ココロの在り処.1




 歩いていく先に来るとも知れない未来があるように、振り返ればそこに自分の足跡と積み重なった過去がある。曖昧な記憶は過去になった時点でどこが微妙にずれが生じて、正確な過去という時間を再現することは出来なくなるのかもしれないが、それでも過去は…、過ごしてきた時間と思い出は大切だという。

 過去の記憶と生きてきた時間、そしてそれに付属している思い出。

 それは誰しもが当たり前に持っているのかもしれないが、そうではない場合もまれにあった。
 今を生きることに過去はいらないとそう思うのも悪くないが、時々、覚えてもいない、あったかどうかもわからない過去が今を揺らす。
 いつものように生徒会室に久保田とともにやって来た時任は、ドアを開けて入ってすぐの所にパスケースのようなものが落ちているのを見つけたのだが、その中には時任の持っていない過去という時間と思い出が詰まっていた。
 そのパスケースには、幸せそうに笑う小さい男の子写真が入っていたのである。
 「誰んだ、コレ?」
 「誰のかは知らないけど…。写真の子供は松原かも?」
 「えっ、マジで?」
 「目の辺りに面影あるっしょ?」
 そんな風に話しながら時任と久保田がパスケースを見ていると、興味津々といった感じで横から桂木と相浦、そして藤原ががのぞきこんでくる。そして写真の男の子を見た瞬間、三人全員が同時に納得したようにうなづいた。
 「これは松原君よねっ、絶対」
 「松原だろ、コレは」
 「間違いなく、そうみたいですよねぇ」
 パスケースの写真にうつっている男の子は、パッチリとした目をしてかなり可愛かった。
 まるで天使のようにと、いう形容詞をつけても問題ないくらいに。
 今も美少年な松原だが、昔もやはり半端ではなく可愛かったようである。
 「うわっ、何見てるんですか!!」
 「か、返せっ!!」
 時任と久保田コンビの次にやってきた松原と室田は、部員たちがのぞきこんでいる写真を見て慌てたように時任の手からパスケースを奪う。
 だが、このパスケースは写真に写っている松原のものではなく、なぜか室田のものだった。
 「へぇ、それって室田の?」
 「う、うるさいっ!」
 相浦が写真のことをからかうと、室田が赤くなって怒鳴る。
 だが、赤くなっているのは室田だけではなく松原もだった。
 「なんでそんなとこに!」
 「すまんっ、つい…」
 写真は松原の家に室田が行った時に、どうしてもくれと室田に言われて松原が渡したものらしい。
 誰にも見せないという条件で渡したらしいが、結局、執行部全員の目に触れてしまうことになっていた。それを許してもらうために、あの巨体で小さな松原に必死にあやまる室田の姿は見ていてかなり笑えるが、なんとなく微笑ましくもある。
 そんな二人を見た藤原は、すすっと久保田のそばに寄って行った。
 「ねぇ、センパイ。僕の小さい頃って、すっごく可愛かったんですぅ。今度、持ってきますから見てくださいね」
 そう言いながら久保田の腕にまとわりつこうとした藤原を見て、すぐそばにいた時任がムッとした顔になる。
 久保田は藤原に抱きつかれても平然とした顔をしているが、時任は誰から見ても嫉妬してますという顔をして藤原をベリッと久保田から引き離した。
 「なっ、なにすんですかっ!」
 「誰もてめぇの写真なんか見たかねぇよっ!」
 「それを言うなら、時任先輩の方でしょう! 僕は天使のようにかわいかったですけど、先輩は鼻たれのクソガキだったでしょうから!」
 「だ、誰が鼻たれだっ!!」
 「だったら勝負しません? 俺と先輩とどっちがかわいいか」
 「えっ?」
 「小さい頃の写真持ってきてください。僕も持ってきますからっ」
 藤原が写真を持ってくることを提案すると、なぜか時任の顔が少し曇る。
 だが、そんな時任の様子に気づいていなかった桂木が、面白半分で妙な提案をした。
 「だったら、ついでだからみんなで小さい頃の写真持って来てみない? 松原君も自分の見られたんだから、他の人の写真も見たいでしょ?」
 「それはそうですっ、見たいに決まってます」
 「と言うわけで、明日は全員写真を持ってくること、いいわね?」
 「決定ですねっ」
 全員に写真を見られてしまった松原が、桂木の提案に笑顔でうなづいている。
 可愛いことがコンプレックスの松原は、可愛いと連呼されつつ写真を見られたことがかなり嫌だったらしい。
 相浦も室田も小さい頃の写真を見られたくない感じだったが、松原に睨まれて仕方なくうなづいていた。
 だが、この提案にうなづかない人物がまだ二名ほどいる。
 それは椅子に座って桂木達を眺めていた久保田と、藤原との勝負に返事できないでいる時任だった。
 久保田は特に変わった反応はしていないが、時任は妙に緊張したような表情になっている。
 藤原はそんな時任の様子を怖気づいていると勘違いして、腰に手を当てて小さく笑った。
 「持って来れないような写真しかないんじゃないですか?」
 「・・・・べつにそんなんじゃねぇよ」
 「だったら、絶対に明日持ってきてくださいよっ」
 「・・・・・・・」
 「やっぱり持って来れないんですか?」
 「写真は…」
 珍しく言い返して来ない時任に、藤原がちょっと不審そうな顔をする。
 この時になって始めてそれを見ていた桂木が時任の様子がおかしいことに気づいたが、すでに写真のことを提案してしまった後だったので、後悔してもすで遅い。
 藤原に写真を持ってくるように迫られて、時任は唇をかみしめていた。
 何か言いたいのをじっとこらえているかのように…。
 それを見かねた桂木が藤原をやめさせるために声をかけようとしたが、そうする前に椅子から立ちかがった久保田がそんな時任の肩を軽く叩いた。
 「見回りに行くよ、時任」
 「あっ、うん」
 久保田に肩を叩かれてビクッと身体を震わせたが、叩いたのが久保田だとわかると時任はホッとしたように息を吐く。よほど緊張していたような様子だった。
 さすがの藤原もあまりに様子がおかしいので、時任が久保田と見回りに行こうとしても黙っている。
 桂木も黙って二人が出ていくのを見送ってしまったが、ドアが閉まる音を聞いた瞬間、我に返って二人を追って廊下を出た。
 「ちょっと待って!」
 廊下に出ると二人並んでいる後ろ姿が見えたので桂木呼びとめたが、振り返ったのは時任ではなく久保田だけでだった。久保田は時任に先に行くように言うと、桂木がいる所まで戻ってくる。
 桂木は久保田が来るのを待ちながら、一人で見回りへと行く時任の姿が見ていた。
 その姿は、いつもよりどことなく元気がない。
 なんとなく痛々しい感じのする後ろ姿を見ながら、桂木は写真の件のことを後悔していた。
 
 「なに?桂木ちゃん」
 
 久保田は桂木のそばまで歩いてくると、いつもと変わらない調子でそう聞いてくる。
 桂木はすぅっと息を吸い込むと、写真のことを久保田に話した。
 「さっきの写真の話、時任に悪いことしちゃったみたいね。くわしい事情は知らないけど…、こういう話はしないように気をつけるわ」
 「お気使いはありがたいけど、これから先だってそういう話あると思うしさ」
 「かまわないってこと?」
 「うーん、今はとりあえずしないでやってくれる? 写真の件も俺と時任はナシってコトで」
 「いいわ」
 「アリガトね、桂木ちゃん」
 久保田は時任の様子がおかしかった理由も、写真を持って来れない訳も言わなかった。
 それほど意識したことはなかったが、そういえば久保田も時任も三者面談に親が来ない。
 何か理由があるのだろうと前から思ってはいたが、こうやってハッキリとそれを意識したことは始めてだった。
 当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃない。
 桂木は生徒会室へと戻りながら、心の中で時任にあやまっていた。




 二人で公務をしていても何もない日はあるもので、今日の見回りは何事もなく終りそうだった。
 だが、時任は歩いていてもどこか上の空で、久保田が話しかけても曖昧な返事しかしない。
 久保田は小さくため息をつくと、時任の腕を引っ張って生徒会室ではなく屋上へと向かった。
 「久保ちゃん?」
 「ちょっと休けいしない?」
 「…べつにいいけど」
 久保田に屋上へと連れていかれた時任は、少し沈んだような表情で屋上の柵に寄りかかる。
 その横で久保田がセッタを取り出して火をつけた。
 「今日も晴れてんな…」
 「そうだね」
 屋上から見る空は薄い雲が所々浮かんでいて、青い空に模様を作っている。
 完全に晴れそこなった空は、どことなくスッキリとしない。
 時任は空に向かって腕を伸ばして思い切り伸びをすると、隣の久保田の肩にコツンと頭を乗せて寄りかかった。
 「あのさ…」
 「ん?」
 「俺って何も覚えてないじゃんか?」
 「うん」
 「だから今日だって、記憶ないし写真なんかないって言ったら良かったのかもしんない」
 「けど、言えないっしょ?」
 「なんでわかんの?」
 「なんとなくね。記憶ないってわかって、同情とかされんの嫌だろうなぁって」
 そう久保田が言うと、時任は近くにあった久保田の手に指をからめて握る。
 すると久保田がその手をゆっくりと握り返した。
 「覚えてなくても、別にどってことねぇのに…」
 「…時任」
 「わりぃ、別にヘーキだから気にすんな」
 まるで空を見上げるみたいに、久保田の顔を見上げて時任がそう言って笑う。
 だが、その笑顔を見た久保田は今の心情を表しているかのような、微妙な表情をして時任の頭を軽く撫でた。
 慰めるのではなく、時任の存在を確認するかのような手付きで…。
 久保田と時任はそうやってじっと肩を寄せ合いながら、晴れ損ねた空の下でしばらく屋上の風に吹かれていた。







 翌日の午後は執行部は生徒会本部に客人が来るというので、いつもより厳重に校内の見回りをしていた。
 見回りには時任と久保田だけでなく、松本と室田も出ている。
 客人は他校の生徒会長と副会長で、わざわざ遠い場所からここに来る理由は荒れていた校内を短期間で改善したという荒磯高等学校を見学にしたいということだった。
 「ったく、なんで見学になんか来んだよっ」
 「そこの高校、結構荒れちゃってるらしいから」
 「真似したって良くなるとは限らねぇだろっ」
 「まあ、それはそうなんだけどねぇ」
 結局、写真の件は取りやめになったため、執行部内で写真のことが再び話題になることはなかった。
 それは桂木が時任のことを伏せたまま、あれこれ理由をつけてやめにしたせいである。
 時任もいつまでも悩んでいるのは性に合わないらしく、翌日にはいつも通りの時任に戻っていた。
 そのことに桂木はホッとしていたようだったが、久保田はやはりまだ少し何かを気にしている。
 見回りをするために二人で校内を歩きながら時任が廊下の窓から外を見ると、やはりそこには昨日と同じように雲で模様が出来ている空が広がっていた。
 「雨、降んのかな?」
 「降らないんじゃない、天気予報でそう言ってたし」
 「ふーん」
 「…どしたの?」
 「べつになんでもねぇよ」
 たわいのない会話をしながら二人が廊下の角を曲がろうとすると、ちょうどそこに逆方向から角を曲がろうと走ってくる人影があった。
 それに気づいた久保田がぶつかりかけた時任の肩を抱きかかえると、ギリギリの所で人影が止まる。
 久保田のおかげで事故は防げたようだった。
 「急いでてさ、ゴメンな」
 「べつに、あやまんなくてもいいって」
 時任にぶつかりかけた相手は、本当に申し訳なさそうにあやまっている。
 人の良さそうな人物だったので、時任もあまり何も言う気はないようだった。
 だが、その相手の人物は時任の顔を見るなりなぜか驚いたような表情になる。
 時任が不審に思って眉をしかめると、その人物はいきなりガシッと時任の肩をつかんだ。
 「時任っ、時任じゃんっ!」
 「はぁ?」
 「すっげぇ久しぶりっ! ここの高校にいるなんて思ってなかったぜ!」
 「って、アンタ誰だよ?」
 「長谷川に決まってるだろ、長谷川 翔っ」
 「長谷川?」
 「何、覚えてねぇの? 薄情なヤツだなぁ。 あんなにいつも一緒に遊んでたのにさっ」
 「…マジ、で言ってんじゃねぇよな?」
 「マジに決まってんだろっ!」
 長谷川と名乗った人物は荒磯ではなく、他校の制服を着ている。
 どうやらこの長谷川が見学に来た生徒会長か副会長らしいが、なぜか昔の時任を知っているらしい。
 時任との再会を喜んでいる長谷川に肩を揺さぶられながら、時任は呆然として廊下に突っ立っていた。
 一緒に遊んでたと言われて、懐かしいと言われても全然何もわからない。
 時任が動けないでいると、横から伸びた久保田の手が時任の肩から長谷川の手を外した。
 「早くしないと、遅れると思いますけど?」
 「あっ、そうか…」
 強引に久保田に外されてしまった手を見て少しだけムッとした感じだったが、長谷川は気にしないことにしたらしく、再び生徒会本部に向かって歩き出す。
 だが、そのまま歩き去らずに一度だけ振り返って笑顔で手を軽く降って見せた。
 「今度、ゆっくり話しような、時任!」
 時任はそう言われて、返事をすることができない。
 長谷川にいくら知っていると言われても、何も思い出せなかった。
 けれど、知っていると言われれば思い出さなくてはならないという気がしてきて、眉間に皺を寄せながらなんとか思い出そうとしてみたが、逆に何もかもがわからなくなっていく気がする。
 一緒に遊んだということも、長谷川という名前も…、本当に何もわからなかった。
 「…久保ちゃん」
 「なに?」
 「何も思い出せない…」
 久保田に向かって途方に暮れたようにぽつりとそう言った時任の手は、久保田の服の裾をつかんでいる。
 久保田はその手を握ってやりながら、なだめるように小さくこめかみにキスをした。
 少しでもその痛みが減るように…。
 何も思い出せないと時任が久保田に言ったのは、会って記憶がないことを聞いて以来のことだった。


 
 
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