同居人.20



 
 倉庫のドアを蹴破った瞬間に見えた光景と、どこか遠くから響いてくる自分の声…。
 その二つは夢ではなく現実で…、けれど許さないとか許せないとかそんなことを想う前に思考も視界も白く染まる。胸の奥が熱く冷たく、すべてが燃えるようで凍りついて…、こちらを見つめてくる時任の哀しみに満ちた瞳を見つめ返すと…、
 時任を犯そうとしている男に、憎しみと殺意を感じているばずなのに…、
 久保田は自分だけを真っ直ぐに見つめてくる瞳を同じように見つめ返しながら、このまま犯して壊してしまいたいと感じていた。
 けれど、そんな自分を自嘲しながらも時任を見つめることをやめることができなくて、時任の声だけを聞こうとしている耳には、騒ぎ始めた不良達の声がただの意味も訳もわからない雑音になる。そしてその雑音さえ聞こえなくなってしまった頃に、久保田の耳に聞きなれた声が聞こえてきた。

 「くぼ…、ちゃん…」

 時任はまだ身体の自由を奪われたまま、男に冷たい床に押さえつけられている。けれど、あきらめずに自分の上から不良達を振り払おうとしながら、時任はわずかに震えた涙の滲んでいるような声で久保田の名前を呼んでいた。
 だから、いつものように名前を呼び返そうとしたけれど、その声は不良の叫び声に掻き消されて時任まで届かない。けれど、久保田の唇が時任の名前を刻んだ瞬間、時任は久保田を見つめたままうれしそうに笑った。

 いつものように…、いつも二人でいた時のように…。

 ただの同居人でいること、相方でいること…。
 そして他の誰かのものになるのに、キスして抱きしめられないことに耐えられなくていらないと嫌いだと言ったのに…、それでも時任は廃ビルの時と同じように真っ直ぐに久保田を見つめている。その瞳を見つめ続けていると壊したいはずなのに、胸の奥にある想いに自分の心の方が壊されていく感じがした。

 「ウチの子を可愛がってくれた礼に、天国行きの片道切符をあげる。ただし…、死ぬほど地獄を見た後でね」

 久保田と時任との間には複数の不良達が立ちはだかっていたが、久保田はそう言うと最小限の動きで不良達を拳で殴り倒しながら、黒いコートをひるがえして時任に向かって走り出す。すると、時任が歯を食いしばって動かない右手に力を入れて、走り出した久保田へと伸ばそうとした。
 けれど、その手はまたすぐに押さえつけらて、久保田が来たことで動きを止めていた上にのしかかっている男が時任を犯そうとまた動き始める。時任は下半身に覚えのない嫌な感触を感じたが、どんなに力を入れても足も腕も動かなかった。
 
 「・・・・・・っ!!!」
 
 これから起こることを予想して、時任が身体を固くしてぎゅっと目を閉じる。するとそんな時任を見た不良達は、興奮した様子で時任が犯される様子をニヤニヤと笑みを浮かべた。
 今、時任を助けられる位置にいるのは久保田ではなく周二だったが、周二は時任ではなく別の方向を見たまま凍りついたように動かない。わずかに見開かれた目には、オレンジ色の夕日の差し込む倉庫の中が映し出されていた。
 わずか数分前には大勢の不良達がいたはずなのに、そこには立っている人間が一人もいない。けれど視線を落とすと、そこには床を埋めるように大勢の不良達がうめき声をあげて倒れていた。
 この結果はすべて計画通りのはずなのに、倒れた不良達の中に一人立っている久保田を見ていると身体がガタガタと震えながら凍っていく。久保田を見ていると戦う前に、殺される恐怖が冷たく背中から指先から這い上ってくる感じがした。
 そんな久保田が近づいてくる気配に、時任を押さえつけていた不良達の中の一人が気づいたが、どんなにその恐怖に震えながら逃げ出そうとしてもすでに遅い。時任を犯そうとしていた男は、呼吸を止めたように表情を凍らせて動かなくなった。
 すると久保田はそんな男を見て笑みを浮かべたが、それは口元だけで瞳は冷たい殺意が燃えている。時任以外のすべてのものに向けられたその殺意は、やがて訪れる夜の暗闇よりも深く冷たく、この倉庫の中を満たそうとしていた。

 「ぎゃあぁぁぁーーーーっっっ!!!」

 静まり返った倉庫の中に響き渡る男の凄まじい叫び声に、倒れていた不良達がいっせいに顔をあげたが動ける状態の者はいない。久保田が殴りは飛ばされて倒れている男の肋骨の辺りをわざと靴先で蹴り上げると、そこから鈍い嫌な音がした。
 「ぐうっ、う・・・・・・!!!」
 「あ、もしかして肋骨折れちゃった?」
 「うっ…、た、助け……」
 「これだと折れたのって二本くらいだし、中途半端だから全部逝っちゃう?」
 「み、見逃してくれ…、俺はまだ時任をヤッてない…」
 「ふーん…。けど、ヤってるとかヤってないとか別にどうでもいいんだよねぇ」
 「それは…、もしかして、公務だからなのか…」
 「公務?」

 「どうでもいいのは時任を助けに来たんじゃなくて…、公務で来たからだろ…」

 肋骨を折られて苦しい息を吐きながら男がそう言うと、久保田はわずかに視線を動かして周二が握りしめている青い腕章を見る。そして冷笑を浮かべながら目を細めると、ここから逃げ出そうとしてヨロヨロと立ち上がった男の方へと視線を戻した。
 執行部員という立場でも腕に腕章をつけていても、だからこそいくら私情で動いていてもある程度で拳を止めなくてはならない。男も不良達もそれを知っているから、適当にやられるつもりで周二の口車に乗った。
 だが、久保田の腕には腕章はなく、そして今は荒磯の生徒ですらない。なのにここに来たのは…、こんな場所に立っているのは…、
 ただここに…、この場所に時任がいたからだった。
 久保田は立ち上がった男を殴りつけると、その拳をまた振り上げる。男はあまりの痛みと恐怖に額に冷たい汗をかきながら、久保田の拳をさけるために自分の顔を覆った。
 「うあぁぁっ、や、やめろっ!!もうやめてくれっ!!」
 「言いたいコトがそれだけなら、とっとと死んじゃいなよ」
 「せ、正義の味方が…、執行部が…、そんなこと言っていいのか…」
 「正義の味方、ねぇ?」
 「ぐうぅっ!!」

 「俺の腕にもココロにも、腕章なんて付いてないんだよね」

 久保田は男を殴りつけながら、前へ前へと進んで行く。
 そして逆に男は殴られながら、それを避けるために後ろへと下がり続ける。すると、すぐに男の下がりつつけていた足は、何かに当たって行き場を失って止まった。
 久保田の拳の威力は、見た目ほど強烈に強いわけではない。だが、実はそれは手加減している訳ではなく、男が倒れてしまわないようにしているだけだった。
 男が倒れない限り、ずっと殴り続けていられる。
 静まり返った倉庫の中には男を殴る音と、殴られた男の頭が行き止まりの冷たい鉄のコンテナにぶつかる不気味な音だけが響いていた。

 ガツッ…、ガツッ…、ガツッ・・・・。

 だが、その不気味な音と凍りついた空気にすべてが飲み込まれてしまいそうになった時、入り口から広く胸の空いた派手な服を着た美女と、いかにも弱そうな高校生くらいの男が入ってきて叫び声をあげる。それは、時任を助けるために車でここに向かっていた五十嵐と藤原だった。
 藤原は倉庫内の惨状を見てガタガタと震え出したが、五十嵐の方はすぐに久保田の様子に気づいて止めに走る。けれど止めようとした五十嵐の手は、久保田に無言で払いのけられた。

 「気持ちはわかるわ…、わかるけど、これ以上はダメよっ!!久保田君っ!!」

 五十嵐がどんなに叫んでも、男を殴り続ける手は止まらない。だが、五十嵐の横から伸びてきた手が強く久保田の腕をつかんだ。
 久保田はさっきと同じようにその手も払いのけようとしたが…、その手の感触は五十嵐のものとは違う。腕を強く強く握りしめてくる手は皮の手袋をはめていたが、そこからは知っている暖かさが伝わってきて…、
 その暖かさを感じていると、手を払いのけることができなかった。

 「久保ちゃん…、もういい、もうやめろ…」

 近くから聞こえてくる声は、たった数時間前も聞いたはずの声なのに…、なぜか懐かしく感じる。こんな風に懐かしく感じるほど離れていた訳でもないのに、聞こえてくる声も握りしめてくる手も…、愛しくて愛しすぎて目眩がした。
 この暖かさをぬくもりを誰にも渡したくなくて何もかもを壊してしまいと思っていたはずなのに…、こんな風に握りしめてくる手のぬくもりを感じて、名前を呼んでくれる声を聞いて…、じっと見つめてくる瞳を見つめ返していると壊せなくなる。
 久保田がゆっくりとすぐ近くにあるぬくもりを抱きしめることも、壊すこともできない腕を下へとおろすと…、男はコンテナに寄りかかったまま、ずるずると座り込んで気絶した。
 五十嵐が久保田が拳を下ろしたことにほっと胸を撫で下ろして辺りを見回すと、時任を床へと押さえつけていた不良も、時任に殴り飛ばされて気絶している。けれど、身動きの取れる不良達はここから逃げ出そうとしていた。
 保健医である五十嵐がいるのでそれほど面倒なことにはならないかもしれないが、もしも廃ビルの時のように、今、警察を呼ばれるのはまずい。五十嵐は入り口にいる藤原に不良達を止めるように言ったが、藤原はブルブルと首を横に振った。
 「そ、そんなことっ、僕にできるワケないじゃないですかっ!!!」
 「うだうだ言ってないでやんなさいっ!死ぬ気でやれば出来るわよっ!」
 「ぼ、ぼ、僕はまだ死にたくありませんよっ!!久保田先輩とまだキスだってしてないのにぃぃっ!!」
 「あらぁ、心配しなくても、久保田君には代わりにアタシがキスしといてあげるわよ。アンタには久保田君とキスするなんて、百億年早くて一生無理だからっ」
 「そんなのっ、一千億年早い厚化粧のオカマに言われたくありませんっ!!」

 「ぬぁぁんですってぇぇぇっ!!!」

 そんな風に五十嵐と藤原が言い争いをしている間にも、不良達は次々と藤原の横を走り抜けて逃げ出そうとする。藤原は冷汗を浮かべながら少しだけ手を広げていたが、やはり当たり前にそれを見ても誰も止まらなかった。
 五十嵐は軽くした打ちして走り出そうとしたが、残り少ないわずかな夕日を浴びながら不良達の前に立ちはだかっている人物が三人いる。三人の内、一人は木刀を上段で構えていて隙がなく、もう一人はその背後にいて巨体で入り口をふさいで…、そして最後の一人は、あとで身元を割り出せるようにデジカメで不良達の顔を撮っていた。
 それは五十嵐達と同じようにここに向かっている桂木達ではなく、もう学校から自宅へ帰ったはずの松原と室田、そして相浦だったのである。なぜ、この三人がここにいるのかというと、それは藤原がここに向かう途中で連絡したせいだった。
 腕に腕章をつけている松原は、逃げようとする不良達の前に木刀を突きつける。そして、ヒュンッと音を立てて木刀の切っ先で、倉庫内の淀んだ空気を切った。
 「ここから先は、ミミズ一匹通さないっ!!」
 「・・・・・ま、松原、もしかしてそれはミミズではなく、アリやネコじゃないのか?」
 「いや、その前にミミズだと、地面の中だからさすがに逃げられるだろ…」
 「うーむ…、なるほど相浦の言う通りだ…」
 「そうですか…、ミミズに逃げられるようでは僕もまだまだ修行が足りないようです」
 「み、ミミズを倒す修行…」

 「…って、ミミズに逃げられるくらいで悩むなっ、修行するなぁぁっ!!!」

 どこか微妙にずれた会話をしながらも松原と室田は、これ以上、怪我人を増やさないように力を加減しながら不良達を倒していく。時任を犯そうとした男は血に濡れながら気を失っているが、まだ動けるところを見ると、大勢でかかっていった分だけ他の者は以外に軽症で済んだらしかった。
 だが、通常でも叶わない相手に怪我を負っていて勝てるはずない。余裕の表情でかかってくる相手を蹴散らす松原達を前に、すでに不良達の顔にはあきらめの色が濃かった。
 そんな風に騒ぎが収まって行く中で、首謀者である周二が腕章を握りしめたままで立ち上がる。すると、松原達の後ろから遅れて到着した桂木と桜井が倉庫の中に入ってきた。

 「私が知ってることは、すべて桂木さんに話したわ。だから、もうこんなことはおしまいにして…、兄さん…」

 桜井は自分の兄である周二に向かってそう言ったが、周二はもう遅いと言って低く笑う。その言葉の意味を理解した桂木は、平然とした顔で不良達の間を真っ直ぐに抜けて周二に向かって歩いていった。
 ここから逃げるための人質にしようとした数人が桂木に襲いかかったが、いつの間にか握られていた白いハリセンが空を切ると不良達は無様な格好で床へと倒れる。普段はおちゃらけコンビや補欠部員へのツッコミにハリセンは使われているが、公務の時には正義の鉄拳として振るわれていた。
 
 「…ったく、ここってハエが多いわねっ。ただでさえ雨が降ってジメジメしてるのに、まったく嫌になるわっ」

 桂木がそう言った通り入り口からは夕日が差し込んでいたが、まだ外では小雨が降り続いている。そんな天気のせいか騒ぎが収まりつつあっても、まだ倉庫の中には淀んだ空気が残っていた。
 白いハリセンの威力と不良達をハエと言ってのけた迫力に押されたかように、それから不良達が襲いかかることはなく、桂木は周二を鋭い視線で睨みつけながらその前に立つ。そして、ポケットから久保田に渡された携帯電話を取り出すと、それを周二に向かって投げた。
 「電話したければ警察でも、なんにでも電話すればいいわっ」
 「それはどうせ廃部になるから、あきらめたっていうことか?」
 「あきらめるって、何を?」
 「執行部の存続を…」
 「ふふ…、何を言うのかと思えばそんなこと? だったらバカね、あきらめるのはあたし達じゃなくてアンタの方よっ」
 「・・・・それはどういう意味だ?」
 「校則第五条がなくなって、廃部になっても執行部はなくなったりしない。腕章がなくても誰に認められなくても、あたしも他のみんなもいつも通りに自分の守りたいものを守ってくだけよ」
 「・・・・・自分を犠牲にして?」
 「自分を犠牲って、何を犠牲になんかしてるっていうの?腕章をつけてるのは誰に認められたからでも誰かに認められたいからでもないし、なって欲しいって頼まれたからでもないわ、自分がつけたいから付けつけてるのよ。だから、自分の意思で心につけた腕章は誰にも外せない…」
 「・・・・・・・」
 
 「それがホントの執行部員で、正義の味方ってヤツでしょう」

 桂木の言葉を聞いた周二は、じっと自分の手に握られている腕章を見る。だが、桂木が再び何かを言おうとして口を開こうとすると、腕章をもっと強く握りしめた後で勢い良く床へと投げ捨てた。
 執行部員でいたことをこれからも後悔するつもりはなかったが、執行部員だった男のそんな姿を見ることは、やはり桂木も他の部員達にも辛い。けれど、降り止まない雨を含んだような空気に桂木がうつむきかけると、その空気を打ち壊すかのような音が倉庫内に響き渡る。
 それは、前に立っていた桂木はなく…、じっと黙ったままでいる久保田の隣に立っていたはずの時任が周二を頬を殴りつけた音だった。
 「いい加減に目ぇ覚ましやがれっ!!! すっげぇ後悔してんのが見え見えなカオして、執行部をつぶして腕章を捨ててっ、それでなんになるってんだっ!!」
 「・・・・俺やアイツのような想いをするヤツがいなくなる。執行部がなくなれば、もう誰も傷つきながら戦わなくてもいい」
 「だったら、なんでてめぇは執行部に入ったんだよっ! 守りたいモノとか、大切なモノがあったからじゃねぇのかっ!」
 「・・・・・・・・」

 「大切なモノなら痛くっても傷ついても、すっげぇ大切ならやっぱ守りてぇって想うし…。それに痛くて傷つくのは大切だって想ってるせいだから…、傷つかねぇで痛くなくて守れるもんなんか、たぶんなんにもねぇんだよ…」

 何よりも大切だから、痛くても傷ついても守りたい。それは守りたいものを守れなくて後悔するのは、他の誰でもなく自分だからだった。
 周二は殴られて赤くなった頬を軽く右手で撫でると、投げ捨てた腕章を眺めながらポツリと小さな声で時任も桂木も知らない名前を呟く。そして、それからゆっくりと視線を上げると、苦しそうな顔をして近くにいた五十嵐の方を見た。
  
 「俺が執行部に入ったのは校内の治安を守りたかった訳でも、正義を守りたかった訳でもない…。ただ、アイツが執行部に入ったから、執行部に入ったアイツを守りたかっただけだった…」

 周二が守りたかった人物は、事件の後で執行部を頼むと言って姿を消した。だから、校則第五条を作って執行部を存続できるようにしたが、本当にしたかったのはそんなことじゃない…。
 けれど、守ってくれと言われたから守ってやりたかった。
 でも、そんな風にして守った執行部だったが、廃部を求める署名が来ていることを聞いて荒磯を久しぶりに行ってみると…、不思議なほど何も変わっていない。相変わらず不良達は校則違反をしているし、その手口も年々悪質になってきていた。
 こんな時だからこそ、執行部が必要なのかもしれなかったが…、
 周二の目には自分のしたことが無意味で、守りたかった人の守ろうとしていたものが壊れていくのを感じた。そしてあのまま、あの時に執行部を廃部にしておけば、こんな風に後悔することもなかったのかもしれないと思った瞬間に…、
 執行部を廃部にする手助けをしてくれと頼んできた男に向かって、首を縦に振って
うなづいてしまっていた。
 だが…、どんなことをしても執行部は廃部にできない。執行部は周二が存続させたから今あるのではなく、校内の治安を自分の中にある正義を守りたいと思う者達が、自分達の意思で執行部を形作っていた。
 周二が肩を震わせながら立ちすくんでいると、五十嵐が哀しそうな微笑みを浮かべながら近づく。そして震える肩にゆっくりと手を乗せると、住所の書かれた白いメモ用紙を周二に手渡した。
 「桜井君…、あなたの探してる答えは執行部をつぶしたって見つからない。でも、あなたの探してる答えはちゃんとここにあるわ」
 「ここ?」
 「そう…、だから今も大切だと想っているなら迷わずに行きなさい」
 「もしかして…、この住所は…」

 「あなたの大切な人がいる場所よ」

 メモ用紙に書かれていた住所はここからそう遠くはない。荒磯を退学してから音信不通になったので遠くに引っ越したものだと思っていたが、どうやら予想外にずっと近くにいたらしかった。
 周二は思い詰めた表情で住所の書かれたメモ用紙を握りしめると、五十嵐に向かって深く頭をさげる。そして、倉庫の中にいる不良達や執行部員達の方を向くと、
 「必ず…、必ず殴られに戻ってくる!!」
と、言って住所の場所に向かうために走り出した。
 けれど、これだけの人数に殴られては絶対に無事でいられないだろう。だから、それがわかっているからこそ、先に会いたい人に会いに行ったのかもしれなかった。
 そんな周二の背中を見送りながら、桂木は軽く息を吐いて胸の辺りで組んでいた腕を下ろす。そして微笑みながら近くに立っている五十嵐に、住所の書かれていたメモのことを聞いた。
 「五十嵐先生…、いつの間に住所を調べてたんですか?」
 「ああ…、あれは別に調べたわけじゃないのよ」
 「え?」
 「桜井君にはナイショにって言われてたけど、退学してから桜井は元気にしてるかってアタシの所に定期的にハガキがきてたってだけなのよねぇ。それで、桜井君が今回の件にからんでるって知ってから、すぐに記憶に残ってる電話番号に電話したらちゃんと本人が出たわ」
 「だったら、それってもしかして…」
 「もっと早く教えてあげられればよかったんだけど、今はまだ会えないからって口止めされてたのよ」
 「今はまだ?」

 「今みたいに守られるだけじゃなく、守れるようになるまでってね」

 当時のことを知っている五十嵐の言葉を聞くと、周二と退学した人物との関係がなんとなく見えてくる。そして、そんな二人のことを考えていると、なぜか時任と久保田のことが気になった。
 桂木が視線で時任と久保田を探すと、二人はすでに入り口に向かって歩き出している。けれど、いつものように並んで歩くのではなく、先に歩く久保田の後を時任が追いかけているような感じだった。
 久保田が入り口を出ると、時任も急いで入り口を出る。すると、そこにいた桜井が二人の後を追おうとしたが、それを桂木でも五十嵐でもなく意外なことに藤原が止めた。
 「何をするのっ、腕を放してよっ! 私は時任君にも久保田君にも言いたいことが…」
 「なら、それは明日にいてくださいよっ。これ以上、時任先輩…、じゃなくて久保田先輩の邪魔はしないでくださいっ!」
 「邪魔って、それはそうかもしれないわ…。でも、私はまだ時任君のことも久保田君のことも好きなのよ…。だから、二人の所に行かせて…」
 「それなら、僕だって同じですよ…。僕だって久保田先輩が好きなんですっ!」
 「でも、だったら逆に私を止めたりなんてしないはずでしょう?」
 「そ、そんなのは言われなくっても、自分でもわかってますよっ!」
 「なら、なぜ?」
 「誰がなんと言おうとも、本当に本気で久保田先輩のことが好きですっ。でも、なのに僕は…、僕は久保田先輩が時任先輩と一緒にいる時しか、本当に笑ったり微笑んだりしないってホントはちゃんと知ってるんですっ!」
 「・・・・・・・・」
 
 「好きなのに大好きなのに…、こんなのってあんまりじゃないですか…」
 
 藤原の声が涙にかすれてだんだんと小さくなって聞こえなくなると、静まり返った倉庫の中を屋根から落ちる雨だれの音が満たし始める。すると五十嵐と桂木は倒れている生徒の応急処置を始め、松原達はあきらめておとなしくなった不良達を今回の事件の事情を徴収するために一箇所に集め始めた。
 時任と久保田のいない執行部は火が消えたように静かで…、残された部員達はそれぞれ何かを想うように時折、入り口の方を見ながら雨だれの音を聞いている。五十嵐はそんな部員達を見守りながら、そばにいた桂木の背中を元気付けるように軽く叩いた。
 「あの子達は執行部に戻ってくるわよ…、ちゃんと二人で…」
 「…ったく、どうせ心配させるだけさせてっ、二人でいつもと変わらない顔して戻ってくんのよっ」
 「なら、二人が戻ってきたらどうするつもり?」

 「もちろんっ、ハリセンでブン殴ってやるわっ!」

 ハリセンで素振りして見せながら桂木がそう言うと、それを見て五十嵐が笑い出す。すると、相浦が気の毒そうな顔をして胸の辺りでクリスチャンでもないのに十字を切り、松原と室田が顔を見合わせて肩をすくめた。
 藤原は涙で潤んでしまっている目をこすりながら桜井と一緒に消えて行く夕日と雨を眺めていたが、桜井の瞳からも涙が零れ落ちている。だが、隣で泣いている藤原の方を見た桜井は、藤原と違って流れ落ちていく涙を拭っていなかった。
 「私も久保田君が好きだから貴方と同じだから、たぶん最初からわかってたのよ…。久保田君のことだけじゃなくて時任君のことも…」
 「桜井先輩…」

 「だから、今は泣いててもいいわよね…。だって、泣いた分だけきっと笑えるから…」

 そう言い終わると、桜井は声を藤原の前で声を上げて泣き始める。
 けれど、藤原は同じ人を想って泣く桜井の泣き声を聞きながら、涙をぬぐうのを止めずに久保田と時任が歩き去った後のアスファルトの道を見つめていた。
 



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