振り子時計。
    〜中 編〜



 雨の中でカサをさしながら時任を抱えて歩くのはかなり重い上に、一つのカサに二人で入ることは難しいので藤原の肩は雨に濡れてしまっていた。
 けれども目の前に見えてきたマンションに向かって、藤原は時任の肩を支えながら歩き続けている。思ったより大変だったので、このまま放り出してやろうかという気持ちが頭をかすめたりもしたが…。
 時任に名前を呼ばれて礼を言われたら、それが不覚にもうれしくて放り出せなくなった。
 普段は意地っ張りで全然素直じゃないのに熱のせいか憎まれ口を言うこともなく、時任は素直に藤原に寄りかかっていて…。
 それを支えていると、本気で早く連れて帰ってやらなくてはという気がした。
 いつも久保田を独占している恋敵を助けるなんてと思わないでもなかったが、自分に頼ってくれている時任を見るとなぜかしっかり支えてやりたくなる。
 その気持ちは病人を助けるのは当たり前だとか、そういうのとは少し違っていた。

 「時任先輩、マンションに着きましたよ」
 「…うん」
 「何階ですか?」
 「四階…」
 「もう少しですから、がんばってください…」
 「ん…」
 
 マンションにたどり着くと、藤原は時任に聞いて部屋のある四階まで上がった。
 そうしている間も時任はさっきよりももっと苦しそうに息をしていて、寒いにも関わらず顔が赤くなっている。それはおそらく雨の中をずっと歩いてきたので、熱が上がってしまったからに違いなかった。
 藤原は焦りながら四階の廊下を歩くと、時任の言っていた401号室の前で止まる。
 するとその部屋の表札には時任の名前はなく、『久保田』という名前が出ていた。
 一緒に暮らしているということは前から聞いていて知ってはいたが、話で聞くのと実際に目の前で見るのとは感じが違っている。
 なんとなく目の前で見ても信じたくない気がしていたが、この部屋で暮らしているという証拠に時任はこの部屋のカギをちゃんと持っていた。
 藤原は時任からカギを受け取ると、ゆっくりと鍵穴に差し込んでドアを開ける。
 すると『久保田』という表札のかかった部屋のドアは、なんの抵抗もなくすんなりと開いた。

 「…中に入りますよ」
 「・・・・・・・」

 時任はすでにしゃべる気力もないらしく、俯いたまま藤原の問いかけにうなづく。
 もう部屋についたからこのまま帰れと言われると思っていたが、時任自身も一人で歩けないことをちゃんと自覚しているらしく、藤原が中に入ることを許可した。
 実は何度か部屋に遊びに行きたいと言ったことがあったが、いつもは曖昧な返事しかしない久保田もそれだけは必ずハッキリと断る。
 だから時任に入ってもいいと言われても、やはり少し迷ってしまった。
 しかし熱でフラフラしている時任をこのままにしておくこともできないので、藤原はゆっくりと二人が住んでいる部屋の玄関に足を踏み入れる。
 するとそこには見覚えのある時任の靴と久保田の靴が並べられていた。
 「ホントに一緒に住んでるんですね…」
 その靴を見ながら藤原はそう言ったが、時任からの返事は帰って来ない。
 今は苦しくて、そんなことに返事をする余裕はないようだった。
 とにかく着替えさせて寝かせないといけないので、藤原は時任を支えて薄暗い廊下を歩き出す。
 すると玄関に入ってすぐのドアはバスルームとトイレだったが、そこから少し先に進むと横にドアがあった。なんとなく寝室っぽかったのでそこのドアを開けようとすると、ぐったりとしていた時任が藤原の手を抑えてそれを止める。
 不審に思った藤原が時任の方を見ると、時任は俯いたまま首を横に振っていた。
 「そこは…、ダメだから入んな…」
 「けどここって寝室じゃないんですか?」
 「いいから…、廊下の突き当たりのドアの方に行けって…」
 「暖かくして寝ないと酷くなりますよっ」
 「それでもいい…」
 「バカ言わないでくださいっ!」
 藤原は時任が止めるのを押し切って、寝室らしき部屋のドアを開ける。
 するとそこには、パソコンと本棚、そしてパイプベッドが置かれていた。
 パイプベッドはどう見てもシングルサイズだったが…。
 その下に脱ぎ散らかされている服は、一人だけのものではなく二人分だった。
 ベッドのシーツも乱れていて、そこで何があったのかを想像するのは簡単で難しくはない。
 藤原がそんな部屋の様子をじっと眺めていると、時任の手がドアをパタンッと閉じた。
 
 「とにかく…、ここはダメだから…」

 時任はそう言うと、支えてくれている藤原の腕から離れて一人で歩こうとした。
 けれどやはり頭がクラクラするのか、廊下の途中で倒れてしまっている。
 そんな時任を見た藤原は、慌てて時任を助け起こすと廊下の突き当たりにあるリビングのドアを開けた。
 「一人で歩けないクセに何やってんですか、アンタはっ」
 藤原は怒ったようにそう言ってから、リビングにあるソファーに寝かしつける。
 そうしてから何も考えないようにしながらさっきの寝室に入って着替えを持ってくると、ぐったりとソファーに横たわっている時任の服に手をかけた。
 「いい…、一人でできるっ…て…」
 「いいから、黙っててください…」
 「やめろ…!」
 「やめませんよっ!」
 時任は藤原が服を脱がそうとすると、嫌がって本気になって暴れ出した。
 一人でするというのだから出来る所まで放っておいても良かったのかも知れないが、なぜか藤原は半ば意地になってしまっている。
 必死に服を脱がされるのを防ごうと時任は襟を両手でつかんでいたが、やはりいつものような力はないため藤原があっさりとその手を解く。すると時任は藤原に蹴りを入れようとしたが、それもやはり空中を蹴っただけで藤原には当たらなかった。
 「くっ…、放せ…」
 「イヤです」
 「どかないと…、ぶっ飛ばす…」
 「歩けもしないクセに…」
 始めは濡れているから着替えさせなくてはならないと思っていたはずなのに、いつの間にか何かが変わってしまっている。
 それはおそらく時任が服を脱ぎたがらない訳を、薄々わかっていたからに違いなかった。
 散らかったベッドと…、脱ぎ散らかされた服…。
 その様子を思い出して唇を噛みしめた藤原は、馬乗りになって動けないようにすると片手で時任の両手を頭の上に押さえつける。
 そして時任が着ているパーカーを、一気にめくりあげて脱がせた。

 「み、見るなっ…!」

 そう言って時任が止めているのも聞かず、藤原は脱がせたパーカーを腕まで引き上げる。
 すると藤原の目の前に、時任の白い肌があらわになった。
 その白い肌をまるで点検でもしているかのように藤原が手のひらを這わせていくと、やはり首筋や鎖骨の辺りに赤い痕が散っている。
 それは紛れもなく、そういった行為をした時に付けられた痕だった。
 「これって…、久保田先輩ですよね?」
 「・・・・・・」
 「答えられないんですか?」
 「…放せ」
 「イヤだって言ってるでしょうっ」
 いくら言ってもどけようとしない藤原を、時任が睨みつけている。
 だがその瞳にはいつものような迫力はまるでなく、熱のせいで潤んでしまっていた。
 藤原は時任の頬に手を伸ばすと、そこから輪郭をなどるようにして下へと手を下ろしていく。
 その手の通った場所には、まだ新しいと思われる久保田のつけた痕があった。
 それは紛れもなく、時任の肌に久保田の唇が触れた痕跡で…。
 二人がそういう関係にあるという証拠である。
 見たくもない現実を目の前にして、藤原は胸が焼け付くような感覚を感じていた。
 「やっぱり目障りだ、この痕…」
 「なにすん…」
 「久保田先輩とどんなことしたのか、教えてくれません?」
 「ふ、ふじわらっ、まさか…!」

 「あ、もしかしてわかります?今なら俺、先輩のこと抱けますよ?」

 自分の中に起こった熱い衝動の理由は良くわからなかったが、藤原の身体は目の前で白い肌をさらしている時任に反応している。
 久保田を好きなはずなのに、なぜか今は恋敵である時任に欲望を感じていた。
 時任の潤んた瞳と肌に残る痕を見ていると、色んな感情が混ざり合ったみたいなって…。
 あのベッドで時任が抱かれていたかと思うと、衝動が収まるどころかますます強くなった。
 「ヤらせてくださいよ、先輩。 熱がある時にヤったら気持ちいいって、聞いたことありますし…」
 「バカなこと…、言ってんじゃ…ねぇよっ」
 「おとなしく、俺に犯されてください…」
 「や、やめろっ…!」
 藤原が時任の身体をゆっくりと撫で回してから、ズボンのベルトを外してチャックを開けようとする。すると時任は身体を横にひねって、藤原ごとソファーから落ちた。
 「う…っ!」
 「いたっ!」
 大きな音を立てて床に落ちた時任は、藤原の下敷きになって低く呻き声をあげる。
 熱のある身体にその衝撃は、かなり辛かったに違いなかった。
 しかし時任は藤原がひるんだ隙にふらつく身体で、藤原の下から這い出して逃げようとする。
 藤原は慌ててその身体を捕まえようとしたが、その瞬間、室内にチャイムの音が響き渡った。

 ピンポーン…、ピンポーン…。

 その音を聞いた時任は素早くパーカーを着ると、頭痛がするのか頭を抑えながら立ち上がって玄関へとふらつきながらも走り出す。するとチャイムの音に驚いていた藤原も、その後を追うように玄関に向かうために廊下へと出た。
 時任はやはり走るのは無理だったらしく壁を伝いながら歩いていたが、藤原が追いつくよりも早く玄関のカギを開けてドアを開ける。
 すると時任の開けたドアの向こうには、コンビニの袋を持った久保田が立っていた。
 「だだいま、時任」
 「久保ちゃ…」
 時任は久保田の姿を確認すると、勢い良くその胸の中に飛び込む。
 その様子を廊下から藤原が見ていると、久保田は飛び込んできた時任の身体を受け止めて、包み込むように優しく抱きしめた。
 「・・・・・身体が熱いけど」
 「う、うん…、ちょっと熱出てさ…」
 「薬は?」
 「まだ、飲んでない…」
 久保田はすぐに時任が熱を出していることがわかったらしく、時任の額に手を当てる。
 そして熱がかなりあることを確認すると、腕を伸ばして時任の身体を抱き上げた。
 「く、久保ちゃん…、一人で歩けっから…」
 「熱が高いから、無理でしょ?」
 「でもさ…」
 「ん?」
 時任は藤原が見ている前で、久保田に抱き上げられることを嫌がっている。
 始めは時任が嫌がる理由がわからなかった久保田も、時任の視線の先に立っている藤原を見て納得したようだった。
 しかし部屋に他人がいることを知った久保田は、限りなく冷たい視線を藤原に向けている。
 その視線のあまりの冷たさに藤原が身体をビクッと震わせると、時任が右手で久保田の腕をぐいっと引っ張った。

 「藤原は…、俺が熱出してたからさ。ココまで送ってくれたんだ…」
 「学校から?」
 「途中で…、偶然会って…」
 「ふーん…」
 「サンキューな、藤原…」

 まるでさっきのことを忘れたかのように、時任は藤原にマンションに送ってくれたことの礼を言う。
 てっきり久保田に全部話すと思っていたのに、なぜか逆に時任は藤原をかばっていた。
 藤原が信じられない気持ちで思わず時任の方をじっと見つめると、時任はすっと藤原から視線をそらす。
 その様子は、いつも真っ直ぐな視線を向けてくる時任らしくなかった。



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