ダブルキャスト.14



 
 ・・・・・・・目の前にあるのは現実だ。

 けれど、朝に目が覚めて二人になってた時より、今の方が信じられない。
 現実だとわかっていても信じたくない。
 こんなのは見たくない…。
 なのに、時間が止まってしまったみたいに動けなくて…、
 結局、俺は少し開いたドアの部屋の中にいた稔と目が合うまで、その場でじっと現実を見つめながら立ち尽くしていた。立ち尽くして…、それから何も言わずに追いかけてくる稔の声を振り切るように玄関に向かって走り出す…。
 今日は見回り当番が、また松原と室田が行くつったから早く帰って来たけど…、
 早く帰って来なきゃよかった…。
 でも、そう想っても何も知らないままなのは…、もっとイヤなのに…、

 俺は走り出さずにはいられなかった。

 玄関を出てエレベーターを使わずに、非常階段を駆け下りる。
 そして、一階まで降りるとマンションの玄関を出て…、
 やみくもに走り出そうとしたけど、目の前のコンビニの明かりを見て足を止めた…。
 今はまだ夕方だけど、すぐにコンビニの明かりが明るく感じられるくらい暗くなる。
 ホントなら今頃は、久保ちゃんと今日の晩メシの話をしてる頃だった。

 「今日はたぶん…、カレーかな…」

 なんとなく、そう呟いて軽く息を吐くと少しだけ気分が落ち着いてくる。
 心臓の音はまだうるさく鳴ってるけど、うずくまるほどじゃない…。
 まだ…、ヘーキだ…。
 俺は心の中でそう呟いてズボンのポケットからケータイを取り出すと、マンションの部屋以外に登録されてる唯一の番号に電話をする。すると、耳にいつもよりも少し低い…、けれど聞きなれた声が聞こえてきた。
 『時任…、今どこにいる?』
 ケータイの向こうから、久保ちゃんが俺を呼ぶ…。
 さっきまで…、稔とキスしてた唇で…。
 そう想うと胸がズキズキとしてきて苦しくて、すぐに返事ができなかった。
 けど、話すためにケータイかけたのに、何も話さなかったらかけた意味がない。
 だから、俺は今度は逆にすぅっと息を吸い込んでから口を開いた。
 「そういう久保ちゃんが、今、どこにいるか当ててやろうか?」
 『・・・・・・・どこにいると思う?』
 「401号室の玄関…、当たってるだろ?」
 『・・・・・・』

 「やっぱ…、そうなんだな」

 それは問いかけじゃなく…、確認だった。
 今、稔は熱があってフツーの状態じゃない…。
 だから、そんな稔を置いて久保ちゃんが部屋を出られるはずがなかった。
 けど…、玄関にいるってコトは追いかけようとしてくれてたってコトで…、
 それだけで十分だったから、それだけで十分だって想ったから…、俺は久保ちゃんに稔のいる部屋に戻るように言った。
 「稔は熱があんだから、久保ちゃんがついててやれよ。俺は部屋に戻ったとしても、今日はついててやれそうにねぇからさ…」
 『時任…』
 「今は何も聞きたくない…」
 『・・・・・・・』
 「でも今日は何も聞かないしウチにも戻らねぇけど、明日にはちゃんと戻る。だから、心配すんなって…、稔にも伝えといてくんねぇ?」
 『・・・・・・わかった』
 「じゃ、頼んだからな」
 そう言ってケータイを切ると、今度は走らずにゆっくりと歩き出す。
 すると切ったばかりのケータイが鳴って、とっさに画面を確認せずに出ると久保ちゃんの声が聞こえて…、少し驚いた。
 「な、何かあったのか?」
 『いんや、別に何もないけど、一つだけお前に言い忘れたコトがあったから』
 「言い忘れたこと?」
 『待ってるから…』

 「…うん」

 久保ちゃんは俺に帰って来いとは言わなかったしあやまったりはしなかった。
 でも、だから俺は叫ばずに唇を噛みしめずにいられる。
 もしもゴメンなんて言われたら、何も聞かないだけじゃなく何も言えなくなるから、
 ゴメンなんて言ったら俺だけじゃなく…、稔まで…、
 それがわかってるから久保ちゃんは、ゴメンって言わなかったんだと思う。帰って来いって言われたら逆に帰れなくなりそうだから…、そう言わなかったんだと思う…。
 俺は久保ちゃんのコトを稔のコトを考えながら、マンションを背に歩きながら長く伸びた自分の影を踏んだ。

 「今までと同じで…、それでいいのに…」

 俺が影を踏んで呟いたセリフは、昨日の夜の久保ちゃんのセリフで…、
 その事に気づいた瞬間に何かがわかりかけたような気がしたけど、それが言葉になって口から出る前に誰かが俺を呼ぶ。でも、俺は無視してムッとした顔で歩き続けた。
 「貴方はさっきマンションに帰ったはずですが、何かありましたか?」
 「・・・・・・・」
 「帰ってからすぐに外に出てきて、しかも一人で…」
 「そういうアンタこそ、なんでこんなトコにいるんだよっ。それに俺がウチに帰ろうと帰るまいと、一人だろうと二人だろうとアンタには関係ねぇだろっ」
 「一人だろうと二人だろうと…、ですか? 確か双子の妹さんと一緒に暮らすことになったと聞きましたが、貴方が一人で歩いている原因はどうやら…、その事と関係がありそうですね」
 「・・・・・関係ねぇよ」
 「本当にそうでしょうか?」

 「関係ねぇっつったらっ、関係ねぇんだよっ!!」

 今は一人でいたかったのに、そんな俺の目の前に現れたのは橘で…、
 けど、なんで橘がこんな所にいるのかがわからない。しかも俺がマンションに入って出てくるのを見てたってコトは、後をつけてたとしか考えられなかった。
 俺が歩き続けながら警戒するように睨みつけると、橘が不気味に微笑む。
 そして、ポケットから出したケータイで誰かに電話し始めた。
 「もしもし、僕です。久保田君の依頼の件で、少し予定外の事が発生したので電話したのですが…」
 久保ちゃんの…、依頼?
 「貴方からの指示はマンションまででしたが、今日は帰らない様子なので…。えぇ、そうです」
 マンションまで…って、俺のコトか…。
 「わかりました…、貴方がそうおっしゃるのなら」
 やっぱ、相手は松本なのか?

 「では明日、また学校で…」

 ケータイの向こう側にいる誰か…、たぶん松本と話してる橘の声を聞きながら、橘がココにいる理由を考える。それは会話の中に久保ちゃんの名前が出てきたからだけど、ケータイの通話を切った橘が俺の方を見た瞬間に考えるのをやめたくなった。
 くそぉ…、俺が聞いてるの前提で、絶対わざと保ちゃんの名前出しやがったなっ。
 相変わらずイヤなヤツ…っ。
 誰がてめぇなんかの思い通りになってやるかっ、ぜったいにてめぇには聞かねぇっ!
 とか思ったけど、やっぱ松本や橘と久保ちゃんの間で何があったのか気になって仕方が無かった。
 「やっぱり久保田君の事が、気になりますか?」
 「うっせぇ…、黙れ」
 「相変わらず素直じゃありませんね」
 「アンタは相変わらずイヤなヤツだな」
 「ふふふ…、そうおっしゃって頂けて光栄ですよ」
 「てめぇはマゾかっっ」
 そんなカンジしたくもない会話をしながら、目的も行くあてもなくただ歩く。今日はマンションに帰らないって決めてても、どこに行くかなんてのは決めてなかった。
 同じ執行部の相浦とか室田とか…、松原とか…、
 名前は浮かぶけど、電話番号も住所も知らない…。
 その事に初めて気づいた俺は、小さく息を吐いて立ち止まる。そして辺りを見回して近くに公園があるのを見つけると再び歩き出して、そこに足を踏み入れた。
 「もしかして、公園で野宿でも?」
 「悪いかよ」
 「もしも、そういうつもりなら僕と一緒に…」
 「イヤだ」
 「せめて、最後まで聞いてから断ってくれませんか?」
 「その必要はねぇよっ、聞いても聞かなくても答えは同じだ」
 「そうですか…、貴方が野宿をするつもりなら自宅まで連れてくるようにと、会長から言われていたのですが残念です」
 「・・・・・・・それは、久保ちゃんに頼まれた事なのか?」
 「いいえ…。確かに久保田君から昨日、不良に殴られた貴方の護衛を頼まれましたが、マンションから飛び出した貴方の保護は頼まれてません」
 「・・・・・・・・」
 「僕の言う事は、やはり信じられませんか?」

 「べつに…、そんなんじゃねぇよ…」

 松本に久保ちゃんが頼んだコトは、俺の護衛…。
 殴られたコトは隠してたつもりだったけど、久保ちゃんは知っていた。
 だから、護衛なんか頼んだ…。
 俺を心配して…、
 けど、それがわかってても俺はさっきは噛みしめなかった唇を噛みしめる。
 強く噛みしめて叫びたい気分になった。
 もしも頬にもくっきり跡が残るくらい殴られちまったとしても、俺は橘なんかに守られたくないし、他の誰にも護衛なんかされたなくない。さっきはちゃんとわかってくれてるって思ったのに…、久保ちゃんは何もわかってない…。
 なんにもわかってない…っ。
 けど、心の中でそう叫びながらも、俺は久保ちゃんが護衛を頼んだ本当の訳に気づいてる。気づきたくないけど、ちゃんと気づいてた…。

 「待っても…、来れないってコトなのか…」

 無意識に呟いた言葉の本当の意味は、きっと久保ちゃんにしかわからない。
 その言葉の意味は、今のままじゃいられないってコト…。
 相方してても、お互いの背中を守り切れない…っていう意味だった。
 それに気づいた瞬間に、胸の奥にぽっかりと大きな穴が開いた気がして…、公園の中にあるまるで今の俺の心みたいにユラユラ揺れてたブランコに座る。すると橘が揺れてる鎖を両手で握りしめながら、俺の顔をのぞき込むようにして前に立った。
 「もしも、今日の護衛を僕がしてると知ったら、久保田君は心配するでしょうね?」
 そう言った橘の顔は、うつむいてる俺には良く見えない。
 けど、声がいつもとは少し違っていた…。
 何かを企んでるような…、イヤな響きの声と言葉…。
 俺はとっさに片手で橘を押しのけようとしたけど、ブランコに座ってるせいでバランスを崩してコケそうになる。橘がすぐ前にいるせいで立ち上がるコトもできなくて、俺はうつむいていた顔をあげて橘を鋭く睨みつけた。
 「・・・・なんの真似だ」
 「なんのって、僕は貴方を助けようとしてるだけですよ」
 「俺を助ける?」
 「こうして貴方と僕が息がかかるほど、唇が触れそうなほど近くにいる…。それを久保田君が知ったら、きっとここまで飛んで来るでしょうね」
 「・・・・・・・っ」

 「他の男に襲われかけている貴方と熱を出した貴方の妹と…、久保田君にとって大切なのはどちらなのか…、知りたいと思いませんか?」

 俺と稔と…、どちらが久保ちゃんにとって大切なのか…、
 そんなコト俺は知りたくない…。
 けど…、俺も稔も同じ時任稔だけど…、
 久保ちゃんの相方で同居人の時任稔のはずだけど…、
 
 俺は久保ちゃんとキスしたことなんて…、一回もなかった…。

 俺は男で久保ちゃんも男で、それが当たり前。
 それが俺らの関係…。
 でも、稔と久保ちゃんがまるで恋人同士みたいにキスしてるのを見た瞬間、キスをしてるのは二人なのに俺の方が息が止まりそうで苦しくて…、哀しくて…、
 橘の言葉でその時のコトを思い出した俺は、一瞬の隙をつかれて…、
 気づくとユラユラと揺れるブランコの上で、橘にキスされていた…。

 「・・・・・・・っ!!!」

 俺の唇に重なってくる橘の唇を離そうとしてブランコの鎖から手を離そうとすると、逆にバランスを崩して伸ばされた橘の腕に支えられる形になって逃げられない。蹴りを入れるために足を振り上げても同じ結果にしかならない。
 しかも、俺の背中の辺りで橘の手がごそごそと何かしていた。
 かすかにカチャカチャと聞こえてくる音…、背中に当たる硬い感触…。
 橘がケータイで、誰かに電話をかけようとしている。
 でもそれはたぶん…、さっき電話した松本じゃなかった…。
 「う…っ、んん…っ!」
 「ケータイがかけづらいですから…、少しおとなしくしててください」
 「誰が…っ、おとなしくなんか…っっ!!」
 「もしもこのままではイヤだと思っているなら、妹に久保田君を取られたくないと思っているのなら…、ここに久保田君がかけつけてくるまで…」
 「はな…、せ…っ」
 「とは言っても貴方は演技が下手そうですから…、僕が協力してあげますよ…。貴方にここまでする義理も借りもないんですが、それなりに欲望はあるので…」
 「よく…、ぼう…?」
 「自分だけのものにしたい、自分の事だけをずっと見つめていて欲しい…、好きな人に…。今の貴方が抱いているのと同じ欲望ですよ」
 「ち、違う…っ、俺はっ!!」

 「いい加減、自覚したらどうなんですか? 貴方は久保田君が好きなんですよ…。友達でも同居人でも相方でもなく…、こういう事をしたい欲望の対象として…」

 違うっ!!俺のはそんなのじゃないっ!!
 唇に濡れた柔らかい感触をカンジながら、その感触を気持ち悪くカンジながらココロの中でそう叫んで一か八か片手ではなく両手を離そうとする。けど、俺が両手を離して橘の腕に体重を全部かけて、その瞬間にできた隙を狙う前に…、
 まだ、ケータイはコール音が鳴り続いてて繋がってないのに…、
 俺は公園の入り口に黒い影が…、久保ちゃんが立ってるのを見てしまった。
 「時任・・・・・」
 そう俺の名前を呼んだのは久保ちゃんじゃなくて、久保ちゃんに背負われてる稔…。
 俺は最悪なコトに…、久保ちゃんと稔の前で橘とキスしていた。
 
 「ずいぶんと早かったですね…。けれど、二人で来るとは予想外でしたよ」

 俺の身体を拘束していた腕と唇を離すと、橘は少し俺から離れながらそう言って微笑む。けれど、俺は腕と唇が離れた瞬間、橘の言葉に久保ちゃんが返事する前に袖で唇をぬぐいながら走り出した…。
 キスされた感触が、唇に残ってて気持ち悪い…。
 胸の奥に何かが詰まってて…、痛くて苦しい…。
 そして橘とキスしてる俺を見ていた久保ちゃんと稔の姿が、目に焼きついて離れない。俺を呼ぶ声に立ち止まるコトも…、振り返るコトもせずに走り続けながら…、
 
 俺は耳に残る橘の声を…、違うと否定した言葉を何度も繰り返し聞いていた…。



 
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