同居人.15
コンコン…。
本部のドアを叩く短い音が放課後を過ぎた静かな廊下に響いたが、桂木は二回ノックした後も本部には入らない。それはドアを開けようとした瞬間に、呼び止める声がしたせいだった。
自分を呼び止めたのが誰なのか声だけですぐにわかったが、桂木はなぜか細く長く息を吐いてから視線を声をした方向へと向ける。すると、そこには同じ執行部員ではなく、一足早く学校に戻ってきていた桜井が立っていた。
実は桜井が執行部よりも早く学校に戻っているのは、時任を追って廃ビルに入ろうとした時、それを桂木が危険だからと止めて学校に戻るように言ったせいなのである。それでも桜井は今と同じ不安そうな顔をして、時任のことが心配だからと言ったが…、
そんな桜井に…、桂木はこれは公務だからと自分のつけた腕章を見せたのだった。
こんな風に腕章を使いたくなかったけれど、桜井まで廃ビルに入ったらすべてが無駄になってしまう。でも実は腕章を使って止めたのはそれだけが理由なのではなく、久保田の所に行った時任の後を桜井に追わせたくなかったからだった。
けれど、それはただいつもの二人に戻ってほしかっただけで…、別に時任と桜井が付き合うことを反対している訳じゃない…。
でも…、どうしても今のままの二人ではいて欲しくなかった…。
いつでもどんな時でも…、二人でいることが自然に思えたから…、
二人でいる時が一番楽しそうでうれしそうで…、幸せそうに見えたから…、
今までもこれからも…、ずっと二人で一緒にいて欲しかった…。
できることなら、桜井とは恋人として久保田とは相方として…、これからも一緒にいられればいいのかもしれない。けれど、それが無理だということは…、哀しそうな瞳で空を見上げながら雨に濡れていた久保田を見る前からわかっていた。
二人の間には桜井だけではなく…、桂木も執行部の仲間も誰も入れない…。
そう感じると寂しくて切なくなることもあるけれど…、それは紛れもない事実だった。
そんな想いを胸に桂木は時任の彼女である桜井と向き合ったが、やはりズキズキと胸が痛くて仕方がない。けれど、すべては時任が決めることだとわかっているから、桂木は桜井に何も言うことができなかった。
「時任君は…、時任君は無事なの?」
「橘副会長から連絡があって、本部が無事に保護したそうよ」
「そう…、良かった…」
「・・・・・・・・」
「じゃあ、時任君は今どこに?」
「副会長と一緒にいるかもしれないけど、私にはわからないわ」
「なら、時任君の家がどこなのか教えて…、どうしても会いたいの」
「・・・・・どうしても?」
「ええ…、どうしても会いたいの…」
あの廃ビルにいた時、桜井も時任と久保田のことを何か感じたのかもしれない。どうしても会いたいというその言葉には、心配だからというだけではない想いが込められているような気がしてならなかった。
けれど桜井が時任に会ってどうしようとしているのかまでは、桂木にはわからない。でも、もしかしたら今なら…、久保田が離れて行こうとしている今なら…、
時任は桜井を本当に彼女として、受け入れることができるのかもしれなかった。
隣に久保田がいなくなって…、だからそこに桜井が立つこともできる…。
誰かにすがりつかなれば立っていられないほど時任が弱いとは思わなかったが、桜井と付き合うことに決めたのは時任自身だった。
しかし、桂木は何かを考えるようにじっと床を見つめて小さく息を吐いてから、再び桜井の方に向き直ると首を横に振る。学校にある名簿を見ればすぐに住所はわかるが、桂木の口から二人の住んでいるマンションの住所を教えることはできなかった。
「時任の了解もないのに、あなたに住所は教えられないわ…、悪いけど…」
「家に帰ってるかもしれないし、心配だからお願いっ」
「お願いされても、ダメなものはダメなのよ…」
「けど、私は時任君と付き合ってて…」
「だったら、なおさら時任の口から聞かなきゃいけないんじゃない?」
「・・・・・・・・」
「そうしないと…、家の前に行ってもドアは開かないわ…」
桂木がそう言うと、桜井は拳をきつく握りしめて軽く唇を噛む…。けれど、それ以上は何も言わなかったので、桂木の言うことが事実だということを桜井もわかっているのかもしれなかった。
どんなに手をつなごうとしても…、時任の視線はいつも久保田を追っている。
時任に見つめられている久保田がそうであるように…。
その視線に込められている感情がどんなものなのか、それはやはり本人達にしかわからなかったが、きっと見つめる視線の強さだけ想いは深い…。だから、それがわかっているから桜井に向かってがんばれと言うことはどうしてもできなかった。
桂木は少しだけ苦い気持ちを噛みしめながら、もう一度、生徒会本部に入るためにドアをノックしようとする。けれど、桜井はまるでそれを引きとめようとするかのように、今度は別のことを桂木に向かって聞いた。
「桂木さん…」
「なに?」
「ちょっと聞いてみたいんだけど、あのビルにいた男の子達は全員捕まえたの?」
「さぁ? あそこにいた奴らの正確な人数なんて知らないから、名前を書いたヤツがどれくらいなのかはわからないわよ」
「そうね…、荒磯も他の高校の男子もたくさんいたものね…」
「まったくっ、どいつもこいつもヒマ人なんだからっ」
「じゃあ…、あの男は?」
「あの男?」
「時任君を捕まえてた…、男…」
「あいつは・・・、残念だけど逃げられちゃったわ」
「そう・・・・・」
桜井もあの廃ビルにいたのだから、首謀者の男のことは気になるだろう。だが、なんとなく桜井の言葉に違和感を感じて、桂木はわずかに眉をひそめた。
なぜなのかはわからないが、『そう…』と答えた言葉の続きに『よかった…』と続くような気がしてならない。感じ取った違和感を探ろうとするかのように桂木がじっと桜井を見つめると、ハッとしたように視線をそらせた桜井はここから立ち去ろうとした。
けれど、今度はそんな桜井を桂木が呼び止める。すると桜井は立ち止まって、ぎゅっと自分の制服のすそを握りしめながらゆっくりと桂木の方を向いた。
「これから、時任君の住所を調べるために職員室に行くつもりだから…」
「べつに邪魔するつもりで呼び止めたんじゃないわ。ちょっとだけずっと気になってることがあって、それを貴方に聞きたかったからよ」
「・・・・・・気になってることって、何?」
「ミス荒磯に選ばれて時任に告白した時、自分に自信がなくて今まで告白できなかったって言ってたって聞いたんだけど本当?」
「えぇ…、本当よ」
「なら、その自信はどこでなくしたの?」
「えっ…」
「ミスコンで優勝するほどの貴方を、フッた相手は誰?」
桂木のした質問には理由も根拠もまるでないし、時任を好きになる女の子がいたとしても少しもおかしくはないので疑う必要はないのかもしれない。けれど、時任と桜井が付き合い始めた頃から、ずっと何かが桂木の胸にひっかかっていた。
でも、それは時任の寂しそうな表情から感じていることだと思っていたが…、本当はそんな表情をした時任に向かって、幸せそうに微笑みかけている桜井に違和感を感じていたのである。桜井の肩の揺れを見て始めてそれに気づいた桂木は、嫌な感じを覚えてわずかに目を見開いた…。
「私は誰にもフられてない…。だって、時任君に告白したのが始めてで…、時任君だけが好きなんだから…」
桜井はそんな呟きだけを残して、桂木の前から走り去ろうとする。それを止めるためにとっさに腕を掴もうとしたが…、その手が届く前にゴツッと鈍い音とともにかなりの痛みが桂木の頭に走った。
あまりの痛さに桂木が廊下にしゃがみ込むと、ゆっくりと生徒会本部のドアから何者かが顔を出す。それは放課後を過ぎても、本部に一人で残っていた松本だった。
「・・・・・・っ!!!」
「す、すまない…、ノックがあったはずなのに誰も入って来ないので、少し外の様子を見てみようと思ったんだが…」
「それにしては、絶妙に最悪のタイミングだった気がするけど?」
「そ、それは気のせいだろう?」
「本当に?」
「本当だっ」
「ふーん、ならいいけどね」
額に汗をかいている松本に向かってそう言いながら、桂木は廊下の方を見る。すると、すでに桜井はこの場から走り去ってしまった後だった。
桜井から悪意のようなものは感じなかったが、きっと今回の件についても何か知っているに違いない。それもやはり理由も根拠もないのに、桂木はそんな気がしていた。
時任と桜井が付き合うことになった件も、そして桜井がさらわれた件についても…、なぜかそこに橘の影が見え隠れしている。その理由は桂木にはわからないが、やはり廃ビルの事件は首謀者が捕まっていないだけではなく、本当の意味でまだ終わっていない気がしてならなかった。
桂木は桜井の後を追わずに生徒会本部に入ると、会長の椅子に座った松本と向かい合う。そして、不良達の名前の書かれた手帳を松本の前に差し出した。
「こんなにたくさん公務を執行したのは、今回が始めてかもしれないわ」
「さっき橘から電話で報告は受けたが…、確かに半端な人数ではないな」
「今回はほんっとに、特別手当が欲しいくらいよっ」
「その件については、橘と相談して考えさせてもらう」
「なら、執行部にエアコンつけて…って言いたい所だけど、今はそれよりも教えてもらい たいことがあるわ」
強い視線で松本を見つめながら、桂木はポケットに入れていた携帯電話を取り出す。しかし、学校に戻る道すがらその携帯電話に残っていた履歴の番号にかけてみたが、どの番号にもかからなかった。
用心深い男のようなので、おそらく契約者を調べても無駄だろう。
けれど、これが主犯格の男の残した現場に残した唯一のものだった。
目の前に出された携帯を見ながら一つだけ咳払いをすると、松本はじっと桂木が話し出すのを待っている。そんな松本を眺めながら桂木はぎゅっと携帯を握りしめると、きびきびとした良く通る声で話し始めた。
「廃ビルにいたのは荒磯の生徒だけじゃなくて、他校の生徒もいたわ。けど、執行部の公務は特に何かない限りは校内だけだから、個人ではなく執行部が他校の人間にそれほど恨みを買っているとも思えないのよね」
「だが、今回の件では他校の生徒も大勢集まっていたと聞いているが?」
「だから、それがおかしいって言ってるのよ」
「おかしいとはどういう意味だ?」
「首謀者の男は、本格的な乱闘が始まるとすぐにいなくなった…。それを考えると廃ビルに執行部と不良を大勢集めて騒ぎを起こすことだけが、目的のように思えなくもないわよね?」
「確かにそう言われれば、そう思えなくもないが…、」
「そして…、騒ぎが起こって少したった頃、誰も通報していないのに警察が現場に来た…」
「それは近所の住人が呼んだ可能性も考えられるはずだ」
「そう、騒ぎが起これば呼ぶでしょうね」
「なら、おかしいことなど一つもないだろう?」
「いいえ、おかしいわっ」
「・・・・?」
「首謀者の男の目的は、不良達に混じって執行部に恨みを晴らすことじゃなかった。大勢集めて騒ぎを起こして、警察を呼ぶことが目的だったのよ。こんなにおかしいことって他にある?」
桂木はそこまで言うと、すぅっと息を吸って一回だけ深呼吸する。そうしながら考えたのは、廃ビルでの首謀者の男の行動だった。
あれだけの人数を集めながら、挑発するだけしてすぐに身を引いた男はいつの間にか桂木達の前から姿を消してしまっている。けれど、それは警察が来る事を知っていてこその行動だった気がしてならなかった。
警察が来て捕まるのはもちろん桂木達ではないが、大勢の不良達と乱闘騒ぎをしかも校外で起こしたとなればやはり執行部の立場も悪くなる。けれど、それよりも首謀者が時任と久保田の二人を執拗に挑発していたことが桂木は気になっていた。
男はまるでからかうように楽しそうに、久保田に時任を助けたければ執行部を全員始末しろと言ったのである。けれど二人の間を切り裂いても、警察が到着したとしても、恨みがないとすれば男に何かメリットがあるとは思えなかった。
もしも今回の件で何かメリットがあるとしたら、男ではなくこの携帯を使って話していた相手なのかもしれない。男に騒ぎを起こすことを依頼した人物は、個人的な恨みでも執行部に対する復讐でもなく…、
立場を悪くして執行部が今までのように活動できないように追い込むことと、時任と久保田を離れ離れにさせることを目的にしているのかもしれなかった。
「教えてくれない、会長…。執行部をつぶそうとしてるのは…、時任と久保田君の関係を壊したがってるのは誰?」
桂木がそう問いかけたが、松本は何も答えずにじっと携帯の置かれた机を見つめていた。執行部をつぶそうとしている人物は、今回の件で処分されることになる不良達の他にもたくさんいるかもしれないが…、
時任と久保田の関係を壊したい人物は…、限られているのかもしれなかった。
少しずつ何かが見えてきた気もするが、まだ犯人の尻尾はつかめていない。
桂木はそのことに焦りを感じながら、黙ったままで何も話そうとしない松本を残したまま生徒会本部を後にした。
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