ひこうき雲.1
放課後の午後の日差しが柔らかく差し込む廊下には、授業中とは違ってちらほらと歩く生徒達の姿があって、その生徒達の間を時任は歩いていた。だが、時任が向かっているのは生徒会部屋の方向ではなく、もっと別の方向である。
それは、すでに執行部員としての仕事である学校内の見回りをしていたからだった。
見回りは二人一組になっているので、当然ながら時任の隣には同じように公務中の執行部員がいる。だが、その人物の身長は時任よりも低かった。
「あ〜っ、なんかムカツクっ!!!」
時任がそう叫んだのは、別に隣の人物の身長が低いことにムカついているからではない。ただ、見回りをする時にいつも隣にいるはずの人物が、生徒会本部の松本会長に呼び出されてここにいないせいだった。
本人がそのことに気づいているかどうかはわからないが、同じ執行部に所属いるため隣を歩いている人物もムカツク意味を知っている。時任の本日限定の相方になってしまった相浦は、相方の不在でイライラして叫んでいるその横で小さくため息をついた。
「なんでいっつも俺なんだ…、マジでカンベンしてくれよ〜」
相浦はそう小声で呟いたが、腕を組んでハリセンを持った桂木に見回りを命じられて逆らえる人物は執行部には存在しない。廊下を歩きながら相浦はため息をついてはいるが、時任と二人で見回りに行くこと自体には実はあまり問題はななかった。
問題なのは二人で見回りに行くことになったことではなく、そうなった理由である。
いつも時任の隣にいるはずの眼鏡をかけた長身の人物、久保田誠人は、松本会長に呼び出された訳も何も言わずに本部に出かけていた。
そのため、それが気に入らない時任は、さっきから机や椅子、そしてドアなどを破壊しまくっている。相浦には公務の他にそんな時任を抑えるという役目が課せられていたが、その役目はやはり果たせそうにもなかった。
「なんで、今日に限って何もねぇんだよっ!」
「まぁ、たまにはそういう日もあるだろ」
「がぁぁっ、ムカムカするっ!!」
「そ、そんなにイライラするなら、久保田に何の用事なのか聞いて見れば?」
「うるせぇっ! 久保ちゃんは関係ねぇっつーのっ!!」
時任は相浦の言葉に過剰に反応して、不機嫌そうに怒鳴って近くの壁をガツッと殴る。すると壁が少しへこんだように見えたが、相浦は見ないフリをすることに決めた。
そうしたのは、実は今月も執行部はかなりの赤字だったからである。
そしてその赤字の原因のほとんどは、壁をへこませた時任が原因だった。
時任は久保田が生徒会本部の用事でいなくなると、かなり不機嫌になっていつもの倍くらい物を破壊する。先月もそのせいで桂木が、月末にかなり苦労していたようだった。
今日は校内に校則違反の常習犯である大塚の姿もなく見回りは順調だったが、見回りが順調に進めば進むほど、イライラを発散することのできない時任の機嫌が悪くなっていく。
相浦はひやひやしながら、かなり不機嫌な空気をまとっている時任の横を歩いていたが…、そんな相浦の心配をよそに、時任は突然横にあったドアをガツッと思い切り蹴った。
すると、ドアは凄まじい音を立てて室内に向かって吹っ飛ぶ。
それを見た相浦は、ハリセンを持った桂木の幻が見えたような気がして両手で頭を抱えて唸った。
「た、頼むからあんまり物壊すなよ〜、時任」
「これは壊したんじゃなくて、なんか話し声がしたからちょっとドア開けてみただけだろっ」
「けど…、ドアが吹っ飛んで真っ二つに割れたように見えた気が…」
「き、気のせいだって!」
「そうだよなっ、気のせいだよなっ…、あははは…」
相浦はやけくそになって笑いながらガックリと肩を落とすと、時任に続いてドアを破壊した部屋へと入る。しかし中には誰もいる気配はなく、置かれている棚や机に埃がたくさん積もっていて、ここ数年くらい使われている形跡もなかった。
そんな室内の様子を見回した時任は、きょとんとした表情で首をかしげる。どうやら本当にイライラを晴らすためではなく、あやしい話し声がしたからドアを開けたようだった。
けれど、いくら室内を見回してもたくさんの資料が乱雑に積まれているだけで、それらしい形跡もなく吸殻一つ見つからない。
やはり時任が聞いたあやしい声は、気のせいのようだった。
「マジで部屋ん中から話し声がしたんだぜ…、さっき…」
時任はそう言って眉間に皺を寄せたが、どう見てもいないものはいない。
どうしても納得がいかないという顔を時任はしていたが、相浦は蹴飛ばされて二つに割れたドアを手で抑えながら持ち上げながら首を横に振った。
「これだけ狭い部屋なら隠れる場所なんかないし、気のせいだったんだよ」
「けどさぁ…」
「それより、さっさと見回り終わらせて戻ろうぜ。久保田だって、もう戻って来てるかもしれないし…」
「・・・・そうだな」
相浦が久保田の名前を出すと、時任は不満そうな表情のままでうなづく。この部屋のことも気になるようだが、やはり久保田のことはそれ以上に気になっているらしかった。
久保田が何も言わずに本部に行くのはいつものことだったが、それでもやはり時任にとっては重大な問題らしい。
学校でも家でも毎日一緒にいるらしい二人だが、こんな風に荒れている時任を見ていると、なんとなく時任の方が久保田に深く依存しているように見えた。
「まぁ、どっちでも俺には関係ないよな…。たぶん…」
相浦はそう呟くと、なんとかドアを壊れていないように見えるよう細工しようとする。そんなことをしても無駄のような気がしたが、ここは使われていないので誰も開けなければ誤魔化せるかもしれなかった。
正直に言った方が身のためかもしれなくても、桂木の顔が脳裏に浮かぶと冷汗が額に浮かぶ。相浦は額の汗を少しぬぐうと、ドアを持ってゆっくりと入り口に近づいた。
だが、ドアを入り口に持っていく途中で落ちていた書類の束に足を取られ、部屋から出ようとしていた時任に向かって勢い良く倒れる。相浦はとっさにドアを怪我をさせないように横へと投げたが、結局、時任を床に押し倒す形で倒れた。
「うわぁっ!!」
「いてっ!!」
叫びながら折り重なるように倒れた二人の風圧で、部屋の中に埃が舞う。
その埃に咳き込みながら相浦は大丈夫かと時任の声をかけようとしたが…、そんな相浦の視界の中を、何か細長い紙のような物が静かにヒラヒラと舞いながら落ちた。
なんとなくその紙が気になった相浦は、時任を押し倒したままで、目の前に落ちた紙を右手を伸ばして拾おうとする。
だが、その紙が何なのかわかった瞬間に手が止まった。
「なにやってんだよっ、さっさと上からどけっ!」
「あ、ああ…、すぐどけるけどさ…。どける前に聞きたいことあるんだ…」
「はぁ? 聞きたいこと?」
「ここって何階だったっけ?」
「何階って…、四階に決まってんじゃんっ!」
「そうだよなぁ…。やっぱ四階だよなぁ…」
「…って、四階なのがどうかしたのかよ?」
「四階って…、確か開かずの資料室ってのがあったような気が…」
相浦の不気味な一言が、周囲の空気をピシッと凍りつかせる。すると相浦と同じように、頭の上辺りに落ちている紙を見た時任の顔色がサーッと青くなった。
この荒磯高等学校では、色々な不思議な話や不気味な話が先輩から後輩へと受け継がれ伝えられていたりするが…、
・・・・・・相浦の言った開かずの資料室もその一つだった。
実は二人の見ている紙は、あやしい文字の書き込まれた御札だったのである。
時任と相浦はごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと床から立ち上がろうとした。
だが置きあがろうとした瞬間に、トントン…、トントン…と二人の肩を誰かが叩く。
二人は叩かれた方の肩を見ずに、お互いの顔を見合わせたが…、時任も相浦も同時にゆっくりと首を横に振った。
下の方に視線をやったが…、時任の手も相浦の手も立ち上がるため床にある。
その事実に身体を硬直させた二人は、頭の中でココには自分達以外、誰もいなかったことを思い出していた。
だが、二人の肩をまた誰かが、トントン…、トントン…と叩いている。
けれど時任は目を見開いたまま動かないし、相浦も時任の上に乗りかかったまま動かなかった。叩いたのは部屋にいた誰かだと思いたかったが…、ゆっくりと肩ではなく床だけを見て見ても自分達の周囲に人影らしきものはない。
けれどまるで時間を図ったように、トントン…、トントン…と肩を叩くのは止まなかった。
時任は硬直したまま再び唾を飲み込むと、肩の方を見ずにダッシュで部屋から抜け出すことを心の中で決める。すると相浦もそう決めたようで、硬直した身体を動かそうとしていた。
頭の中が混乱しているので、とにかく冷静になるためにもここから出ることを二人は考えたのである。
しかし逃げ出そうとした瞬間に…、二人の耳元で声がした。
「・・・・・・・・・ひひひ」
耳元でした不気味な声が鼓膜だけではなく、全身をぶるぶると震えさせる。
けれど、時任と相浦は絶対に肩の方を見たくないと思っていた。
本当に絶対に、肩の方は見たくないと思っていた…。
だが、まるでその不気味な声に命じられたように…、二人は…、
恐る恐る…、叩かれた肩の方を向いた…。
「・・・・・で、それからどうしたのよ?」
放課後の生徒会室はいつもと少しも変わりなく、無事に今日も公務が終わろうとしていたが、そう言った桂木の前に立っている時任と相浦だけは違うようだった。二人の話を聞きながら桂木が執行部のイスに座って書類整理をしていると、青い顔をした時任が震えながら少し上を指差し、その横で相浦がうめきながら頭を抱えている。
だがそれを見た桂木は、じーっとそれを眺めてから再び何事もなく書類整理を始めた。
「それで?」
「そ、それでって、あれを見てなんとも思わねぇのかよっ!!!」
「あれって言われても、何もないし…」
「う、上に浮かんでるじゃんかっ…」
「見えないものはしょうがないでしょっ」
いつものような調子で会話を続ける桂木に、時任はわなわなとふるえ続けながら視線を自分の上に向ける。
すると視線を向けた先にあったものは…、相浦ではなく時任に向かって声をかけた。
「俺は三年五組の…、志島…」
「・・・・・って、ゆ、幽霊のクセに自己紹介してんじゃねぇっ!!!!」
時任の絶叫が執行部内に響き渡ると、そこにタイミングが良いのか悪いのか、本部に行っていた久保田がドアを開けて入ってくる。時任はドアから入ってきた久保田の姿を見つけると、勢い良くダッシュしてあれを見ろと言わんばかりに上を指差した。
すると、久保田は少しだけ眼鏡を上に上げて視界からはずして、のほほんとした表情のまま指差す方向を見たが…、
久保田のほほんとした表情は、少しも変わらなかった。
「うーん…、夏にはまだ早かったと思うんだけどなぁ」
「そういう問題じゃねぇだろっ!!!」
フワフワと浮かんでいる高校生の幽霊は開かずの資料室にいたらしいが、封印を破ってしまったのが悪かったのか、時任と相浦について生徒会室まで来ていた。
別に襲ってくる様子はないが、やはり幽霊が目の前にいるのは怖い。
志島と名乗った幽霊は、足はあるが身体が少し透けていた。
幽霊なので当たり前なのかもしれないが、顔色も悪くて青いというより白い。
だが、久保田は少し幽霊を眺めてから眼鏡をかけ直すと、机に置かれていた自分のカバンを手に取った。
「ま、べつに幽霊くらいいたっていいっしょ」
「け、けど…」
「帰るよ、時任」
「ちょ、ちょお待てってっ」
松本に頼まれた本部の用事がすんだのか、久保田は時任に声をかけると桂木に帰ることを言ってドアに向かおうとする。だが、同じように慌ててドアに行こうとした時任と一緒に、なぜか幽霊の志島もフワフワと移動して来た。
それに気づいた時任はビクッとして立ち止まったが志島は無表情のまま、まるで時任と何かでつながれているかのように上に浮かんでいる。
どうやら時任が移動すると、一緒に志島も移動するようだった。
そんな時任と志島の様子を見た久保田は、再び眼鏡を上に上げて裸眼で二人を見ると、
「ん〜、もしかして取り憑かれちゃった?」
と、のほほんとした口調で言う。
だが、どう見ても久保田の言う通り、志島は時任に取り憑いているとしか見えなかった。
「うわぁ〜っ!! とっとと俺から離れやがれっ!!! 」
「なんかつながっちゃってるみたいだし…、取るのは難しいやね」
「つ、つ、つながってるって…、なにがだよ?」
「簡単に言うと魂?」
「魂って…」
「無理やり幽霊はがすと、時任まで幽霊の仲間入りしちゃうかも?」
「ぎゃあ〜っ!!幽霊はイヤだ〜っっ!!!!」
自分が幽霊に取り憑かれたことを知った時任の絶叫が、再び生徒会室に響き渡ったが、
・・・・・フワフワ浮かんでいる幽霊が消えることはなかった。
キリリク部屋へ 次 へ
|
|