同居人.1




 場所は駅から徒歩五分で、しかもバストイレ付き。
 ベランダの付いてる窓の下に見えんのは駐車場で、そっからの眺めもいい。
 こういうマンションの家賃が高いってのはなんとなくわかるけど、払ったコトないからいくらなのか知らなかった。だから前にいくらなのかって、テレビ見ながらなんとなく聞いたコトがある…。
 でも、久保ちゃんは値段は言わずにほどほどって答えただけだった。
 
 表札に久保田って書いてある四階の401号室…。

 そこが俺んちで…、そして久保ちゃんのウチ。
 でも、家賃も払ってないのは同居人じゃなくって居候っていうのかもしんねぇけど、久保ちゃんが同居って言ったから俺らは同居してるんだと想ってた。
 同じトコに住んで、同じテーブルでメシ食って…、
 一緒にテレビ見てゲームして、学校にも一緒に行って…、
 そういうのも同居ってイミに入るのかと想ってたし…。
 けど、それが違うってわかったのは、同居してから一年以上も過ぎてからだった。












 「時任と久保田君はコンテスト会場の見張りっ、松原と室田は校内の巡回っ、あとは部室に残って非常事態にそなえることっ、いいわねっ!!」
 
 私立荒磯高等学校文化祭、最終日…。
 校内の治安を守る執行部の紅一点、桂木が部員達に向かってそう言うと、生徒会室のあちこちからバラバラに返事が返ってきた。
 勢い良く元気に答えたのが松原と時任で、普通に短く返事したのが室田と松原。
 不満そうにぶつぶつ文句をつぶやいて、桂木のハリセンを食らったのが藤原。
 そして、少し遅れて眠そうにぼんやりと返事をしたのが久保田である。
 久保田は返事をしてからもぼーっと椅子に座っていたが、桂木が怒鳴る前に相方である時任がその前に立った。
 「さっさと見張りに行こうぜっ、久保ちゃんっ」
 「ん〜」
 「なにさっきからぼーっとしてんだよっ、早く行かねぇとコンテストが始まっちまうじゃねぇかっ」
 「うーん、あんま興味ないんだよねぇ、ミス荒磯コンテスト」
 「…って、俺らはミスコン見に行くわけじゃねぇだろっ! 見張りだっ、見張りっ!」
 「そう?」
 「当たり前だろっ!」
 時任は少しムッとした感じの口調でそう言うと、久保田の襟をぐいっと引っ張って生徒会室の出口へと向かう。そんな時任にずるずると引きずられている久保田は、のほほんとした口調で「行ってきま〜す」と言いながらヒラヒラと手を振っていた。
 今回の文化祭が何事もなく無事に最終日を向かえたのは、執行部最強のこの二人の力が大きいのは誰もが認める所だが、なぜか見張りに向かう二人を見ていると一抹の不安が桂木の胸をよぎる。この文化祭の公務の最中に時任が破壊した物品の請求書が、すでに生徒会室に送られて来ていた。
 「時任っ! これ以上、請求書を作ったら許さないわよっ!!」
 「うっせぇっ、今回のは俺じゃねぇっつーのっ!!」
 生徒会室から聞えてくる桂木の怒鳴り声を聞いた時任は、そう怒鳴り返して久保田を引きずったままドスドスと廊下を歩き出す。執行部に届く請求書のほとんどが時任が公務中に作ったものだが、桂木に向かって言ったように今回の文化祭では実はまだ一枚も作っていなかった。
 その理由は、時任の頬に貼られている医療用の白いガーゼの下にある。
 時任は少し考え込むような表情で軽く頬に貼られたガーゼに手を当てると、久保田の襟をつかんでいる手をパッと放した。
 「文化祭終わったら、保健室行くかんなっ」
 「一緒にね」
 保健室に行くという時任の言葉に、いつもの調子で返事をした久保田の視線の先には時任の頬に貼られた白いガーゼがある。けれど、時任の視線の先にあるのは久保田の手に巻かれた白い包帯だった。
 文化祭の初日に中庭で荒磯の生徒と他校の生徒との揉め事が起こった時、その場に居合わせたのはタコ焼きを買いに行った時任だけで…、
 なのに、状況は最悪なことに両校入り乱れての大勢での乱闘。
 時任はそんな状況に舌打ちしながらも、乱闘を止めるために一人で奮闘していた。けれどこんな場合を見越していたのか、他校の生徒が凶器を持ち込んでいたのである。

 ガシャーンッッ!!!!!

 だが、カッターナイフが時任の頬をかすめた瞬間に、ガラスの割れる派手な音が中庭に響き渡った。
 割れたのは四階の窓ガラス。
 そして、その割れた窓の前に立っていたのは久保田だった。
 もしも立っていた場所が二階だったら窓ガラスを割る必要はなかったのだが、久保田のいたのは運悪く四階だったのである。いくら久保田でも四階から飛び降りて無事でいられるはずはかった。
 ガラスの割れた音に辺りは静まり返り乱闘は治まったが、時任の頬と久保田の手にはそれぞれ傷が軽症ながらも残り…、時任の傷を見た久保田が四階から飛び降りた方が良かったかもと呟いたが…、
 
 そんな久保田の腹を、時任は無言で軽く殴った…。
 
 その時のことを想い出すとまだ少しだけ気分が重くなりがちだが、時任は気を取り直して明るい表情で前を向く。それは、せっかくの楽しいはずの文化祭を、沈んだ気持ちですごしたくないからだった。

 「なんで、ミスコンはあって美少年コンテストはねぇんだよっ、ウチのガッコ」
 「優勝者が決まってて、投票するまでもないからなんじゃないの?」
 「ふふふ…、やっぱ優勝は俺様に決まってるもんなっ!」
 「あ〜、はいはい。ミスコンに出ても優勝できそうだしね?」
 「それはどうゆうイミだっ、どうゆうっ!」
 「まあまあ…」
 「く、ぼ、ちゃんっ!」

 いつもと変わらない何気ない会話をしながら体育館に入るとすでにミスコンは始まっていて、ステージの上ではエントリーしている女子生徒達が、それぞれ自己紹介や自分のチャームポイント言ったり特技を披露したりしていた。
 各クラスから選出されているだけあって、なかなかの美人ぞろいである。
 けれど、それを見ていてもあまり面白いとは感じられないので、時任は前には行かずに久保田と一緒に体育館の隅の壁に寄りかかった。
 「なぁ、ウチのクラスって誰が出てんだ?」
 「さぁ?」
 クラスで誰が出るか話し合いがあったが、二人とも誰だったか覚えていない。同じクラスの桂木がそれを知ったらため息をつきそうだが、今は生徒会室で留守番をしていた。
 出場者が自分のアピールを終えると、投票をするために再び全員がステージに並ぶ。そのステージ上をなんとなく時任を見ていたが、ふと横を見ると時任も同じようにステージの上を見ていた。
 けれど、その視線の位置がなんとなく妙である。
 どこを見ているのかと時任が思っていたら、久保田は意味不明の数字を呟いた。
 「右から、86、83、90…、そして75…」
 「ソレって、なんの数字?」
 「なにって、胸のサイズだけど? 結構、4番とかサバ読んでるねぇ」
 「・・・・・・・・っ!!!な、なんでそんなコトが見ただけでわかんだよっ!」
 「ん〜、なんとなく?」
 「久保ちゃんのヘンタイっ!」
 「ついでに、時任クンのスリーサイズも言ってあげよっか?」
 「そ、そんなもん言わなくていいっ!」
 「あっそ」
 「それに、なんで俺のサイズなんか知ってんだよっ!」

 「ナイショ」

 そんな会話が耳に入った生徒はチラチラと時任と久保田のことを気にしていたが、二人にとってはいつもと変わらないただの日常会話である。
 二人がデキているという噂は荒磯に通う生徒なら知らない者はいないが、実はいつもむきになって時任が否定いている通りにそういう関係ではなかった。
 確かに手をつないだりしたこともあるし肩を組んでいるのはしょっちゅうで、抱きしめたり抱きしめられたこともあるが、ただそれだけで…、
 二人は噂通りの恋人でもなんでもなく、同居人で相方だった。
 そういう関係が自然で当たり前で、それはお互いが必要だからだということもはっきりとわかっている。だから、この関係を不満に思ったことも不思議に思ったことも今まで一度もなかった。
 本当に、ただの一度も…。
 けれど、投票が終わって今回のミスコンの優勝者が決定した時…、そんな二人の間に突然の突風が吹いた。
 今回のミスコンで優勝したのは、3年4組の桜井真琴…。
 桜井は優勝者として一言コメントを言うためにステージの中央に立ったが、その口から出たのはもっと別のことだったのである。

 「私には好きな人がいて…、でも自分に全然自信がなくって今まで告白できないでいました。でも、今なら告白できる気がするんです」

 ミスコン優勝者の口からそんな言葉が出て、生徒達がざわざわとざわめき始めた。
 桜井は誰もが認める美人でミスコンに選ばれたのも当然といった雰囲気で、それでまったく自信がなかったという言葉は信じられない話だが、それよりも好きな人がいるという告白の方が体育館に集まった生徒達をざわめかせている。
 桜井ほどの美人が好きな男は誰なのか、誰もが興味津々だった。
 すると、桜井は思いつめた表情で壇上から体育館の隅の方に視線を向ける。
 そこには、さっきからコンテスト中に騒ぎが起こらないように見張っていた時任と久保田が立っていた。

 「やっぱりか…、やっぱり久保田なのかっ」
 「くっそぉっ、美人はことごとく久保田かよっ」
 「うう…、俺の桜井ちゃん…」

 男子生徒達は、桜井の相手が久保田だと確信して深いため息をつく。
 桜井のミスコンでの優勝が当然だったように、久保田が相手だとなんとなく納得のような気がするから不思議だった。
 久保田を見て自分を見ると、どうしても勝てる気がしない。それは見た目だけではなく、久保田からとても高校生とは思えない大人の男な感じの落ち着いた雰囲気を感じるせいだった。
 だが、桜井は少し頬を赤くしてマイクをぎゅっと握りしめると、ここにいる全員の予測を裏切って久保田以外の名前を呼ぶ。すると、呼ばれた相手はかなり驚いた顔をして自分自身を指差した。
 「久保ちゃんじゃなくてっ、お、俺!?」
 「そうよ。私が好きなのは久保田君じゃなくて…、時任君なの。よかったら、私と付き合っってください」
 「そ、んなこと突然言われても…、俺はアンタのこと知らねぇし、好きとかそういうのもわかんねぇし…」
 「・・・・・・・」
 
 「だからさ…」

 女の子に好きだと言われてうれしくないわけではなかったが、好きでもないのに付きあったりはできない。そう思った時任は断ろうとしたが、付き会えないと言おうとした瞬間に切なそうに時任を見つめている桜井にフォローが入る。
 フォローを入れたのは意外なことに、生徒会長の松本と一緒にコンテストの審査員としてこの様子を見ていた副会長の橘だった。
 橘はテーブルに置かれていたマイクを持つと艶やかに微笑む。すると、その微笑を見て苦笑している松本の目の前で、近くにいた男子生徒数人が椅子ごと倒れた。
 「すぐに断ってしまうのは、早いのではありませんか? 時任君」
 「…って、なに横から口だしてんだよっ」
 「人の色恋沙汰に干渉するのはシュミではありませんが、僕はこう見えてもフェミニストなので…」
 「ウソばっか言うなっ」
 「ホントですよ」
 「・・・・・」
 「もしも、貴方に好きな人がいるのなら話は別ですが…」
 「・・・・そんなヤツはいねぇよっ」
 
 「なら、付き合ってみてもいいのではありませんか?」

 そう言ってにっこりと返事をできずにいる時任に向かって笑かけると、橘はそのままの表情で今度はなぜか久保田の方を向く。すると、橘の視線を受けた久保田の方も、いつもののほほんとした雰囲気のままで橘の方を見た。
 けれど、二人の間の空気がなぜかピンと張りつめている。その空気を敏感に感じ取った松本は、眉間に軽く皺を寄せながらしながら、たしなめるように橘の名前を呼んで小さく息を吐いた。
 何があっても久保田だけは敵に回したくないと思っていたる松本だったが、なぜか橘はことあるごとに久保田を挑発しようとする。だが、それが久保田と松本の間で交わされた10円の借りへの嫉妬なのか、それとも久保田という人物に対しての純粋な興味なのかはわからなかった。
 「貴方もそう思うでしょう? 久保田君」
 「そう思うって、なにが?」
 「まだ何も知らないのに、断るのは早いとそう思われませんか?」
 「さぁねぇ? それにその質問って俺にするイミないと思うんだけど?」
 「どうしてです?」
 「付き合うかどうかは時任と桜井サンの問題で、俺には関係ないっしょ?」
 「本気でそう思ってますか?」
 「何か言いたいのかなぁ? 橘副会長サンは?」
 「僕の言っている意味がわからないのなら忘れてください。時任君が桜井さんと、誰と付き合おうと構わないとおっしゃるなら…、ですが?」

 「別に俺はどーとも?」

 久保田がそう言った瞬間、時任の肩がびくっと小さく震える。
 けれど、久保田はそんな時任の様子を見てはいなかった。
 時任は片手で軽くまた白いガーゼを触ると、肩と同じようにわずかに震えている唇を何かに耐えようとしているかのようにきつく噛みしめる。
 同居人で相方で…、その言葉がどういう意味を指すのかわかっていたつもりだったが、なぜか今はそれがわからなくなっていた。
 何もかもわかってる気でいて、それで問題も疑問もなかったはずなのに…、

 関係ない、別にどーとも…、という言葉だけで何かが壊れた気がした。

 治りかけているはずの切り傷が、ズキズキと鈍く痛んできて…、
 その鈍い痛みを顔をしかめると、痛みに何もかもが混ざっていく感じがして自分が何を想っているのかわからなくなる。時任は自分の中で感情が激しく渦巻いていくのが苦しくて、思わず横にいる久保田の袖をつかもうとしたが…、
 その手が袖に届く前に、橘の声が体育館の中に響き渡った。

 「まずは一週間、お互いを知るために付き合ってみると言うことで了解していただけますか? 時任君」

 橘のその問いかけに首を横に振らなかった時任の手は、途中で止まったまま…、
 そこから、力なくゆっくりと下へと落ちる。
 それはまるで…、今まで届いていたはずなのに届かなくなった…、

 時任の想いのようだった…。




                  戻  る          次  へ