同居人.10




 『ねぇ…、ホントはどういう関係なの?』

 校内の裏庭や廊下で好きだという告白を聞いた後に、何度も何度も聞いた言葉。けれど、その言葉に答えないのは答えたくないからじゃなくて、自分の中にその答えがないからだった。
 時任がいつも繰り返し言っているように、二人は間違いなく相方で同居人で…、
 それがわかっていながら答えがないのは、相方も同居人も今の状況が作り出した関係でしかないことを知っていたからかもしれない。
 一緒に執行部に入っているから相方で…、一緒に暮らしているから同居人…。
 だから状況が変化してしまえば、いつの間にか二人の間にある糸は切れてしまう可能性があった。今は過ぎていく時が目の前にある現実が、ひとときの暖かさと光りに満ちた夢すら見せてくれなくて…、相浦から渡された制服にも抱きしめていたかった身体のぬくもりは残っていない。
 けれどそんな風に何もかもが失われていくのを感じながら、眠る時任にさよならを告げながらも胸の奥の想いを消すことはできなかった。
 皆が捕まっている廃ビルに向かって走るのは、当たり前のことで…、
 けれど廃ビルに近づくにしたがって、時任のことだけしか考えられなくなっていく…。
 相方だからなのかそれとも同居人だからなのか、それともまだ別の何かを求めているからなのかはわからなくても…、
 もしかしたら、こんな風にずっとずっと想い続けていくのかもしれなかった。
 いつの日も…、どんな時も…、

 たとえ…、その想いが届かなくても…。

 そんな想いを抱えながら走る久保田の後ろには、純粋にみんなを助けたくて走っている相浦がいる。久保田は荒い息を吐きながら必死に後を追ってくる相浦の気配を感じながら、目の前に見えてきた廃ビルを見上げると声には出さずにゴメンねと呟いた。
 けれど、その言葉は時任に向けられた言葉ではなく、桂木達に向けられた言葉で…、
 そう呟いたのは腕に腕章をつけていながらも、いつも任務を果たすために拳を振るっていた訳ではなかったからだった。
 だからもうずっと前から時任の隣りに立つ資格なんてどこにもなくて…、こんな風に想いを残しながらも、いずれは離れていく運命だったのかもしれない。
 腕が指先が、そして唇が時任に触れたがっているのに気付いた瞬間から…、

 ゆっくりと…、けれど確実に何かが壊れていく音がしていた。
 
 今も胸の奥から鼓動と一緒に響いてくるその音を聞きながら、久保田は廃ビルの裏口ではなく正面のドアから入ると、目の前に広がるロビーに視線を向ける。すると、荒れ果てたロビーにはすでに執行部に恨みがあるという不良達が待ち構えていた。
 殺気だった不良達の気配に一緒にいた相浦は身構えたが、久保田はいつもと同じ様子で戦う様子もなくのほほんと立っている。どうやらその態度がバカにしていると不良達の目にはうつったようで、ロビーに満ちていた殺気は相浦ではなく久保田の方に集中していた。
 周囲を取り囲んでいる不良達の中から、久保田に恨みがあるらしい男が一人前に出ると持っていた鉄パイプで脅すように近くにあるフロントを軽く叩く。すると、その音がロビー内の空気を震わせながら響き渡った。
 「まさかこっちには人質がいるんだってのを、忘れてたワケじゃねぇよなぁ?」
 「忘れてないから、ココに来たんだけどなぁ」
 「なら、そこで土下座して命乞いしろよ。そしたら、少しは考えてやってもいいぜっ」
 「うーん、どうせ考えるなら俺のコトより、退学になった後のこととか考えた方がいいと思うケド?」
 「な…っ、なにぃ…」
 「ま、軽くて退学、重くて警察で取り調べってトコかなぁ」
 「・・・・・そうならないために、ちゃーんとこっちには人質ってのがいるんだぜ?」
 「あっそ」

 「そういう・・・、そういうてめぇの態度がムカツクんだよっ!!」

 鉄パイプを持った男も他の不良達も、は人質を取られた久保田が動揺しているのを見たかったのかもしれない。けれどあまりの人数の多さに相浦は額に汗を滲ませていたが、久保田の方は少しも動揺しているようには見えなかった。
 それどころか絶対的に不利な状況にも関わらず、誰もが久保田に殴りかかれないでいる。怒りにまかせて鉄パイプを振り上げた男は、自分に向けられた久保田の目を見た瞬間にその場で凍りついた。
 こんな状況では絶対に久保田の方に勝ち目はないとそれがわかっていながら、冷ややかな視線を受けるとその冷たさに手が震え出して止まらない。人質がいて執行部を倒すために集まった人数も半端ではないのに、優位に立っているはずなのに…、さっきまで殺意に満ちていたはずのロビーの空気を支配しようとしているのは久保田だった。
「そーいうカオしてられんのも今の内だけだぜ。ここから無事に帰れると思うなよ、久保田っ」
 「…って言いながら、手が震えちゃってるけど?」
 「こ、これは武者ぶるいだっ!それにここでやらねぇのは執行部全員まとめてやった方が、手間がはぶけていいからに決まってるだろっ」
 「・・・・・・・」

 「てめぇには、時任の情けねぇ泣きっ面を見せてや…」

 久保田に向かってニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた男の言葉が、なぜか途中で途切れる。それは時任の名前を口にした瞬間に、久保田の拳が男の腹に叩きこまれたからだった。
 男が目を見開いたまま前のめりになって床に膝を突くと、それを引き金にロビーにいた全員が久保田に襲い掛かろうと身構える。その気配を感じた相浦も落ちていた木の棒を握りしめたが、久保田だけは身構えたりせずにゆっくりと上へと続く階段に向かって歩き出した。
 そんな久保田の様子を見ていた相浦は、
 「お、おいっ、ちょっと待てよっ。やっぱ正面から乗り込むのは…」
と、言って慌てて引きとめようとしたが、久保田の歩みは止まらない。けれど、その背中からは敵地に乗り込むという緊張感も恐怖もまるで感じられなかった。
 相浦は小さく息を飲むとそんな久保田の背中を見つめながら、覚悟を決めて歩き出す。すると襲い掛かろうとしていた不良達が、まるで何かに押されたかのように久保田の前に道を開けて行った。
 「あのさ…」
 「なに?」
 「今さらだけど…、久保田が敵じゃなくてよかったって改めて思ったよ…」
 「そう?」

 「戦う前に負けが決まってる戦いなんか…、誰だってしたくないもんな」

 相浦がそう言ったのを聞いて、久保田がどんな顔をしたのかは後ろからではわからない。けれど一段ずつ階段を上がるたびに、周囲にいた不良達が自然に後ろへと下がっていくのがわかった。
 殴りかかりたい衝動にかられながらも、誰もが足がすくんで動けない。それはもしかしたら人としての本能ではなく…、動物としての本能なのかもしれなかった。
 人数的に圧倒的に優位でも、久保田の暗く沈んだ底知れぬ瞳に射抜かれると勝てる気がしない…。それどころか戦いを放棄して、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい衝動に耐えなくてはならなかった。
 久保田の向かう先には今回の件の首謀者が、囚われた執行部員達が…、そして時任がいる。けれど戦うことなく上へ上へと向かいながら、なぜか相浦は不安を感じていた。
 その不安の原因がなんなのかはわからなかったが、いつもよりもずっと久保田が遠い存在に感じられる…。相浦は目の前にある背中から漂ってくる冷たい凍りつくような空気に、不良達と同じように無意識の内に震え出していた。

 「こ、怖いんじゃなくて…、ちょっと寒いだけだって…」

 まるで自分に言い聞かせるようにそう呟いたが、その声まで震えてしまっている。実は同じ執行部に所属してはいるが、相浦は久保田が一人で公務をしている場面や戦っている場面を今まで見た事がなかった。
 久保田は相方として時任の隣りにいたが、なんとなくいつも時任のフォローに回っていた気がする。それはもしかしたら、まだ久保田が本気で戦っている所を見たことがないということなのかもしれなかった。
 中学時代に執行部で相方をしていた松本が久保田だけは敵に回したくないと言っていたというの聞いた事があって、その時はなんとなく言葉の意味をわかっているつもりでいたが…、今の久保田を見ているとわかったつもりになっていただけで、本当は何もわかっていなかったことに気付く。時任がそばにいないだけで、久保田の周囲を包む空気はこんなにも冷たく凍りついて…、振り向かずに上へと階段を上り続けるその背中は執行部の仲間である相浦をも拒んでいた。
 けれど、相浦を震わせているその凍りつくような空気が一番冷たく感じられたのは…、最上階のドアを開けた瞬間だったのかもしれない。
 ようやく執行部が捕らえられている部屋にたどりついてドアを開けると、そこには執行部だけではなく…、

 ・・・・・・時任の彼女である桜井が捕らえられていた。

 相浦は桜井がいることを桂木からの連絡で知っていたが、まだ久保田にはそのことを知らされていない。けれど、桜井がいることを知った久保田は、なぜ時任が簡単に捕らえられてしまったのかを悟ったようだった。
 久保田が室内に入ると、それに気付いた時任がドアの方に視線を向ける…。
 すると、そんな時任を彼女である桜井が見つめていた…。

 「久保…ちゃん…」

 時任は何かを伝えようとするかのようにじっと見つめながら久保田の名前を呼んだが…、久保田は黙ったままでそれに答えない。そしてそんな二人の様子を、相浦を含めた執行部の面々が静かに見守っていた。
 いつもなら時任のそばにいると自然に柔らかくなる久保田の雰囲気は、今も哀しいくらいに凍りついたままで…、それと同じように時任を見つめる瞳にも感情の色は見えない。まるで二人の間に暗くて冷たい何かが横たわっているようで、それを感じた桂木はなぜか胸がズキズキと痛んでくるような気がして瞳を伏せた。

 「本気で恨むわよ…、副会長…」
 
 桂木のその呟きを聞いた藤原が、複雑そうな顔をして唇を噛みしめる。いつもなら真っ先に這ってでも久保田のそばに駆け寄る所だったが、今回はそうすることができずに床に転がったままだった。
 それはどんなことがあっても切れないはずの糸が…、二人の間にある絆が…、
 目の前で細く細くなっていくのを、藤原だけではなく他の部員達も感じていたからだった。

 彼女と相方…、そして同居人…。

 それはたぶん同じじゃなくて…、それぞれ違った関係なのかもしれない。だから本当なら時任を挟んで置かれた天秤は、釣り合っていたのかもしれなかった。
 けれど胸の中にある想いの重さが重くて重すぎて、何もかもを打ち壊しながらバランスを崩していく…。今のままでいるためには自分の気持ちにウソをついて、付き続けて微笑んで隣りにいればいいとわかってはいても、自分以外の誰かを抱きしめる腕をキスしようとする唇を許せなかった。
 だから、眠る時任にさよならを告げたはずなのに…、耳を目をふさいで絶対に振り返らないつもりだったのに…、
 捕まった原因を薄々わかっていながらも、執行部員でも相方でもなく…、

 ただ愛しさと恋しさだけを抱いて、久保田はここに立っていた…。

 そんな自分のことを自覚しているせいか他の部員達と違って、久保田の腕には執行部の印である腕章がつけられていない。桜井がここに捕まっていることを知って慌てて来た時任も付けていなかったが、学校から一緒に来た相浦が付けているのに久保田が付けていないのはおかしかった。
 執行部員は腕章をつけていなければ、どんな理由があろうともその権利を認められない。それを中学時代から執行部をしている久保田が知らないはずはなかった。
 そのことに気付いた桂木がハッとして時任の方を見たが、じっと久保田だけを見つめ続けている表情からは腕章のことに気付いているかどうかはわからない。
 少しの間、室内は久保田と時任の間に落ちている沈黙に包まれていたが…、
 その沈黙を破ったのは久保田でも時任でも他の誰でもなく…、今回の件の首謀者である不気味な雰囲気を漂わせた男だった。

 「役者がそろったようだから、そろそろ始めるとするか…」

 楽しそうにそう言った男は持っていた携帯をポケットに収めると、口元に笑みを浮かべながら時任の方へと近づく。そして手を伸ばして倒れている時任の襟を掴むと、強引に引き起こして自分の横に立たせた。
 男の顔に見覚えはないが、どうやら久保田と時任のことを良く知っているらしい。一番人質にしやすい桜井…、そして執行部の紅一点の桂木でもなく、男は時任を盾にするつもりのようだった。
 久保田に対する盾として男の前に立たされた時任は、普段ならなんとか自力でこの事態から抜け出したかもしれないが、未だに桜井の喉元にナイフが付き付けられているために動けないでいる。けれどその瞳は桜井を心配しながらも…、ずっと久保田だけに向けられていた。
 まるで…、切れかけた糸を繋ぎ止めようとするかのように…。
 だが、そんな時任の想いをあざ笑うかのように、男は久保田に向かって残酷な言葉を投げかける。そしてまるで久保田が申し出を断らないことを確信しているかのように、男は片腕で時任の首を軽くしめ上げた。
 「ぐっ、うぅ…」
 男に首をしめられた時任は、くぐもった声を漏らしながら苦しそうに眉をひそめる。時任の細すぎる首は、男が本気でしめ上げればすぐに折れてしまいそうだった。
 男は首をしめ上げながら時任の髪に頬を寄せると、自分の言葉に答えない久保田に向かってもう一度同じ言葉を投げかける。その残酷すぎる言葉は、久保田を良く知らなければ出てこない一言だった。
 
 「時任を傷つけられたくなかったら、そこに転がってる執行部員を始末しろ。ついでに泣いてるしか能のないバカな女もな…」

 男の言葉を聞いた久保田の冷ややかな視線は、部員達ではなく桜井に向けられている。そんな久保田の様子を見た男は、まるで抱きしめるように時任の首をしめながら楽しそうに笑っていた。
 執行部員と桜井を始末しろと命じたのは男だったが、その言葉に何かを言いかけようとした桜井に向けられた視線にはなぜか限りなく殺意に似た冷たさがある。凍りつくような男の視線を向けられた桜井はそのまま口をつぐんで、その顔からは次第に血の気が失われて、まるで紙のように白く白くなっていった。
 そして久保田が桜井の方に向かって一歩足を踏み出すと、その足を止めようとして桂木が叫ぶ。けれど、その叫び声を聞いても久保田の足は止まらなかった。
 「もしもあんなヤツの言いなりになってその子を殴ったらっ、あたしがアンタをブン殴るってやるから覚悟しなさいっ!!」
 「べつに殴られるカクゴあるなら、いつでもかかってきてくれて構わないけど?」
 「・・・・っ!!」
 「殴られたくないなら、そこで黙って見ててくれる?」
 「だったら、一番最初にあたしを殴りなさいよっ!!」
 「イヤ」
 「久保田君っっ!!!」

 「ジャマなヤツから消すってのが、世間の常識ってヤツでしょ?」

 信じられない言葉が久保田の口から漏れて、それを聞いた桂木が大きく目を見開いた。もしも同じ執行部じゃなかったら…、同居人で相方でいつも一緒にいる二人のことを見続けていなければ、その言葉の意味をわからなかったのかもしれない。
 けれど…、いつも時任のことを見つめていた久保田の視線のあたたかさを優しさを知っているからこそわからないとは言えなかった…。
 微笑んでいる久保田の視線の先には、いつも時任しかいない…。
 優しく伸ばされた手のひらの先にも…、時任しかいなかった…。
 でも、だからと言って桜井をその手にかけてしまっていいはずはない。でも、それがわかっていながら久保田は拳を振り下ろそうとしていた。このままでは桜井だけではなく時任も…、そして久保田も自分で自分を傷ついてしまう。
 久保田を止めるために桂木が縄を解こうと、縛られている腕に力を入れていると…、
 男に首をしめられている時任が、苦しい息をしながらゆっくりと口を開いた。
 「殴るなら俺を殴れ…よ…、久保ちゃん…。あんなヤツの言いなりになって、女を殴るなんて久保ちゃんらしくねぇじゃんか…」
 「・・・・・・・」
 「それに俺だけ助かってもイミなんかねぇし…、助かりたくなんかねぇよ…」
 「・・・時任」

 「みんなで帰ろうぜ…、久保ちゃん…。正義の味方が…、こんなトコでこんなヤツらに負けるワケにはいかねぇだろ…っ」

 時任はそう言うと久保田に向かって、いつものようにニッと笑かける。だが、その瞬間にナイフを喉に突きつけられている桜井が小さく悲鳴を上げた。
 すると久保田に向けられていた時任の瞳は、心配そうな色を浮かべて桜井の方へと向けられる。悲鳴をあげた桜井の喉には、ナイフで付けられた小さな傷があった。
 時任が大丈夫かと声をかけると、桜井は涙を浮かべながらうなづく。桜井を捕らえている男は反撃に出るつもりでいる時任に、ナイフを突き付けていることを思い出させるためにやったようだった。
 その効果はあったようで、時任はさっきよりも桜井のことを気にしている。
 ただ何も知らない室田の愛犬であるジュンだけが、フンフンと鼻を鳴らしながら緊張感の無い様子で部屋を歩きまわっていたが…、周囲を包んでいく緊張感と殺気を含む異様な雰囲気に飲まれてそれを気にする者は誰もいなかった。
 廊下に集まっている不良達は執行部員同士がやり合うのを知って、ドアから室内の様子を見物しながらニヤニヤと笑っている。そんな空気の中で久保田の足はようやく止まったが、その周囲を包む凍りつくような空気はまだ消えていなかった。
 久保田の目の前には、見つめ合う時任と桜井がいる。二人は自分達を冷ややかに眺めている久保田の視線に気付かずに、彼氏と彼女らしい様子でお互いのことを心配して気づかっていた。
 久保田はすぅっと目を細めると、今度は桜井ではなく時任の方へと近づく。
 そして優しいけれど底知れぬ何かを感じさせる瞳で時任を見つめながら、ゆっくりと口元に薄い笑みを浮かべた。
 「じゃ、お前がヤられる代わりに桜井サンを助けるってのはどう? それともせっかくだから、ここで二人仲良くヤられる?」
 「な、なにワケのわかんねぇコト…、言ってんだよっ」
 「どう見てもカノジョ連れて逃げるのムリだし? こういう場合はカノジョを見捨てるか、カノジョとヤられるかどっちか選ばなきゃねぇ?」
 「・・・・・・・」
 「腕に腕章ついてないのは忘れたからじゃなくて、 もしかしなくても桜井サンのカレシとしてココに来たからでしょ?」
 「そ、れは…」
 「だったら今のお前は執行部員でも、俺の相方でもないってコトだよねぇ?」
 「く、久保ちゃん…っ!!」
 「それにタイミング良く俺の腕にも腕章がないのは、ココには公務じゃなくてお前を助けるためでもなくて…、いらないモノを処分しに来たからだし?」
 「いらないモノ?」
 「そう…、もういらなくなったから自分の手で壊すために…」
 「壊すって…、なにを?」

 「お前のコト、もういらなくなっちゃった…」

 大きく見開かれた時任の瞳には、優しく微笑む久保田が写っている。けれど、その微笑みはいつものように時任を包むのではなく、壊そうとしていた。
 桜井に振り下ろされるはずだった拳は…、桜井ではなく時任に向かって振り上げられる。その拳を見つめながらも時任は、男に首をしめられたまま身動き一つしなかった…。
 あり得ないはずのことが、桂木や執行部員達の目の前で起ころうとしている。
 その現実を止めるために桂木が…、藤原が…、そして桜井が叫んだが…、
 時任を見つめる久保田の瞳は、いつものように時任だけを写したまま哀しい色を浮かべていた。

 「そんな風に壊して痛いのは、哀しいのは…、久保田君じゃない…」

 桂木の切なさと苦しさの滲んだ呟きと共に…、久保田の拳が振り下ろされる。けれどそんな久保田を見つめ返す時任の瞳は、いつもと同じように綺麗に澄んでいた。


 
 

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