保田がそこまで言っても、時任には何のことかわからないようである。
確かに二人とも容姿は人並み以上に整っているし、背丈もあまり大きくなくて華奢だったが、どこからどう見ても十分男に見えた。しかし、体格のがっしりした運動部員達に囲まれていると、妙な錯覚を起こさないでもない。
だが、この二人がバレー部とバスケ部のお姫サマだということがわかっても、なぜこのお姫様二人がケンカしているのかは謎だった。
「お前らが変えろよっ!」
「てめえらが変えろっ!」
二人は時任に殴られても、まだそんな言い争いを続けている。
そうしている内にまたケンカが始まりそうだったので、時任が二人の間に立った。
別に止める必要もないように見えたが、また乱闘が始まっては面倒だったからである。
「…で、なんでお前らケンカしてんだよ?」
二人の様子にあきれながらそう時任が言うと、二人は凄い剣幕でお互いを指差した。
『こいつが悪いっ!!』
どうやら二人とも同意見のようである。
お互いにお互いが悪いと思っていて、どうにも収集がつかない感じだった。
時任が再び言い争いを始めた二人にこめかみをピクピクさせていると、その肩を久保田が軽く叩く。どうやら久保田は他の部員から事情を聞いたらしかった。
時任が叩かれた方を向くと、久保田は聞いたことを時任に話した。
「今度の文化祭でバレー部とバスケ部が同じ劇するらしいんだけど?」
「そういや、もうじき文化祭だっけ?」
「掲示板に貼ってあったっしょ?」
「ふーん…、で、その劇って何すんだ?」
「白雪姫」
「・・・・・両方とも男子部だろ?」
「そうねぇ」
「誰が白雪姫すんだよ?」
「お姫サマなあの二人」
久保田がそう言うと、時任は不審そうな顔をして言い争いをしている二人を見る。
どうやらこの二人が劇で白雪姫をするらしいが、先輩達の期待を背負っているからなのか、商品のためなのか、どうもかなりやる気になっているようだった。
「俺らが先に決めたんだぞっ!」
「ウソつくなっ!!」
言い争いはどちらが先に決めたかから、なぜかどちらが美人かにまで次第に発展し、一向にケンカに収集がつく様子はない。
時任は知らなかったが、この二人は例の抱きたい男ベスト10の5位内に入っていた。
一位の橘とはかなり票差があるが、二人が入っていることには変わりない。
たぶんそのため、この二人がヒロインに選ばれたに違いなかった。
「てめぇは5位だろっ!」
「一コ上だからって、いばんなっ!!」
「なんだとぉっ!!」
はっきり言って泥沼状態である。
お互いに一歩もゆずらないので、決着は付きそうにもなかった。
白雪姫の他にも眠り姫とかシンデレラとか色々あるのだが、毎年の統計を見ると白雪姫をやった所が優勝しているパターンが圧倒的に多い。そのため双方ともどうしても譲りたくないらしいのだが、バレー部とバスケ部がケンカしていたのはこの二人が白雪姫じゃないと…、つまり優勝できる見込みがないならヒロインを降りると言い出したからだった。
「たくっ、いい加減にしやがれっ!!」
二人の不毛な言い争いにブチ切れた時任が、ドスドスと再び二人の前に歩いていく。
そしてすぅっと息を吸い込むと、体育館中に響く声で二人を怒鳴りつけた。
「ウダウダとうっせぇんだよっ、てめぇらっ!!! いっちゃん美人で美少年なのは、この俺様に決まってんだろっ!!!!」
二人のケンカをやめさせるために怒鳴ったのはいいが、話が微妙にずれてしまっている。時任が二人に向かってそう宣言すると、二人は言い争いをやめてじーっと頭の上からつま先まで時任を眺めた。
「どこに美少年がいるんだ?」
「そんなのいたっけ?」
さっきまでケンカをしていたが、二人の意見は一致している。
そんな二人の様子を見た時任はわなわなと拳を震わせて、さっきよりも更にこめかみをピクピクさせていた。
嫌な予感がするのか、久保田はそんな時任の後ろで小さく息を吐く。
けれど、今の時任を止めることは久保田にも困難だった。
時任はプライドが山のように高いので、こんな大勢の前でコケにされて黙っていられる性分ではないのである。
「俺様がどんなに美少年かっ、舞台でてめぇらに見せてやるっ!!!」
後先考えずにそう言った時任は、ヤル気十分だった。
しかし、舞台に出るということは自分が女装しなくてはならないということで、ヒロインになると言うことはもちろんラブシーンを演じる相手役がいるということになる。
二人に挑戦状を叩きつけてしまった後、ハッとそれに気づいた時任が顔を強張らせたが、叩き付けられた二人はすでにやる気になっていた。
「おもしれぇ、受けて立つぜっ!」
「ふんっ、取り消すなら今の内だぞ」
時任は冷汗を浮かべていたが、なんとか持ちこたえて二人を睨みつけている。
自分から言い出したことだけに、それを取り消すことはもう完全に不可能だった。
「く、く、久保ちゃん…」
「ん〜、なに?」
「どうしよ?」
「やるしかないんじゃない?」
「ううっ…」
かくして時任は自ら墓穴を掘りまくり、どうしても文化祭の劇にヒロインとして出場しなくてはならなくなったのである。題目も何もかもまだ決まっていないが、とにかく慌しく文化祭の準備を始めることになったのだった。
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