ダブルキャスト.9



 
 「ただいま」

 学校から稔が待ってるマンションに戻ると、チャイムを鳴らしてポケットから出した鍵でドアを開ける。けど、玄関から廊下を通ってリビングに入っても稔からの返事はなかった。
 それもそのはず、いつもいるはずのリビングに稔の姿がない。
 静まり返ったリビングの床には、俺と通話したケータイが置きっぱなしになっていた。
 うーん…、玄関にはスニーカーがあったし、出かけた様子はないんだけど…。そう思ってカバンをソファーに置いて私服に着替えてから寝室にしてる部屋に行くと、やっぱり中から人の気配がした。
 「稔? 俺だけど?」
 もしかして着替え中かもしれないし、いきなり開けるとマズそうだからドアをノックして廊下から稔を呼んでみる。でも、気配はするのに返事が無い。
 だから、あれから後に具合が悪くなったりとか…、色々な可能性が脳裏をかすめた。
 そして、そんな脳裏に浮かんだ可能性を打ち消そうとするかのように、ドアを開けるためにドアノブに手をかける。けど、その瞬間にドアノブが勝手に回ってギギィー…っと、まるで幽霊屋敷のドアのような音が廊下に響いて、うらめしそうな顔をした稔が出てきた。
 「お〜か〜え〜り〜……」
 「もしかして、今日はホラー特集?」
 「…って、俺様の何がどこがっ!ホラーなんだよっ!!」
 「いや、なんとなくオカエリがウラメシヤに聞こえるなぁって思って」
 「うう…、気分的には当たらずも遠からず…なカンジかも」
 「なんで?」
 「なんでって…」
 「うん?」

 「オンナになった上に自分のブラ姿まで見ちまったらっ、誰だってうらめしや〜くらい言いたくなんだろっっ!!!」

 元オトコ…、今オンナの稔はそう叫ぶとうらめしそうな顔のまま、ガックリとうなだれる。でも、いくらうらめしそうなカオをしてても思わず頭をよしよしと撫でたくなるほど、ただ可愛いだけだった。
 買い物に出かけるって言ったから、ちゃんとブラしてるみたいで時々表情が少し苦しそうになる。でも、これから学校に通う事になるのにノーブラはキケンだし、苦しくてもガマンとしか言えない。
 俺は肩に伸ばしかけた手を止めて、頭の上にポンっと軽く乗せた。
 「今日は買いモノのついでに、何か稔の好きなモノ買ってあげるから…」
 そう言うと時任がうらめしそうじゃなく、うれしそうなカオして瞳をキラキラさせながら俺を見上げる。そして、こんな時じゃなくても、いつでも買えるようなモノを言った。
 「じゃあっ、イタリアンチキンサンドっ!」
 「マック?」
 「期間限定のヤツっ」
 「でも、ホントにソレでいいの?」

 「ソレでじゃなくてっ、ソレがいいのっ!」

 稔はそう言うと、頭に乗せた俺の手を置き去りにして走って玄関に向かう。何もしないって約束したせいか頭くらいは触らせてくれるみたいだけど、まだ少し俺の事を警戒してるみたいだった。
 でも、そのおかげで俺は時任との約束を守っていられるのかもしれない。玄関に走っていく稔の後ろ姿は、いつもよりも華奢に見えて…、
 昨日の夜の出来事が…、背中にカンジたぬくもりが蘇る…。
 けど、いつまでも来ない俺を呼ぶ時任の笑顔を見ていると、まだ何もしてないのに少しだけ罪悪感に似た苦さが胸の奥に広がっていくのをカンジた。

 「早く行こうぜっ、久保ちゃんっ」
 「はいはい」

 買いモノの目的はキムチチャーハンの材料とマックのイタリアンチキンサンドを買うコト。でも俺らは散歩するみたいにブラブラと歩きながら、色々と寄り道をした。
 ・・・・いつもよりも開いた距離をカンジながら。
 こうして二人で歩いていても話しても稔は俺の知ってる時任で…、それは初めから変わらないのに距離は開いた距離は縮まらない。そして稔は時々、何か物想いに沈み込むようにうつむいているコトがあった。
 その時にカンジるのは警戒とは違う何か…。
 けれど、それが何なのか俺にはわからない。
 だから開いた距離を縮めないまま、俺は時任の隣を歩く。
 すると、そんな俺らの横を見たコトのある人物が二人通り過ぎた。
 「あれ…? あの二人って俺らと同じクラスのヤツじゃねぇ?」
 「みたいね」
 「アイツらって付き合ってたりすんのかな?」
 「腕組んで歩いてるし、そんなカンジだけど気になる?」
 「べっつにっ」
 「もしかして、好みのタイプとか?」
 「違うっ、そーじゃなくてっ!」
 「うん?」
 「アイツらってオトコ同士で、結構目立ちまくってるじゃん? けど、どっちかがオンナだったら目立たねぇしフツーなんだよな」
 「そーねぇ」
 「ソレって当たり前で俺もそう思ってるけど、今はなんか不思議なカンジがする…」
 「・・・・・・」
 
 「こーいうのもオンナになっちまったから…、なのかな…」

 稔の最後の呟きに似た言葉は、街の雑踏に掻き消されて良く聞こえない。
 そして、そう呟いた時の稔の表情も俯いていてあまり見えなかった。
 オトコからオンナになって変化したのはカラダだけなのか、そうじゃないのかは俺にも…、たぶん稔自身にもわからないのかもしれない。けれど、今も変わらず稔と時任は同一人物だと認めながらも、稔の中にいつもの時任とは違う何をカンジ始めていた。

 「何が…、違うんだろうね?」
 
 時任が呟いた言葉に俺が何も答えなかったように、俺の呟いた言葉に時任は何も答えない。それはもしかしたら…、二人とも答えを知らないようで本当は知っているからなのかもしれなかった…。
 それから二人でスーパーでキムチチャーハンの材料を買って、今度はチキンサンドを買うためにマックに向かう。けど、時間帯が悪かったみたいでレジの前にやたらと長い列ができていた。
 うーん…、中で番号札を持って待ってるヒトも結構いそうだし、この列の長さだと20分くらい、かな?
 長い列を見ながらそう思った瞬間に、時任が俺に向かって手を振る。そして思わず目を細めたくなるほど、さわやかな笑顔でいってらっしゃいを言った。
 「がんばれよっ、久保ちゃんっ」
 「…って、行くの俺?」
 「だってっ、なんでも好きなの買ってくれるっつったじゃんっ!」
 「ソレってレジに並ぶの込み?」
 「そんなの当ったり前だろっ。今日の俺様の幸せは久保ちゃんにかかってんだっ!!」
 「ずいぶんと安い幸せだぁねぇ」
 「お買い得だろ?」
 
 ・・・・・確かに。

 ニッと時任らしい表情で笑いながら言った稔のセリフに、俺は心の中でうなづく。
 マックに並ぶだけで稔の幸せが買えるなら、二時間でも二日でも並ぶしかない。
 そう思って納得した俺はキムチチャーハンの材料を入れた白いビニール袋を片手に、外で待つと言った時任を残してマックに突入した。

 「チキンサンドは俺の分と、あと時任の分もなっ!」

 後ろから追いかけてきた稔の声に、軽く手を上げて返事をする。初めからそのつもりだったけど、改めて稔にそう言われて脳裏に学校に一人で残った時任のコトが浮かんだ。
 今日の執行部の見回りは非番…。
 とは言っても、用事があるからって松原と室田に代わってもらっただけ。それを聞いた時任は何か言いたそうなカオしていたけど、俺はあえて何も聞かずに横を通り過ぎて…、
 しかも階段について…、少し気になるウワサを掴んだのに話さなかった。

 時任にも稔にも…。

 ウワサを知ったからって、二人が元に戻れるって事じゃない。
 それにウワサはあくまでウワサで確かじゃない。
 でも、だからって話さなかったんじゃない事は自分でわかっていた。

 「270円の幸せ…、か…」

 マックのカウンターの上に貼ってあるイタリアンチキンサンドの値段を見ながら、そう呟いて順番が来るのを待つ。そして予想よりも早く15分後にレジまでたどりつけたけど、俺が270円の幸せを稔と時任…、二人分買って店の外に出ると…、
 
 ココで待ってたはずの稔の姿が消えていた…。
 

 

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