同居人.12




 執行部の猛攻で廃ビルにいた不良達の数は減ったが、復讐のためにわざわざ執行部を全員集めたにしては手ごたえがなさすぎる。荒磯だけではなく他校の生徒までいたため、さすがの執行部も苦戦を強いられるかと思われたが、両者の戦いはすぐに圧倒的にフリだった執行部の方が優勢になった。
 けれど、実は執行部が優勢になった原因は、実は執行部の猛攻ではなくもっと別な所にある。それに気付いた人間がいるかどうかはわからなかったが、執行部員達と共に戦っていた久保田は気付いていた。
 あくまで自分の恨みを晴らすためだけに襲いかかってくる不良達は、執行部員のようなコンビネーションはまるで見られない。それは戦いが始まる前には指示を出していた首謀者の男が、始まった後は指示を出さずに傍観していたせいだった。
 何かの恨みがあって執行部に復讐するため不良達を集めたはずなのに…、男は執行部にやられる不良達を眺めながら微笑みを浮かべている。それはまるで、この戦いの勝敗は自分には関係ないとでも言っているかのようだった。

 「ま、確かに楽しいだろうけどね」
 
 戦うように仕向けて、炊きつけるだけ炊きつけておいて傍観する。そんな男の様子を見た久保田はそう言いながら、目の前にいる不良の一人を容赦なく蹴り倒した。
 いつもなら久保田だけではなく、時任も男の様子に気付いたかもしれなかったが…、今日は桜井を背後にかばっているせいで戦うことに守ることに必死で気付くほどの余裕がない。けれど、そんな時任のことを気配で感じているのに、久保田はゆっくりゆっくりと執行部から…、
 ・・・・・彼女を守りながら戦う時任そばから離れた。
 それは同じように、誰にも気付かれずにこの場から消えようとしている首謀者の男の後を追おうとしたせいだったが…、もしかしたらそれはただの言い分けで…、
 本当はこれ以上、彼女を守る時任を見ていたくなかったのかもしれない。けれど相方として戦わずに背を向けてはいても…、久保田は時任のことを感じていた。

 ずっと…、ずっと今までそうして見つめてきたように…。

 けれど今は時任を感じるたびに胸の奥が冷たく凍りついて、指先から手のひらから…、ゆっくりとあたたかさが失われていく…。目の前にいる不良達を殴るために握りしめられた久保田の拳は、もっと別の何かを壊したがっていた。
 だから、さよならとそっと唇にキスして…、いらないと告げて強く拳を握りしめたはずなのに…、どうしても真っ直ぐに見つめてくる綺麗な瞳だけは壊せない。その瞳には相方で同居人としての感情しか宿っていないのに…、そうだとわかっているはずなのに…、
 真っ直ぐに見つめられるとなぜか錯覚を起こして、愛しさも憎しみも胸の奥で混ざり合って胸が熱くて痛かった…。
 視線が熱くて痛くて…、その存在が愛しくて恋しくて…、
 何もかもが、その激しすぎる想いの中に飲み込まれていく…。
 けれど、どんなに想っても見つめ続けても…、胸の奥にある想いはエゴに塗れながら壊れていくだけだった。

 「聞かないフリしてくれたのに悪いけど…、もう腕章はつけられないから…」

 ハリセン一本を片手に不良達を蹴散らしている桂木に向かってそう呟くと、久保田はすぅっと執行部の戦列を離れる。そして 腕に腕章をつけないままで、相方として時任の横にも立たずに…、同じようにこの場を離れていく首謀者の男の後を追い始めた。
 けれど何もかもが壊れていく音を聞きながらも…、本当は離れたくなくて…、
 どんなに心が冷たく凍りついても…、何よりも大切だからこの手で守りたかった。
 誰よりも好きだから…、ずっとそばにいたかった…。
 あの綺麗な瞳が見つめる先に自分がいなかったとしても…、強く強く背中から抱きしめたかった。
 何度も何度も好きだと言って…、その数だけキスしたかった…。
 けれど胸の奥から滲み出してくる暗闇が…、愛しさと同じ強さで憎しみが激しく波のように押し寄せてきて、アルバムを閉じるようにあの部屋のドアにカギをかけようとする。
 だけど、ドアにカギを閉めるため振り上げた拳は…、さよならを告げながらも振り下ろされずに途中で止まっていた。

 「うまく手を離してあげられなくて…、ごめんね」

 久保田がそう言ったのはまるで学校に行く時のように、部屋のカギを時任に閉めさせようとしていたせいだった。
 それは、さよならを何度告げたとしてもカギをしめようとした手が…、ドアに向かって伸ばしたはずの手が消そうとした想いを抱きしめようとするから…、自分の手でカギは閉められない。だから時任に閉めさせようとしていたのに…、いつも真っ直ぐな瞳が裏切りに傷ついて、憎しみの色を浮かべるのを待っていたのに…、
 時任はただじっと…、澄んだ瞳でじっと久保田を見つめるだけだった。
 二人の間の糸を断ち切るために振り上げた拳には痛みだけが残って…、見つめてくる時任の悲しみに似た瞳の色が、ゆっくりと胸の奥に染みこんでいく。

 けれど…、久保田の耳には春とともに近づいてくる別れの足音が聞えていた。
 
 首謀者の男を追って階段を上へ上へと上がっていくと、廃ビルの中で戦っている執行部と不良達のざわめきも届かなくなってくる。一歩一歩進むたびに静かになっていって、やがて聞えてくるのは自分の足音だけになった。
 けれど久保田は振り返らずに、自分の足元に落ちた黒い影を踏みながら…、執行部の仲間に、時任に背を向けたままで歩いていく。もしかしたらこんな風にやがては来る終わりの日まで…、寒さに凍えて麻痺した手のひらを眺めながら…、

 一人きりで歩いていくのかもしれなかった。

 逃げ出そうとしているかのように見えた首謀者の男は、なぜか行き場のない屋上へのドアを開ける。するとそこから吹き込んだ強く冷たい風が男だけではなく、後ろに潜んでいる久保田の髪まで乱した。
 何をするためにここに来たのか不思議だったが、実は良く屋上を見るとここが行き止まりではない。廃ビルの屋上と隣りの雑居ビル屋上との距離は、飛び移ることができるほど近かった。
 もしここから誰にも見られずに脱出したいのなら、一回まで降りるよりも雑居ビルへと飛び移って騒ぎが収まった頃に出ればいい。男は本当に先導して騒ぎを起こしただけで、この場から消えるつもりのようだった。
 もしも、このままなら執行部全員をここに集めた理由は男を捕まえない限りわからなかったかもしれない。たが、ドアの影に潜みながら屋上の様子をうかがっていると、男はすぐに雑居ビルへと飛び移らずに携帯電話を取り出した。

 「もしもーし…、俺だけど…」
 
 そんな調子で始まった男の会話は、誰かに聞かれた場合を考えて用心しているせいなのか話している相手の名前が出ない。男は電話の相手に今回の件に報告すると、口元に薄い笑みを浮かべた。
 「取り合えずここに集まったヤツらのリストは、後でお前あてに郵送してやるよ」
 『・・・・・・・・・・』
 「それで…、これからどうする?」
 『・・・・・・・』
 「なるほど、やるなら徹底的にか…」
 『・・・・』

 「荒磯に執行部は必要なかった…、初めからな」

 電話の相手の声は聞えないけれど、話の内容を聞いていると何かが見えてくる。相手との話が終わると通話を切ったが、男はすぐにまた違う番号にかけようとした。
 だが…、数字二桁を押し終わった瞬間に男の手に何かが当たって、携帯が灰色の冷たいコンクリートの上に落ちる。実は男の手に当たったのは石ではなくて、使い捨ての百円ライターだった。
 落ちたライターは携帯と一緒に冷たいコンクリートの上に転がったが、男はそのどちらも拾おうとはしない。それはドアを開けて入ってきた久保田の方に、意識を向けてしまっていたせいだった。
 「久保田…、誠人か…」
 男はそう呟くと、久保田の方に意識だけではなく視線を向ける。
 だが、久保田は何かを想うように遠くばかりを見つめていた。
 さっきの携帯での会話からわかることは、男がなぜか仲間であるはずの不良達のリストを作っていることと…、執行部を必要ないと想っていることの二点である。そしてその二点と携帯でかけようとしていた番号を合わせると…、今回の事件の背景が見えてくるような気がした。
 男がかけようとしていた番号は…、110…。
 男は自分が首謀者であるにも関わらず、ここに警察を呼ぼうとしていた…。
 けれど、もしここに警察を呼べば、今回の件は紛れもなく新聞やニュースに出るような本物の事件になるに違いない。そうなれば執行部の存在も取りざたされることになって…、執行部廃止に向かって集まる署名も増えるだろう…。
 つまり全員がここにそろったことによって無事に公務を終えるはずだったが、本当の意味での窮地は未だに脱出できていなかったのである。そしてそのことを知っているのは…、松本から署名の話を聞いていた久保田だけだった。
 久保田はとっさに男が通報するのを阻止したが、もしも執行部廃止に手を貸すことになれば男を止める理由は無い。それを知っているのかいないのか、男は久保田に向かって楽しそうに笑いかけた。

 「さぁ…、どうする?」

 男がそう呟いた瞬間に…、屋上のドアが開いて見慣れた人物が入ってくる。
 その人物とは、桜井を連れて無事に廃ビルの外へと脱出した時任だった。
 時任はいつものように久保田のそばへと駆け寄ろうとしたが、なぜかすぐにその足は歩みを止める。それは、久保田の冷ややかな瞳が時任を拒絶していたせいだった。
 今は屋上にはいないが、時任の隣りには相方で同居人である久保田ではなく…、恋人である桜井がいる。だからどんなに自分の方に向かって伸ばされた手がどんなにあたたかくても…、もう握り返すことはできなかった…。
 
 「久保ちゃん……」
 
 そう静かに名前を呼んだ時任は、目の前にいる久保田に向かって何かを言おうとする。けれど久保田は冷たい瞳のままで近づいて右手で時任の口をふさぐと…、ゆっくりと目を閉じながら時任の額に自分の額をくっつけた…。
 そして名残りを惜しむように少しの間そうしながら、左手で大切そうに愛しそうに…、胸が痛くなるほど優しく時任の髪を撫でると…、
 ゆっくりと口をふさいでいた右手を離して、時任の耳にそっと別れの言葉を囁いた。
 「誰よりも…、この世で一番、お前のことキライだから…」
 「くぼ・・・・」

 「・・・・・・サヨナラ」

 胸の奥の想いが、憎しみと一緒に手のひらの中にある愛しさが消えない限り…、別れの言葉なんて無意味なのかもしれない…。けれど、自分の手で何もかもを壊してしまわないためには…、桜の季節になるまでなんて待てなかった。
 傷つけるために壊すために…、こんな風に別れの言葉を囁くために好きになった訳じゃないはずなのに…、いつの間にかなにもかもが許せなくなって…、
 抱きしめすぎた想いが心が…花びらのように涙のように壊れて散っていく。もしかしたら、あの二人きりの部屋にかけられないカギはかけられないのじゃなくて…、最初からカギなんてなかったのかもしれない。
 だから、憎しみでカギを作ろうとしたけれど…、そのカギは時任の涙で消えた…。

 「キライって言われるかもって…、想ってた…。だから、わかってたからヘーキなはずなのに…、なんで…、なんでこんな胸が痛てぇんだよ…」

 別れの言葉を聞いた瞬間…、大きな瞳からこぼれ落ちた涙はゆっくりと頬を伝って下へと落ちていく。濡れた頬に久保田が手を伸ばすと、指先もはらはらと落ちていく涙に濡れて…、その涙を見つめているとなにもかもが涙に濡れていくような気がした。
 いつも勝気で強気で…、何があっても泣いたことなんてなくて…、
 なのに、時任が目の前で泣いている…。
 だからその涙を止めたかったけれど…、止め方がわからない…。
 どうしてもど止めたいのに止まってくれない…。

 エゴに塗れた手で壊すことはできるのに…、涙の止め方はわからなかった…。

 どんなに泣かないでと頬を…、優しく髪を撫でても落ちていく涙は止まらない…。
 透明で綺麗な涙が一粒こぼれ落ちていくたびに、それが指を心を濡らして…、
 痛みと悲しみが…、ゆっくりと胸の奥に広がっていく…。
 胸の奥を覆い尽くしていた憎しみよりも愛しさよりも…、流れ落ちていく涙が痛みになって…、さよならを告げたはずなのにキライだと言ったのに…、
 強く強く抱きしめたくて…、その涙にキスしたくてたまらなかった…。
 「キライでも良かった…。この世で一番キライでも…、一緒にいられんならそれで良かった…。相方でも同居人でも…、そんなのホントは…」
 「・・・・・・」
 「ホントは…、俺…」
 「時任…」
 涙に濡れた瞳が、何かを伝えようとするかのように真っ直ぐ見つめてくる。けれど、痛みを止めたくて…、自分のために泣いて欲しくなくて…、
 泣かないで泣かないでと…、心の中で何度も繰り返し呟きながら…、
 ただひたすら…、髪を頬を撫でていることしかできなかった。
 けれど髪を頬を優しく撫でれば撫でるほど時任の涙はこぼれ落ちて…、その度に切なさも痛みも悲しみの色も深くなる。時任は久保田の手を振り払って止まらない自分の涙をぬぐうと、震える声で別れの言葉を告げた。

 「・・・・・・バイバイ、久保ちゃん」

 辺りには誰が呼んだかわからないパトカーのサイレンが鳴り響き…、まるで泣き叫ぶようなその音が辺りを包み込む。走り去っていく時任の後ろ姿を見ながら久保田がきつく拳を握りしめると、ふさがり始めていた傷が爪で傷つけられて…、赤い血を滲ませ始めた。
 そうしている内に首謀者だと思われていた男は姿を消し、いつの間にか降り出した涙のような雨が…、
 
 灰色の街を…、血の滲んだ右手を眺めながら立ち尽くす久保田を濡らし続けていた。


 

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