ダブルキャスト.17



 

 『・・・ちゃん…っ、・・・・とうっ!!!』


 誰かが遠くで叫んでるような気がしたけど、良く聞こえない。でも、薄らいでいた意識がハッキリすると、その声もまったく聞こえなくなった。
 目を開いた瞬間に見えた空の夕日がとても綺麗で、俺は目を細める。
 さっきまで夜だった気がしたけど、目の前にあるのは夕焼け空…。
 そして、俺はその夕焼け空を眺めながら公園のブランコに座っていた。
 なんでこんな所にいるのかわかんねぇし、いつからいたのかも思い出せない。
 ココがどこなのかもわからない…。
 ・・・・・何も思い出せない。
 けれど、そんな疑問も何かの名残りを残しているかのように痛む胸も、何もかもが目の前にある赤い夕日に吸い込まれていくようで…、
 俺は軽く地を蹴ってブランコをこぎながら、何もかも吸い込んでしまいそうな赤く染まった空をただひたすら眺めた。
 そして、ただひたすら赤い空を…、どこまでも空を眺めて…、
 胸の痛みと一緒に…、遠く遠くなってしまった何かを想う…。
 すると、目の前が少しだけぼやけてるのに気づいて、ブランコに揺られながら片手で目をこする。そしたら、なぜか目だけじゃなくて頬まで濡れていた…。

 「これって涙…? でも、なんで泣いてんだ、俺?」

 自分の指を濡らしたモノは、自分の目から零れ落ちた涙。
 でも、俺は自分がなぜ泣いてるのかわからない。
 いくら考えても、やっぱり何も思い出せない…。
 けど、それなのに涙だけは止まってくれなくて俺は歯を食いしばった。
 歯を食いしばって涙を止めようとしたのに、止まらなくてまた泣いて…、
 哀しそうに苦しそうに泣く自分の声を聞きながら、思わず伸ばした手が何もない空間を掴む。少し前まで何かがあったような気がするのに、そこには何もなかったから俺の手は何も掴むコトができなかった…。
 こんなに夕日が綺麗なのに、こんなに穏やかな夕暮れなのに、夕日も公園も何もかもが涙で滲んで見えなくて…、
 まるで、この公園にこの世界に俺だけしかいないみたいな静けさに、耐え切れなくなった俺はブランコから立ち上がると走り出す。けれど、どこへ行けばいいのか帰ればいいのかわからなかった…。
 
 「そういえば…、俺の名前って…」
 
 公園を出た辺りでそう呟いて、一番重要な事に気づいた俺は立ち止まる。
 そして、そう呟いた瞬間になぜか…、この世界に俺だけしかいないコトを知ったというよりも感じたのかもしれない。目の前の道路には車が一台も通らないし、誰も通らないし…、風に木が揺れてる音しかしなかった…。
 この世界に、この夕暮れの世界に響くのは俺の足音だけ…。
 俺はなぜか…、一人きりの世界に立っていた。
 
 「誰か…っ、誰かいたら返事しろよっ!!!」

 そう叫んだけど、やっぱり返事が無い。
 辺りを見回してみたけど、人間以外の猫や犬や他の動物の姿も見えない。
 ただ時々吹いていく風だけが、街路樹を揺らして音を立てて…、
 叫んだ俺の声を打ち消していく…。
 夕暮れの中に溶けていくように、何もかもが消えていく。
 でも、まるで消えたくないって叫ぶように、まだ痛み続けてる胸が俺を再び走らせる。だから、俺は走りながら他の誰かを、知っているモノを知っている場所を探し始めた。
 まるで何もかもが終っていくような…、そんな夕日の中で…。
 自分が誰なのかも何を探しているのかもわからずに知らずに、叫びながら走って…、走りながら叫んで痛む胸を押さえる。すると、何かを覚えてる唇が言葉を刻もうとしたけど、俺が何も覚えてないから何も知らないから声にはならなかった。
 声にならなくて…、哀しかった…。
 たぶん誰かの名前を叫びたかった…、そんな気がするのに…、
 誰の名前も呼べなくて…、
 誰かに会いたいはずなのに、会えなくて哀しかった…。

 「なんで…、俺は一人なんだよ…。なんで…、何もかも忘れてて覚えてねぇのに…、こんなに会いたいんだよ…っ」

 名前も知らない誰かに会いたかった…。
 会って…、何かを言いたかった…。
 このまま夕日の中に消えていったら、きっと胸の痛みも消えて楽になるのに…、
 俺はその痛みを抱きしめながら、夕暮れ色に染まった世界を走る。
 誰かに会うために…、そのためだけに走り続けて…、
 そうして走って走って走り続けた先に、ようやく見たトコがあるような場所を見つけて立ち止まった。

 「これって…、ココって見たことあるよな? 玄関とかなんか見覚えあるし、誰もいねぇみたいだけど前の店も…、なんか知ってる気ぃする…」
 
 俺が立ち止まった場所はすぐ前に店が…、コンビニがあるマンション。
 どこをどう走ってたどりついたのかは覚えてねぇけど、このマンションを見た瞬間に心臓の鼓動がドクンと音を立てた…。
 もしかしたら、このマンションなら誰かいるかもしれない…。
 ココに俺が知ってる誰かがいて、俺を知ってる誰かがいて…、
 俺が来るのを待っててくれるかもしれない…、そんな気がして急いでマンションの玄関に入ってエレベータに乗って迷わずに4階のボタンを押す。それは記憶がなくてもカラダが覚えてる…、そんなカンジだった。

 「頼むから…、ココに居てくれ…」

 そう呟きながら上の階へと登っていくエレベータのランプを見つめて、焦る気持ちをぐっと耐える。そしてやっとエレベータが4階に止まると、扉が完全に開くのも待たずに廊下へと飛び出した。
 飛び出して部屋の番号も確認せずに、足の向くままに4階にある一つのドアの前に立つ。それから、ドアの横に付いてるチャイムを鳴らした。
 何度も何度も…、中にいるはずの誰かを呼んだ…。
 けど、ココにいるはずなのに誰も出てこなくて、暮れていく空のように途方に暮れた俺はドアの前に座り込む。すると、座った拍子にジーパンのポケットに何か硬いモノが入ってるのをカンジで、中に手を突っ込んで出してみるとそれは一本のカギだった。
 しかも、どこにでもあるような平凡なカギ…。けど、それは俺にとって、この部屋のドアを開けられるかもしれない大切なカギだった。
 俺はカギをぎゅっと握りしめると、そっとドアの鍵穴に差し込んで回してみる。
 すると、やっぱり思ってた通りカチリと音がしてドアが開いた…。
 その音を聞いた俺はほっと息を吐いて、期待に胸を膨らませてドアを開く。
 そして、靴を脱いで中に入るとバスルームやトイレや寝室に誰もいないのを確認して、最後に残った奥の部屋に向かった。

 「きっと、もう大丈夫だよな…」

 さっきまで涙でかすんでいた視界も、今はハッキリと見える。
 まだ胸は痛いけど、きっともう涙は出ない…。
 これできっと…、会いたかった誰かにも会えるし、
 もう一人きりじゃないから大丈夫…。
 そう想ったけど、そう信じてたけど…、俺が奥の部屋のドアを開けると…、
 そこは外と同じように窓からの夕日に赤く染まってるだけで…、何もなかった…。
 誰もいなかった…。
 誰も俺を待ってなんてなかった…。
 
 「なんだよ…、せっかく見つけたのに誰もいねぇじゃんか…」
 
 誰もいない何もない部屋に向かってそう言って…、小さく笑う…。
 そうだ…、きっと始めから誰も待ってなんかなかったんだ。
 最初から一人きりだったから、俺は一人で消えてくしかないのかもしれない。
 もう他に行く場所も行きたい場所もない…。
 それならせめて、この部屋で夕日に染まりながら消えていきたかった。
 俺に唯一残された…、カギを握りしめながら…。
 名前も知らない誰かを想いながら…。
 けれど、俺が夕日に染まった部屋に足を踏み入れると、部屋の真ん中に何かが置かれているのを見つけた。

 「・・・・・セブンスター」

 何もない部屋に残された…、俺の吸わないタバコ…。
 それは誰かがこの部屋にいた痕跡だった。
 俺がこの世界で一人きりじゃなかった証拠だった…。
 ゆっくりと手を伸ばしてタバコに触れると、夕日に当たっていたせいか少し暖かくて手のひらに載せると…、止まったはずの涙がタバコの上に落ちる…。
 すると、その瞬間に久保ちゃんと稔のコトや、歪んだ空間に飲み込まれたコトや…、
 忘れていた思い出せなかったたくさんのコトが俺の中に蘇ってきて…、それと一緒にあふれ出してきた涙がタバコの上にたくさん落ちた。

 「なんで俺…、忘れてたんだろ…。どんなに胸が痛くても、絶対に忘れたくねぇのに…、忘れるはずなんかねぇのに…」

 手に持ったタバコを…、セッタを握りしめると…、
 階段から落ちた時のコトも、その時に聞いた久保ちゃんのセリフも…、
 その時に何を想って、何を叫んだのかもハッキリと思い出す…。
 俺は稔で…、稔は俺だった…。
 けど、俺は今のままでいたくて、このままでずっといたくて…、
 久保ちゃんに否定されるのが怖くて、俺は好きだって気持ちを…、稔を捨てた…。
 捨てて…、何もかもなかった事にしようとした…。
 だからきっと…、ホントはココに来てたのは俺じゃなくて稔だったのかもしれない。
 あの瞬間に空間が歪んでたのか、それはわからないけど…、
 たぶん…、こんな風に消えていくのは稔のはずだった。
 でも、今ココで消えていこうとしてるのは稔じゃなくて俺…。
 けど、これで良かったのかもしれない。
 俺が消えちまっても、久保ちゃんの傍には稔がいる。
 稔ならきっと…、久保ちゃんの傍にずっと一緒にいられる。
 
 ずっと…、ずっと…。

 俺はココで消えちまうけど、どちらかがホンモノでニセモノとかじゃなくて、
 やっぱり俺は稔で…、稔は俺だったから…、
 その想いはちゃんと久保ちゃんの傍にあるから、それでいい…。
 俺が言いたかったコトも、きっと稔が伝えてくれる…。
 けれど、そう想ってるはずなのにセッタの…、久保ちゃんの匂いが俺を包み込むようにいつの間にか部屋にいっぱいになってて、俺はこのまま消えていいって想ってるはずなのに、これでいいって想ってるはずなのに…、
 気づくと涙に濡れたセッタを握りしめながら…、久保ちゃんを呼んでいた。

 「くぼちゃん・・・・、くぼ・・ちゃん・・・・・」

 もう会えないと想うと、どうしても会いたくて…、
 久保ちゃんに会えないままで、何も伝えないままで一人で消えて逝きたくなくて…、
 今まで言えなかった想いを叫びたくて…、胸が痛くて…、
 苦しくて哀しくて…、涙が止まらなくて…、
 消せない消したくない思い出の詰まった二人で暮らした部屋で、ベランダに続く窓から見える夕日に向かって手を伸ばす。まだ、このままじゃ消えられないから、夕日に沈まないで待っていて欲しくて…、止まらない時間を止めるように久保ちゃんを呼んで…、
 けれど、残酷に夕日はあっという間に沈んでいって辺りが暗闇に包まれる。
 そうして暗闇に包まれかけた世界で…、俺が呟いた言葉は…、
 最初に俺が望んだ通りに久保ちゃんにも…、誰にも届かなかった…。


 「俺は誰よりも…、久保ちゃんの事が・・・・・・・・・・」


 手に握りしめた401号室のカギとセブンスター…。
 それは…、まるでこの部屋で過ごした日々のように暖かくて…、何よりも大切で…、
 そんな日々はつい三日前まで続いてたのに、なぜかぎゅっと強く抱きしめたくなるほど懐かしかった…。


 

                 戻   る            次   へ