同居人.3



 
 握りしめた手のひらと…、触れ合った肩…。
 もしもそこから生まれてくるのが、友情とかそういうものだったら…、
 いつも一緒にいてそばにいて隣りにいて、このままでいられる保障なんて少しもなくても、今が…、当たり前に隣りにいて視線をかわして笑い合える今があるなら…、
 それでかまわないって思えたのかもしれない。
 けれど触れ合った部分が生まれてくるのは、抱きしめたいっていう熱い衝動と欲望と…、

 誰にも触れさせたくないっていう、醜い独占欲だった…。

 こういうキモチがこういう醜い感情が…、愛とか恋とかそういうモノかどうかなんて知らないしわからない。なのに、この想いもキモチもなくならなくて止まらないってコトだけが、なぜかやけにハッキリとしていて…、
 生まれてくる熱い衝動をカンジるたびに腕を伸ばしかけたけれど…、警戒心なんてまるでない無邪気な笑顔がその腕を止める…。
 けど…、その衝動を始めてカンジた瞬間から…、抱きしめたいって想った日から…、
 たぶん…、俺の手も腕もココロも…、

 同居人とか相方って枠を…、越えてしまってたのかもしれなかった。










 「あらぁ〜、久保田君じゃなぁい〜」

 昼休憩に入った校内の廊下を歩いていた久保田を、そう言って呼びとめたのは保健医の五十嵐だった。久保田が五十嵐のいる保健室に行くのは、時任が公務の時に怪我をした場合がほとんどだったが、この間は時任と一緒に久保田も手当てを受けている。
 五十嵐が久保田の手に巻かれた包帯を見ると、久保田も自分の手に巻かれた包帯を見た…。けれどその包帯は五十嵐が巻いた時よりも、巻き方がかなり不恰好になっている。それはマンションに戻ってから、時任が消毒をして巻き直していたからだった。
 「消毒してあげるから、今から保健室にいらっしゃい。そのままだと包帯もほどけかけてるし、色々とやりづらいでしょう?」
 「ん〜、せっかくのトコすいませんけど、今回は遠慮しときます」
 「アタシと久保田君の仲なんだから、遠慮なんてしなくていいのに」
 「ま、色々とあるんで…」
 「それってもしかして、あの単細胞にカノジョができたってコトが関係してるのかしら?」
 「さぁ?」

 「ふふふ…、とにかく一緒にいらっしゃい。一人きりの昼休憩の暇つぶしに必要なコーヒーくらいは出すわよ?」

 五十嵐にそう言われて保健室について行ったのは、別にコーヒーが欲しかったからでも暇つぶしをしたかったからでもない。
 単なるその時の成り行きというヤツだった。
 たぶんこのまま廊下にしても、ぼんやりと歩き続けるか立ち止まるかだし…、特にすることもやることもない…。それが苦痛だというのではなかったが、時任が隣りにいないだけで途端にすることもやることもなくなってしまっていた。
 購買で時任の好きな焼きそばパンをキープしなくてもいいし、自動販売機で砂糖とミルク増量の紙コップに入ったコーヒーを買わなくていい。廊下を歩いている時も…、そこには誰もいないから別に横を見なくても良かった。

 けれどそれは…、暇とか退屈とは少し違う。

 ただ、本当に何もかもがなくなってしまったみたいに妙に静かで…、
 そして、窓から差し込んだ陽だまりの中に立ってみても寒かった。
 静かで寒くて…、手に巻かれた包帯の白だけが鮮やかに見えて、それを見つめていると目に染みて痛くなる…。その痛みは女の子と話しながら登校している、時任の後ろ姿を見た時に感じた痛みと似ていた。
 
 「はい…、コーヒー」
 「どーも」

 保健室に入ると、五十嵐は言っていた通りにインスタントコーヒーを作って久保田の手に渡す。すると、渡されたコーヒーからは湯気が上がっていて、そこからはあたたかさが伝わってきた。
 見慣れた保健室でコーヒーを一口飲むと、久保田は窓に背を向けて置かれていた丸イスに座る。そこには昨日、カッターナイフで切られた頬の消毒をするために時任が座っていたが、そこにはもう時任が座っていた時のぬくもりは残っていなかった。
 「あのバカは、本気でこれからもミスコンの彼女と付き合う気なの?」
 「さぁ? 俺に聞かれてもわかりませんけど?」
 「そう言うと思ったわ…、なんとなくね。でも、時任が誰と付き会おうと興味がないって訳じゃないんでしょう?」
 「ま、一応…、同居人で相方なんでそれなりに…」

 「それって、まさか本気で言ってるの?」

 五十嵐がそう問いかけたが、久保田はそれには答えない…。
 そのまま黙ってもう一口コーヒーを飲むと、包帯に巻かれた手を軽く握りしめた。
 時任の頬がカッターナイフで傷つけられるのを見た瞬間に、とっさにガラスを叩き割った時にできた傷はまだ痛むが…、
 こうしてコーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、この傷がどんなに痛んでも消えなければいいとそんな風に願ったりして…、そんな自分の想いに苦笑したりする。あの日、時任が告白された時には止めもしなかったのに、今はいずれは消えてしまうような傷なんかで時任を自分に縛りつけたいような気分に駆られていた…。
 時任には抱きしめたりキスしたり、ベッドで抱き合ったり…、そんなことをしたくなるくらい好きな子はいない。それはいつも隣りにいて知っていたことだったが…、

 いずれはどこかの女の子に、好きだって言う日が来ることも知っていた。

 まるで自分達の関係を確認するかのように、時任はいつも繰り返し繰り返し…、久保田に向かって相方で同居人だからと言う。
 友情と愛情の狭間に…、境界線を引きながら…。
 そんな境界線の上に立ち続けて何も望まないで…、抱きしめかけた腕とキスしかけた唇を止めることで一緒にいられたとしても…、抱きしめたかった細い身体とキスしたかった唇に他の誰かが触れるを黙って見てはいられない。
 お幸せになんてセリフは…、幸せなんて祈ってないから言えない。
 だから…、もしも腕の中に抱きしめられる可能性がないのなら…、
 
 三年が終わりに近づくにつれて…、離れることを考えなくてはならなかった。
 
 何もかもぶち壊して腕の中に閉じ込めるように抱きしめて…、キスして…、
 そうすることを望んでいる自分を感じながらも、手のひらの傷がまるで戒めのように胸の奥に痛みを伝える。
 何よりも誰よりも大切だから守りたい…、
 けれど、愛しくて恋しくてたまらないから抱きしめたい…。
 二つの想いは本当は一つのはずなのに…、相方で同居人でしかない二人の間の境界線に阻まれて、どんなに求めても繋がり合えない身体のように一つにはなれなかった。

 「ほんっとに…、あの鈍感バカ…」
 
 五十嵐がイライラしながらそう呟くのが聞えたが、聞こえないフリをしてカップに残っている少し濃い目のコーヒーを飲み干す。
 すると、そのタイミングを計ったかのように保健室のドアが勢い良く開けられて、弁当をしっかりと抱きしめた藤原が入ってきた。
 ここに来ていることは誰も知らないはずだが、どうやら人間離れしたカンで捜し当ててきたらしい。藤原は室内に久保田がいるのを見つけると、いつもの調子で久保田に向かって勢い良く飛びつこうとした。
 だが、藤原に負けじと五十嵐も久保田に向かって飛びつく。
 そのため久保田の右腕には藤原、左腕には五十嵐がくっついた格好になった。
 「な、なんなんですかっ、アンタはっっ!」
 「あらぁ、保健室の美人のおねぇさんをアンタ呼ばわりするとはいい度胸ねぇ〜」
 「久保田先輩から離れてくださいっ!! 久保田先輩はこれから僕とラブラブなお昼のひとときを過ごすんですっ!!」
 「誰と誰がラブラブですってぇ? 久保田君とラブラブなのは、ア・タ・シに決まってるじゃなぁいっ。これから久保田君はアタシと大人の時間を過ごすんだから、毛の生えそろってないガキは帰ってクソして寝なっ!」
 「ぼ、ぼ、僕だって毛ぐらい立派に生えてますよっ!!! こんな下品で厚化粧な年増はほっといて早く僕とお昼に行きましょうっ、久保田先輩っ!!」
 「久保田くぅ〜ん、アタシとココで気持ちいいことしない?」

 「ぎゃぁぁぁっ、久保田先輩から離れろっ!!!!」

 久保田を挟んで、藤原と五十嵐の攻防戦が続いている。けれど、この戦いの原因である久保田はどちらの方も見ていなかった…。
 間に挟んでいるのはいつもと同じように久保田だが、藤原も五十嵐も言い合っている相手が違う。そのせいか最初は勢い良く言い合っていたものの、調子が出ないようですぐに争いは収まってしまった。
 二人から腕を開放されると、コーヒーカップを置いてイスから立ち上がる。すると、その様子を見て藤原が慌てて再び昼食に誘おうとしたが、久保田を包むいつもよりも少し冷たい空気を感じて伸ばしかけていた手を止めた。
 けれど何かを思い出したかのように、藤原は別のことを口にする。それは、本当ならいつもと同じように今も久保田の隣りにいるはずの時任のことだった。

 「・・・・時任先輩ならさっき廊下で見ましたよ。でも、今頃はもう彼女と一緒にお昼してるでしょうけどね」

 藤原はそう言えば、久保田が少しは自分の方を向いてくれると思ったのかもしれない。けれど久保田の周囲の空気は冷たいままで、もうさっきのように藤原がそばに寄ることはできそうにもなかった。
 まるで何事もなかったのかように久保田が保健室を出ていくと、まるで置き去りにされたかのように置かれたコーヒーカップを見つめて五十嵐が小さくため息をつく。そのため息の意味をわからないフリをしながらも、もしかしたら本当は藤原もわかっていたのかもしれない。

 どんなことがあっても…、久保田が時任以外は誰も見ないことを…。

 腕に抱えている弁当は、藤原が久保田のために毎日作ってきているものだったが、やはり今日も自分だけで食べることになりそうだった。
 けれど、たぶん明日もあきらめずに弁当を作ってくるに違いない。
 藤原は気を取り直したように二人分の弁当を保健室の机の上に広げると、いつもは二つあっても一つしか出さない箸を今日はなぜか二つ出した。
 「・・・・・・お茶くらい出してください」
 「ふふふ…、出してもいいけどヤケドしても知らないわよ」
 「やっぱり陰険だ…」

 「ぬぁんですってぇっ!!」

 また言い争いを始めながらも、五十嵐がお茶を入れて二人は弁当を食べ始める。けれど、久保田は昼食も取らずに一人で廊下を歩いているに違いなかった。
 廊下を歩く久保田の隣りには誰も並ぶことはなく、静けさだけが満ちて…、時任のいない空白の時間だけが増えていく。
 一度だけ誰かの呼ばれた気がして、久保田は立ち止まったが…、
 その拍子に手に巻かれていた包帯が床へと落ちただけで…、振り返ってもそこには誰もいなかった。
 包帯が取れた手のひらには、時任の頬に貼られているのと同じガーゼが貼ってある。そのガーゼはマンションの部屋にある救急箱の中にあった一枚のガーゼを二つに切って…、頬と手にそれぞれと貼っていた。
 久保田はポケットに包帯をしまい込むと、貼ってあるガーゼを取るとドアの開いていた教室のゴミ箱に放り込む。
 すると…、空気に触れた傷がジクジクと痛んできて…、
 
 わずかに眉間に皺を寄せながら…、久保田はポケットの中の包帯を握りしめた。




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