振り子時計。
〜前 編〜
人は誰しも恋をすると言うけれど、それが唐突なのか突然なのか…。
それはたぶん恋の数だけ違ったそれぞれの想いがあるように、恋する速度も人によって違うのかもしれない。けれども荒磯高等学校の二年生に在籍している藤原裕介の恋は、よくある小説の物語のように唐突で突然だった。
ありきたりでなんの変哲もないけれど、すぐに自覚した恋。
その恋が始まったのは一年生から二年生になった春、藤原は生徒会の会計になったということもあって、自分の教室と本部の間を行ったり来たりしていた時のことだった。
同じ階に執行部のいる生徒会室があることは知っていたが、本部には在籍することになったものの会計という立場なので面識はまるでない。けれど生徒会室の前で執行部員を見かけることは、当然ながら良くあったのだった。
その時に久保田を見かけることは良くあったがカッコイイと憧れているだけで、今のように恋していたわけではない。けれどその憧れが恋に変わったのは、久保田が廊下でセッタをふかしているのを偶然みかけた時、ある人物に向かって優しく微笑みかけているのを見てしまったからだった。
普段はなんとなく近寄り難い雰囲気の久保田だが、その人物が走り寄ってくるのを見つけた瞬間、雰囲気が見た目にも鮮やかにガラリと変わる。
その微笑みは自分にわけでもなんでも何でもなかったのに…。
こんなその優しそうな微笑みを見たら、自然に藤原の心臓がドキドキと音を立て始めていた。
けれど久保田が優しく微笑みかけていたのは、同じ三年の時任稔という男子生徒で…、だからこの恋は始めから叶う可能性がほとんどない。
なのにあきらめられなかったのはなぜなのか、こうして久保田と話ができるようになった今でも藤原はわからないでいたのだった。
「な、なにすんですかぁぁっ!!」
「久保ちゃんに近寄んなっつってるだろっ!!」
「それは僕のセリフですっっ!!」
「なんだとっ、この野郎〜〜〜っ!」
「ぎゃあぁぁっ!! 久保田先輩っ助けてくださいっっ、時任先輩が乱暴するんですぅっ!!」
放課後の生徒会室に部員が集合すると、久保田をめぐって争っている藤原と時任の声がいつものように響き渡る。この争いは日常茶飯事のことだったが、当の本人である久保田が何も言わないために決着がつかないままだった。
実際の話、久保田のそばにはいつも時任がいるので、藤原は久保田と二人きりになるどころかまともに話することもできない。それは話しかけようとすれば横から時任が口を挟むし、抱きつこうとすれば蹴りを入れられるからだった。
もう慣れてしまったからそれが普通になってしまっていたが、時任の反応は誰の目から見ても過剰すぎである。それは一度、策略だったとはいえ、藤原が久保田と恋人同然にしているところを見てしまったせいなのかもしれないが、もうそろそろそんなことは忘れてもいい頃だった。
「久保田せんぱーいっ、今度、二人で映画に行きませんか?」
「行かねぇよっ!!」
「時任先輩に言ってませんっ」
「俺が行かないなら、久保ちゃんも行かねぇんだよっ!」
「勝手なこと言わないでくださいっ!」
「うっせぇっ!」
今日もそんな風に藤原と時任がぎゃあぎゃあ騒いでいると、それを聞いていた桂木がハリセンで二人の頭をバシッと叩く。
その音が生徒会室の中に響き渡ると、二人の言い争いはいつもゲームセットなのだった。
「…ったく、毎日毎日っ、ホントにいい加減にしなさいよねっ!」
「なにすんだよっ、桂木っ!」
「あんたは今日の見回り当番でしょっ、さっさと行きなさいよっ!」
「そうですよっ、さっさと行ってくださいよっ」
桂木に時任が怒鳴られているのを見て、藤原が横からそれに加勢する。
しかし時任を怒鳴り終えた桂木は、今度は藤原の方に向かって人差し指を突き出した。
「藤原っ、あんたは資料室の整理っ!!」
「えぇっ、そんなぁ〜っ!」
執行部の最高権力者である桂木に資料室の掃除を命じられた藤原に、時任はニッと笑みを浮かべてみせる。その笑みを見た藤原は、ムカッとしてこめかみをピクっとさせた。
「ふふんっ、ざまあみろっ!」
「いちいちムカツクんですよっ、アンタはっ!!」
これで時任が何も言わなければ藤原も何も言わなくてすむのだが、時任は人一倍良くしゃべるので、いつも一言多い。今日も多かったその一言に藤原が腹を立てていると、窓辺の方からのんびりとした低い声が響いてきた。
「行くよ、時任」
「おうっ」
響いてきた声は藤原の好きな声だったが、その声が藤原に向かって話かけて来ることはほとんどない。その声が一番良く呼ぶのは、相方である時任の名前だった。
自分のこともあんな風に呼んで欲しいと思っていたが、久保田の視線は藤原の方を少しも向かないし、いくら抱きついてもその腕が藤原に伸ばされることもない。ハッキリと拒絶されたことも、その口から時任が好きだと聞いたこともなかったが、久保田の態度は藤原に対するのと時任に対するのではかなり違い過ぎるくらい違っていた。
普段は時任と言い争いをしているせいなのかあまり感じることはないが、こういう瞬間に自分が片想いでしかないことを自覚してしまう。
けれどそれでも、不思議と少しもあきらめる気はしないのだった。
藤原がくやしそうに時任と久保田が見回りに行くのを眺めていると、そんな藤原を見ていたらしい桂木が声をかけてくる。
掃除に行かないことを怒っているかと思われたが、なぜか桂木の声はため息混じりだった。
「なにボーッとしてんのよ。眺めててもなんにもならないんだから、さっさと掃除に行きなさいよっ」
「今から行くつもりだったんですっ」
「ウソでしょ?」
「ホントですってばっ!」
桂木に向かってそう返事をすると、藤原はしぶしぶ資料室の掃除に向かおうとする。
だが、桂木の言った一言がなぜか心に引っかかってしまっていた。
このまま資料室に行くつもりだったが、書類の整理をしている桂木の方を藤原が振り返る。
すると桂木も少し難しい表情をして、藤原の方を見ていた。
他の部員達はそんな二人の様子に気づいていないかのようにそれぞれ自分のしていることに没頭していたが、おそらくそれは気づかない振りをしているだけなのかもしれない。
それがわかっていながら、藤原は桂木に向かって引っかかっていたことを質問した。
「…なんにもならないって、どういう意味です?」
「どういうって、言葉通りの意味よ。あんたは意味がわかってて聞いてるんだから、答える必要はないわよね」
「なんのことだかわかりませんよ、全然…」
「わからないならいいわ」
「…掃除に行ってきます」
桂木が言ったことは本当のことで、それは藤原自身も本当はわかっているが、やはりそれをまだ認めたくない。
そしてその認めたくない事実は、心の中ですら言葉にしたくなかった。
藤原が複雑な想いを抱えたまま掃除に向かうと、桂木は黙々とパソコンにデータを打ち込んでいた相浦に話しかけた。
ここには松原と室田もいたが、こういうことにはとことんうといので話にはならない。
そのため、こういう話をする時はの相手は自然に相浦ということになるのだった。
「私ってやっぱり、とことんおせっかいな性分だわ…」
「まあ、いいんじゃないか? 桂木が言わきゃいずれ誰かが言ってたかもしれないしさ」
「そうかもしれないけど、やっぱり藤原自身の問題だし…」
「見た目は楽しそうに見えるけどな、藤原と時任」
「けど、それも原因の一つって言えばそうかもしれないわよ」
「まぁたぶん、なるようにしかならないんじゃないか?」
「それはわかってるんだけど…、時々、見てられなくなるのは事実なのよね…」
桂木がそう言うと、相浦はチラリとパソコンの画面から桂木の方に向ける。
だがそれ以上はこのことに関して、何も言ったりはしなかった。それは二人でどんなに話した所で、当人ではないので何の解決にもならないと思ったせいなのかもしれない。
桂木は小さくため息をついて机の方に視線を戻すと、再び書類の整理を始めた。
「片想いじゃなくて…、横恋慕なのに…」
そう桂木が呟いたように、誰も目から見ても久保田が時任を…、時任が久保田を想っている状態にあるので、藤原がしているのは正確には片想いというだけではなく横恋慕だった。
横恋慕というのは相手がいることを承知でするものなのだが、どう見ても藤原は久保田と時任の二人が想い合っているということを認めていない。
あまりにも強固な認めないという藤原の姿勢は、現実から目をそらしている以外の何者でもなかった。
普段は時任と言い争いをしているので気にならないが、ふとした瞬間に見せる藤原の真剣な瞳が桂木には痛く見える。
保健医である五十嵐も藤原と同じ立場にあるが、五十嵐は自分が横恋慕だということを知っていた。そのため時任や久保田に対する態度も、自分が傷つかないだけのラインを保っているせいかさっぱりとしている。
けれど藤原は冗談に見えて、本当はいつも本気だった。
二人とも叶いそうにもない恋をしているのは確かだったが…。
横恋慕であることを認めるのと認めていないとでは、やはり違いがないようであるのかもしれなかった。
まだ11月だというのに町は冬の寒さに包まれて、美しく紅葉するはずの公園の木々はすでに赤くなりそこねて茶色くなってしまっている。
日本は四季が四つあるはずだが、今年はそれがなんとなく曖昧だった。
あまりニュースで言われなくなったが、やはり異常気象は今も続いているらしい。
そんな寒さが身に染みて来る日、時任は無事に公務が終了するといつものように久保田に声をかけた。
「久保ちゃん、帰るぞっ」
「あ、悪いけど先に帰ってくれる?」
「なんか用事か?」
「まあ、そんなトコ。それが済んだら帰るから…」
「んー、わぁったっ」
久保田はそう時任に言うと、本当に用事があるらしく時任を置いて学校を出る。
一緒に帰れないのは不満だったが、時任は何も言わずにそんな久保田の後ろ姿を見送った。
用事があるからと言われてしまっては仕方がないし、それに今日はその用事が久保田がしている非合法なバイトのことだとわかっているのでおとなしく一人で家に帰るしかない。
けれど家に帰っても一人だと思うと、やはりなんとなく真っ直ぐ帰る気がしなかった。
待つのが嫌という訳ではなかったが、おとなしく見送ってはいてもやっぱり一緒に連れて行ってくれなかったのが不満だったのである。
そういうこともあって、できることなら一人で家にいる時間を減らしたいので、時任は帰る途中でゲーセンに行くことにした。
小銭がなくなるまでとか、お札崩してそれがなくなるまでという期限付きで…。
こんな感じで学校帰りのゲーセンに寄ると、同じく学校帰りの大塚達と鉢合わせたりしすることもたまにはあったが今日はそんなことはなかった。
だからというわけではなかったが、今日はなくとなく面白くない。
ならばマンションに戻ればいいのだが、そうせずに時任は一人でしばらくいつもしているゲームをクリアするべく没頭していた。
しかしそうしてゲームをしている内に、なぜか少しずつ気分が悪くなってくる。
ゲームの方は順調に進んでいたが、時任はまだ途中にも関わらずそのゲームから離れるとあまりの気持ち悪さに口元を抑えた。
「…うっ、なんか気持ちわりぃ」
そう呟いても今は一人なので、自分でどうにかするより方法がない。
とりあえずマンションに戻ろうと時任はゲーセンを出たが、運が悪いことに雨が降っていた。
当然ながらカサも何も持ってきていないので、気分は悪いがこのまま濡れて帰るしかない。
夕方から降り出した雨はしとしとと降っていて、どう見ても止むような様子はなかった。
時任は鞄を頭の上にして雨避けにすると、小さく舌打ちをして雨の中を走り出す。
もうすでに辺りは薄暗くなってしまっているので、降り注いでいる雨もやはり思った以上に冷たくなっていた。
「マジで最悪…」
ゲーセンからマンションまでの距離は、雨のせいかいつもより長く感じる。
途中で息切れを起こした時任は近くにあった店の軒先に入ると、雨音を聞きながら少し休けいした。
久保田が部屋にいるなら迎えに来てもらうところだが、今日は部屋には誰もいない。
雨に濡れたせいか寒さを感じてブルッと時任が身を震わせると、突然、背後から良く知った声がした。
「あれっ、時任先輩?」
時任がその声に振り返ると、後ろに雨宿りをしていた店から出てきた藤原が立っていた。
買い物をしていたらしく、手には鞄の他に袋が下げられている。
藤原は時任が一人でいるのを見ると、辺りをキョロキョロと見回した。
「久保田先輩は一緒じゃないんですか?」
「久保ちゃんは用事…」
「へぇ時任先輩って久保田先輩が一緒じゃないと帰れないのかと思ってましたけど、一人でも帰れるんですねぇ」
「どういう意味だよ…」
「幼稚園児並だから、帰り道もわからないのかと思いましたよ」
「…んだとぉっ、てめぇっ」
「ホントのことじゃないですかっ」
今は久保田はいなかったが、どうしても藤原と話すと久保田のことになってしまう。
店の軒先なのだが、藤原は生徒会室でいる時と同じように時任にからんできた。
いつもなら時任も藤原に言い返すところだが、今は寒くて気分が悪くて言い合っている内に返事をする気力もなくなってくる。
なんとなく目の前が暗くなってきたような気がして俯いていると、さすがに時任の具合が悪いと気づいたらしい藤原が顔を覗き込んできた。
「どうしたんですか? なんか顔色悪いですよ?」
「き、気分がわる…くて、寒い…」
「寒いって…、もしかして熱あるんじゃないですか?」
「・・・・・熱?」
「えっ、ちょっ…、時任先輩っ!!」
近くにいるはずの藤原の声が、なぜか遠くから聞こえてくる。
そうしている内に、視界がグラグラ揺れてきて足元がふらついて立っていられなくなった。
熱があるという藤原の言葉が本当かどうかはわからなかったが、かなり苦しいのは確かである。
「…時任先輩の家ってどこら辺に?」
「そんなこと…、聞いてどうすん…」
「ここでアンタを置いたまま帰ったら、久保田先輩に嫌われますしね。仕方ないから送って帰ってあげますよ」
藤原はそう言うと、不本意そうな顔をしながらも倒れそうになっている身体を支えてくれている。
それをありがたいとは思っていたが、マンションまで送ってもらうのは正直気が進まなかった。
だが、誰かに支えてもらわないと立っていられない状況だったので、
「わりぃけど…、頼む…」
と、言ってから、時任はマンションへの道を藤原に説明した。
すると藤原は自分が持っていたカサをさして、本当に時任を支えて歩き出す。
いつもは久保田を挟んでほとんど言い争いばかりしているが、藤原は雨の中を時任が濡れないように気をつけながら歩いていた。
「藤原…」
「なんですか?」
「サンキュー…」
「…しんどいなら黙っててくださいよ」
「…うん」
降りしきる雨はまだ止む様子はまるでなく、二人が歩いているアスファルトを黒く濡らしている。
天気が悪いせいで日が暮れるのが早いため、マンションに近づくにつれて街灯が灯り始めていた。
いつも久保田と歩いて帰っている道を藤原と歩きながら、時任は苦しそうな息をしている。
やがて見えてきたマンションの四階の部屋は真っ暗で、明かりはまだ灯っていなかった。
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