ダブルキャスト.18



 
 時任を追いかけて飛び込んだ歪み。
 その歪みはまるで空間じゃなく、俺と時任との間に出来た歪みのようで…、
 消えていく時任に向かって手を伸ばしながら、俺は稔の声を聞いていた。
 どちらかなんて選べないし、選べるばすもない…。
 それは初めからカンジてたように、どちらも時任稔だから…。
 たがら、そもそもどちらかを選ぶという発想すらおかしい。でも俺は二人を同じだと思いながらも認めながらも、いつの間にか稔の方へと手を伸ばしていたのかもしれなかった。
 けれど、それは時任よりも稔の方が好きだったからじゃない。
 ただ…、ただずっと…、
 ずっと、あの部屋にいてくれる…、
 俺の腕の中にいてくれる方の手を、取ろうとしていただけだった。
 でも…、時任を追いかけて飛び込んだ歪みの先にあったのは…、
 そこで俺を待っていたのは時任でも稔でもなく、ただの暗闇だった。

 何もない…、誰もいない場所だった。

 その暗闇に手を伸ばして、何かを確かめるように触れてみる。
 すると、さっきまで何かを考えていたはずなのに、その何かがわからなくなった。
 あれ…、俺って何考えてたんだったけ?
 そう呟いたはずだけど、その声も自分の耳にすら届かない。
 だから、ふと気になって暗闇に伸ばした手を目の前に近づけてみる。
 すると、さっきまで見えていたような気がしたのに、今は自分の指先すら見えなかった。
 これはたぶん…、ただの暗闇じゃない。自分の指先すら見えないというコトは、ここにはわずかな光さえ届いていない無い証拠だった。
 まるで、深海のように光がまったく届かない場所。
 普通に呼吸はできてるから空気はあるみたいだけど、音も声も伝わらない。そんな場所を一人で歩いてると、足元に地面というモノがあるかどうかすらわからなかった。
 さっきまで考えていたコト、想っていたコト…、
 ココに来たワケ…、探していたモノ…。
 暗闇の中を一人きりで歩いてると、何もかもが暗闇に吸い込まれるように消えていくような気がして俺は立ち止まった。

 ・・・・・・・・そういえば俺の名前は?

 そう呟いたつもりだったけど、やっぱり何も聞こえない。そして、いくら思い出そうとしても、いつの間にか自分の名前も何もかも思い出せなくなっていた…。
 ただ、目の前にあるのは暗闇だけで他には何もない。
 自分の指先すら見えなくて、自分の存在すら不確かになっていく。
 けれど、この暗闇を怖いとは思わなかった。
 確かに暗闇はすべてを消してしまうかもしれないけど、俺はなぜかこの何もない暗闇を知っている気がする。いや…、もしかしたら本当はもうずっとこの中に…、この暗闇の中に最初からいたような気さえしていた。
 何も聞こえないし何も見えないけど、寂しくも苦しくもないし何もカンジない。
 だからココには見上げる空すらないけれど、それで良かった。
 たとえ、このまま何もかも消えてしまったとしても…、それでいい…。

 ・・・・・ああ、でもちょっとセッタは欲しかったかな。

 そう思いながら、見えない指先をポケットに入れてみる。
 すると、セッタはないのにライターだけ入ってて、ちょっと笑った。
 しかも手に持って火をつけたみたけど、やっぱりつかなくて…、
 俺はなんとなく、他に何か入ってないかとポケットの中を探ってみた。
 中に入っていたのはライターと…、サイフとケータイ…。
 だから、暗くても見えそうなケータイをポケットから出してみると、ライターは使えなかったけど、ケータイは運良く電源も生きてて使える状態だった。だから、俺は中に入ってるメモリーの電話番号に適当に電話するつもりで、二つ折りになっているケータイを開く。
 すると、その瞬間にケータイの着信音が勢い良く鳴り始めた。


 ピルルルル・・・・・、ピルルルルル・・・・・・


 俺のいるこの世界を照らす、小さなケータイの光。
 そして、そこから鳴り響く音…。
 何も無い世界に残された…、唯一のモノ…。
 俺はケータイのディスプレイに何も表示されていないのを確認すると、ゆっくりと親指を伸ばして通話ボタンを押す。それから、ケータイを耳に当てた。

 『・・・・・・、・・・・・・ちゃん…』

 ケータイの着信音を聞くまで、何も聞こえなかった耳に声が聞こえてくる。
 けれど、その声は小さくて良く聞こえない。でも、俺の声はやっぱり口を開いても出なくて、それを相手に伝えるコトはできなかった。
 だから、ケータイを強く耳を押し当てて、耳をすませて小さな声を聞く。
 じっと耳をすませて…、じっと聞いて…、
 そして…、俺はケータイの光だけが灯る世界でわずかに目を見開いた。

 『・・・・・ちゃん・・・、くぼ・・・ちゃん・・・・』

 ケータイから聞こえてきた声は、小さくて聞こえづらくて…、
 けれど、ケータイを握る俺の手を、何も無い暗闇の世界を震わせる。どこか聞き覚えのある声を聞きながら、俺は知らない誰かの名前を無意識に口ずさんでいた。
 ケータイから聞こえてくる声は、誰かを呼んでいて…、
 それがたぶん忘れていた俺の名前だと…、電話の相手が俺の名前を呼んでくれてるとカンジた瞬間、握りしめていたケータイのディスプレイに上からぽつりと雨が落ちる。暗闇の中に一粒だけ降った雨は、もしかしたら俺の中にも降っていたのかもしれない…。
 一粒だけ降った雨に濡らされた俺の心の中には、ケータイから聞こえる声だけが響いていた。

 『くぼちゃん・・・・・・・・』

 この声に答えたい。
 けれど、答えられない…。
 この暗闇に何もかも吸い込まれて、何もかも忘れてしまった。
 でも、何かを言いたくて…、ただ一言でもいいから何かを伝えたくて俺は口を開きかける。なのに、無情にもケータイのディスプレイに電池切れが点滅して、明かりも声も俺の世界から消えて…、再び世界は暗闇に包まれた。

 ・・・・・・・・・・何も無い世界に。

 俺の手から暗闇に吸い込まれるように何も聞こえなくなったケータイがすべり落ちて、その音すらもう俺の耳には届かない。
 さっきまでは、あの声を聞くまでは何も無くてもどうでも良かったのに…、
 ずっと、この暗闇の中にいても平気だったのに…、
 今は暗闇が冷たくて、あの声が自分の名前を呼んでくれないコトが哀しい。
 この世界に一人きりしかいないコトが、哀しくて寂しくてたまらなかった…。

 もう一度…、あの声に俺の名前を呼んで欲しかった…。
 
 ケータイは電池切れで使いモノにならなくて…、
 けれど、俺はしゃがみ込んで暗闇の中を這いずるようにして落ちたケータイを探し始める。足元から次第にもっと遠くまで…、何も無い空間に手を伸ばして…。
 まるで泥沼の中を這いずり回るようにケータイを探す姿はきっと…、みっともなくてカッコ悪いけど、誰かが見ていても見ていなくても、それを気にしてる余裕は今の俺にはない。あのケータイだけが…、あのケータイから聞こえてくる声だけが…、
 唯一、俺の世界に響く音で…、ずっと聞いていたい声だった…。
 名前も顔も思い出せないのに、あの声が聞きたくて恋しくてたまらない。
 どうしてこんな風に恋しく想うのか、それすらもわからずに…、
 俺は暗闇で手を伸ばし…、探していた…。
 
 ケータイじゃなく…、俺を呼ぶヒトを…。

 すると、やがて這いずり回った暗闇の中で、何も無いはずの世界の中で俺の手が何かに触れる。そして、それは固くも冷たくもなく…、小さくもなかった。
 俺の手に触れているモノは、柔らかくて暖かい…。
 柔らかくて暖かくて…、気づくと俺はソレを抱き上げて抱きしめていた。
 抱きしめて…、時任の髪に頬を寄せていた…。
 
 「・・・・・・・・ときとう」

 やっと俺の口から出た声が切なく苦しく…、この何も無い暗闇の世界に響く…。
 すると、忘れていた何もかもがまるで走馬灯のように脳裏に蘇ってきて、俺は自分がなぜココにいるのかを思い出した。
 学校の階段で時任が歪んだ空間に飲み込まれて…、俺はそれを追いかけて…、
 この何も無い暗闇の世界に…。
 けど、時任を抱きしめながら見た世界は、暗闇に包まれてはいなかった。
 気づくと暗闇はどこかへと消え去り、代わりに俺の目の前に燃えるような赤い夕日がある。今まで暗闇に包まれていたなんて思えないくらいの鮮やかな夕焼けは、俺と時任のいる場所…、マンションの401号室を赤く赤く照らし出していた。
 けど、この部屋にはあるはずの家具も電化製品も何も無い。
 俺達以外は誰もいないし、何も無かった…。
 でも、今度はそれでも冷たくも哀しくもない…。
 この腕の中の暖かさが…、時任のぬくもりがあるなら…、
 それで良かった…、もう探すモノは何もなかった…。

 「・・・・・キレイな夕焼けだぁね」

 目を細めて夕日を見つめながらそう言ったけど、時任からの返事は無い。脈もあるし息もしてるしケガをしてる様子もないけど、呼びかけても時任は意識を失ったままで目を覚まさなかった。
 でも、時任がココでずっと呼んでくれてたから、ココから俺に向かって手を伸ばしてくれてたから、ココにたどり着けたような気がして…、
 時任の手を握りしめようとすると、その手がぎゅっと何かを握りしてるのに気づく。
 良く見てみるとそれはセッタと部屋のカギで…、
 その二つをぎゅっと握りしめ過ぎて白くなった手を、頬についた涙の跡を見つめているとズキズキと胸が痛かった。

 「もう大丈夫だから…、ずっと一緒にいるから…。だから、手を離して…」

 そう優しく耳元に囁くと、安心したのかゆっくりと時任の手から力が抜ける。だから、俺は時任の手からセッタを取ると、握りしめすぎてつぶれて曲がったそれをくわえて持ってたライターで火をつけた。
 そして肺に有害な煙を吸い込んで…、ココがどこなのかを考え始める。
 けど、考えるまでもなく見た目は俺らが住んでるマンションの401号室でも、そうじゃないコトだけはわかっていた。
 空間が歪んだ瞬間、そこに居たのは時任と稔…、
 そして、見覚えのないウチの高校の制服を着た男子生徒…。
 足はあったみたいだけど、たぶんニンゲンじゃない。
 稔の背後に急に現れたし、しかも現れるまで気配をまったくカンジなかった。
 あれがたぶん…、俺が時任と稔に言わなかったウワサの正体…。
 時任と稔のコトで何か情報を掴むために新聞部に言った時、俺が聞いた落ちた階段に関する情報は…、このウワサだけだった。

 『学校の13階段に幽霊が出る』
 
 校内には幽霊が出るとかお化けが出るとか、そういった類のウワサが耐えない。
 だから、そのウワサの信憑性がかなり低いコトも知っている。
 それに、校内には俺の知る限りでは13階段は無い。けれど、ウワサを聞いてから二人の落ちた階段をあらためて見てみると、確かに少し違和感のようなモノを感じた。
 その違和感が、時任を二人にしてしまった原因なのか…、
 それとも、もっと他に原因があったのか…、
 それがわからなくても、少しでも可能性があるなら時任と稔に話すべきだったのかもしれない。けど、俺は結局何も話さないままで、時任と一緒に歪んだ空間に飲み込まれた。
 
 「もしかして、ココがあの世ってトコだったりして…、ね」

 似ているけれど、似ていない違う世界…。
 それはまるで…、沈んでいく夕日が赤を残していくように、
 消えかけた俺という存在が残していく残照のようで…、
 そう考えるなら、さっきの何も無い世界もやっぱり俺の世界だったんだろうと思う。
 時任の居ない世界…、そして時任のいる世界…。
 その二つの世界が俺の中にあって、今は時任の居る世界にいる。
 そして俺の腕の中には時任がいて…、そのぬくもりをカンジていた。
 暖かい穏やかで…、優しい…。
 けれど、優しすぎて切なくて胸が痛い…、そんなぬくもりを…。
 まるで俺の胸の中にある想いのように赤い…、焼け付くような夕日の中で…、
 俺は抱きしめた時任の髪に軽く唇を落とす…。
 そして…、ゴメンねと囁いた。
 俺は時任にオンナノコになった欲しかったワケじゃない…。
 けれど、このままでいたいと想いながらも願いながらも…、
 こんな風に抱きしめたかったから…、キスしたかったから…、
 誰にも渡したくないくらい好きだったから、オンナノコの稔を消したくなかった。
 オンナノコだったら…、ずっと一緒にいてくれる気がして…、
 俺は聞いたウワサも話さなかったし、原因を真剣に探していなかった。
 でもホントはオンナノコだからとか…、オトコノコだからとかじゃなくて…、
 たぶん好きだと告白して時任の口から否定の言葉が…、そして今のままで…、相方の関係ですら居られなくなるのが怖かっただけ…。相方以上の関係を望みながら、目の前にあるカラダに欲情しながら…、同居人だと相方だと否定して想いと一緒に押し殺して俺はいつの間にか時任から逃げていたのかもしれない。
 逃げてるのは二人になってしまった時任じゃなくて…、俺の方だった。

 「好きだよ、時任。 ずっと前から…、今もこれからも…」

 そう言って、時任を抱きしめながら見た夕日は世界は…、
 とてもキレイで…、そして時任ごとすべてを抱きしめたくなるほど愛おしかった…。
 この世とあの世の狭間…、そんな場所で俺と時任は夕日と一緒に暮れて…、
 たぶん、今度こそ本当に暗闇の中に消える…。
 きっと時任は怒るかもしれないけど、こんな風に消えていけるのなら…、
 これが終わりの世界なら…、俺はもう何もいらない。
 でも、そう想った瞬間に稔の泣き出しそうな…、哀しそうな顔が脳裏に浮かんで俺はくわえたセッタの端を噛みしめる。けれど、終わりの時が近づいているのか、俺という存在が消えようとしているのか急に意識が遠くなって、俺は終っていく世界の中で目を閉じた…。
 この世界を抱きしめるように、時任を抱きしめながら…、


 今まで告げられなかった言葉を…、想いを胸に抱いて…。




 
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