不協和音。
    〜中 編〜



 ゆらゆらとしていた意識が次第にはっきりとしてきたが、それと同時に頭の方がズキズキと痛んでくる。
 その痛みが殴られて気絶した時のものだと気づくまでに、少し時間がかかった。
 コンビニに行って買い物をした帰り、何者かに襲われたことを思い出した時任は、寝ていた場所からバッと勢いよく起き上がろうとしたが、手と足を何かに拘束されいて起き上がることができない。
 首を捻って自分の両手首を見ると、手錠をはめられていた。
 手錠は獣化の影響でそなわっている力を使えばちぎることは可能かもしれなかったが、手足に奇妙な痺れがあって身体に力が入らない。
 手袋が嵌められたままになっている所を見ると、獣化した手は見られていないようだったか、腕を拘束されているだけではなく、何か薬を使われてしまったようである。
 ここがどこなのかまったくわからなかったが、寝かされているソファーや前に置かれているテーブル、机などを見るとどこかの会社の事務所のような雰囲気だった。
 「…ちぃっ」
 時任は舌打ちすると、なんとか手錠が外れないかと右手に力を込めてみる。
 だが、チャリチャリと鎖が鳴るだけで、手錠は外れなかった。
 「やっと目が覚めたようだな」
 手錠に気を取られていて気づかなかったが、この部屋には時任以外にもう一人いたらしい。
 落ち着いているが、どこか嫌な感じのする声で時任に話しかけた男は、窓辺に立ってタバコを吹かしていた。
 きっちりと高級そうなスーツに身を包み、口の端をゆがめて笑みを浮かべている男を見た時任は、不快そうな顔で男を鋭く睨みつける。
 男は時任の鋭い視線を正面から受けて、フッと笑った。
 「いい目だ。久保田君と違って直情的だが、それがかえって魅力的に見える」
 「・・・・・・・・手錠をはずせっ!」
 「私が何者か気にならないのかね?」
 「ヘンタイだろ?」
 「なるほど、久保田君が気に入るだけのことはあるようだ」
 「さっきから、久保田、久保田ってうっせぇんだよっ! 久保ちゃんのコト気安く呼ぶな、クソじじいっ!!」
 観察するように見つめてくる男に、時任は噛み付くように怒鳴りつける。
 だが男は少し目を細めただけだった。
 ゆがんだ笑みも、見つめてくる目も何もかもが気に入らない。
 時任はソファーからなんとか上半身を起こしたが、近づいてきた男に腕をつかまれ、再びソファーに静められてしまった。
 「私は出雲会で支部長をしている真田という」
 「あっそう」
 「以前、久保田君にはとても世話になった」
 「ふーん」
 「その久保田君が最近、猫を飼っていると聞いたものでね。会ってみたくなったのだよ」
 「誰が猫だっ、ざけんなよっ!」
 「ずいぶんと威勢がいいな」
 「手ぇ離せっ!!」
 「君の顔と身体、久保田君がどちらを気に入ったのか…」
 「・・・・・・っ!」
 「興味がある」
 真田は身動きの取れない時任の口にハンカチを無理やり突っ込むと、胸の辺りから腰にかけてゆっくりと手を滑らせる。嫌がって暴れる時任を簡単に押さえ込んでいられるのは、やはり時任に薬が聞いているせいだった。
 真田は時任の腰まで手が到達すると、ポケットから小型のナイフを取り出して着ているTシャツの裾を切り始める。ビリビリと音を立てて切られていくTシャツを見ながら、時任はくわえさせられているハンカチを噛みしめた。
 マンションの前でさらわれて、真田と名乗った嫌な男に押さえつけられて、身動きも取れない自分に苛立ちを感じる。
 殴り飛ばして、ぶっ飛ばして逃げたかった。
 なのに身体が全然動いてくれなくて、逃げられない。
 だが時任はあきらめないで、ずっと右手に力を込め続けている。
 身体中が痺れて苦しくても、手首から血が滲んでいても、チャリチャリと鎖を鳴らしていた。
 そうしている間にも、真田はTシャツをナイフで切り裂いて無残な姿にしていく。
 Tシャツが切られて完全に脱がれて上半身裸になると、クーラーの冷たい空気が肌に当たって寒かった。
 「ほう、ずいぶんと可愛がられているようだ」
 時任の身体には、久保田が昨日付けた痕が残っている。
 その痕は、時任の感じる部分をたどるようにつけられていた。
 まるで、自分のモノだと主張するように。
 久保田の所有印を見た真田は短く笑って、下半身を押さえ込むように時任の上にのしかかった。
 時任は自分の上にいる真田に、ありったけの殺意を向ける。
 真田は細めていた目を少し見開いたが、時任の上から降りようとはしなかった。
 「そういう目は、男の征服欲を刺激するだけだ」
 「・・・・・・」
 「おとなしくしていたまえ。そうすれば痛くなくてすむ」
 「・・・・うぅっ」
 「それとも、私に犯される前に舌でも噛んでみるかね?」
 そう言いながら、真田は楽しそうな顔をして微笑んでいる。
 だが時任は瞳をそらさずに、ずっと真田を殺意を向け続けていた。
 ここで真田に犯されなくてはならない理由はない。
 久保田と過去にどんなことがあったのかはわからないし、それが気にならないと言えば嘘になるが、それを真田の口から聞きたいとは思わなかった。
 真田は睨みつけてくる時任の唇を指でなどると、
 「キスしてみたいが、君は久保田君と違って噛み付きそうなのでやめておこう」
と、何かをほのめかすように言う。
 それを聞いた時任は、手錠をかけられている手をギュッと握りしめた。
 真田が言うことが本当だとは限らないし、こんなヤツの言うことなど信じたくない。
 だが、ここにはそれが嘘だと否定してくれる久保田がいなかった。
 久保田が真田とキスしたかもしれないと考えるだけで、胸がぎゅっと苦しくなって呼吸できなくなりそうになる。
 胸が痛くて苦しくて、ぐもった咳をしている時任にかまうことなく、真田は時任の首筋に唇を落した。
 「・・・・・っ!!」
 気持ち悪いねっとりとした感触を首筋に感じて、時任はぎゅっと目を閉じる。
 音を立てて小さくキスを落しながら、次第に下へと降りてくる真田の唇を跳ね除けたくても、その力が今の時任にはなかった。
 嫌だ!離れろっ!殺してやるっ!!
 時任は塞がれて喋れない口でそう叫びながら、心の中でずっと久保田を呼ぶ。
 そうしないと、久保田の痕をたどるように丁寧に愛撫してくる真田の舌と手に、負けてしまいそうだった。
 何があっても生き抜いて、生き続けてやると誓っても、真田の与えてくる刺激に身体が反応しそうになる度、何かがふっと頭の中をよぎる。
 こんなヤツに触られて犯されることは屈辱だったが、それ以上に真田に犯されてしまった自分を久保田が受け入れてくれるかどうかを考えると恐くてたまらなかった。
 真田に犯されて汚された身体を、久保田はもう抱いてくれないかもしれない。
 好きだって言って、いつもみたいに抱きしめてくれないかもしれない。
 汚れたら、もういらないと言われるかもしれない。
 久保田に拒絶されることだけが、否定されてしまうことだけが、犯されてしまうかもしれない事実よりも時任を苦しくさせていた。
 「久保田君に捨てられたら、私のところに来るといい」
 まるで時任の心を見透かしたように、真田がそう言う。
 時任はまるで酸素を求めるように、腕を上に伸ばしながら右手に力を込めた。
 天井の蛍光灯が時任を照らしていたが、その光は冷たくて、身体も心も凍り付いてしまいそうになる。
 何度も何度も手錠に傷つけられた手首の皮が破れ、その痛みとともに血が腕を伝った。
 真田は自分の愛撫に反応しない時任を気にすることなく、久保田のつけた痕に自分の唇を重ねて、所有印を自分のものに書きかえていく。
 それはまるで、所有権交代の儀式のようだった。
 「あきらめたまえ。あがいた数だけ傷が増えるだけだ」
 真田はそう言うと、時任のジーパンに手をかける。
 脱がせるために足を縛っていたロープははずされたが、やはり足はゆっくりと何もない空間を掻いただけで、すぐに真田に捕まえられてしまった。
 薬は強力なもののようで、一向に切れる気配なく痺れが持続している。
 手馴れた感じでジーパンが脱がされてしまうと、時任のすべてが真田の前にさらされた。
 「・・・・・・・ぐっ」
 「抵抗するだけ無駄だと言っただろう?」
 真田の手が時任の中心へと伸びていく。
 久保田とは違う手がやんわりと時任を握りこむと、時任はぐっと息を詰めた。
 「感じたら素直に声をあげるといい。そうすれば、すぐに気持ち良くなれる。身体も心も…」
 そう言って時任の口からハンカチを取り去ると、真田は時任の感触を楽しむように手を動かし始める。
 気持ち悪い、触るなと思ってはいても、身体が真田が与える刺激に反応してビクッと跳ねた。
 「・・・・・・・あっ、うっ」
 ハンカチが取られたことで声が出るようになったが、口から出たのは欲情の色の混じった声だった。
 時任はそんな声を出してしまった自分が情けなくて、くやしくて、嫌で嫌でたまらない。
 一瞬、自分の舌を噛もうとしたが、久保田の顔が脳裏に浮かんで寸前で思いとどまった。
 とにかく何があっても、もう一度久保田の顔を見るまでは死ねない。
 久保田がもう一度、いつもみたいに『時任』と呼んでくれるのを聞くまでは死ねないと思ったからだ。
 「あっ、はぁ…」
 次第に上がっていく息が、無理やり上げられていく熱が苦しい。
 胸の中が痛みだけに染まっていって、苦しくて呼吸が止まりそうになる。
 時任は荒い息を吐きながら、真っ白になっていく頭の中で久保田のことだけを考えていた。
 現実から目をそらしたいわけではなかったが、それしかもう考えられなかった。
 「…嫌だ、久保ちゃん」
 たどたどしい口調で、時任が久保田の名を呼ぶ。
 すると真田は握っていた手を離して、時任自身を口でくわえ込んだ。
 「あぁっ、いやだぁぁぁっ!!」
 時任の絶叫が部屋の中に響き渡る。
 けれど、その時任の絶叫を聞いても助ける来る者などいるはずがなかった。
 弱者は強者に跪き犯されるしか生き延びる術がないとでもいうように、部屋に叫び声が満ちていく。
 「うぁっ、あ…、くぼちゃん…、くぼちゃん…」
 真田にきつく攻め立てられながら、それでも時任はまるで青い空を自由を求めるように、天井に向かって手を伸ばし続けていた。
 
 
 
 
 
 
 
 外は久保田が思っていた以上に暑くて、焼け付くようだった。
 目の前に続く道路の先には、あまりの暑さに陽炎がみえる。
 そんな中を久保田は途中で拝借したバイクに乗って、目的地に向かっていた。
 目的地は出雲会の組事務所。
 時任が出雲会にさらわれたことはバッチから知った。
 出雲会が時任をさらったとなると、やはりそれを命令したのは真田に違いない。
 W・Aの件で時任をさらったのか、それとも別に何か目的があるのかはわからなかったが、久保田はそんな理由や目的など考えたりはしなかった。
 久保田にとって問題なのはさらわれた理由ではなく、さらわれたという事実なのである。
 マンションの前で、自分の前で、堂々と時任を拉致した真田に久保田は怒りではなく、冷たく凍りつくような殺意だけを抱いていた。
 時任をさらわれたというのに冷静でいる自分を冷笑しながら、久保田はバイクを走らせている。
 だが、久保田は冷静なのではなく、時任をうばれた喪失感があまりにも大きすぎて、それに心が耐えられなくなっていただけだった。
 耐えられないから、心が何も感じることのないようにマヒしていく。
 こんなに暑い日だというのに、指先から体温が冷えていくような気がして、久保田はぐっとバイクのハンドルをきつく握った。かなりのスピードを出しているので、ハンドルの操作をあやまってしまいそうだったからである。
 時任の元にたどり着く前に、こんな所で立ち止まるわけにはいない。
 何も感じられなくなる前に、心が完全に凍り付いてしまう前に時任を抱きしめなくてはならなかった。
 それは誰のためでもなく、自分のために…。
 そう考えると、時任を助けに行くのではなく自分を助けに行くような気さえしてくる。
 「…ゴメンね、時任」
 そう言った久保田の顔はいつもとそれほど変わらなかったが、瞳だけが暗く沈んでいた。
 バイクは順調に走り続け、車道を走る車の間をうまく縫って目的地へと到着した。
 目的地である出雲会横浜支部には、常に組員が何人か詰めている。
 今、ここに真田が来ているとすれば、いつもより人数が多いに違いない。
 バイクを堂々と事務所の前で止めると、久保田は服の中の拳銃を右手で確かめた後、無言のまま組事務所のドアを開けて中へと入って行った。



 
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