同居人.7




 私立荒磯高等学校、生徒会執行部…。
 ここに所属している者は行動を制限されないかわりに、校内の治安を守り抜く義務を負っている。荒磯の治安を乱している不良達の目には、執行部員の印である腕章は権力の象徴のように見えるかもしれないが、それをつけている部員達にとっては正義の証であると同時に、何があっても治安を守り抜くという義務と責任を負っているという証でもあった。
 その義務と責任が生半可なものではないことは、時任の頬の傷が物語っている。校則違反をして公務を執行されても校則によって何も言う権利が荒磯の生徒達にないように、執行部員も公務中に負ったケガについては内々で処理されるので表沙汰になることはなかった。
 一見、校則は執行部に有利に働いているように見えるが、何者にも行動を侵されない代わりに、様々な場面でそれなりのリスクを負っている。常に執行部という肩書きと任務がついてまわるということがどんな事はなのか、実際に執行部員になってみなければわからないかもしれないが…、
 時任が執行部員ではなかったら、桜井がさらわれることもなかったかもしれないというのは紛れもない事実だった。

 「くそぉっっ、ぜったいに許さねぇっ!!」

 呼び出された場所に向かって走りながら、時任はそう叫ぶ。けれど桜井を助けるために走っているはずなのに、心は肩にかけられた制服のぬくもりの中に囚われていて、そこからどうしても抜け出せなかった。
 自分のせいで桜井がさらわれて早く助け出したいと思う気持ちは本当だけど、彼女という言葉が自分の中でしっくりとこなくて…、しこりになって胸の中に残る。その感じは自分の方を見て、うれしそうに笑う桜井を見る時と似ていた。
 これからもずっと付き合うのか、好きになれるのか…、まだ付き合い始めたばかりでわからなくてとまどってばかりで…、
 けれど、なぜか桜井とのことを考えれば考えるほど、隣りにいてくれなくなった久保田のことしか浮んでこない。桜井のいる場所に向かって走っているのに、急がなくてはならないのに…、走れば走るほど久保田との距離が広がっていくような気がして…、

 こんな時になのに…、立ち止まって振り向きたくなった。

 けれど、今は絶対に振り返れない…。
 ここで走るのをやめて振り返ったら、自分で自分が許せなくなる。付き合うことになったのは橘に乗せられたせいかもしれなくても、付き合うと決めたのは自分自身だった。
 自分のせいでこんなことになった責任もあったけれど、今は彼氏として彼女を守るために走る…、自分の彼女を助け出すために…。
 でも、そんな風に想いながらも、時任の心の中に桜井はいなかった。
 
 「・・・・・・・・ちくしょう」

 時任は荒い息を吐きながらそうつぶやくと、たまに学校帰りに行くゲーセンの横の薄暗い路地に入る。けれど、その呟きは人質を取ってまで恨みを晴らそうとしている奴らに向けて言ったのか、それとも自分自身に向けて言った言葉なのかはわからなかった。
 裏路地を少し走ると目の前に、手紙に書いてあった廃ビルらしき建物が見えてくる。見えてきた廃ビルはそれほど大きくはなかったが、悪い遊びをするための溜まり場にするにはちょうどいい感じだった。
 人質を取られているのに正面から突っ込むのは無謀だけれど、一人きりではあまりいい作戦は思い浮かばない。とにかく桜井をここから無事に逃がすことが最優先だったが、まだ相手の人数が何人なのかわからない以上…、いくら時任が強くても必ず勝てるという保障はどこにもなかった。
 けれど、時任は拳を強く握りしめると躊躇することなく、裏路地を吹き抜ける冷たい風を切るように前へと足を踏み出す。それは腕に腕章をつけている時もつけていない時も、いつでもどんな時でも変わらなかった。
 でも、一つだけ違うことはその横に久保田がいないことで…、冷たい風はそれを教えようとするかのように吹き抜けていく…。
 けれど、時任は誰もいない隣りに向かって…、いつもの調子で呼びかけた。

 「行くぞ…、久保ちゃん」

 その声は冷たい風にかき消されるだけで、どこにも届かない…。
 時任は手袋のはまっている右手を一瞬見たが、すぐに前へと向き直った。
 すると入り口に立っていた見張りらしき男が、中にあわてて駆け込んで行くのが見える。見張りをしていた男は、時任が来たのを仲間に知らせに行ったのに違いなかった。
 状況は考えるまでもなく、圧倒的に不利…。
 けれど後戻りできないのではなく、後戻りはしない。
 負けるかもしれないと考えるくらいなら、最初から戦ったりはしない…。

 だから、戦うと決めたからには絶対に負けない。

 時任は廃ビルの中に入ると物影から不意打ちしようと狙っていた男の攻撃を、前を向いたまま素早く横に移動して避ける。それは攻撃してくる相手のことが見えていたのではなく、時任の野性的な鋭い勘が働いたからだった。
 だが、勘が働いても身体が素早く反応することができなければ避けることができない。それができるのは、やはり身軽で動きの素早い時任だからこそだった。
 時任は攻撃を避けた瞬間、すでに次の動作に入っていて…、男はその素早い動きに驚く間もなく蹴りを食らって後方の壁に向かって吹っ飛ぶ。そして、無様に転がった男を見ることもなく、時任は上の階に向かって狭い階段を登り始めた。
 こういう場所では、首謀者は一番上の階にいると相場が決まっている。なので、とにかく相手に考える余裕を与えることなく、挟み撃ちにされないように気をつけながら早く桜井がいるかもしれない上へと到達しなくてはならなかった。
 もしも、久保田がいたらどちらかが戦いに集中して、どちらかが走れば良かったけれど、

 ・・・・・・今は一人きりだった。

 時任は上へ上へと向かって走りながら、襲ってくる奴らを倒していく。そして倒した顔ぶれを見ると、荒磯の生徒だけではなく他校の生徒も混じっていた。
 どうやら、時任を倒すために共同戦線を張ったらしい。
 それだけ時任が強いということを認めているということなのかもしれないが、別にこんな奴らに認められたくて公務を執行してきたわけじゃなかった。
 
 「てめぇらみたいなヒマ人の遊びに、付き合ってるヒマなんかねぇんだよっ!!!」

 走っている内にいつの間にか頬に貼られていたガーゼがはがされて、少し薄くなったけれどまだ残っている傷が空気に触れる。けれど、今はその傷を気にいている余裕はなかった。
 襲いかかってきた男を殴り飛ばしながら正面にいる男を鋭い瞳で時任が睨み付けると、正面の男は時任の迫力に押されたように後ろに下がる。戦うためには技と力が必要だが、それ以上に戦う意思と気合いが大切だった。
 戦う前に気合いで負ければ、どんなに力が勝っていても勝率は下がる。
 それはたぶん…、自分の力を信じるか信じないかの違いなのかもしれない。
 一人で戦っている時任に隙はたくさんあるのに誰も踏み込むことができないのは、ここにいる全員が時任の凄まじいまでの戦いぶりに圧倒されていたせいだった。

 「おいっ、アイツは一人なんだぞっ!!」
 「なにチンタラやってやがんだよっ、てめぇっ!!!」
 「そーいうてめぇだって、負けてんじゃねぇかっ!!」
 「あぁ?誰が負けたって? ケンカ売るってんなら、特別に高く買ってやるぜっ!」
 「ココでやる気か?」
 「お、おいっ、やめろよっ、お前らっ!!!!」

 他校の生徒同士ということもあって、人数はいても結束力はない。なかなか時任が倒れないことにイラついているせいか、早々に内部分裂をし始めたので上へと行こうとする時任を妨害する者も減った。
 その隙をついて階段を一気に駆け上がると、最上階にある部屋のドアを開ける。すると、その中には両手と両足を縄で縛られた桜井がいた。
 桜井は縛られてはいるものの何もされた様子はなかったので、時任はホッと胸を撫で下ろす。すると、瞳に涙を浮かべながら時任に『こんなことになってごめんなさい』とあやまった。
 けれど、こうなったのは桜井のせいでも時任のせいでもなくて…、こんな真似をした奴らが悪いに決まっている。なのに、あやまった桜井に向かってごめんと呟きたくなるのはたぶん付き合っているのに…、彼女のはずなのに…、
 きっと助けたいのはそうするのが当たり前だからで…、腕章をつけて正義の味方してる時と同じで特別だからじゃないと、わかっていたせいかもしれなかった。

 「すぐに助けてやっからなっ」
 「いいのっ、私のことはいいから早く逃げてっ!!!」
 「なに言ってんだよっ!! 置いて逃げられるワケねぇだろっ!!」
 「・・・・・・時任君」
 「心配すんなって、無敵の俺様が助けてやるからっ」
 
 そう言うと桜井は泣きながら首を横に振っていて…、そんな桜井の涙と哀しみに沈んだ表情を見ていると胸に何かが突き刺さって痛い…。けれど、その痛みに耐えて視線を桜井の隣りに立つ男の方に向けると、時任は周囲を取り囲んでいる男達を警戒しながら無意識に手を伸ばして頬を軽く撫でた。
 たぶん…、頬に向かって伸ばした手は久保田に触れようとした手で…、
 けれど、どんなに手を伸ばしても久保田には届かないから、久保田から感じる暖かさを…、その痕跡を探していつも手がさまよう…。そして心の中で話しかけて呼びかけて、何度も何度も名前を呼んでいた…。

 『久保ちゃん・・・・・・・・』

 時任は心の中でまた久保田を呼んで…、それから頬に伸ばしていた手を下へと降ろす。それから桜井を放すように、まるで観察するように時任を見ている男に向かって言った。
 すると男は喉の奥でくくっと笑って、時任の方へと縄を投げる。時任が来ても男は桜井を開放するつもりはないようだった。
 「この女が大事なら、その縄で自分の足を縛れ」
 「その前にちゃんと来てやったんだから、さっさと桜井を放しやがれっ!!」
 「別に来いとは書いたが、来たら開放してやるとは書いて無かっただろ?」
 「てめぇ…」
 「せっかくわざわざここまで連れてきた人質だ。有効に利用させてもらわなきゃなぁ?」
 桜井の肩に軽く手を置きながら、男がそう言うと近くにいた男がカッターで桜井のスカートの裾を切ってみせる。スカートの切られた部分を見て震えている桜井を見た時任は、男を睨みつけたままで投げられた縄を手に取った。
 けれど言うことに従ってはいても、まだあきらめた訳じゃない…。
 ニヤニヤと嫌な笑みを浮べ続ける男の隙をうかがいながら、時任はなんとかして桜井を助けようと考え続けていた。
 両手足を縛られる前に…、何かできることを…。
 だが、ゆっくりと時間稼ぎをしながら自分の足に縄をかけようとしていると、下の階でやられた男が恨みを込めて容赦なく時任の腹を蹴りあげる。その蹴りを時任は腕でガードしたが、今度は別の男が時任の後ろから頭を殴りつけた。

 「まずは一人目…、二人目は誰が来るか楽しみだな」

 この廃ビルに集まっている人数は、時任一人を倒すにはあまりにも多すぎるとは思ってはいたが…、どうやらこれは時任だけを狙ったものではないらしい。殴られた頭を押さえながら今回の首謀者らしい男の言葉を聞いた時任は、自分が桜井と同じようにおとりにされたことを知って…、

 唇を噛みしめながら…、心の中で久保田を呼ぶことを止めた…。
 
 


                 戻   る           次  へ