ひこうき雲.13



 
 ピンポーン…、ピンポーン・・・・。

 いくらマンションの401号室のチャイムを鳴らしても、やはり誰も出てくる様子がなくて…、
 久保田は鳴り響くチャイムを聞きながら…、ポケットに入れた手のひらの中にある銀色のカギをきつく握りしめる。けれど、ここには久保田と病院で目を閉じたままでいる時任の二人きりで暮らしている部屋だから、誰も出てこなくて当然だった。
 何かをぶつけるように一度だけ軽くドアを叩くと、久保田は握りしめた手のひらを開いてじっと目の前のドアを開けるためのカギを見つめる。このカギを使えば簡単にドアは開くのに、どうしてもカギを使って中に入る気にはなれなかった。
 401号室の表札に自分の名前が書かれていても、このドアを開けた向こう側に誰もいないのなら…、この部屋に帰る意味はない…。
 前は一人でいることが当たり前だったのに、今は二人でいることの方があまりにも自然で…、
 時任を強く強く抱きしめていた分だけ…、そばにいないことが不自然になって…、
 もう会えなくなるとか…、もうそばにいられないとか…、そんな可能性はごろごろと小石のようにそこら中に散らばっているのに信じられなかった。

 絶対に握りしめた手を放す気なんてなかったから…、信じたくなかった。

 どこまでも追いかけていくつもりで走り出したのに、たどりついたのはこの部屋で…、
 けれど、たどり着いたドアの前で、久保田は行き場を失って立ち止まる。
 こんなにも空は青くて晴れ渡って…、どこまでもどこまでも続いているのに、目の前には行き止まりだけがあった。

 「ココが行き止まりだったとしても…、思い出になんてできないから…」

 この部屋で一緒に暮らし始めたのは、思い出を作るためじゃない…。
 どんなに一緒にいた日々が愛しくても、その日々だけを抱きしめては生きていられない。
 キスした感触も…、抱きしめた時の暖かさも…、感じていたいのは今だから過去にすがりついて生きていくことはできなかった。
 
 『・・・・・・・久保ちゃん』

 名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこにはただ青いだけの空がある。
 けれど、どこに行けばいいのかも…、どうやったら時任のいる場所にいけるのかわからなくても…、それであきらめるわけにはいかなかった。
 一瞬でも会いたい…、一言でも伝えたいのじゃなくて…、
 ずっとずっとそばにいたいなら…、腕の中に抱きしめていたいなら…、どんなにその想いがエゴに塗れていたとしても届かない空までも手を伸ばし続けるしかなかった。
 久保田は四階の廊下から下を見下ろすと、銀色のカギを握っている手のひらを前に差し出す。
 そして下に誰も通っていないことを確認すると、ゆっくりとその手のひらを開いた…。
 すると…、手のひらに乗っていたカギはそこからすべり落ちて…、灰色のコンクリートの上に乾いた音を立てて落ちる。
 久保田はその乾いた音を聞きながらポケットから携帯を取り出すと…、その中に入っているただ一つの番号に電話をかけた…。

 トゥルルルル…、トゥルルルルル・・・・・・。

 いくら鳴らしても取ることができないのを知っているはずなのに、そっと携帯に耳を当てたまま久保田は呼び出し音を聞いている。
 その呼び出し音はまるで、狂おしいほどの愛しさをその想いを叫んでいるかように…、
 いつまでもいつまでも…、閉じられたドアの前で鳴り響いていた。
 
 









 「久保ちゃん…、俺・・・」

 言いかけた言葉はそこで止まったまま、どこにも届かずに消えていく。
 時任の視界の中にある空も街も広すぎて…、遠すぎて…、帰ろうと思ってもマンションの場所もわからなかった。行きたい場所は決まっているのに、透き通った手のひらを見るたびに心臓が痛いくらいに鳴っているのが聞こえて、ここから動けない。
 時任は吹いてくる風に揺られるように、何もない空間に浮かんだままじっと灰色の街を見つめていた。
 もしも本当に幽霊になってしまったのなら、志島のように見えなくなってしまった可能性もある。久保田なら必ず見つけてれると信じてはいても、身体が不安定なせいで心まで不安定になってしまったのか、早く鳴っている胸の鼓動は止まらなかった。
 何があっても…、久保田にさよならも最後の言葉も言いたくない…。
 なのに、身体は透けてしまったまま元には戻らなかった。

 「やっと気づいたか…」

 しばらく空にゆらゆらと浮かんでいると、背後から何者かの声がして、時任がハッとして振り返ると、そこには同じように静かな瞳でじっと下にある薄汚れた町を眺めている志島がいた。
 志島の身体は、やはり時任と同じように陽の光に透けてしまっている。
 時任があれからどうなったかを聞こうとして声をかけようとすると、それをさえぎるように志島が口を開いた。
 「あの男は初めから知っていた…」
 「・・・・・・えっ?」
 「あいつはすべてを知っていたのに、わかっていながら黙認したんだ」
 「も、黙認してたって、誰が?」
 「久保田誠人…」
 「久保ちゃん?」
 「久保田は生徒会長からの電話で、お前が今回の事件のおとりにされることを知らされていたにも関わらず、生徒会本部を止めなかったんだ」
 「・・・・・・・」

 「・・・・久保田は、最初からお前を見捨てていた」

 志島の言葉を聞いた瞬間…、さっきよりも大きく鼓動が跳ねた気がして、時任は透けてしまった手で自分の胸を押さえる。久保田が自分を見捨てるなんてあり得ないと思いながらも、違うと言い返すことができなかった。
 それは今回も生徒会本部と久保田が関わっていたことが、紛れもない事実で…、
 志島の真剣な顔を見ていると、どうしても言っていることがウソだとは思えなかったからで…、
 そして相棒だからこそ…、誰よりも知っているからこそ…、久保田が本部のしようとしていることに気づいていたことがわかるから…、
 そんなことなんかわからない方がいいのに…、わかりたくなんかなかったのに…、それが事実だということがはっきりとわかる。
 どんな目にあわされたとしてもあんな奴らに負けるつもりなんてなくて…、助けてなんて死んでも呼ばないつもりだったけれど…、本当はずっとずっと久保田が来るのを待っていたのに…、
 久保田は最初から…、なにもかもを知っていた…。
 オトリに利用されていることも…、こんな目にあうかもしれないということも…、

 時任の知らない何もかもを、最初から…。

 それを知った瞬間に、さっきまでなかったベッドに縛られて傷が赤く手首に浮き上がってきたけれど…、その傷の痛みよりもズキズキと痛み続けている胸の方が痛くなる。
 何もかもを知っていたのに黙認していたことではなく…、自分よりも松本の方を久保田が選んだことが…、哀しくて哀しすぎて胸の痛みが止まらなかった。
 胸の痛みがひどくなればなるほどに…、好きだって…、大好きだってわかるのに…、
 その好きな気持ちが…、涙で空の青が滲んで見えなくなるくらい苦しくて…、
 誠人と呼ぶ声よりも…、久保ちゃんと呼んでる自分の声の方に振り返って欲しかったから…、
 どんな時でも自分だけを見つめていて欲しくて…、誰よりも好きだから…、大好きだから…、

 ・・・・・いつでもどんな時でも、久保田の一番でいたかった。

  だから、帰りたい場所はたった一つしかないのに…、久保田が自分よりも松本を選んだのなら…、久保田のところには帰りたくない。
 けれど、一番じゃないならいらないって…、帰りたくないと想っていても…、目の前には二人で暮らしているマンションのある灰色の街があって…、
 その街を見つめていると…、なぜか涙が止まらなくなる…。
 こんなに灰色の冷たい色をした街なのに…、久保田と暮らした日々はいつでもあたたかくて優しすぎるくらい優しかった。
 だから灰色でどんなに汚れていてもここは久保田のいる街だから…、二人で暮らした日々がこの中にあるから…、この街に帰りたかった…。

 「久保田といることは絶対にお前のためにならない…。だから、もし久保田と別れるなら身体に戻る手伝いをしてやる…。死にたくないなら久保田と別れるんだ、時任…」

 時任がいつもと変わりない日々のことを…、なんでもないありふれた日のことを思い出していると…、横から志島が厳しい顔をしながらそう言った。
 久保田と別れるのなら…、助けてやってもいいと…。
 けれど、時任はそれを最後まで聞かずに…、首をゆっくりと横に振った。
 「・・・・・・このままだと、本当に死ぬぞ」
 「それでもいい…」
 「もしかして…、死にたいのか?」
 「バーカッ、死にたいワケねぇだろっ」
 「だったら…、死にたくなかったら久保田と別れるんだ」
 「イヤだっ」
 いくら志島が別れろと言っても、時任は絶対に首を縦には振らなかった。
 すると、そんな時任を見た志島が思わず手を時任に向かって手を振り上げたが…、時任はじっと真っ直ぐ志島を見つめたまま動かない。そんな時任を見た志島は、ぎゅっと硬く拳を握りしめて、その手を小刻みに震わせた。
 けれど、その拳は自分と同じよう透き通った時任の前で止めたまま振り下ろさない。
 志島はその姿勢のままで、やりきれない想いをぶつけるように時任に向かって叫んだ。

 「早く首を縦に振るんだ、時任っ! 心臓が停止してから、もうかなり時間がたっているっ。もう、あまり時間がないんだっ!」
 
 志島の必死の声が青い空と灰色の街の狭間に響き渡ると、時任はわずかに目を見開いたが…、すぐにいつもの表情に戻って頬を伝って流れ落ちた涙を手のひらでぬぐう。
 胸はまだズキズキと痛み続けていて、心はかなしいままで…、もしかしたらずっとこのままかもしれなかったけれど…、
 もしも本当に時間がないのなら…、帰る場所が帰りたいと想う場所が一つしかないのなら…、
 ・・・・・・・迷うことも悩む必要も少しもなかった。

 「久保ちゃんのトコに帰る…。帰れないなら消えてもいいから…」

 時任はそう言うと灰色の街に向かって下りようとしたが、その瞬間にポケットから携帯の着信音が鳴った…。
 その音は聞きなれた音で…、たぶんディスプレイには会いたい人の名前が…、久保田の名前が出ているに違いない。けれど、携帯は本当は時任の身体の方が持っているはずで…、ここにはないはずのものだった。
 時任は透き通ってしまった手をポケットの中に入れると、少し震えた手でしっかりと携帯をつかむ。触れないかもしれないと思っていたが、つかんだ携帯も同じように透き通ってしまっていた。
 じっとディスプレイの文字を見つめながら親指で通話のボタンを押すと…、無言で耳に携帯を当てる。
 するとそこから…、時任の名を呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。
 『…とう、…時任』
 「・・・・・・・・・」
 『もしかして…、俺とはもう口なんて聞きたくなくなっちゃった?』
 「違うっ、そうじゃなくて…、そうじゃなくてさ・・・・・・」
 『うん』
 「あのさ…、俺…、もしかしたら死んじまったかもしれない…」
 『・・・・・・・』

 「ゴメン…、久保ちゃん…」

 ゴメンっていう言葉を言うよりも、久保田に向かって腕を伸ばして抱きしめて…、同じ強さで抱きしめられたかった。
 キスして…、たくさんキスして…、
 そして…、何度も何度も身体が壊れるくらい強く抱かれたかった…。
 しかし見えるのは灰色の街ばかりで…、久保田の姿は少しも見えない。
 時任がぎゅっと携帯を握りしめると、それと同時に透明な涙が瞳からこぼれ落ちた。
 けれど、空から落ちた涙は灰色の街に吸い込まれて…、その欠片も久保田の元には届かない。こんな風に離れたりなんかしたくなかったのに…、絶対にずっとそばにいたかったのに…、何もかもが透明になって透き通って…、
 なのに、久保田への想いが胸の奥に痛みと一緒につまっていた。
 好きだって大好きだって…、みっともなくてもいいから泣き叫んでしまいたいのに…、好きすぎて大好きすぎて…、痛みに胸が詰まって何も言えなくなる。
 だが、そんな時任の耳に久保田の声が聞こえてきて、それが優しく心に滲んだ。
 『帰っておいで…、時任』
 「けど…、身体とか透き通ってて見えないかもしれない…」
 『見えるよ』
 「そんなの…、見てみなきゃわかんねぇじゃん…」
 『見なくても、見えなかったとしても見つけてみせるから…、だから帰っておいで…』
 「・・・・・・・・」
 『好きだよ…、時任…。たとえ魂だけになったとしても…、カミサマになんて渡したくないくらい…』
 「久保ちゃ…」

 『だから、ココにおいで…。俺のそばに…』

 涙で滲んで街も空も見えなくなって…、けれど久保田の気配だけが近くに感じられる。
 こんなに広い空も街の中にいても、まるで夜の暗闇の中に帰るべき場所にあたたかな明かりを見つけた時のようにマンションのある場所がわかった。
 そこには待ってくれている人が…、誰よりもそばにいたい大好きな人がいて…、
 …帰っておいでって呼んでくれている。
 それだけで、それがわかっただけで…、たとえ消えることになったとしても後悔はなかった。
 時任は携帯を切って涙をごしごし透明な手でこすると、そばに立っている志島に向かって涙に濡れた瞳で…、まるで、太陽の下で咲く向日葵の花のように鮮やかに笑いかける。
 すると、その笑顔を見た志島はまぶしそうに目を細めた。
 「じゃあな…、志島」
 「このまま消えるかもしれないのに、本当に久保田の所に行くのか?」
 「あぁ…」
 「そんなに…、アイツのことが好きなのか?」

 「俺のココロも魂も…、久保ちゃんのトコにしか帰らないから…」

 時任はそう言い残すと、青い空から灰色の街に向かって落下を始める。
 けれど、もう帰る場所はわかっているから、帰り道を間違うことはなかった。
 真っ直ぐに久保田のいる場所に向かって落ちていく時任を見た志島は、何かを考えるように唇を噛みしめるとじっと遠い空の彼方に視線を移す。
 すると、そこにはわずかに空と同じ色の海が見えていた…。

 「もう帰る場所はないと思っていたのに…。まだ、あの日の約束を待っててくれたとしたら…、俺は…」

 志島が遠くでキラキラと輝いている海を見つめながら、そう呟いたが時任の耳にはもう届かない。まるで背中に羽が生えたように空から舞い降りた時任は、ゆっくりと見慣れたマンションの屋上に着地した。
 そして再び屋上か吹き上がる風を受けながら、ふわりと下へと降りる。
 すると…、四階に降りようとした瞬間に、こちらに向かって左手を伸ばしている久保田が見えた。
 
 「・・・・久保ちゃん」
 「おいで…」

 久保田が伸ばしてくれた左手をつかもうとして、時任は自分の右手を前に差し出した。
 けれど触れ合うはずの二人の手は、空気の感触だけを残してすり抜けてしまう。時任が哀しそうな瞳で久保田を見つめながら、ゆっくりと両手で久保田の頬に触れようとしたが…、その手もやはりすり抜けてぱたりと下に落ちた。
 それでも何度も何度も久保田に向かって手を伸ばしていると…、瞳からぬぐったはずの涙が再びこぼれ落ちる。目の前にいるのに時任の手は、どんなに抱きしめたいと思っていても…、そうすることができなくなってしまっていた。
 「なんで…、目の前にいるのにダメなんだよ…」
 「時任…」
 「後悔なんてしないって思ってたけどさ…。やっぱこんなことになるなら…、もっと触っとけば良かった…」
 「・・・・・・うん」

 「もっと手とかつないだりして…、もっともっとキスすれば良かった…」

 そう言いながら時任が久保田の頬の辺りを撫でるように手を動かすと、久保田も時任のぬぐえない涙をぬぐおうとするかのように手を伸ばす。お互いに伸ばしあった手はどんなに触れようとしても触れることはできなくて、けれど触れ合おうとした部分から少しだけあたたかさが伝わってくるような気がした。
 時任がそのあたたかさを感じてわずかに微笑むと、それに答えるように久保田も微笑む。触れられない距離が切なくて哀しくて…、
 どんなにその距離が苦しくても離れられないのに、その距離に心が壊れてしまいそうになる。
 ズキズキとまた痛み始めた胸を時任が押さえると、久保田はゆっくりとその手の上に自分の手を重ねた。
 「もっともっと、キスしたいって思ってくれてるなら…、ココじゃないもう一つの場所に、時任の身体のある場所に飛んでみてくれる?」
 「俺の身体のある…、もう一つの場所って?」
 「病院…。元に戻れる保障はないけど、可能性はゼロじゃないから…」
 「そうだよな…。まだあきらめるのは早いよな…」
 「だから…、元に戻れたらたくさんエッチしようね?」
 「ば、バカ…、こんな時になに言ってんだよっ」
 「けど、たくさん時任のこと触りたいから…」
 「・・・・・・うん」
 「それにカギなくしちゃったから、時任の持ってるカギがないと部屋に入れないしね」
 「なくしたって…、もし俺が戻れなかったらどうすんだよ…」
 「このまま、ココで飢え死にしちゃうかも?」

 「だったら…、絶対に俺が戻らなきゃダメじゃんか…」

 少し震えた声でそう言うと、時任はちょっとくすぐったそうな顔をして笑う…。
 もう戻れないかもしれなくても、まだあきらめるには早過ぎるから…、可能性が少しでもあるならその可能性を信じたかった。
 時任は押さえていた胸から手を放すと、じっと久保田の顔をのぞき込む。そしてゆっくりと自分の顔を近づけると…、ガラス越しにキスするように久保田の唇に自分の唇を重ねた。
 「必ず帰ってくるから…、それまで飢え死にすんなよ」
 「うん…」
 「だから、なにがあっても好きだって…、誰よりも好きだからって…、それだけは覚えててくんない?」
 「時任…」

 「そしたら…、もしも本当に魂だけになったとしてもココに帰ってこれるから…」

 時任は思いっきりの笑顔と一緒に、たった一言だけそう言い残すと…、久保田のそばを離れて空の青の中に消えていく…。さみしくてさみしくてたまらなくて…、哀しい気持ちで胸がいっぱいになっても…、本当に伝えたかった言葉はたった一言だけだった。
 さみしいってどんなに叫んでも、さみしい気持ちには好きの気持ちが滲んでいて…、
 だから久保田に…、さみしいと叫ぶよりも大好きだって伝えたかった。
 さみしさも嫉妬も大好きな気持ちの中にあって…、好きな気持ちを消すことなんてできないから
…、さみしさも嫉妬もどんなに叫んでもなくならない。
 けれど、好きな気持ちはこんなにも胸を苦しくさせるのに、抱きしめるとあたたかかった。
 大好きな気持ちと恋しい想いを抱いたまま…、青空に良く似合う笑顔と涙を残して時任が完全に消えると…、その様子を見つめていた久保田はドアを背にしてコンクリートの上に座り込む。すると青すぎる空がどこまでも続いているのが見えて…、そこからひらひらと一枚の白い羽が落ちてくるのが見えた…。

 ひらひらと…、ひらひらとまるで真夏に降る雪のように…。

 舞い落ちてくる羽に久保田が手をゆっくりと伸ばしてつかんでみると、その羽は本物でまるで天使の羽のように真っ白で…、
 その羽を青い空にかざしてみると、その羽の隙間から真っ直ぐに伸びていくひこうき雲が見えた。
 
 「天国になんて行かせない…。たとえ、消える運命しか残されてなくても…」

 青い空を暗い瞳で見つめながらそう呟くと、久保田は白い羽を手の中でぐしゃりと握りつぶした。すると羽は久保田の手の中で、折れ曲がって美しい羽の形を失う。
 マンションの前の焼けたアスファルトの上には、ドアを開けて部屋に入るための銀色のカギが落ちていたが…、そのカギはまるで天国へのドアを封印するかのように…、

 …通りかかった高校生の足に蹴られて、排水溝の暗い水の底に消えた。
 






 





 「もうじき夏休みなのはうれしいけど…、ほんっとに今日もイヤになるほど暑いわよねっ」

 期末試験が終わって、もうじき夏休みという日の午後、桂木はそう呟きながら一人で廊下を歩いていた。けれど、向かっている先は生徒会室なのだが、その途中で開かずの資料室の前に差しかかるとなんとなく気になって足を止めてしまう。
 志島のいなくなった資料室は、長年の封印を解かれて開かずではなくなってしまっていた。
 この学校の体育教師の起こした不祥事とで、しばらくは校内が騒がしかったが、それも今は落ち着きを取り戻しつつある。しかし、実は体育教師と医者は生徒への暴行の件だけではなく、警察に何者からか送れられてきた資料から発覚したという医療費の不当請求の別件で逮捕され、今は関わっていた暴力団幹部とともに拘置所で取調べを受けていた。
 その他にも叩けばホコリが山ほど出て来るかもしれないが、ここからは執行部ではなく本職の警察の仕事である。校内ではなく街の治安を守るのは、警察の仕事だった。
 そして、体育教師は逮捕されたが…、いなくなった香坂の行方も未だに知れない。
 桂木は事件のことを思い出して深く息を吐くと、資料室のドアを開けて中へと入った。
 そして室内のよどんだ空気を逃がすために窓を開けると、そこから空を見上げる。
 すると、やはり今日もあの事件のあった日のように、目の前には青空が広がっていた。

 「最近、君がここに良く来ていると聞いたが…、本当のようだな」

 桂木がしばらく外を眺めていると、ドアの開く音がして聞き覚えのある声がそう言う。
 その声のした方向を桂木が振り返ると、そこには松本生徒会長が珍しく一人で立っていた。
 事件のことで何度か松本と話す機会はあったが、その時は橘が一緒だったので、もしかしたら二人で会うのは事件後始めてかもしれない。
 松本は桂木のそばまで歩いてくると、さっきの桂木と同じように空を見上げた。
 「あの二人は…、当分は学校に出て来ないらしい」
 「当分じゃなくて、夏休みが終わるまで出て来ないんじゃないかしら?」
 「…やはり、そうだろうな」
 「そうに決まってるわよっ」
 松本は桂木の言葉を聞くと、深いため息を吐く。けれど、こんな風にため息を吐くのは、いつも会長らしくポーズを決めている松本らしくなかった。
 桂木はそんな様子の松本を見ると、軽く肩をすくめて青空に背を向ける。
 すると、桂木の落とした影が室内に長く伸びた。

 「もしかして…、今回の件のこと後悔してるの?」

 桂木がそう顔を見ずに尋ねると、松本は高校生らしい顔で苦笑する。
 時任をオトリに使ったことについては、事前に連絡していたので久保田は何もいわなかったらしいが…、事件後に松本の机の上に十円玉が一枚だけ置かれていたという噂があった。
 「後悔はしていない…。後悔するくらいなら最初からしていない…」
 「ふーん、ならいいけど」
 「だが…、会長としてではなく個人としては後悔してるかもしれん」
 「個人として?」
 「誠人の友人としてだ…」
 「・・・・・・」
 「もっとも、誠人の方は友人とは思ってくれていないだろうがな…、最初から…」
 そんな風に言った松本は、軽く頭を振って本部に向かうために窓から離れる。
 しかし、ドアに向かおうとした松本を、桂木が呼び止めた。

 「友達じゃなかったら、肋骨の三、四本は折られてると思うわよ…、松本君」

 桂木がそう言うと、会長ではなく君付けで呼ばれた松本は…、少し驚いた顔をした後に少し照れくさそうに笑う。けれど、それは気休めで言ったのではなく事実だった。
 資料室を松本が出ると、閉じられかけたドアの隙間から橘が見えたが、橘はいつものように微笑んでいる。どうやら、事件の時には少しギクシャクしていた二人の関係も元に戻ったようだった。
 これで久保田と時任が学校に出てくればと思うのだが…、さっき話していたように学校をしばらく休むと久保田から桂木にも電話があったのである。
 桂木は時任を電話に出すように言ったが、久保田は眠っているからと言って時任を出さなかった。
 『しばらくは、俺らのことはほっといてくんない?』
 『ほっとくのはいいけど…、時任は大丈夫なんでしょうね?』
 『たぶんね』
 『たぶんねって、ちょっと久保田君っ。具合が悪いなら、ちゃんとお医者さんに…』
 『べつに寝不足なだけだから…』
 『えっ?』

 『じゃあね、桂木ちゃん』

 そう言って一方的に切られた電話は、何度かけても二度とつながることはなかった。
 桂木はその時のことを思い出して再び息を吐くと、事件のことを考えながらもう一度窓の外の青空を眺める。いつもは先頭に立って執行部を指揮しているが、今回の件では幽霊は見ることはできなかったし、病院でも後で駆けつけただけだった…。
 なんとなく、少しだけさみしい気分になったが、大きく伸びをして気を取り直す。
 久保田と時任が休んでいる今は、こんな所で油を売っている暇はなかった。
 「けど、本物の幽霊っていうのを、一回は見て見たかったわねっ」
 桂木が窓を閉めようとしながらそう呟くと、窓から少し強い風が吹き込む。
 すると、資料室の棚から一枚の写真が、桂木の前に落ちてきた。

 「こ、これって…」

 落ちた写真を桂木が広い上げると、そこにはいなくなった香坂が写っていた。
 香坂は青い空と海の下で、こちらに向かって楽しそうに笑いかけている。
 そしてその横には…、五十嵐の持っていた古い写真に写っていた人物がいて一緒に笑っていた。まるで…、時を止めたような姿のままで…。
 桂木はその写真を少し青ざめた表情で見つめていたが、また強い風が室内に吹き込んで…、桂木の手から写真をさらう。
 後で執行部で香坂の居場所の手がかりになるかもしれない写真を手分けして探したが、風にさらわれた写真はどこまで飛んでいってしまったのか…、

 ・・・・・・いくら探しても見つかることはなかった。



   このキリリクは34343HIT!らず様のリクエストで、

 「久保ちゃんの「うちの子」宣言。荒磯バージョン

 なのです〜〜vv
 身体の不調や色々あって、とっても遅れてしまいましたのですが、
 やっと完結することができましたっっ。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。
 本当にお話を読んでくださって、とてもとても感謝ですvv(号泣)
 心より深くお礼もうしあげますっっ<(_ _)>vv多謝vv
 うううっ、反省することはたくさんなのですが、今は何も言葉が見つかりません…(ノ◇≦。)
 本当に完結することができて、バンザイなのです〜〜っ(涙)

 らず様vv
 やっとやっと…、完結することができました。゜゜(>ヘ<)゜ ゜。ビエェーン
 本当におまたせしてしまった上に、こんなに長く長くなってしまって、
 おわびのしようもありませんてす(涙)
 し、しかも…、こんななお話でごめんなさいです(/□≦、)
 本当に素敵リクをくださってvvありがとうございますですvv
 キリバンを踏んでくださって、とてもとても感謝なのですvv(涙)
 改めまして、完結のご報告のメルをさせていただきたいですo(;△;)o
 いつもお話を読んで下さって、見守っててくださって心よりたくさんお礼申し上げますですvv
 ・・・・・・・・多謝vv<(_ _)>

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