ひこうき雲.3
生徒会室にまで響き渡る悲鳴は、実は生徒会室の中からでも廊下からでもなかった。
ここに藤原がいたら発生源はそこかと思ってしまうが、実は藤原は霊感が強すぎるために時任のいる場所には近づけないでいたのである。そのため今日は生徒会室のドアから中に入れなくて、だーっと涙を流しながら自分の教室に引き返していた。
知らない内にいつも久保田にまとわりついている藤原の撃退に成功していた時任だが、それに気づくこともなく志島をくっつけたまま外に向って走り出す。
その後に続いて久保田も走り出したが、それは好奇心からではなく執行部員として何があったのか確認するために現場に急行したのだった。
「なんか…、やたらヒトが集まってねぇか?」
「そうねぇ…」
そんな風に時任が呟いたように校舎内から中庭に出た二人の前には、悲鳴を聞いて集まってきたのか、ちょっとした人だかりできている。
けれど、そこでケンカがあったような様子はなかった。
その中には自分の教室に戻っていた藤原も混じっていたが、時任が自分の方に向って来ているのを見た瞬間にピシッと凍りつく。志島をくっつけていても時任はいつもと変わりなかったが、藤原の目には時任自身も幽霊のように見えてしまっていた。
「あれっ、藤原じゃんっ」
「ぎゃあぁぁぁぁ〜〜っ!!」
時任は普通に声をかけただけだったが、藤原は時任と視線が合った瞬間に叫びながら逃げ出す。しかし逃げる場所は自分の教室ではなく、時任のすぐそばに立っていた久保田だった。
藤原は久保田の後ろに逃げ込むと、「時任先輩がこわいんですぅ」と甘えた声で言いながら手を握ろうとする。けれど久保田の手はわざとなのかそれとも元々なのか、ポケットに入っていたのでつなぐことができなかった。
ここであきらめて逃げていたら助かったかもしれないが、藤原はそれでもあきらめずに今度は腕にしがみつこうとする。すると、時任の見事な蹴りが藤原に直撃した。
「な、なにすんですかっ!!!」
「ドサクサにまぎれて、久保ちゃんにさわんなっ!!」
「幽霊のアンタに言われたくないですよっ!!!」
「だ、誰が幽霊だっ!! 幽霊は上のヤツだろっ!!」
「・・・・・・・・もしかして、自分のことわかってないんですか?!」
「はぁ?」
藤原に自分のことと言われても、幽霊が取り憑いている以外は普段と変わりないので、そう言われても心当たりがなかった。けれど、藤原の目にはゆらゆらと青白い光が時任の全身を包んでいて、その光は上で浮かんでいる志島とつながっているように見えている。
なので、藤原は志島とつながっている時任のことを幽霊だと言ったのだった。
いつも表現が大げさ気味な藤原だったが、今日だけはそうとも言い切れない。しかし時任自身にはその光は見えないので、ただ不審そうな顔をして首をかしげていた。
「なんのことだかわかんねぇよっ」
「わからないなら別にいいですけど、恨まないでさっさと成仏してくださいねっ。迷惑ですからっ」
「幽霊でもないのにっ、なんで俺が成仏しなきゃなんねぇんだっ!!」
「どうせなら、そっちの幽霊と一緒に・・・・・・」
藤原はそう言いかけたが上からにらみつけてくる志島と視線に恐怖を感じて、言いかけた言葉を最後まで言うことができない。さっきまでは少し背中がゾクゾクするだけだったが、今はガタガタと藤原の身体が震え出していた。
にらんでいるだけで何も言ったりはしなかったが、それでも迫力は十分ある。
藤原はいつものように蹴りを入れられて地面に沈むのではなく、悲鳴をあげながら自分の足で走ってこの場から立ち去った。
その様子を見ていた時任は、なんとなくいつもと調子が違うので拍子抜けした顔をしている。
いつものように藤原がしつこく久保田につきまとって来ないのはいいのだが、なぜか少し物足りないような気分だった。
「・・・・なんなんだ、一体」
時任はそう呟いたが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
とにかく執行部員として公務を果たすために、悲鳴の原因を探らなくてはならなかった。
藤原の後ろ姿から人だかりの方に視線を向けた時任は、そばにいる久保田に声をかけるとその中を進んでいく。集まっている生徒達も執行部の腕章をつけている時任と久保田が来ると、どけるように言うまでもなく二人の前に道をあけた。
けれどそれは二人が執行部員だからというだけではなく、そうさせる何かがあるのかもしれない。執行部という肩書きや腕章がなくても…、二人の持っている空気は、どこか特別だった。
そのせいなのか二人の間には誰も、同じ執行部員である桂木達ですら入ることができない。
だが、そんな時任と久保田の間に無理やり入り込もうとするかのような声が、人だかりの中から聞こえてきた。
「あっ、誠人先輩っ!」
聞きなれない久保田の呼び方を聞いた時任は、少し立ち止まってじっと目の前に現れた生徒を見つめる。しかし久保田のことを誠人先輩と読んだ男子生徒に、時任は見覚えはなかった。
男子生徒は時任と同じくらいの身長で髪も黒くて短いが、元気が良さそうな所もどこか時任と共通したところがある。けれど時任のような少しクセのあるような感じはないので、本当に可愛い後輩といった感じだった。
時任はその男子生徒に、誰かと尋ねようとしたが…、
そうする前に男子生徒は久保田に向って、子犬のようにうれしそうに駆け寄っていた。
「もしかして、今から巡回?」
「べつに…。ただ一応騒ぎの原因見に来ただけ」
「・・・・・・・そうなんですか」
「騒ぎの原因はもしかして、そこに壊れてる鉢だったりする?」
「あ、それは・・・・・・」
時任は男子生徒のことを知らなかったが、久保田の方は知っているようだった。
騒ぎの原因を知っているらしい男子生徒は、久保田に向って状況を説明していたが、時任はその話を半分くらいしか聞いていない。
別に時任の知らない人物を、久保田が知っていてもそれは当たり前で…、気のするようなことではないとわかってはいても…、
話の中で誠人の名前が出ると、どうしてもそれを意識してしまう。
久保田のことを先輩と呼ぶのは藤原を含めて当たり前にたくさんいるが、誠人と呼ぶのを聞いたのは生徒会長の松本以外では初めてだった。
「僕がここを歩いてたら、そこに落ちている鉢が屋上から落ちて来たんですよね。気のせいかもしれないけど…」
「狙われた?」
「・・・・そんなことされる心当たりないのに、なんでだろう。誠人先輩はどう思いますか?」
「さぁ?」
「とりあえず、松本会長に相談してみることにします」
「そう…」
あまり聞いてなかった話の中で松本の名前が出た瞬間、時任はハッとして少しうつむいてしまっていた顔をあげる。
どうやら男子生徒は久保田だけではなく、松本とも知り合いらしかった。
それで誠人と呼ぶのかと少し納得はしたが、それでもその男子生徒の口から久保田の名前が出ると心の中がザワザワとしてくる。
そしてそれは、本当にすごくイヤな感覚だった…。
できることなら…、ただの錯覚だとそう思ってしまいたいくらいに…。
けれど錯覚なんて思えないほど、誠人先輩と呼ばれて話をしている久保田の姿が脳裏に焼きついてしまっている。時任は左手を右腕に伸ばして、つけている腕章を上から握ったが…、それでも嫌な感覚はなくならなかった。
そんな感覚に耐えながら二人の会話を聞いていると、何かを思い出したかのように、男子生徒が時任に話しかけてきた。
「こんにちわ。時任…、先輩ですよね?」
「…そうだけど?」
「僕は、生徒会本部で書記をしている香坂です。それで、誠人先輩は何度か本部の方で見かけていて…」
「ふーん…」
「それでなんですけど…、あの…」
「なんだよ?」
「さっき上から鉢が落ちてきて…、それでちょっと誠人先輩も一緒に、本部まで来てもらいたいんだけどいいですか?」
思いもしなかった香坂の言葉に、時任は不機嫌そうにわずかに目を細める。
けれど、その言葉に対する答えは言うまでもなく決まっていた。
本部まで行くも行かないも久保田次第で、本人ではない時任がどうこう言うことではない。
その言葉は時任ではなく、久保田に言うべき言葉だった。
「いいかどうかとか、なんで俺に聞くんだよっ。一緒に行きたけりゃさっさと行けばいいだろっ!」
本当は自分に聞かずに久保田に聞けと言いたかったのに、そんな風に言って…、久保田に何も言わずにさっさと背を向けてしまったのは…、
やはり、心の中がザワザワしていたせいかもしれない。
久保田が香坂と二人で本部に行ったからといって、べつにどうということはないはずなのに手にひらには少しだけ汗がにじんでいた。
そんな背を向けてしまった時任の肩に久保田の手がゆっくりと置かれたが、その手は「すぐ戻るから…」という声と一緒に離れていく。
どうやら久保田は、香坂と一緒に本部に行くことに決めたようだった。
もしかしたら、この間呼びだされたことに関係あるのかもしれないとは思ったが、何かが胸の奥に引っかかって取れない。
それはもしかしたら、藤原に腕を取られてもふりほどかない…、香坂に誠人と呼ばれてもそれを許している久保田に関係があるのかもしれなかった。
「・・・・・・・なんか、すっげぇヤなカンジ」
二人で本部に向っている久保田と香坂にではなく、自分に向ってそう言うと…、時任は志島を連れたまま生徒会室に向って一人で歩き出す。
久保田と同じ腕章を、腕につけたまま…。
するとなぜか、さっきよりも志島のことが少し恐くなくなった気がした。
けれどそれは馴れではなく、なんとなく麻痺していくカンジに似ている。
時任自身にもわからない何かが…、じわじわと心を犯し始めていた。
久保田が香坂と一緒に生徒会本部に到着すると、本部の立派なイスにはいつものように会長である松本が座っていた。
その横には橘の姿もあったが、久保田の隣に時任ではなく香坂がいるのを見ると、フッと特有の柔らかい笑みを浮かべる。しかし久保田はその笑みを見ることもなく、さっき起こったことを説明するために来た香坂の隣にぼんやりと立っていた。
見るからに面倒臭そうにしている久保田に苦笑した松本は、イスに似合った立派な机の上で腕を組む。すると香坂はそれを待っていたかのように、屋上から落ちてきた鉢のことを松本に言った。
中庭を通って本部に行こうとしていたら、いきなり目の前に鉢が落ちたことを…。
しかし、香坂は犯人の姿もその影すら見ていない。
鉢のことを聞いた久保田が屋上に向ったのも、もう間に合わないことを知っていたからだった。
落ちてきた鉢は園芸部の育てているバラの鉢植えで、それを上から落とすことは学校にいる者なら誰でもできる。
今後、何も起こらなければいいのだが、犯人を探し出すのは難しそうだった。
「心当たりがないのなら、相手が尻尾を出すまで待つしかない…」
「そうですね、僕も会長と同意見です。しかし、そうなると香坂君のボディーガードがいりますよ。鉢が落ちてきたことからもわかる通り、相手は攻撃的なようですから…」
「それはそうだな…」
「どうなさいますか? 会長」
そういう会話が松本と橘の間でされていたが、すでに答えは決まっている。
久保田がここに来た理由は、別に香坂のことが心配だったのではなく、呼び出されることがわかっていたので手間を省いただけだった。
狙われた理由が香坂本人としてなのか、それとも生徒会本部の書記としてなのかはわからないが、あれで終わりということはなさそうである。
松本は香坂に別室に行って本部の仕事に戻るように言うと、軽く息を吐いてから久保田に視線を向けた。
「意外に動くのが早かったようだな…。もう少し時間がかかると思っていたが…」
「なんて言いながら、意外ってカオしてないけど?」
「そんなことはない」
「ま、いいけどね」
久保田と松本のまるでこうなることを予想していたかのような会話を聞きながら、橘は妖艶に微笑んでいる。その微笑みには生徒も教師も逆らえないと言われているが、久保田は例外らしく橘の微笑みを見ても何も感じていないようだった。
橘はそんな久保田に向って軽く方をすくめると、視線を久保田ではなく隣の誰もいない空間に向ける。そこはさっきまで香坂が立っていた場所だが、いつもなら時任がいる場所だった。
「時任君と一緒にこられると思ってましたが…、僕の予想ははずれてしまったようですね」
「べつにココに二人で来る必要ないっしょ?」
「やはり今回も時任君にはヒミツにしておくつもりですか? こちらとしてはその方が助かりますが…」
「ヒミツじゃなくて、聞かれないから話さないってだけ」
「ふふふっ、貴方らしいセリフですね」
「棒読みだけど」
「棒読みじゃないのは、やはり時任君にだけですか?」
「俺は言葉じゃなくて、身体で語りたいタイプなんで…」
「それは、僕も同じですよ」
微笑みを浮かべあいながら交わされる会話を、松本は冷汗を浮かべながら聞いている。
まるで化かし合いのような会話は、止めなければ永遠に続いてしまいそうだった。
時任がいる時は少しはマシなのだが、久保田と橘だけの会話になると辺りの空気の温度がニ、三度下がる。見た目は仲が良さそうに見えるのだが、その間に挟まれている松本は凍りついた空気に身動きが取れなくなりそうだった。
松本はなんとか机の上で凍り付いていた手をはずすと、それを口元に当てて咳払いをする。
するとようやく空気の温度が戻ったので、松本はいつものように久保田に命令ではなくお願いをした。
「この間、お前のファンだという香坂にわざわざ呼び出して会わせた理由は、あと一週間で転校するからという理由だけではないのはわかっていると思うが…」
「こうなることを、事前に予測してたからってワケね」
「すまないが、あとは頼まれてくれ」
「うーん…、今はお願いされたくないんだけどなぁ」
「何かあったのか?」
「ま、色々とね」
いつもはあまり何も言わない久保田がそんな風に言ったのは、やはり幽霊に取り憑かれている時任のことがあったからだった。
香坂のボディーガードをするということになれば、時任から離れる時間が長くなる。まだ志島を引き離す手段はわからないが、せめて時任のそばにいてやりたかった。
だが、頼まれた今回の件は時任にも無関係のことではない。そのため、離れたくないと思ってはいても、香坂のボディーガードを引き受けるしかなかった。
ボディーガードをする期間は、荒磯にいる間の一週間。
その間に、今回の件を片付けなくてはならない。
橘にはあんな風に言ったが、時任には簡単に理由を説明するつもりでいた。
こんな時なのに、そばにいてやれない理由を…。
しかし公務が終わって二人でマンションに帰って久保田からその理由を聞いた時任は、久保田が予想していたよりもあっさりと、香坂のことも何も聞くこともなく…、
「わかった…」と一言だけ言っただけで、少しも面白くもないドラマをしているテレビ画面を見つめたままうなづいたのだった。
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