同居人.2



 
 晴天の霹靂というのは…、こういうのを言うのかもしれない。

 そう思いながら歩く桂木の前には、まるでそこら辺にいるカップルのように並んで歩いている時任と桜井の後ろ姿だった。
 いつもは背の高い久保田が横に並んでいるせいで気付かないが、こうして女の子と並んでいるのを見ると時任の背も高い。桂木は時任の後ろ姿を見ながら、なんとなく松原や相浦よりも、時任の背の方が高かったことを思い出して苦笑した。
 どうしてもいつも横にいる久保田と比べてしまいがちなので、標準並みに高いにも関わらず背がそんなに高くないという印象がある。男臭いという印象も今まではなかったが、こうやって女の子と並ぶといつもよりずっと男っぽく見えた。

 「なんだか、不思議な感じがするわよね…」

 桂木は小さく息を吐きながらそう呟くと、少し立ち止まって斜め後ろを見る。
 すると、そこには珍しく一人で学校へと向かっている久保田がいた。
 久保田は別に前を歩いている時任と桜井を見るでもなく、のんびりとした歩調で学校への道を歩いている。けれど、どことなくいつもより近寄り難く見えるのは、やはり隣りに時任がいないせいかもしれなかった。
 文化祭でのコンテストの最中にあったことを会場にいたクラスメイトから聞いた時には信じられなかったが、こうして二人が別々に登校しているということは、時任が女の子に告白されて付き合うことにしたのは事実に違いない。けれど、うれしそうに楽しそうに話している桜井とは違って、時任の方はいつもの元気はなく返事も戸惑いがちだった。
 女の子と付き合うのが始めてだからなのかもしれないが、今の所はどう見ても時任が桜井のことを好きなようには見えない。桂木はもう一度小さく息を吐くと、軽く挨拶をしてきた久保田の隣りに並んで歩き始めた。
 「クラスで持ちきりになってたミス荒磯と時任が付き合うことになったって話、初めはウソかと思ってたけど本当だったのね。こうやって二人が一緒に歩いてるのを見ても、ちょっと信じられないけど…」
 「そう? 時任クンもお年頃だし、女のコと付き合ってもおかしくないっしょ?」
 「けど、なんとなく納得いかないわ」
 「どうして?」
 「だって、時任は少しも楽しそうに見えないし…」
 「緊張してるだけかも?」

 「でも…」

 そう小さく呟くと、桂木は桜井と話している時任の横顔を見る。けれど現実を目の前にしても、なぜか二人が付き合うということに納得がいかなかった。
 桜井と一緒にいる時任の表情は笑っていてもどこか寂しそうに見えて…、それをどうしても気のせいだと思うことが出来ない。久保田は時任と女の子が付き合うことになったのは、当たり前で自然の成り行きのように言ったが…、
 もしも本当にそうなら、時任があんな表情をしているはずはない。
 それに、桂木ですら気付いていることを、いつも一緒にいる久保田が気付いていないなんてことはあり得なかった。
 「時任のこと・・・、ホントは気付いてるわよね?」
 「気付いてるって、なにが?」
 「とぼけてないでちゃんと答えなさいよっ。一体、何が原因なの? 時任とケンカでもしたりしたの?」
 「・・してないよ?」
 「なら、なんで時任はあんな顔して…」
 「さぁ?」
 「あくまで、しらばっくれる気なのね?」
 「…って、やけにさっきから時任のコト気にしてるけど。もしかして、実は桂木ちゃんも時任狙いだったりとかする?」

 「・・・・・・・もしかして、あたしに殴られたくて言ってんの?」

 桂木は半ば本気で言ったが久保田か軽く肩をすくめただけで、時任のことも…、そして自分のこともそれ以上は何も言わない。これが時任だったら、その表情から感情を読むこともできたかもしれないが、久保田の表情からは何も読むことができなかった。
 けれど、久保田が時任を大切に想っていることを、執行部員なら誰でも知っている。それは…、手に巻かれた包帯が証明していた。
 桂木はその包帯を見た後に時任の背中を見ると、少しだけ歩調を早める。そして久保田を置き去りにしようとするかのように、早足で校門に向かって歩き出した。

 「後でいくら後悔したって、なくしたものはそう簡単には戻らないってこと…、ちゃんと覚えときなさいよね…」

 それだけ言い残すと、桂木は早足から駆け足になって…、今度はおはようと挨拶をしながら桜井と歩いている時任を追い越す。するとその瞬間に見た時任は、頬に貼られているガーゼに手を当てながら空を見ていた。
 けれど本当は…、空ではなく後ろを振り返りたいのかもしれない…。
 そう桂木は思ったが、幸せそうに笑いながら時任に話しかけている桜井を見ると、どうしても声に出してそれを言うことはできなかった。

 「もしも…、傷つけて泣かせたりしたら許さないわよ、時任」

 そう呟いてみても胸の中のもやもやが取れなかったが、時任と桜井が付き合うことを反対している訳じゃない。告白されたからといって好きでもないのに付き合うのは良い事だとは思えなかったが…、逆に何も知らないのにすぐに断るのは早いという橘の言葉にも一理あるかもしれなかった。

 けれどそれは…、好きな人がいない場合である…。

 いくら二人のあやしい場面を見ても…、それが友情なのか愛情なのかまでは本人達にしかわからない。けれど、お互いを見る時の二人の表情はいつでも柔らかくて暖かくて…、特に時任を見つめている久保田の瞳は優しくて…、
 まるで恋でもしているかのように、いつも時任ばかりを見つめていた。

 いつでも…、時任ただ一人だけを…。

 桂木は二人のことを考えながら生徒用の玄関に入って上履きを履くと、脱いだ靴を勢い良く下駄箱に放り込む。そして、こめかみを押さえながら三度目のため息をついて教室へと向かった。













 昼休憩の屋上に来ている時任の目の前には、手作りの弁当とうれしそうに微笑んでいる桜井がいる。いつもなら購買で久保田と二人でパンを買って、それが昼食のはずだったけれど、今日は桜井が時任のために弁当を作ってくれていた。
 実はいつも時任と一緒にいる久保田の分も作ると言ってくれたが、それを久保田は馬に蹴られたくないからと言って断っている。そして、朝の登校時間も休憩時間もすべてその調子で…、久保田は時任のそばに寄り付こうとはしなかった。
 桜井と付き合うことになったことに、久保田は何も言わない。
 そして…、時任もそのことについては何も言わない。
 まるで何かを押し隠すように、時任も久保田もいつも通りの日常会話以外は何も話そうとはしなかった。
 
 「おいしい?」
 「あ、うん…、うまいっ」
 「そう、良かったっ。明日も、お弁当作ってくるね?」
 「サンキュー」

 時任は笑顔でそう答えたが、ちゃんとおいしいって感じてるはずなのに、なぜか砂を噛んでいるようであまり味がしない。黄色い卵焼きやたこ形のウィンナーを食べていると、この校舎内のどこかで購買のパンを食べている久保田のことが頭に浮んできて…、
 顔に浮かべて笑顔とは裏腹に、気持ちが重く重く沈んでしまっていた。
 女の子と付き合うようになったからって、こんな風に突然、学校に行くのもお昼を食べるのも別々になるなんて思ってなかったのに…、まるで突然吹いた風が二人の間に隙間を作ってしまったかのように…、
 いつも一緒にいて、いつも近くにいた久保田の存在が遠くなる。
 同居人で相方で…、お互いに必要な存在だったはずなのに…、
 時任にとっては今もそれは変わらないのに…、伸ばした時任の手は何もない空間を、空気を握りしめるだけだった。
 それが哀しくてつらくてたまらなくて、けれどそんな時任の目の前で、一緒にいられてうれしいと桜井が柔らかく微笑んでいる。
 今から付き合って好きになれるかも、まだ一日目でわからないのに…、その微笑みを見るたびに罪悪感に似た痛みが胸をズキズキさせて…、
 その痛みに時任の唇は、思わず『ゴメン』という言葉を刻みかけた。

 「えっ? 今、何か言った?」
 「・・・・べつに、なにも言ってねぇよ」

 時任には今まで、付き会いたいほど好きになった…、ずっと一緒にいたいと想った女の子はいない。けれど、いないからといって、彼女がいないことを同じクラスの男子や執行部の相浦のように悩んだ事はなかった。
 長い夏休みも…、クリスマスもお正月も…、
 ちゃんと一緒に過ごす人がいたから、寂しいなんて想ったことはなかった。
 そして今はこうやってお昼休憩を、桜井が一緒にいてくれているのに…、
 だから、一人じゃなくて寂しいはずなんてないのに…、いつも隣りにいる久保田がいないだけで寂しさが冷たい風になって心の中に吹き込んでくる。その風の冷たさを感じている内に、弁当を食べていた時任の手は次第に動かなくなって…、
 やがて…、こんがりと焼かれたアスパラのベーコン巻きの上で止まった。
 「悪りぃ…、やっぱ久保ちゃん呼んでくる…」
 「時任君?」
 「ちゃんと、すぐに戻ってくっからっ」

 「ちょっと待ってっ、私も…!」

 久保田を探しに行くために立ち上がって走り出した時任の後ろを、桜井が追いかけて来ようとする気配がする。けれど、時任はその気配を感じながらもドアを閉じると、下の階へと続く階段を勢い良く駆け下りた。
 久保田の所に行って何を言うかとかそんなことは考えていなかったが、こんな風に突然になるで何もかもなかったことにするみたいに離れてしまいたくない。
 これからも、久保田とは相方で同居人で…、ずっとそのままでいたかった。
 ずっと…、久保田の隣りにいたかった…。
 けれど、階段を一階まで降りて購買に向おうとすると、廊下の曲がり角で自分よりも少しだけ背の高い人物にぶつかって時任はその衝撃で転びかける。
 たが、ぶつかった相手の方は、見事に転んで床に尻餅をついていた。

 「いってぇっ、なにしやがんだっ!」
 「そ、それはこっちのセリフですよっ!」

 そう叫びながら制服のホコリをはたいて立ち上がったのは、同じ執行部員で補欠の藤原である。藤原は自分だけで食べるにしては、少し大きすぎる弁当箱を持っていた。
 時任にぶつかって尻餅はついたものの、なんとか弁当だけは死守したようである。
 無事だった自分の弁当箱を見てホッと胸を撫で下ろすと、藤原はいつもより強気な視線で時任を睨みつけた。
 「今からどこに行くつもりですか? 時任先輩」
 「どこってそれは…」
 「もし、久保田先輩の所に行くつもりなら、邪魔だからさっさと自分の彼女のトコに帰ってくださいよっ」
 「はぁ?なんでテメェに、んなこと言われなきゃなんねぇんだっ!」
 「それは、時任先輩に僕と久保田先輩の恋路を邪魔する権利がないからです」
 「恋路って…、久保ちゃんはぜったいにてめぇなんかっ!」
 「へぇ、どうしてそんなことが時任先輩にわかるんですか? 本当は久保田先輩のことなんか何もわからないし、何も知らないクセに…」

 「なにぃ…」

 久保田のことを何も知らないと言われてムッとした時任は、前に立っている藤原の襟首を掴む。けれど、藤原は睨み付けてくる時任を正面から睨み返していた。
 睨み返してくる藤原の瞳には、なぜかまるで勝ち誇ったような色が見える。
 藤原は時任の手を予想外の強い力でぐいっと襟から外すと、大切そうに弁当を抱えて時任に背を向けた。
 「僕は久保田先輩の相方にも、同居人にもなりたくありません。僕がなりたいのは、久保田先輩の恋人なんです」
 「・・・・・・そんなのは今更言わなくても、誰でも知ってんだろっ」
 「なら、本当にそれがわかってるなら、僕と久保田先輩が目の前でキスしてても黙って見ててください…。相方として同居人として、そして友達としてね」
 「友達って、俺は・・・・・・・」

 「そう例えば、時任先輩と桜井さんがキスしてても…、久保田先輩が相方として友達として先輩達を見守ってるみたいに…」

 藤原と久保田が付き合うなんてことが、あり得えるはずはない。
 それはわかっていたけれど、藤原の言った言葉が時任の胸に付き刺さっていた。
 相方で同居人で…、友達…。
 その言葉の中でも、特に友達と言う言葉を聞くと苦しくてたまらない…。普通は男同士でいつも一緒にいたりするのは友達と呼ぶのかもしれないが、もしも久保田との関係にその名前を付けてしまったら…、何かがなくなってしまう気がした。
 けれど、一緒にいられればそれで十分で…、そうしていられるなら友達でもいいはずなのに、どうしてそれがダメなのかがわからない。時任は藤原の入っていた保健室の前に立つと、中に入るためにドアに向かって手を伸ばした。
 だが…、ドアの中からは五十嵐や藤原の騒ぐ声が聞えてきて…、
 それから、いつもと変わらないのほほんとした久保田の声が聞えてくる。
 今から久保田を呼び出して話をするつもりだったが、そのいつもと変わらない様子の久保田の声を聞いていると、なぜか目の前にあるドアを開けられなかった。

 「・・・・・・時任君」

 自分の名前を呼ぶ声に気付いて、時任がドアを手にかけたまま横を見ると…、廊下の向こうから歩いてくる桜井の姿が見える。その表情はさっきまでと違って少し哀しそうに見えて…、時任は桜井を見つめながら罪悪感に似た痛みを感じた。
 
 『付き合ってくれてありがとう…、時任君』

 そう桜井に言われた瞬間に感じたのも、やっぱり罪悪感に似た痛みで…、
 好きでも嫌いでもなくて、今から付き合ってみなけば何もわからないのに、なぜこんなに胸が痛いのかわからない。
 時任は痛みのわけもわからないまま…、保健室のドアから離れると桜井と一緒に屋上へと戻った。
 まるで痛みを紛らわすかのように、彼氏と彼女らしく手をつないで…、

 またそのつないだ手から、罪悪感が生まれるのを感じながら…。




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