同居人.11




 『久保ちゃん・・・・・』

 いつもなら言葉にしなくても伝わるはずのことが何も伝わらなくて、何も届かなくて…、
 それがつらくて哀しくて…、胸がズキズキと痛くてたまらない。
 けれど見つめることをやめてしまったら今までのことが、一緒にいた時間が日々が消えてしまう気がして視線をそらすことができなかった。
 振り上げられた拳を見ても殴られるなんて想わないし…、そんなことはあり得ないから、逃げる必要なんてないはずなのに…、久保田の言った言葉が冷たく胸に突き刺さって消えない。早くこんな場所からみんなで脱出して、いつもみたいに一緒に二人で暮らしている部屋に帰りたかったけれど…、
 久保田を見つめているともう帰れない気がしてきて…、胸の中に何かがたくさんたくさん押し寄せてくる…。まるで海の波のようにそれは押し寄せてくるけれど、押し寄せてくるばかりで少しも引いてはくれなかった。
 このままではその波に溺れて窒息してしまいそうで…、時任は首をしめている男の腕に手ではなく自分の胸に手のひらを押し当てる。
 けれどどんなに波が高くても、溺れかけていても…、
 空に向かって伸ばした手のひらは…、見つめる視線の先にいるのは…、

 ・・・・・久保田だけだった。

 時任は視線をそらさずに瞳も閉じずに、じっと自分に向かって振り下ろされる拳を久保田を見つめる…。でもそれは、信じるとか信じないとかそんなことを考えていたわけでも、何かを伝えようとしていた訳でもなくて…、
 ただひたすら、久保田を見つめ続けていただけだった。
 そうしていると、胸の痛みも壊れていく心の音も薄らいでいくけれど、それはなくなるののではなく感覚が麻痺していく感じに似ている。そんな風に感覚が麻痺していくのを感じていると、目の前には久保田がいて…、そして桂木や執行部の仲間達もいるのに…、
 ・・・・・・まるでこの世界に、一人きりになってしまったような気がした。
 
 振り下ろされる拳と…、叫び声…。

 ぼんやりと見つめる時任の視線の先で、久保田がこちらを向いて微笑んでいる。
 だからいつものように久保田の名前を…、まるで胸の奥の想いを叫ぶように呼んだ。胸の奥の想いの名前なんてわからなくても、何度も何度も呼び続けた誰よりも一番呼んだ名前だから、自分に向かって振り下ろされる拳をを見つめていても呼ばずにはいられない。
 一人になりたくないとか…、さみしいからとかじゃなくて…、
 ただ…、ずっとずっと一緒にいたかったから…、
 ずっとそばにいたかったから…、いつでもどんな時でも久保田だけを呼んでいた。
 微笑みながら笑いながら、暖かいけれど涙の色に似た切ない想いを胸に抱いて…、
 たとえその声が…、もう届かなくなってしまっていたとしても…。

 「・・・・・・久保ちゃん」

 久保田の拳が時任に叩き付けられる瞬間、桂木も藤原も…、そして他の執行部員達も表情を凍りつかせて息を飲む。けれど、なぜか時任まで届くはずだった拳はわずか1cmの距離を残して止まった…。
 二人の間にあるものを撃ち壊すはずだった久保田の拳は、そのわずか1cmの間にある何かを壊せずに…、時任の目の前で止まっている。だが、殴られる寸前だったというのに時任はまだ瞳を閉じていなかった…。
 開かれた瞳は…、今もまだ久保田を見つめ続けている。

 澄んだ瞳で真っ直ぐに…、久保田だけを…。

 それを見た久保田は哀しい瞳のまま柔らかく優しく微笑んで…、今度は拳ではなく鋭い蹴りを時任に向かって繰り出す。しかし、今度はそのタイミングを知っていたかのように、時任は首をしめている腕を利用して逆上がりの要領で両足を振り上げた。
 すると、首を絞めていた男はさっきの二人の様子を見ていて油断したのか、久保田の蹴りは盾にされていた時任ではなく男の足に炸裂する。その隙を突いて男のわき腹に肘打ちを食らわせて腕から脱出した時任が軽い身のこなしで見事に床に着地すると、久保田はそこからすぐに桜井の方へと走り出した。
 「く、久保田君っ!!!」
 桜井の方へと走っていく久保田を見た桂木がそう叫んだが、久保田の足は止まらない。けれど久保田の拳が叩き込まれたのは時任の彼女である桜井ではなく…、桜井を捕らえていた男だった。
 久保田は男からあっという間にナイフを奪うと、ゆっくりと時任に近づいて手と足を縛っていた縄を切る。だが、久保田が時任を助けるのは当たり前のことのはずなのに…、今だけは当たり前のようには見えなかった。
 それはもしかしたら、時任の視線があまりにも真っ直ぐ久保田を見つめすぎているせいかもしれない。いつもは久保田の方が時任の方をじっと見つめていることが多いのに、今日は時任の方が久保田を見つめていた…。
 そんな時任を見た桜井は何かに耐えるようにぎゅっと自分の服のすそをつかむと、哀しそうな表情で視線をそらせる。けれど、そんな桜井の様子に時任は気付いていないようだった。
 状況は少し変化したが、桜井の喉元のナイフが無くなったとしても時任達の置かれている状況は良くなった訳ではない。久保田に蹴られた男はそれを知っているせいか、少しわき腹を押さえながらも余裕の表情で服についたホコリを払いながら立ち上がった。

 「一人で助かるよりも、仲良く一緒にヤられる方を選ぶということか…。なるほど、正義の味方らしい滅び方だ」

 そう言ってくくっと不気味に笑うと、男はゆっくりと片手を上げる。すると、部屋の外で見ていた不良達も嫌な笑みを浮かべながら、縛られている執行部員達を取り囲み始めた。
 その気配を感じながら、時任は桜井をかばいながらも久保田の方を見つめ続けている。けれど…、久保田の方は時任に視線を向けようとはしなかった…。
 止まった拳と微笑みを見た時、いつものように久保田のことを感じられたのに…、自然に身体が動いてちゃんと相方だってそう想えたのに…、
 次の瞬間にはもう…、久保田のことがわからなくなる。
 二人でいられればそれで良くて、わからないことなんて何もなくて…、誰よりも知っていてそして知っていてくれるはずだったけれど…、

 久保田の冷たい横顔を見ていると、何もかもが幻のように消えてしまいそうだった。
 
 ずっとこのままでいられると信じていて…、ずっとずっと、いつも一緒にいるのが当たり前で…、だから、あまりにも当たり前すぎて信じ過ぎていたから…、
 もしかしたら気付くはずのことに気付けなかったのかもしれない。
 けれど少しもこちらを見てくれない久保田を見ても、その冷たさに凍えてもそれが現実だとは信じられなかった。
 何もかもが遠く遠くなっていくような気がして眩暈がして…、後ろで心配そうな顔をして縄を解いてくれながら話しかけてくる桜井の声も良く聞こえない。けれど、今は相方として久保田が横に立ってくれなくても、戦うことをやめるわけにはいかなかった。

 「正義の味方らしい滅び方なんかあるワケねぇだろっ。正義の味方は必ず勝つって決まってんだからなっ」

 時任は軽く頭を振ると、そう言って首謀者の男を睨みつける。
 すると、睨まれた男は不気味な笑みを浮かべたまま時任の方を見た。
 時任の方は男に見覚えはないが、男は執行部に恨みを持っているらしい。だが、どうやら指示を出すだけで、自分で手を下すつもりはないようだった。
 まるで恨みを晴らすというよりも、男は状況を楽しんでいるかのように見える。
 けれど男が何を考えていようとも、絶対にあきらめるつもりはなかった。
 桜井をナイフから開放することはできたが、今もまだ執行部員達は縛られたままである。時任がチラリと縛られて床に転がされている桂木達の方を見ると、それに気付いた男はそんな時任の横顔を見つめながら目を細めた。
 「もう少し抱きしめていたかったのに残念だな。どうせなら、俺の腕の中で抱き殺したかった」
 そんな男の本気とも冗談ともつかないセリフに、時任の視線がますます鋭くなる。けれど視線は男の方を向いてはいても、意識は男ではなく久保田の方を向いていた。
 近くにいるのに遠くて…、遠くなればなるほど久保田のことしか考えられなくなる。
 けれど、今は目の前にある現実がそれを許してくれなかった。
 不良達がこの部屋の周囲を取り囲み、桂木達は両手と両足を縛られている。
 けれど、まるで時任の心を見透かしたように、
 「心配しなくても、足手まといになるつもりわないわ。あたしだって執行部員なんだから、自分の身は自分で守るわよっ」
と言って、無敵の執行部員らしくニッと不敵に笑った。
 桂木は何か考えでもあるのか余裕の表情で桜井に向かって元気づけるように微笑みかけると、次に時任ではなく久保田の方を見る。その視線は厳しかったが、厳しさの中にも暖かさがあった…。
 久保田のしようとしたことは知っているが、それでも責めることができないのは…、
 拳を止めた時の久保田の瞳が…、あまりにもやさしかったせいかもしれない…。
 いらないと言いながらも…、その手で突き放しながらも…、

 久保田の瞳が…、見つめる視線が…、今も時任を強く強く抱きしめていた。

 時任を殴ろうとした自分の手を眺めている久保田が、何を想って何を考えているのかはわからない。けれどそんな久保田を見ていると、胸が苦しくて痛くてたまらなかった。
 その想いも気持ちも壊れたくて壊れていく訳でも…、壊したくて壊す訳でもなくて…、
 愛しくて恋しくて誰よりも想っているからこそ…、こんなにも哀しく切ない音を立てて想いが心が壊れていく。あの生徒会室で見つめ合って微笑み合っていた…、そんな二人を見たのがまるで遠い昔のことのような気がして…、
 桂木はベランダのある窓から見える青い空に視線を向けたが、すぐに久保田の方へと視線を戻した。
 「さっき言ったことは…、相手を油断させるために言ったのよね?」
 「・・・・・・・・さぁ?」
 「そういうことにしておいてあげるから、さっさと腕に腕章をつけなさいよっ!」
 「・・・・・・・」

 「誰がなんと言おうともあんたは執行部員で、時任の相方なんだから…」

 桂木はそう言ったが、久保田はまだ腕章を腕につけようとはしない。
 けれど、戦いの火蓋は首謀者の男によって切って落とされようとしていた。
 すぅっと男の手が上へと上がった瞬間に、部屋の中や外で待ち構えていた不良達がそれぞれ武器を持ったり、指を鳴らしたりしながら戦いの準備に入る。このままでは縛られている桂木達はすぐに袋叩きにされるため、そうなれば時任達の方も手も足もできなくなる可能性が高かった。
 ここは時任と久保田のコンビに命運を託すしかなかったが、今の二人にはいつものようなコンビネーションは無理かもしれない。それは心の問題のせいもあったが、やはり時任が後ろに桜井をかばっていることが大きいかもしれなかった。
 まったく戦えない桜井と…、身動きの取れない執行部員…。
 あまりにも分が悪すぎたが、時任も戦いに備えて戦闘体勢を取る。いつもよりも身を低く屈めるのは、時任が一人で戦う時のクセだった。

 時任の頬の傷と…、久保田の手にある傷…。

 その傷は二人が相方である印のようにも見えたが、今は傷ついた手のひらにも頬にも痛みしか残っていないのかもしれない。強く強く繋がってたはずの絆は、ズキズキと痛み続ける傷だけを残して…、
 ・・・・・まるで夢のように消え去ろうとしていた。
 戦闘体勢を取った時任を見た久保田は、切れかけた糸をつかむように手のひらをぎゅっと握りしめたが…、その手が握りしめるはずの手は桜井と触れ合っている。伸ばされた桜井の手に慰めるように触れた時任の指先はすぐに離れたが…、
 握りしめた久保田の手のひらの中には…、愛しさに似た憎しみが宿っていた。

 「さぁっ、思い切りやろうぜ、野郎どもっ。この世には正義も悪も存在しない。いつの時代もどんな時も、生き残った方が勝ちだ!」

 そんな言葉と共に上げられていた男の手が振り下ろされ、執行部と不良達の戦いが始まる。時任は桜井を気にしながらも素早く松原達を助けに走ろうとしたが、それを松原の強い視線が止めた。
 その強い視線を見た時任は瞬間的に視線の意味を悟り、走るのをやめて自分にかかってきた男に蹴りを入れる。そして男から木刀を奪うと、手も足も縛られている松原に向かって勢い良く投げた。
 「はははっ、アイツらは縛られてんだぜ? 木刀なんか投げてもムダだっ!!」
 「ムダかどうかは、やってみなきゃわかんねぇぜっ」
 「はっ! やらなくてもわかるに決まってんだろっ!」
 「へぇ、アレでもかよ?」

 『な、なにぃっっっ!!!』

 ニッと笑った時任の言葉にうながされて数人の不良達が松原の方を向くと、投げられた木刀は何者かの手に見事にキャッチされていた…。細いながらも見事に鍛え上げられた腕はしっかりと木刀を握りしめると、それを腕の主の胸元まで引き寄せる。
 すると握られているのは普通の木刀だったが、なぜか今はまるで魂が入ったかのように際立って見えた。
 木刀を握りしめた松原が自分に襲いかかろうとしていた不良達を薙ぎ払うように木刀を水平に振ると、その切っ先が見事な円を描く。松原の木刀を食らった不良達は、抵抗する間もなく一瞬の内に床へと倒れ伏した。
 「た、確かに縄でしばったはずなのにっ! なぜだっっ!!」
 「こんな縄ごときで、僕の武士魂は縛れはしないっ!!!」
 「ぶ、武士魂っ?!!」
 「縄抜けは武士の心得の一つ…」

 「それは武士じゃなくてっ、忍者だろっ!!!」

 どうやら松原は武士の修行だけではなく、忍者の修行もしているらしい。
 そんな松原の横では隆々とした筋肉を盛り上がらせて、室田が縄を腕力だけでぶち切っている。その瞬間に少し着ている服まで破れたが、それは気にしていない様子だった。
 そもそも二人は、室田の愛犬であるジュンを人質に取られて捕まっただけなのである。いつでも逃げることは可能だったが、実は桂木からの指示で久保田と相浦が来るまでおとなしくしていただけだった。
 ベランダにいる時も、そして捕まってからも桂木はひたすら全員がそろうのを待っていたのである。松原と室田が縄を解くと、今度は桂木がブチリと切れないはずの縄を切って床から立ち上がった。

 「あんたがいてくれて助かったわ…。ありがとう、ジュン」

 桂木はそう言いながらジュンを抱きあげると、よしよしと頭を撫でる。実は良く見なければ気付かないが、桂木の切った縄は腕の力で切ったというよりも歯で齧って切ったような感じだった。
 ここにいる全員が久保田と時任の方を見ていてノーマークだったが、その間にサングラスの男の腕から抜け出したジュンは、桂木の縄をずっと齧っていたのである。飼い主の言うことはあまり聞かないらしいが、どうやら桂木の命令は良く聞くようだった。
 今もジュンは、飼い主ではなく桂木の腕の中で尻尾を振っている。それを戦いながら見た室田は、豪腕で敵を蹴散らしながら背中から哀愁を漂わせていた。
 「うう…、俺はやはりジュンには片思いする運命なのか…」
 「何か言いましたか?」
 「い、いやっ、べつに…」
 「室田っ、後ろっ!!」

 「うおぉぉぉぉっ!!!!」

 二人のジュンに片思い中の室田は、まるでヤケクソのように雄叫びを上げると敵に突進する。すると、まるで部屋中が振動しているような錯覚を起こしそうだった。
 戦いながら執行部は桂木を中心に集合し、桂木の白いハリセンと不敵な笑みが不良達を威圧して一時的に戦いが収まる。未だ数では圧倒的に不利だったが、集合した執行部員達にはもはや敵に囲まれているということに対する緊張感すらなかった。
 戦えない桜井を囲むように立った執行部は、桂木の合図で再び戦闘体勢に入る。
 ハリセンを振り上げた桂木は首謀者の男を正面から睨み付けると、まだ縄に縛られたままで転がっていた藤原の所へ向かってジュンを放した。
 「なぜ、こんなことを企んだのかは知らないけど、自分のしたことを思う存分後悔させてあげるから覚悟しなさい」
 「囲まれて人質同然なのに?」
 「人質って誰のこと?」
 「もちろん、ここにいる全員が…」
 「確かに一人一人なら人質かもしれないけど、全員そろってしまえば人質にはならないわっ。ここにいるのは人質じゃなくて、天下無敵の正義の味方御一行様ってトコかしら?」
 男の言葉を聞いた桂木は考え込んだりも怯えたりもせずに、そう言うと余裕の表情で肩を軽くすくめる。ジュンに縄を齧ってもらってやっと自由になった藤原はきょとんとした様子でわかっていないようだったが、相浦も松原も同じように笑みを浮かべていた。
 
 「さあっ、とっとと片づけて学校に帰るわよっ、みんなっ!!!」

 気合いの入った桂木の声が響くと、執行部全員がいっせいに不良達を片づけ始めた。
 一人では困難だったことも、こんな風に全員がそろえば可能になる。執行部は一人でも二人でもなく…、補欠を含めて七人いてこそだった。
 繰り出す拳も振り下ろす剣も正義のためにある。
 だから、もうここから逃げる必要はどこにもなかった。

 公務執行…。

 時任と久保田の腕には腕章はついていないが、正義は腕章はなくてもすでに心の中にある。けれど、今の久保田は戦うというよりも目の前にいる敵を、ただ処理しているという感じだった。
 執行部の凄まじい強さに逃げ出す不良達も出始めたというのに、いつもは先頭を切って戦う時任も桜井をかばいながら…、戦いに集中せずにそんな久保田の方ばかりを気にしている。圧倒的にフリだった状態から逆転しても、離れ離れになって戦っている二人は…、出口に向かわずに薄暗い廃ビルの中をさまよっているように見えた。
 いつものように公務のためにみんなで戦って戦って…、けれど時任と久保田だけは誰にも背中を預けずに一人で戦っている。その寂しさと寒さに耐えながら、時任ががむしゃらに得意の蹴りを繰り出していると…、
 やっと出口に着いたというのに、いつの間にか久保田の姿が見えなくなっていた。
 それに誰よりも早く気付いた時任は、とっさに廃ビルの中に戻ろうとする。しかし、それを桜井が一人で行くのは危ないからと言って止めようとした。
 「一人で中に戻るのは危険すぎるわっ」
 「ヘーキだってっ!」
 「そんなことないわっ、まだ中にはたくさん…」
 「だとしても、俺は久保ちゃんを探しに行かなきゃならないから…」
 「久保田君なら、きっと大丈夫よっ」
 「・・・・・・・・」

 「時任君っ!!!!」

 時任はそでをつかんでいる桜井の手を振り切ると、久保田を探すために走り出す。心配してくれているのはわかっていたが、久保田をここに置いて一人で学校にもマンションにも帰りたくなった。
 冷たく突き放されるように言われた言葉を、胸の突き刺さった痛みを忘れていなくても、一人で戦う久保田の背中を見ていると…、
 その背中を一緒に過ごしたあたたかな日々を抱きしめるように、ぎゅっと強く強く抱きしめて…、言葉にならない想いを叫びたくなる。
 たとえいつも優しく名前を呼んでくれた唇から、別れの言葉を告げられたとしても…、もしも久保田だけでいっぱいになっていく心が想いが…、そのすべてが壊れていくのなら…、

 久保田のそばで…、二人きりのあの部屋の中で壊れていきたかった…。

 元々が執行部に恨みがある者の寄せ集め集団だったため、結束が弱く逃げ出した者が多かったために予想よりも早く廃ビルでの公務は終わろうとしている。けれど戦いの最中に久保田と同じように首謀者の姿は消え…、結局、こんなことになった理由も何もかもわからなかった。
 廃ビルに響き渡る時任の足音は、久保田を探して上へ上へと上がっていく。
 さまようように、けれどその想いのある場所に向かって真っ直ぐに…。
 その音を聞いていると、なぜか心臓の鼓動まで聞えてくるような気がして…、

 時任は止まらない痛みを…、すべてを覆い尽くしていく想いを押さえるようとするかのように強く胸を押さえた。
 

 

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