ひこうき雲.4
放課後の生徒会室から外を眺めると、そこからは見慣れたいつもの風景が見える。だが、少しだけいつもと違うのは、久保田と香坂が仲良さそうにそこを歩いていることだった。
そんな久保田と香坂の様子を見ていた藤原は、ポケットから出したハンカチをキリキリといわせながら噛んでいる。かつて生徒会本部で会計をしていたので香坂のことは知っていたが、やはりあんな風に並んで歩いているのを見るのは心中穏やかではなかったのだった。
香坂は時任と身長も黒髪というところも同じせいか、久保田と並んでいてもそれなりに様になっていて違和感がない。
そんな香坂を見ていると目の前の窓から飛び出してジャマしてやりたい気分になるが、ボディーガードをしているからだと知っているためなのか、さすがの藤原も何もする気はないようだった。
しかしさっきから一人で叫びながらもだえているので、本当に耳をふさぎたくなるほどかなりうるさい。自分の定位置の席で時任が破壊したドアの修理費を計算していた桂木は、込めかみをピクピクさせながら置いてあったハリセンをぎゅっと握りしめて藤原の上に振り下ろした。
「さっきからいちいちうるさすぎんのよっ、あんたはっ!」
「な、なにすんですかっ!!! 痛いじゃないですかっ!!」
「静かにしないと、もう一発食らわすわよっ!」
「そっちはいちいち野蛮すぎ・・・・・」
「なに? 今、なにか言ったかしら? 良く聞こえなかったからもう一回言ってくれる?」
「な、なにも言ってませんよ〜っ、やだなぁ…」
そんな調子で藤原と桂木はいつものように騒いでいたが…、その二人の近くにいた時任は面白くもないドラマを見ていた昨日ように、やりかけているゲーム画面ばかりを見つめている。
香坂と歩いている久保田のことが気にならない訳ではなかったが、藤原のように窓辺に行く気分にはなれないようだった。
けれどいつものように物を破壊する様子はなく、静かすぎるくらい静かで…、
そんな時任を見ている執行部員達は、その様子を不審に思っていた。
今回はいつものように、久保田がしていることの理由を誰もが知っている。だから時任も騒いでいないのではないかという気がしないでもなかったが…、本当にあまりにも静かすぎるので気になって仕方がなかった。
例の幽霊の時のこともあってか、部員の中でも特に相浦が時任のことを気にしている。
桂木は時任となぜか相浦の方を見て小さく息を吐いたが、相浦はさっきから時任の方ばかりを見ていて気づかなかった。
「幽霊は相変わらずついてるみたいだけど…、なんかヘンだよな」
「そうだな…」
「・・・・室田は、久保田と幽霊とどっちが原因だと思う?」
「うーむ…、両方じゃないのか?」
「やっぱそんな気がするよなぁ…」
「本人に聞いてみたらどうだ? 相浦」
「そ、それはそうなんだけどさ」
「なんだったら、俺が聞いてやってもいいが?」
「室田…」
昨日励ましてもらったことがうれしかったのか、室田は相浦の肩に大きな手をガシッと置くと、様子のおかしい時任の方に向おうとする。
そんな二人の間にあるのは、やはり愛の炎では友情の熱き血潮だった。
昨日は夕日が見えていたが、今日の二人のバックには爽やかな青空が広がっている。
しかし、松原との愛ではなく相浦との友情を深めてしまっている室田が時任の座っている椅子の横に立つと、そのタイミングをはかったかのように…、
時任がガタンと音を立てて、ゲームをやめてすわっていた椅子から立ち上がった。
「時任?」
「・・・・ちょっと用事あるから出てくる」
室田が呼び止めようとしたが、それを振り切るようにして時任が生徒会室を出ていく。
けれど…、香坂と歩いている久保田の所に行くつもりはないに違いなかった。
時任と久保田は執行部では相方をしているが、この二人の関係につける名前を室田も相浦も…、そしていつも二人に向ってハリセンを構えている桂木も知らない。
だが、こうして一人でいる時任を見ていると、なぜかとても違和感を覚えた。
やはり一人でいることもこんな風にたまにはあるが、今回はなぜか静かすぎる空気が少し寂しく痛く感じられる。
それは、もしかしたら時任が一度も久保田の方を見ようとしないせいかもしれなかった。
「何かあったことだけは、確かなのかもしれないわね…」
桂木がそう言いながら再び息を吐くと、やっと窓から室内の方に視線を戻した藤原がじっとドアの方を見つめる。さっきまで藤原は久保田のことで騒いでいたが、今はさっきまでここにいた時任と同じように静かになっていた。
いつもは時任と久保田をめぐって争ってはいるが、なぜか久保田だけでははなく時任のことも気になっているらしい。
藤原は桂木のようにため息をついたりはしなかったが、靴で床を軽く蹴った。
「僕の時だけジャマして、アイツの時はジャマしないなんて…、ずるいですよっ」
「そう思うんなら、代わりにあんたがジャマしに行けばいいじゃない」
「・・・・・・ジャマしにって、簡単に言わないでくださいよっ。そんなのできるはずないじゃないですかっ」
「できるはずないって…、それって本部関係だから?」
「答えたくありませんよっ、そんなのっ」
桂木に向ってそう言うと、藤原はくやしそうに唇を噛む。
確かに桂木の言うように本部がらみだということもあったが、それよりも何よりもたとえ邪魔をしたとしても、所詮は自分も香坂と同じ立場でしかないことを自覚していたからだった。
邪魔をすることができたとしても、久保田の腕を引っ張って自分の方に引き寄せることはできないし…、時任のように名前を呼んでも久保田はついてきてくれない。
そのことを誰よりも知っているのは、いつも時任と久保田のジャマをしている藤原自身だった。
たとえ同じことをしても…、時任と藤原とでは違いすぎて…。
何をしても邪魔にしかならないことが、時々どうしようもなくやりきれない気持ちに変わる。
だからこそ…、時任にはこんな風に黙って見ているのではなく、久保田の腕を自分の方に引っ張って欲しかったのだった。
「・・・・・・なんかムカツク」
藤原は香坂でなく、時任の出て行ったドアの方を見てそう言うと、手に持っていたハンカチを窓から外に向って落とす。そのハンカチがひらひらと落ちる様子は室内からは見えなかったが、桂木はそれと同時にドアを開けて時任の後を追おうとした。
そうしようとしたのは生徒会室を出る瞬間に見た時任の顔が、悲しそうに見えたからだったが…、いつもなら桂木ではなく久保田がする役目である。
だが、久保田は香坂のボディーガードでここに…、時任のそばにはいなかった。
「ちょっち出てくるから、後は任せるわ」
桂木は相浦にそう言ったが、言われた相浦も桂木と同じように生徒会室から出ようとしている。そんなに相浦に向って待っているように桂木は言おうとしたが、相浦は桂木の言うことを聞こうとはしなかった。
本当に時任のことを心配して、相浦は後を追おうとしていたのである。
だが、そんな風に相浦が時任のことに真剣になる理由に心当たりのあった桂木は、自分よりも先に廊下に出ようとしている相浦の腕を軽く引っ張った。
「幽霊のことならドアを壊したのは時任だし、取り憑いたのだってあんたのせいじゃないのよ」
「それはわかってるけどさ…、やっぱ気になるし…」
「気にするなとはいわないけど、責任を感じる必要はないわ。それに幽霊とかそんなのに負けるほど、時任はヤワじゃないし…」
「…桂木」
「昔っから、正義の味方は無敵って決まってるのよ」
桂木がそう言ってニッと笑うと、相浦はその笑みに向って笑い返してから時任の後を追って廊下を走り出した。するとそれを見ていた室田は、走り出さずにいられなかった相浦の気持ちを感じているかのように一つだけ小さくうなづく。
けれど桂木は、そんな相浦の背中を見送りながら…、三度目のため息をついたのだった。
今日の空は雲はわずかしかなく天気が悪くなる様子はなかったが、それを見ている時任の心の中は晴れた空のようにすっきりとはしない。用事があるからとウソをついて生徒会室から廊下に出て階段をあがると屋上に出たが…、青い空を見てもその感じは少しも変わらなかった。
時任は灰色のコンクリートの上にゴロリと横になると、視界から青空を消そうとするかのように目の前に手のひらをかざす。
けれどそれでも防ぎきれない太陽の光が、手のひらの間から漏れていた。
「どうしちまったんだろ…、俺…」
そんな風に呟いた時任をやはり今日も志島が見ていたが、それを気にせず時任は目を閉じてまぶたに手のひらを当てる。今は自分に憑いている志島を気にする余裕もなく、ただ憂鬱な心を抱えているだけで精一杯だった。
空が晴れていれば気分がいいし、風が吹かれれば気持ちいいはずなのに…、
今は憂鬱な気持ちだけが心の中にあって、せっかく屋上に来たのに空を見る気分にはならない。その原因はやはり久保田にあるのかもしれなかったが、久保田は時任ではなく香坂のそばにいてここにはいなかった。
けれど、今回は本部からボディーガードをしてくれと頼まれたことを聞いていたので、いつものようにムカツクことも憂鬱になる必要もないはずである。
なのに、気分は沈み込んでいくばかりで少しも良くはならなかった。
昨日の夜も久保田が理由を話してくれた時、本当はうれしかったはずだったのに…。
本当なら理由を話してくれてうれしいのに…、うれしかったはずなのに…。
逆に気持ちはなぜか乾いていく感じだけがしていて、心配して顔をのぞき込んできた久保田の顔から視線をそらせることしかできなかった。
なんでもないって…、それだけを繰り返し言いながら…。
けれど、なんでもないってそればかりを繰り返してしても、本当は全然平気なんかじゃない。
本当なら話してくれてうれしいはずなのに、そう思ってるはずなのに…、
まるでそれに心が逆らってでもいるかのように、見ているテレビから目が離せないのは絶対におかしかった。
後ろから久保田が抱きしめてくれてもそれは変わらなくて…、抱きしめてくれてる腕の温かさえわからなくて…、
ただ、鈍い痛みだけが胸の中に満ちていくような気がした。
そして、その鈍い痛みの感触がなんだったのか知ったのは、生徒会室に行く前に久保田と香坂が一緒に居る光景を見た瞬間だったのである。
楽しそうに話している香坂と…、その隣で話を聞いている久保田…。
そんな二人を見た瞬間に感じたのは…、いつの間にかあまり感じることのなくなっていた…。
さみしいという…、気持ちだった。
時任が昨日のことを思い出しながら目を閉じていると、入ってきたドアがキィッと音を立てて開く。その音に気づいて瞳を開けて、手の隙間からドアの方を見ると…、
そこには久保田ではなく、さっきまで生徒会室にいたはずの相浦が立っていた。
相浦は時任を見つけると、ゆっくりと歩み寄ってくる。
けれど時任は今の自分の顔を見られたくなくて、太陽の光をさえぎるフリをして手の平を顔の前にかざしたままにしていた。
「時任…、あのさ…」
「なんだよ?」
「もしかしてだけど…、なんかあったんじゃないか?」
「なにかって?」
「なにかって…、幽霊のこととか」
「もう馴れちまったから、べつになんでもねぇよっ」
「でもさ…」
「幽霊なんかに、俺様が負けるワケねぇだろっ。それに久保ちゃんがなにか方法探してくれるって言ってたし…」
相浦の言葉に返事をした自分の口から久保田の名前が出た瞬間、なぜか胸の奥にチクッと痛みが走る。
相浦はそんな時任を心配そうな顔をして痛みに耐えている時任の方を見ていたが…、時任はなぐさめられるよりも久保田のことも胸の痛みのことも何も考えずに、一人で灰色のコンクリートに寝転んでいたかった。
けれど相浦は時任の方に腕を伸ばすと、顔を隠している手を掴んでぐいっと引っ張ってくる。時任は反射的にその腕を振りほどこうとしたが、寝転がっているせいでうまくいかなかった。
相浦は時任の顔から手をどけるのに成功すると、真剣な表情でその顔をのぞき込む。
すると時任は相浦と視線を合わせずに、灰色のコンクリートの方を見つめた。
「そうやって一人でガマンしてるより、話した方が楽になるかもしれないしさ…」
「いいからほっとけよっ!」
「もしも考えてるのが久保田のことだったら…、それは心配いらないと思うぜ?」
「く、久保ちゃんは・・・・」
「大丈夫だってそれを一番知ってるのは、俺じゃなくてお前だったはずだろ?」
久保田なら大丈夫だとそう相浦から言われた時任は…、コンクリートを見つめたまま悲しそうに少し顔を歪めた。
こんなことで…、こんなところで泣くつもりはなかったのに…、
目の奥が熱くズキズキとしきて、胸と一緒に痛み始める。
けれど、時任は歯をギリリとかみしめてそれに耐えると、相浦から取り戻した自分の手を感情を押し殺すようにぎゅっと固く握りしめた。
「もしも…、もしもだけど…、すっげぇ好きなヤツがいたとしてさ…。そいつと一緒にいても胸が痛くなるくらいさみしいコトってあんかな?」
「さみしいって…、それってまさか…」
「一緒にいてもいなくてもさみしかったら…、どうやったらさみしくなくなるかなんてわかんねぇじゃんか…」
「・・・・・・時任」
「好きだって、大好きだって…、ちゃんと想ってんのに…」
時任はそう言うと、再び太陽の光をさえぎるるように顔の上に手をかざす。
でも、その手はわずかに震えてしまっていた。
相浦は震える手に自分の手を伸ばしかけたが、そうするのを止めて風に吹かれながら青い空を見上げる。するとそこには薄い白い綺麗な雲が、相浦と寝転がっている時任と同じようにゆっくりと風に吹かれて流れながら浮かんでいた。
その雲を眺めてから唇を噛みしめると、相浦は時任の近くに浮かんでいる志島を睨みつける。
すると志島は無表情のまま、時任から相浦の方に視線を移した。
「おいっ、憑くんだったら俺に憑けよっ!」
「・・・・・・」
「黙ってないでなんとか言えよっ! 幽霊っ!」
「幽霊という名ではなく、ちゃんと志島という名がある」
「・・・・・だったら、志島」
「なんだ?」
「時任から離れろっ!」
「断る」
「俺には時任みたいに、すっげぇ好きなヤツとかいないし…。だから、たぶんさみしくなんかならないからさ…。だから、頼むから俺にしとけよっ」
じっと恐れずに真っ直ぐ志島を見つめながら相浦はそう頼んだが…、やはり志島は何も答えずにそこにただ浮かんでいる。こんな風にここに浮かんでいて、時任が苦しんでいるのを見ているばずなのに…、少しも離れる気はない様子だった。
相浦は拳を硬く握りしめて無謀にも幽霊である志島に殴りかかろうとしたが…、その手をコンクリートの上から起き上がった時任の手が止める。
ハッとして相浦が時任の方を見たが、その時にはもう時任はいつも表情に戻っていた。
「好きなヤツがいるとかいねぇとか、そんなの関係ねぇだろっ」
「けど、本当に俺は…」
「誰でもさみしいってキモチはあるし…、だから一緒にいるんだろ? 桂木とか他のヤツらとか…、みんな…」
「時任」
「だから、好きなヤツがいなくてさみしくならねぇなんて…、そういうコト言ってんじゃねぇよっ、バーカッ」
時任はさっきまでのつらそうな様子を欠片も感じさせない表情で笑うと、そう言いながら志島をくっつけたままで大きく伸びをする。そんな時任をまぶしそうに目を細めながら相浦は見ていたが、やはりその笑顔の裏にあるさみしい気持ちがなくなった訳ではなかった。
それが志島に関係のあることなのかどうなのかは、まだハッキリとしていなかったが…、
どこまでも続く空を見つめる時任の瞳は、悲しいくらいに綺麗に澄んでいた。
そのさみしい気持ちの色に似た…、青い色だけを写して…。
前 へ 次 へ
|
|