振り子時計。
    〜後 編〜




 久保田に抱き上げられてリビングまで連れて行かれながら、時任は廊下でじっと立ったまま動かない藤原の気配を感じていた。
 けれどその気配を感じながらも、今は藤原の顔を見返すことができないでいる。
 昨日の痕跡が色濃く残った寝室と、身体につけられた痕を見られて…。
 だからと言うのもあるのかもしれないが、それよりも何よりも藤原の熱を布越しに感じたことが大きかった。寝ていることを知られてしまったが、いつものように久保田には自分の方が似合うとかなんとかと、そんな風に言ってくると思っていたのに、なぜか藤原は自分に抱かれろと迫ってきたのである。
 久保田のことが好きなはずなのに、その恋敵であるはずの時任に向かって…。
 だが、あの藤原がそんな風に言ったことが…、確かに欲情していたということが未だに信じられずにいた。好きな人じゃないと欲情できないとかそんなことを思ったりはしないが、どうしても布越しに感じた熱と藤原が繋がらない。
 できることなら、さっきのは冗談だと思いたいというのが本音だった。
 そんな風にさっきのことを思っているとリビングにあるソファーに、久保田がゆっくりと時任を降ろす。
 そしてまだ湿っている時任の髪を、久保田は手のひらで優しく撫でてきた。
 「服が濡れてるから着替えないとね」
 「あ、うん…」
 「着替えは…、取りにいかなくってもいいみたいだし…」
 「き、着替えを持ってきたトコで、久保ちゃんが帰ってきたからさ…」
 「そう、じゃあ着替えさせてあげるから腕上げてくれる?」
 そう言った久保田の後ろには、さっき同じように時任を着替えさせようしていた藤原がいた。
 何を思って、何を考えているのかはわからなかったが、藤原はさっきから久保田のすることをじっと眺めている。ソファーの背もたれで身体は藤原の視界から隠れてはいたが、久保田に着替えさせられると所を見られたくはなかった。
 時任は濡れた服を脱がそうとしている久保田の手を拒むと、自分の手で服を脱ごうとする。
 だが、そうすることをなぜか久保田は許さなかった。
 「自分で…、ちゃんと着替えるから…」
 「腕上げなよ」
 「へーきだって…」
 「時任」
 普段なら強引な久保田の腕から逃げるところだったが、今日は熱のせいでそんな気力はない。
 藤原とソファーでごたごたした時に、残っていた体力は使い果たしてしまったようだった。
 あきらめて時任が腕を上にあげると、久保田は時任のパーカを脱がせて着替えさせ始める。
 その様子を人事のように見ながら、時任は久保田ではなく藤原を視界に捕らえ続けていた。
 じっと何も言わずに見つめてくる藤原のことを…。
 藤原はそんな時任に気づいているらしく、藤原の方も久保田ではなく時任の方を見ている。
 そうしいている内に上だけではなく、ジーパンも何もかも久保田に脱がされて着替えさせられた。
 「ちょっとここで横になっててくれる? 何か食べるモノ持ってくるから」
 「なにも食いたくねぇ…」
 「食わないと薬飲めないから、無理にでも食べてくれないと困るんだけど?」
 「ちょっとだけなら食う…」
 「うん」
 苦しい息を吐きながら時任がそう返事をすると、久保田は時任をソファーに横たえて上に毛布をかける。時任は毛布の暖かさに身をゆだねながら久保田の様子をうかがっていたが、今の久保田からは藤原を見た瞬間に感じられた冷たい空気は微塵も感じられなかった。
 けれど久保田は、あれから一度も藤原の方を見ていない。
 それどころか、まるで藤原がそこにいないかのように振舞っていた。
 そのことに気づいているのか、ソファーに横たえられる瞬間に見た藤原は唇をきつく噛みしめていた。
 このまま帰ってくれたらと時任は思っていたが、やはり藤原はそこから動かない。
 時任はその沈黙に耐えられなくなって、ソファーに横たわったままで藤原を呼んだ。
 「藤原、悪りぃんだけど…。もう帰…」
 「せっかくだから泊まって行きなよ。雨降ってるし外はもう暗いしね」
 藤原に帰れと言おうとした時任の言葉にかぶるように、久保田は藤原に泊まれと言う。
 どう見ても明らかに久保田は藤原がここにいることを良く思っていないのに、なぜそんなことを言うのか時任には理解できなかった。
 いつもと同じように見えるが、やはり久保田は怒っている。
 それを感じた時任は居心地の悪い空気にわずかに身じろぎすると、藤原に向かってもう一度帰るようにハッキリ言おうとする。
 だが、時任がそう言う前に藤原は久保田に向かって返事をした。

 「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらいます」

 その返事は、いつも久保田に好かれたいと願っている藤原のものとは思えない。
 この部屋の緊張した空気を感じ取れないほどバカだというなら別だが、真剣な表情をして時任のいるソファーまで移動してきた藤原は今の状況をわかっているように見えた。
 時任は視線だけで帰るように言ってみたが、わかっているのかいないのか藤原の反応はない。
 やがてキッチンで時任のためにおかゆを作ってきた久保田が来ると、藤原の姿は久保田に隠れて時任の視界から見えなくなった。
 けれどやはり藤原は、時任がおかゆを食べている間もその場から動かずにいる。
 いつも騒がしくてうるさい藤原だが、その様子は何か悩んでいるようにも思えた。

 「薬は食後だから口開けて」
 「・・・うん」

 おかゆを半分くらい減らすと、時任がもう食べたくないと言ったので久保田が薬を持ってくる。
 その薬を受け取った時任がおとなしく錠剤を口に含むと、いきなり唇に柔らかいものが当たった。
 それがなんなのかはすぐにわかったが、無理やり口の中に水を流し込まれて時任が軽くむせる。
 だが久保田はかまわずに今度は水を飲ませるためではなく、キスをするために時任の唇に自分の唇を押し付けてきた。
 「んぅっ…、やめ…」
 「やめないよ…」
 「ふ、ふじわらが…」
 「藤原が…、どうかした?」
 時任は久保田の唇を拒もうとしたが、ソファーに押さえつけられていて逃げられない。
 角度を変えて何度もキスされて…、息が苦しくて時任の目じりに涙が滲んだ。
 キスされながら久保田の背中越しに横目で藤原を見ると、やはりこうしている今もその視線は今も時任に向いている。
 熱があるせいからなのか、それともキスされているからなのか…。
 次第にぼんやりとしていく意識の中で、時任は今の状況に泣きたくなってきていた。
 これならまだいつものように、久保田を挟んで藤原と言い争いをしてケンカしていた方が何倍もいいに違いない。何も言わない藤原とそれを無視し続ける久保田に挟まれ、時任はどちらの気持ちもわからなくて混乱していた。
 時任が二人の様子がおかしいので悩んでいると、短く音を立てて久保田の唇が離れてやっと長いキスが終る。
 すると久保田は、まだ依然として黙り込んだままの藤原に向かって話しかけた。

 「俺と時任と…、どっちとキスしたい?」
 
 その言葉に時任だけではなく、藤原も驚いた様子で久保田の方を見る。
 だが久保田は、時任とキスした時に濡れた唇に笑みを浮かべてはいたが、目の方は少しも笑ってはいなかった。
 久保田を好きな藤原に向かってこの質問をする意味があるとはとても思えないが、久保田はその質問を本気でしているように見える。時任も藤原も久保田にさっきあったことを話してはいなかったが、まるで久保田はそれを見ていたかのような様子だった。
 そんなことはあり得ないとわかっていても、そう思っていることすら見透かされているような気がする。
 なんとなく危険な予感がして、藤原をなんとかしてこの部屋から出そうと時任は考えていたが、そうするより早く藤原が久保田に向かって返事を返した。
 「どっちかって答えたら…、キスさせてくれるんですか?」
 「答えたらね」
 「・・・・・本気で?」
 「冗談のつもりはないけど?」
 そんな二人の会話のやりとりを聞いた時任の眉間に、頭痛からくるのではない皺が刻まれる。
 自分の目の前で藤原とキスすると言ってのけた久保田を、信じられない気持ちで時任は見つめた。
 藤原を挑発して、どっちかなんて無意味なことを聞いて…。
 久保田がどうしてそんなことをするのか全然わからない。
 だるくて動きづらい身体で時任がソファから起き上がろうとすると、それを久保田の腕が抑えた。
 「熱あるんだから、おとなしくしてないとダメっしょ?」
 「久保ちゃん…っ」
 時任は久保田を非難しようとしたが、その言葉が途中で凍りつく。
 それは座っていた場所から久保田の方に近づいてきた藤原が、久保田の頬に手を伸ばしたからだった。

 「俺とキスしてください、久保田先輩…」
 「したければどうぞ」

 始めからこうなることは当たり前で必然的で…。
 いつもなら強引に藤原を久保田から引き剥がしてやるところだったが、久保田がどうぞと言っているので止められない。
 本当は無理やりにでもやめさせたかったが、久保田が藤原にキスしてもいいと言ったことが…。
 しかも自分の見ている目の前で、平気でそう言ったことがショックで動けなかった。
 久保田の頬に伸びている手と…、次第に距離を縮めていく二人の唇を見ていてなくて…。
 時任は久保田の手に押さえつけられたまま、ぎゅっと閉じようとする。
 だがこんなに見たくないと思っているのに、どうしても目を閉じることができなかった。
 『久保ちゃんにさわんじゃねぇっ、このブサイクっ!!』
 いつものようにそんな風に叫べたら…、たぶんキスするのを見ないで済むのに…。
 近づいていく唇を責めることができない…。
 もし藤原と自分の立場が逆だったらなんて考えたくなかったが、なぜか今は小さな痛みになって胸の中に浮かんできて消えなかった。
 
 





 『したければどうぞ』
 そう言われて久保田の頬に、自分の手をゆっくりと伸ばした。
 大好きな久保田にキスしていいと言われて、いつも邪魔する時任に邪魔されずにキスできる。
 それは本当にあり得ないような夢みたいな出来事だった。
 しかも恋敵である時任の目の前でキスできるのだから、ざまぁみろって思って…。
 堂々と見せ付けるように久保田にキスしてやればいい。
 なのに藤原は、唇が触れる手前でピタリと動きを止めてしまっていた。
 せっかく久保田の唇に触れることができるだから、それに集中してそれだけを感じたいと思ってて…。
 だから久保田の頬に手を伸ばしたのに、なぜか唇を重ねられない。
 それは自分の方に向けられている時任の視線が、気になっていたからだった。
 『俺の久保田先輩から離れてくださいっ! 』
 そんな風にいつも言い合いしていて、だからいくら時任が哀しそうな顔をしていても気にする必要なんかないのに…。
 傷ついた表情をして、キスしようとしている自分と久保田を見つめている時任の視線が痛かった。
 その視線を感じる度に胸の奥が嫌な痛み方をして、それを感じていると好きなはずの久保田ではなく時任の方に心の中にある何かが傾いていく…。
 いつも時任は久保田の笑顔を独占して…、当たり前みたいに優しくされてて…。
 だからそんな時任を押しのけて、自分が久保田の隣りに座ることしか考えていなかった。
 なのに今はどうしてもここから先には進めない…。
 時任が哀しそうな顔をしているから…、時任が傷ついた顔をしているから…。
 どうしても久保田にキスできなかった。
 久保田に向かって伸ばした手をどうしたらいいかわからなくなって藤原が迷っていると、久保田の腕を振り払って起き上がった時任が派手な音を響かせてリビングを出て行く。
 だが久保田は、すぐにその後を追って行こうとはしなかった。
 「…行かないんですか?」
 藤原がゆっくりと久保田の頬から手を放してそう言うと、久保田はポケットからセッタを取り出して火をつける。その動作をじっと見守っていると、久保田は時任がかけていた毛布を藤原に渡した。
 「寝るのにソファー使ってくれていいよ」
 「時任先輩が寝てたソファーに?」
 「そう、時任が寝てたソファーにね」
 「・・・・・さっきの続きはさせてくれないんですか?」
 「したいの?」
 「わかりません…」
 今もこうして久保田を見ているとドキドキするし、ちゃんと好きだと思っている。
 けれどキスしたいかどうかは、わからなくなってしまっていた。
 時任がいなくなってもキスすることに迷いがあるのは、久保田が自分のことを好きと思ってくれてないことを知っているせいかもしれない。
 好きと思ってない証拠に久保田はやはり自分からは、藤原の方に歩み寄ったりはしなかった。
 「冷蔵庫にあるモノは適当に食べていいよ」
 「…ありがとうございます」
 「じゃ、ごゆっくり」
 「・・・・・」
 久保田はそう言い残すと、セッタをふかしながらリビングを出て行く。
 たぶん今から、熱を出して寝込んでいる時任をなぐさめに行くに違いなかった。
 そんな久保田の後ろ姿を見ながら、藤原は俯いて渡された毛布をぎゅっと握りしめる。
 これからきっとまた久保田は時任にキスするに違いなくて…、それをくやしくて嫌でたまらないと思っているのに…。
 何かが曖昧になって揺れていてハッキリとしない。
 落ち着くためにキッチンに行って水を飲んだが、胸を焼く嫉妬も曖昧な心も少しも変わらなかった。







 久保田と藤原の唇が触れる前にリビングから出てきたので、その後二人がどうしたかはわからなかった。
 見たくないのに目をそらすことができなくて…、それに耐え切れずにリビングを飛び出して…。
 けれどやはり二人がどうしたのか気になっている。
 時任はまだ乱れたままになっているベッドにもぐり込んで、毛布に包まって目を閉じた。
 熱を出してて頭が痛くて…、苦しくてしんどくてたまらないから、もうこのまま眠ってしまいたい。
 そう思っているのに、いくら目を閉じても少しも眠くならなかった。
 「久保ちゃんの…、バカ…」
 そんな風に呟いていても誰もいない静まり返った部屋から、返事は聞こえては来ない。
 なんとなくベッドに置かれている枕に抱きついてみたが、枕は室温と同じ温度で冷たかった。
 狭いベッドで寝苦しくて何度も寝返りを打って…、呼吸が苦しくて何度か咳をする。
 もうダメかも…と、時任がらしくなく弱気になっていた時、毛布から少し出ていた額に冷たいモノが当たった。

 「夜は熱が上がりやすいから…、冷やしておかないとね」

 そう言って冷たいタオルを時任の額に置いたのは、リビングで藤原とキスしているばすの久保田だった。驚いた時任がゆっくりと毛布から顔を覗かせると、久保田は微笑みながら優しく頭を撫でてくれる。
 その顔を見ていると、さっきのことがまるで嘘のように思えた。
 「…藤原は?」
 「リビングで寝てもらうことにしたから」
 「ふーん…、ゴホゴホッ…」
 「風邪引いてるの気づいてあげられなくて、ゴメンね」
 暖かい手で撫でられて、優しくゴメンねと言われて…。
 そうしたら風邪を引いて熱を出しているせいか、なぜか涙が出そうになった。
 本当は藤原とキスしたかもしれない久保田を一発くらい殴ってやりたかったのに、勝手に出てくる涙をこらえるのに必死でそうすることができない。
 両手で顔を覆って泣きそうなのを隠そうとすると、久保田の手がそれを止めた。
 「藤原とキスしてないよ」
 「・・・・・・・」
 「時任としかキスしたくないから、藤原とはキスしない」
 「でも…、キスしていいって…」
 「それはね…。あまり時任と藤原が見つめ合ったりしてるから、邪魔したくなっただけ」
 「えっ、俺は藤原と見つめあったりなんか…」
 「してたよ。俺を無視してずっとね」
 「そんなの…」
 「ウソじゃないよ」
 そんな風に話しながら止め損ねた時任の涙が頬を伝うと、その涙に久保田がそっと口付ける。
 触れてくる唇の温かさに目を閉じると、慰めるように久保田の両手が時任の頬を包んだ。
 その手に時任が自分の手を重ねると、今度は唇に暖かい感触が降りてくる。
 時任は久保田の唇の感触を感じながら、瞬間的にした片想いのような胸の痛みを思い出していた。
 「なんか苦し…」
 「うん…」
 「しんどくて痛い…」

 「それでも…、俺の方だけ見つめててよ、時任」

 熱にうなされながら久保田に抱きしめらて…、壁の向こうの藤原の気配に耳を澄ます。
 そうしていると、好きだと言って好きだよと言われて…、それで何も問題なんかないはずなのに…。
 暖かい腕に抱きしめられられていても、なぜか少しだけ胸の奥が痛かった。
 たぶんその痛みは、雨の中を自分を支えてくれていた藤原の手が冷たくなかったから…。
 静かに流れ落ちる涙のように、小さな痛みが胸に染みていくのかもしれない。
 けれど自分の中にある想いは絶対に譲れないから…。
 その痛みに同情したりはしないけれど、同じ人を好きになったその想いは認めたかった。
 だからその想いに決して負けないように…、藤原と向かい合いたいって…。
 もしかしたら、自分でも気づかない内にずっとそんな風に想っていたのかもしれなかった。







 眠ったような眠らないような夜が明けて…。
 藤原はカーテンから漏れる朝日と、騒がしく鳴いている雀の声に視線を向けた。
 目の前にはいくつかのゲームソフトと、食べかけのお菓子の残骸が転がっていて…。
 それが妙に寝室で眠っている二人の生活感というものを感じさせる。
 辛いのか苦しいのか良くわからない朝を迎えた藤原は、コードレス電話の横にあるメモ帳を取るとそれに何かを書こうとした。
 けれどそのメモ帳に書く文句が見つからなくて、手に取ったボールペンを再び投げる。
 するとそのタイミングを見計らっていたかのように、リビングから廊下へと続くドアが開いた。
 藤原がビクッと身体を震わせてドアの方を見ると、そこには昨日と同じ服装のままの久保田が立っている。時任を看病していて眠っていなかったのか、久保田の目の下には少し隈が出来ていた。
 「…おはようございます」
 「おはよ」
 平凡で普通な挨拶を交わすと、久保田はキッチンに入って冷蔵庫を開ける。
 冷蔵庫から卵を取ってから小さな鍋を準備していたので、どうやら時任のために朝食を作るつもりらしかった。
 藤原はそんな久保田の様子をしばらく眺めていたが、メモ帳に何か書くのをあきらめて借りていた毛布をたたんでソファーに置く。そして朝食を作っている久保田のところに、少しだけ迷ったような様子で歩み寄った。
 「久保田先輩…」
 「ん?」
 「先輩はもしかして、最初から気づいてたんですか?」
 「さぁ、何のことを言ってるのかわからないけど?」
 久保田の口から何か聞けば答えが出るかもしれないと、そんな希望を少し抱いていたが久保田は何も答えてはくれなかった。小さな鍋に卵がゆを作りながら、久保田は昨日のことなど少しも覚えていないかのようないつもと変わらない様子で藤原の前に立っている。
 久保田は何も答えてくれなかったが、曖昧に揺れている状態のままこの部屋で時任と顔を合わせたくなかったので藤原はあきらめて家に帰ることにした。
 だが藤原がリビングから出ようとドアを明けた瞬間、キッチンから久保田の声が聞こえてきた。
 「わかってるコトをわざわざ教えてやるほど、ヒマじゃないんだよねぇ」
 「・・・・・・どういう意味です?」
 「意味なんてないけど、参考までに一つだけ言っといてあげるよ」
 「なんです?」
 「わからないフリしてるのは、終わりにしたくないからっしょ?」
 「え?」

 「ま、あまり目障りだと俺が終わりにしちゃうかもしれないけどね」

 そう言った久保田の顔は見えなかったが、なんとなく帰って来た瞬間に見たように今の久保田は凍りつくような冷たい目をしているような気がした。
 藤原はそんな久保田の顔を見ないまま礼を言うと、ドアを出て薄暗い廊下を歩き出す。
 途中で時任のいる寝室の前で少し立ち止まったが、やはりそのドアを開けることは出来なかった。
 靴を履いて玄関を出ると昨日はあんなに降った雨が綺麗に上がっていて、青い空が目の前に見えている。
 藤原はすぅっと息を吸って深呼吸をすると、早足でマンションから出た。
 時計を見て来なかったがすでに生徒達が登校する時間になっていたらしく、家へと戻る途中で何人かの荒磯の生徒達とすれ違う。
 学校とは逆の方向に歩いていく藤原を不審そうに見る生徒もいたが、藤原は気にせず家に向かって歩いていた。

 「あっ、藤原じゃないっ。なに学校とは逆方向に歩いてんのよっ!」

 今は誰とも会いたくなかったが、途中で聞きなれた声に呼び止められる。
 それは学校に登校しようとしている執行部で三年の桂木だった。
 さすがに後が怖いので桂木を無視する訳にもいかず、藤原が呼び止められて立ち止まる。
 すると朝から元気な様子で桂木が、藤原の方に走り寄ってきた。
 「まさかっ、学校をサボるつもりじゃないでしょうねっ」
 「たまにサボるくらいいいじゃないですか…」
 「なによ、朝からやけに反抗的じゃない」
 「そういう気分の時もあるでしょっ、誰だって…」
 「まぁ、それはそうかもしれないけど…」
 「じゃあ俺は家に帰りますからっ」
 早くこの場から立ち去りたくて、藤原がそう言って再び歩き出そうとする。
 だがそんな藤原の頭を、いつも桂木が所持しているハリセンが派手な音を立てて炸裂した。
 「な、なにすんですかっ! 朝から凶暴なっ!!」
 「凶暴で悪かったわねぇっ!」
 「人の頭叩いといて、開き直らないでくださいよっ!」
 歩き出そうとしていた足を止めて、藤原が痛む頭をさすってそう文句を言う。
 すると桂木は、今度はハリセンではなく右手で軽く藤原の背中を叩いた。

 「なに落ち込んでるのか知らないけど、元気出しなさい。行きたくないなら無理にとは言わないけど、気が向いたら放課後だけでも学校に来なさいよっ」
 
 昨日のことも何も話してないのに、桂木はいつもの明るい調子で藤原に学校に来いと言った。
 落ち込んでるのがわかっているのに、背中を叩かれて明るい調子で…。
 そんな桂木を見ているとわからないことに悩んでいるのがバカバカしくなって、藤原も桂木につられていつもの調子でブツブツと文句を言った。

 「言われなくっても放課後には行きますよっ。僕だって執行部員ですから、公務さぱったりはしませんっ」
 「あんたは補欠でしょっ」
 「補欠、補欠って言わないでくださいっ」

 昨日のことも久保田が言ったことも、まだ胸の中でくすぶっていている。
 一つだった想いがユラユラと振り子のように揺れて、どうしても落ち着くことができないでいた。
 この振り子が止まった瞬間どうなるのか、もしかしたら自分でもわかってるのかもしれないが…。
 今はまだ自分の手で振り子時計の螺子を巻いて、止まらないでユラユラと揺れていたいのかもしれなかった。

 いずれは自らの手で止めなくてはならなくなったとしても…。

 藤原は放課後までには学校に行くことを桂木と約束したが、帰って着替えたらすぐに登校するつもりだった。今日はおそらく時任も久保田も休むかもしれないが、家に一人で閉じこもっているのではなく学校に行きたかったからである。
 桂木は学校に行くと言った藤原に、『ちゃんと来なさいよ』と念を押すと登校するために歩き出す。
 その後ろ姿に向かって藤原は、

 「自分は一途だって…、本当にそう思ってたんだけどな…」

と、呟いてから反対方向へと走り出した。
 その日、藤原が家から学校に登校したのは二時間目を過ぎた辺りだったが、やはり時任と久保田は病欠ということで学校を休んでいる。
 だが次の日には時任の風邪が治って、いつものように二人で登校してきた。

 「久保田せんぱーいっ、一日も先輩に会えなくてすっごく寂しかったです〜〜っ!!」
 「げっ、藤原っ!! 朝っぱらから久保ちゃんにくっつくんじゃねぇよっ!!」
 「せっかくの感動の再会をジャマしないでくださいよっ!!」
 「なにが感動の再会だっ!!」

 いつものように久保田を挟んで言い争いを始める二人を、久保田もまたいつものようにセッタをふかしながら眺めている。
 まだユラユラと振り子時計を揺らし続けている藤原を、久保田は止めるつもりはないようだった。
 その決着がつくのかつかないのか、それはきっと誰にもわからないに違いない。
 そんないつもと変わらない三人の様子を遠くから眺めていた桂木は、やはり今日も深いため息をついていた。




 このお話は31113HIT!!藤波様のリクエストで、

 「藤原、久保田のお家にお泊りv」

 なのです〜〜ヾ(>y<;)ノvvv
 すいません、キリリクを見た瞬間とても楽しそうな感じで…(滝汗)
 なのにこんな展開でこんな結末です(汗)
 実は藤原君らしくないことを承知の上で、このお話を書いてました。
 それというのも、どうしても特にOVA版の藤原君を見ていて
 ちょっとだけ寂しかったからなんです(汗)
 コミック版とCD2巻までの藤原君と、その後の藤原君はなぜかどうしても別人みたく見えて
 しまって仕方ありません(/。\)ギャグだからなのかもですが…(冷汗)
 藤原君の人格というものがなくなっていく気がして、ちょっと寂しい気が…(涙)
 いつも騒いでてバカやってますですが、少なくとも裏執行部してた時はちゃんと色々考えて
 ましたですし、執行部員らしくしようとしてたのも、CDで犬かばって蹴られてたのも藤原君なんです。
 自分の都合で簡単に悪にも善にも染まっちゃう(笑)
 そんな素直な?藤原君が好きだったり(←おいっ)
 だから片想いしてる藤原君もそれなりに何か感じて想ってるはずではと思いましたヾ(>y<;)
 なんてなんて、それは私の自分勝手な解釈で思いでしかないのですが…(冷汗)
 えへへっ、思わずこんなお話書いてしまいました。

 藤波様vvリクしてくださって本当にどうもありがとうございますっm(__)mvv
 こ、こんな感じで規定外な感じのお話を書いてしまいましたです(滝汗)
 すいませんです〜〜〜〜〜〜(平謝り)
 おまたせした上に長くなって…、こんなでお詫びのしようもございませんが、
 リクを書かせていただけてとても幸せですvv\(^o^)/
 とてもとても感謝デス〜〜っ(>_<)

 く、苦情受け付けてますですので、よろしくお願いいたします(滝汗)
 ごめんなさいっっ(>_<)

                 中  編へ               キリリク部屋へ